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「親父は俺を恐れてゐるのか、さうだろう、親父が俺を恐れるのは誰の責任だ。」

あにさんに定つてるわ。」

「ふん。」

 佐吉は黙つてふゆ子を睨みつけてゐたが、やがて首を垂れると、

「ああ、また一人この世界へ墜ち込んで来るのか。」

 と絶望的な声で呟いて蒲団を被つてしまつた。

「そんなこと言つたつて、しやうがないぢやないの。さうなつてしまつたものを。」

「ふゆ子。お前もだんだんお父さんに似て来たぞ。お前は病気になつた時どんな気がしたえ? その時の気持がいちばん人間らしい気持だぞ。しやうがない、親父は全くいい言葉を発見したもんだ。」

「だつて――。」

「だつてぢやない!」

 と、佐吉は怒気と憐憫とを同時に含めた声で言つたが、やがて優しく言つた。

「ふゆ、帰つてくれ。」

 彼女は立去りかねるものを感じて、じつと兄の顔を見ながら、

「……帰らない。」

 佐吉は暫く黙り込んで、妹の顔を見上げてゐたが、帰れ……と今度は激しく言つた。

「兄さん――。」

 と彼女は鼻声になつて言つたが、もう泣いてしまつた。佐吉はくるりと寝返りをうち、彼女の方に背を向けた。そして蒲団の隅をぎゆッと握り、き上げて来さうになつた感傷を押へた。昨夜から父に傾きかけてゐた気持は、再び硬く立直つて、俺はどんなことがあつても妥協しない、と強く思ひ続けた。

 佐太郎がやつて来たのはあくる日の夕方、もうそろそろ薄暗くなりかけた時分であつた。報せがあるとふゆ子は父と一緒に収容病室へかけつけた。収容風呂からあがつたばかりの佐太郎は、初めて療養所の筒袖を着せられて、しよんぼり立つてゐた。見ちがへるほど丈が大きくなつて、ゆきの短い着物からは腕が半分ほども露はであつた。初めて籠に入れられた小鳥のやうに、佐太郎は恐怖と驚愕の眼差しできよろきよろとあたりを見廻してゐる。

「佐太さん。」

 とふゆ子が呼びかけると、彼は初めて姉に気づいたやうに、はつとした表情であつた。そして微笑を浮べようとしたらしかつたが、それは途中で硬直したやうにただ顔が歪んだだけだつた。これが自分の姉だつたのか、と佐太郎は思つたに違ひないとふゆ子は、自分の眉毛のない顔を思ひ、つと一歩後ずさつた胸の中でじいんと何かが鳴るやうな思ひだつた。

「佐太、来たかの。」

 と佐七は続いて声をかけたが、それきり言葉はなかつた。佐吉は待つても出て来なかつた。ふゆ子が呼びに行つても、腕が痛む、と一言言つたきりであつた。「さうか。」と佐七は弱々しく言つて、ふと気づいたやうに「ひはの声がする」とあたりを見廻した。病室ではどこでも小鳥を飼つてゐる。佐七は窓の下に置かれた籠を見つけると、その方へ足を運んだ。

「ほう、なかなかいい鳥ぢや。」

 とその前にしやがみ込んで、指先に餌をつけると、籠の外から食はしてやつた。ふゆ子は父の弓なりになつた細い胴を背後から眺めながら、ふと父が泣いてゐるやうに思はれてならなかつた。が、実は彼女の方が今にも泣き出してしまひさうになつてゐた。