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へり。今にその經ありつゝ、藤氏の人々とりてまもりにしあひ給へり。その佛經の力にこそ侍るめれ。またさかえて御門の御後見今にたえず。すゑずゑせさせ給ふめるはその供養の日ぞかし。こと姓の上達部あまた、日のうちにうせ給ひにければ、誠にや人々申すめり。〈或本に、源氏の內の大臣公卿日のうちに十一人うせ給ひにけりとあり。〉

一 冬嗣大臣の御太郞、長良中納言は、贈太政大臣までなり給ふ。

一 長良大臣の御三郞、基經のおとゞは、太政大臣までなりたまふ。

一 基經大臣の御四郞、忠平のおとゞは、太政大臣までなたまりふ。

一 忠平大臣の御次郞、師輔大臣は、右大臣までなりたまふ。

一 師輔右大臣の御三郞、兼家大臣は、太政大臣までなり給ふ。

一 兼家大臣の御五郞、道長大臣は、太政大臣までなりたまふ。

一 道長大臣の御太郞、只今の關白左大臣賴通のおとゞ、これにおはします。この殿の御子の今までおはしまさゞりつるこそいとふびんに侍りつるを、この若君の生れさせ給へるいとかしこき事なり。母は申さぬことなれど、これはいとやんごとなくさへおはするこそ、故左兵衞督は人がらこそいとゞも思はれ給はざりしかども、殿あて人におはするに、又かく世をひゞかす御孫のいでおはしたる、なきあとにもいとよし。七夜の事は入道殿せさせ給へるにつかはしたる歌、

  「年をへてまちつる松のわか枝にうれしくあへる春のみどりご」。