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――まあ、(間)……私は馬鹿でした。あなた私を……(聴取れず)……しようとなさるんですね。

――いや、それは誤解です。私はね、あなたの云いなりになっているのが、少し堪え切れなくなって来たんですよ。

――私の云いなりに? いつあなたが私の云いなりになりました?

――云いなりになっているじゃありませんか。例えばですね、三年の長い間私は盗人のような屈辱を忍びながら、先生の留守をねらっては、そっとあなたに会いに来ているじゃありませんか、三年ですよ。考えて見て下さい。私達には何故もっと自由が与えられないのですか。

――あなたは、あなは……


 フィルムは未だ長々とあったにも係らず、彼等の会話はここで突然杜絶とぎれて、以下何事も記録に止めていなかった。この会話は井川博士を十分満足せしめる内容を持っていなかったけれども、博士は三年の日子を費した事業が成功したのと、不貞なる妻及び憎むべき北田が、博士を欺き得たと信じ、彼等の会話が巧妙な方法で、かくまで精細に記録されていようとは、夢にも知っていない事を考えると、ぞくぞくと嬉しくてたまらなかった。彼は何回となく、この発声フィルムを廻転して、彼等の会話を再生して、ニタニタと聴入つたのだつた。

 さて、博士は何回となくこのフィルムに聴入っているうちに、ふと彼は第二の恐るべき計画を思いついた (この事が度々述べた通り、検事が異議をとなえる所である) その計画は、北田を殺害し、この発声フィルムを利用して、その罪を妻の玉代に完全に背負わしてしまおうと云うのだった。ここに奇異とすべき事は、博士が北田に対して殺意を生じたのは、嫉妬による怨恨で、彼を憎むの余り考えついた事と、誰しも信じて疑わないであろうに、博士自身は全然それを打消して、偶々たまたま発声フィルムの成功によって、それを利用して巧妙な殺人が可能な事に考えつき、それを遂行する事自体に、限りなき興味を覚えたのだと主張している。博士の獄中日記の一節に、「検事ハ余ガ殺意ヲ生ジ、然ル後ソノ予備行為トシテ、彼等ノ会話ヲ発声フィルムニ写シ取リタルナリト、度々法廷ニ於󠄁テ論ジタリ。然レドモソレハ全然誤リタル観察ニシテ、余ニシテモシ最初ヨリ、殺意アランカ、必ズヤ他ニ実行容易ニシテ且ツ適当ナル方法ヲ選ビシナラン。余ノ殺意ハ全ク彼ノフィルムヲ得タル後ニ生ゼシモノニシテ、シカモ、余自身甚ダ奇異ノ感ヲ抱キシ如ク、ごうモ激怒憎悪或ハ嫉妬ノ念ヨリ起リシモノニ非ズ、只何人ニモ看破シ得ラレザル科学的殺人方法ノ発明ニ狂喜シ、ソレヲ直チニ実行ニ移シ以テ余ガ智ママ的快感ヲ充タサントセシモノニアルノミ。ソノ証左トナスベキハ、余ハあたかモ科学者ガソノ研究ノ為メ、兎、モルモットノ如キ動物ヲ実験ニ供スル時ト、全ク同一ノ気持ニテ、頗ル冷静ニ、且ツ何等悔恨ノ情ヲのこス事ナク、完全ニ殺人ヲ遂行スルコトヲ得タル事これナリ」とあった。

 博士の云う何人にも看破し得られざる科学的殺人方法と云うのは、彼は先ず北田を彼の書斎内で殺害し、これを室内に残して、彼はそっと外出して、友人或は門下生のうち、適当な人間を連れ来り、書斎の外にたたずましめる。それと同時に書斎内に、ひそかに装置した発声フィルムを、自働ママ的に廻転せしめる。そうすると、書斎の外にいる人間は、あたかも室内で玉代夫人と北田青年が相対して会話をしているものと信ずるであろう。かくて博士は完全に疑いから逃れる事が出来る。

 博士は結果を一層効果的にするために、更に一、二の工夫をした。即ち博士は北田青年の声色こわいろを使って、あたかも彼を殺害したのは玉代であるような言葉をフィルムに吹込み、それを先に得たフィルムに継ぎ合せた。博士は声色には自信があったし、室外から最後の断末魔たる悲壮な断続的な言葉