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 駒が、駒が足りないのです。又しても角と歩が。

 友達が君、君と呼びかけた様に思います。私はハッと気がつくと、膝の前、盤の下、前後左右を探し廻しました。しかし無いのです。私は盤の上につっ伏しました。やがてゲラゲラと笑い出しました。

 それから私は夢中ですっかり私のした事を話してしまいました。

 私の顔は蒼かったでしょう。きっと死人のように蒼かったでしょう。けれども、私の話を聞き終った友人の顔も、血の気のない真蒼な顔でした。彼は途切れ途切れに云いました。

「君、すまない。許してくれ給え。君にそんな恐しい秘密があろうとは思わなかった。実は昨日君がフラフラ立上った時に、盤の下に角と歩とが落ちていたのだ。君はそれを探そうともせず、夢遊病者のように駒が足りないと云いながら居間の方へ行って倒れてしまったのだ。今日又呼ばれて来ると、君の態度がそわそわして可怪おかしい。僕はほんのちよっとした悪戯いたずら気分から、駒を並べながら、手早く角と歩とを隠したのだ。それが君にそれ程打撃を与えるとは思わなかったのだ」

 そう云って彼は左の手に握っていた二つの駒を、盤の上へ投げ出しました。

 この時に私は何故か決して彼を憎みませんでした。彼に秘密を話した事も少しも後悔しませんでした。それよりも、被っていたものを脱いだように、頭がすっと軽くなって、せいせいした気分になりました。次の間に妻の忍び泣く声が、洩れ聞えましたけれども、私は悲しいよりも、処刑を受けた後の妻子の事を、静かに考えておりました。

(「新青年」大正十五年四月号)