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痛切に希望する。さうでないと一時も安心出来ないのだ。唯もう心配でならないのだ。

 それからこれを読みながら、一口も、その手紙の一章も書かれてゐないアンナ夫人の姿が、髣髴と心に浮ぶのは、私だけの経験だらうか?


 この書簡集こそ、私は生涯愛読しよう。彼は偉大だ。比類のない芸術家だ。けれど、トルストイのやうに、ゲーテのやうに、我々を引き上げようとしたり、我々の前に立ちはだかつたりはしない。我々が、トルストイやゲーテに接する時、その時ほど我々自身の弱小を感ずることはない。もしドストエフスキーの前で我々がさうした感じを味はつたとすれば、彼は決して、冷淡な薄笑ひをしてはゐないだらう。いや、それどころか、彼は、我々と共に苦しみ、悲しみ、そして愛して呉れるだらう。


 四月十九日。

 もうはや四月十九日だ。自分だけがのろのろと一ケ所をさまよつてゐる中に、自然は、移り進み、変化してゐる。東條君のゐる柏舎の裏にある竹藪には、もう太い筍が黒土を割いて突き出てゐる。花を散らせた桜樹には若芽が葉を拡げ、やがて来る初夏に具へて春を謳つてゐる。それだのに、今の自分の気持はどうだ。暗く、陰鬱で、冬のやうに閉ざされてゐる。悦びの片影すらもない。「間木老人」五十二枚が完成したけれど、残つたものは、自嘲と、情無さと、自らを信じ得ざる悲しみだけだ。自分は永い間かかつて、あんなに苦しみ、努力して書いたのに、出来上つたもののあの貧弱さは、ああ、なんとしたらよいのか! 文学など、消えてなくなれ! と叫んでみたい切なさだ。

 こんな時、静かな、美しい随筆でも書きたい。


 四月二十二日。

 胸に悲しみある時、望郷台に上りて四辺を睥睨せよ。この醜悪なる現実を足下に蹂躪して独り自ら中天に飛翔する美しさを感得せよ。


 五月十一日。

 東條君、僕は今君の所で、君の日記の幾章かを聴かせて貰つた。そしてそのために、ひどく淋しく、悲しくなつてならないのだ。だつて、余りにも君の苦しみが僕のそれと似通つてゐるのだから。君は、僕と同じやうに苦しみ、藻搔いてゐる。その姿が、僕には、僕自身のやうに思はれてならないのだ。君の苦しみを見てゐると、僕は、その中に僕の姿が、まざまざと映し出されて来るのを、明瞭に感ずるのだ。

 けれど、君のレプラ患者の結婚論には、何か不満な気がした。君の意見が不賛成なためでは決してない。ただ、もう少し深く考へて貰ひたい気がしたのだ。深く、といふ言葉を僕は今使つたが、決して自分の考へが、傑れてゐるといふために使つたのではない。僕は、ただ、君の言つてゐる、いや、言い切つてゐるやうに、病者の結婚が、非道徳的であり、罪悪であり、ただ享楽以外にないといふ言葉のその次に、ここから病者の一つの苦しみが出発すること、そしてその故に病者にとつて結婚が如何に重大な問題 (良い意味にも悪い意味にも) であるかといふことを、突込んで欲しかつたのだ。といふのは、真剣に本能と戦ふことが如何に至難な事業であるかといふことを考へたからだ。お互にもつと深くこの問題を考へよう。この内部にこそ、真に人間性の奥底に触れ得る、霊と肉の争闘も、更に進めては巨大な個と全の問題も横はつてゐると思ふのだ。


 東條君、右のことはそれだけとして、君は僕のやうな心理家を持つたといふことを、よろこばなければならないのだよ。何故つて、君があの日記中に記した看護婦の夢は、たつたあれだけ聴いただけで、僕にはもうちやんとあの夢の意味が理解されるのだ。◎

 ああ、ところが、君、なんといふ恐しいことだ。このやうに恐しい心理の糸の構成に気づいたことはない。それは余りにも恐しいことだ。僕は、なんだか気が狂ひさうだ。急に頭が重くなつて来た。

 右まで書いて、この錯綜した僕の今の気持や、この夢の持つ意義や、更に、この夢を分析しようとした刹那に起つた僕の心理の動きを、書かうか書くまいかちよつとの間思案した。が、何もかも書いてしまふ。そのためには冷静な頭にならなければならない、僕は、暫く、じつと瞑想しよう。


 先づ最初に、夢を分析してしまはう。勿論、たつたあれだけ聴いただけでは、微細に考察することは不可能だが大体のことは考へることが出来る。

 夢は、欲望の表現である。これはフロイドママの言葉であり、僕はこの言葉を信ずることが出来る。僕はもう幾人