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花山院とあらがひ事申させ給へりしはとよ。いとふしぎなりし事ぞかし。「わぬしなりとも我が門はえ渡らじ」と仰せられければ、隆家「などてか罷り渡り侍らざらむ」と申し給ひて、その日に定められぬ。輪强き御車にいちもちの御牛かけて、御烏帽子直衣いとあざやかにさうぞかせ給へり。えびぞめの織物の御指貫少しゐ出させ給ひて、祭のかへさに紫野走らせ給ふ。君達のやうに、ふみ板にいと長やかにふみしだかせ給ひて、くゝりは土に引かれて、すだれいと高やかに卷きあげて、雜色五六十人ばかり聲のあるかぎりひまなく御さき參らせ給ひて、院には更なり、えもいはぬ勇悍幹了の法師ばら大中童子など合せて七八十人ばかりに大なる石五六尺ばかりなる杖ども持たせて、北南の御門辻より西へ、小一條の前、洞院のうらうへにひまなくたちみちて御門の內にも侍ひ、僧の若やかに力强き限さる設して侍ふ。さる事をのみ好み思ひたる、上下の今日にあへる氣色どもはげにいかゞはありけむ。いづ方にも石杖ばかりにて、誠しき弓矢は設けさせ給はず。中納言殿御車一時ばかり立ち給ひて、かでの小路よりは北に、御門の邊まではやり寄せ給へりしかど、猶え渡り給はで歸らせ給ふ。院方にそこら集ひたるものども、ひとつ心に目もかためまもりまもりて、やりかへし給ふほどは一度に笑ひ合せたりし聲こそいと夥しかりしか。さる見ものやは侍りしとよ。「王威はいみじきものなりけり。え渡らずなりぬるよ。無益の事をいひてけるかな。いみじきそくかうなりつる」とてこそ笑ひ給ひけれ。院はうちゑませ給ひけるをいみじと思したるさまも、ことしもあれ、誠しき事やうなり。この帥殿の御はらからといふ君だち數あまたおはすべ