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こら集まりたる田舍世界の民百姓、此こそ確かに見奉りけめ。唯轉輪しやう王などはかくやと光るやうにおはしますに、佛を見奉りたらむやうに、額に手をあてゝ拜み惑ふさまことわりなり。大宮の赤色の御扇さしかくして、御かたのほどなどは少し見え給ひけり。かばかりにならせ給ひぬる人は、つゆの御すきかげもふたぎ、いかゞとこそもてかくし奉るに、ことかぎりあれば今日はよそほしき御ありさまも少しは人の見奉らむもなどかはやともやおぼしけむ、殿も宮もいふよしなく御心ゆかせ給へりける事推し量られ侍るは。殿、大宮に、

  「そのかみやいのりおきけむ春日野のおなじ道にもたづねゆくかな」。

御かへし、

  「くもりなき世のひかりにや春日野のおなじ道にもたづねゆくらむ」。

かやうに申しかはさせ給ふほどの、げにげにと聞えてめでたく侍りし。中にも大宮のあそばしたりし、

  「三かさ山さしてぞきつるいそのかみふるきみゆきのあとを尋ねて」。

これらぞな、翁などが心の及ばぬにや、あがりてもかばかりの秀歌えさふらはじ。その日にとりては春日明神のよませ給へりけるにおぼえ侍り。今日かゝる事どものはえあるべきにて、前の一條の院の御時にも大入道殿の行幸申し行はせ給ひけるにやとこそ心えられ侍れな。大方さいはひおはしまさむ人の和歌の道後れ給ひつらむはことのはえもなくや侍らまし。この殿はをりふしごとに必ずかやうの事を仰せられて、ことをはやさせ給ふなり。ひと