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こんなたわいもない模擬死 (?) をやつてみたことすらある。まるで狂人だ。佐藤君の説では、だんだん僕は幽霊じみて来るさうだ。


 七月二日。

 夜、東條君が遊びに来た。揃つて散歩に出かける。今日何時もとコースを更へて、汽缶場の方から医局の裏に抜け、更に監房の横を通つて見る。あたりの風物が何時もと違ふため、それと共に看護婦達のゐる官舎がちらちら垣根の間からのぞかれるので、気分が緊張し、風物を一つだに見逃すまいとする。

 監房から向うは何時もの散歩道だ。

 東條の話によると、「北條さんて、とても朗かな、今にも笑ひ出しさうな方に見える。」とあやめの女達が言つてゐたさうだ。苦笑せざるを得ない。

 ぐるりと一巡して内田君の所へよる。彼は留守。仕方なく久しぶりで、はるな舎へ行つてみようかと思つてゐると、東條が先を越して、

「はるなへ行かう。」

 と言ふ。よからうといふことになつて行く。遠藤さんが来てゐた。S、平凡な女。勿論武装してゐるから内部は判らぬが、時々彼女の噂や、東條の語る印象など綜合して考へると、 まづ平凡な女、と言ふ以外になからう。はつきり自己を認識して、人生や社会、更にこの院内の諸事象などに確固とした態度などありさうにも思へぬ。かういふ女には批判精神といふのがないのだ。

 彼女は僕と東條とを如何に見てゐるか? 好意を持つとか持たぬとかは、この場合言はぬ。東條の中から何を摑み、僕の中から何を摑んでゐるのだらうか? といふのだ。が女なんて浅はかなものだらう。皮相の観察、といふよりは時々の反射による感じの上だけが彼女の心を動かす力となるのだらう。東條や僕の良い所を摑み得ないが如く悪い部分も判らぬだらう。と言へば少々無礼になりさうだ。よさう。

 八時頃於泉が来る。彼氏Sに参つてゐるらしい。彼の姿を見た刹那、僕はひどく悪いことをしてゐるやうな気がした。東條はどうだらう?

 やつ、暫く庭に立つたまま我々を眺める。上つて来ようともしないのだ。心の底が波立つてゐるやうに見える。

「うおお。」

 と、言ひながら僕はにやにやと笑つて、ちよつと傲然として見せる。悪い癖だ。

「お上りなさい。」

 と女が言つた。

「上れよ。」

 と我々も言ふ。

 すると、彼、どうしたのか帰ると言ひ出した。心の中を見られることを嫌つて無意識的にさう言つたのだらう。が結局上つて来る。寸時の間話し、東條と僕は引き上げる。

 帰り真際に踊りの話が出たが踊ると言ふと、

「於泉さんに怒られるわよ。」

 と別の女が言つた。するとSは反抗的こ、

「於泉さん (なんか) に怒られても踊りたい時には踊るわ。」

 と自己の独立性を主張した。その間髪に僕は彼女の心を読みとつた。

 暗い道に出ると、二人は期せずして笑ひ出した。

 幸福なる於泉信夫よ、御身の眼は余りにも小さく潤んでゐる。さういふ言葉が不意に浮んで来る。意地悪の快感だ。が可哀想にも思ふ。(さうだ、彼の苦悩はここに忍んでゐるのだ。) と自分は気づく。

 二人で畠を荒し、きうり四本 (太いやつ) を稼ぐ。真暗の中を、洗衣着の二人の姿は仄白く見えたらう。なんと痛快極ることだ。これで二度目だ。前の時には於泉と三人だつた。その時は僕が一番不猟だつたが、今日はなかなか大猟だ。暗いので手さぐりに捜す。ぶよぶよして、毛ば立つた葉が毛虫の無気味さを感ぜしめる。時々、蔓の「手」に立てられた竹竿を摑んだり、下駄が柔かい地面にささつてよろけたり、がさがさと音が立つたりする。が、ちつともびくつかない。心は平然としてゐた。

 懐にずつしりと重みを感じながら、どやどやと十号の東條の部屋に帰つて来ると、東條のシスともう一人Fちやんといふ女が二人で東條の帰りを待つてゐた。僕と東條とがごろごろと懐中から太いキウリを机に転がせると、あきれてゐた。

 四本だが、切つて見ると、皿に山盛りあつた。以てこれが如何に巨きなものであつたか想像されよう。そいつに食塩を振りかけ、そのままごりごりと食ふ。大変うまい。彼女らも食つた。愉快だ。だが、なんと切ない享楽であることよ。


 七月三曰。