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けば、げに哀なりける昔のことを、かく聞かせざらましかば覺束なくても過ぎぬべかりけりとおぼして打ち泣き給ふ。心のうちには、我が身はげにうけばりていみじかるべききはにはあらざりけるを對の上の御もてなしにみがかれて人の思へるさまなどもかたほにはあらぬなりけり、身をば又なきものに思ひてこそ宮仕のほどにもかたへの人々をば思ひけち、こよなき心おごりをばしつれ、世の人はしたにいひ出づるやうもありつらむかしなどおぼし知りはてぬ。母君をばもとよりかく少しおぼえ降れるすぢと知りながら、生れ給ひけむ程などをば、ある世ばなれたるさかひにてなども知り給はざりけり。いとあまりおほどき給へるけにこそは。怪しくおぼおぼしかりけることなりや。かの入道の今は仙人の世にも住まぬやうにて居たなるを聞き給ふも心苦しくなど、かたがたに思ひ亂れ給ひぬ。いと物哀にながめておはするに御方參り給ひて日中の御加持に此方彼方より參り集ひ物騷がしくのゝしるにお前にことに人もさぶらはず尼君所えていと近くさぶらひ給ふ。「あな見苦しや、短き御几帳ひきよせてこそ侍ひ給はめ。風などさわがしくておのづからほころびのひまもあらむに、くすしなどやうのさましていとさかり過ぎ給へりや」などなまかたはらいたく思ひ給へり。よしめきそしてふるまふとは覺ゆめれども、まうまうに耳もおぼおぼしかりければ、あゝとかたぶきてゐたり。さるはいとさいふばかりにもあらずかし。六十五六のほどなり。尼姿いとかはらかにあてなるさまして目つやゝかに泣きはれたる氣色の怪しく昔思ひ出でたるさまなれば胸打ちつぶれて「こだいのひがごとどもや侍りつらむ。よくこの世の外のやうなるひが