Page:Kokubun taikan 07.pdf/171

提供:Wikisource
このページは校正済みです

がらさぶらひ給ひける程に、「宮だち見奉りつるか。いかゞおはしましつる。このおい法師のむすめだちには、けしうはあらずぞおはしますな。なあなづられそよ」とうちゑみて仰せられかけて痛うもふたがせ給はで坐しましたりしなむ、いき出でたる心ちして嬉しなどはいふべきやうもなく、かたみに見れば顏はそこらけさうじたりつれども、草の葉の色のやうにて又、赤くなりさまざまのやうに汗水になりて見かはしたり。さらぬ人だにあざれたるもののぞきは、いとびなきことにするを、せめてめでたう思しめされければ、御悅に堪へでまたわれと思し召しつるにこそと思ひなすも、心おとりなむする」とのたまひいまさうじける。かうやうの事どもを見給ふまゝには、いとしもこの世の榮花の御さかえのみ覺えてそみつく心のいとゞますますにおこりつゝ道心つくべうも侍らぬに、河內の國そこそこに住むなにがしひじりは庵より出づることもせられねど後世のせめを思へばとてのぼり參らせたりけるに、關白殿の參らせ給ひて、雜人どもをはらひのゝしるに、これこそは一の人におはしますめれと見奉るに、入道殿の御前にゐさせ給へば、猶まさらせ給ふなりけりと見奉るほどに、また行幸なりてらんじやうし、まちうけ奉らせ給ふさま、み輿のいらせ給ふ程など見奉りつる殿達のかしこまり申させ給へば、猶國王こそ日本第一の事なりけれと思ふに、おりおはしまして阿彌陀堂の中尊の御まへについゐさせ給ひて拜み申させ給ひしに、猶々佛こそかみなくはおはしましけれと、この會の庭にはかしこう結緣し申して、道心なむいとゞ熟し侍りぬるとこそ申され侍りしか。傍にゐられたりしなり。やゝまことに忘れ侍りにけり。世