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し侍るべきなり」ときこえ給ひければ、「いかでか殿の御前にはまかりなり侍らむ。ましてかく仰せられけむにはあるべき事ならず」と申し給ひければ、御心ゆきて、しかおぼして、いみじう申し給ふに及ばぬほどにやおはしけむ。入道殿このおとゞに、「そこは申されぬか」とのたまはせければ、「左衞門督の申さるればいかゞは」としぶしぶげに申し給ひけるに、「かの左衞門督はえならじ。又そこにさらずばこと人こそはなるべかめれ」とのたまはせければ、「かの左衞門督まかりなるまじくばよしなし。たふべきなり」と申し給へば、又かくあらむ、こと人はいかでかとてなりたまひにしを、いかに我にむかひてあるまじきよしをいひてはかりけるぞとおぼすに、いとゞ惡心おこして、ぢもくのあしたより手をつよくにぎりて、「我はたゞのぶ道長にはまれぬるぞ」といひいりて、物もつゆ參らずうつぶしうつぶし給へる程に、病づきて、七日といふにうせ給ひしに、握り給ひたりけるおよびはあまりつよくてうへにこそ通りていで給へりけれ。いみじき上戶にてぞおはせし。故中の關白殿の一とせの臨時客に、あまりゑひて御座に居ながら立ちもあへ給はで、物つき給へるにこそかう名のも〈ひ歟〉ろたかゞ書きたる樂府の御屛風にかゝりてそこなはれたなれ。この大納言になり給へるは今の中宮大夫たゞのぶの卿いと世覺えあり、よき人にておはしき。又權中將道信の君、いみじき和歌の上手にて心にくきものにいはれ給ひし程にうせ給ひにき。又唯今の左衞門督きんのぶの卿、法住寺の僧都の君、あざりの君おはす。又一條攝政殿の御むすめの腹の女君だち、三四五の御方おはします。三の御方は鷹司殿のうへとて尼になりておはします。四の御方は