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く精神病を憂へたりき。晝を厭ひ夜を好み、晝間は其室を暗くし、天井には星月を假設し、床の四圍には花木を集めて其中に臥し、夜に至れば起ちて園中に逍遥す。近ごろ多く土木を起し、國庫の疲弊を來しゝが爲めに、其病を披露して位を避けしめき。今月十二日の夜、王は精神病專門醫フオン、グツデン von Gudden と共にホオヘンシユワンガウ Hohenschwangau 城よりスタルンベルヒ湖 Starnbergersee 一名 Wurmsee に近きベルヒ Berg と云ふ城に遷りぬ。十三日の夜王グツデンと湖畔を逍遥し、終に復た還らず。既にして王とグツデンとの屍を湖中に索め得たり。葢し王の湖に投ずるや、グツデンはこれを救はんと欲して水に入り、死を共にせしものなるべし。屍を檢せしものゝ謂へらく。グツデンは王を助けて水を出でんと欲し、其領を握みしならん。グツデンの屍は手指を傷け、爪を裂きたり。されど王の力や强かりけん、袞衣は醫の手中に殘り、王は深處に赴きぬ。醫は追ひて王に及び、水底にて猶王の死を拒みし如し。グツデンの面上には王に抓破せられたる瘢痕ありと。慘も亦甚し。王の未だ病まざるや、人主の德に詞客の才を兼ね、其容貌さへ人に勝れ、民の敬愛厚かりしが、西洋の史乘にも例少き死を遂げしこと、哀む可きに非ずや。グツデンは特に精神病の醫たるのみならず、平生神經中心系の學に諳熟し、鳴世の著述あり。又詩賦を好む。其狂婦の歌人口に膾炙す。其死も亦職責を重んじたる跡分明にして、永く杏林に美名を赫すに足る。

二十七日 (日曜)。加藤岩佐とウルム湖に遊び、國王及グツデンの遺跡を弔す。舟中ペツテンコオフエル師と其令孫とに逢ふ。

七月十二日。家書至る。去月來炎熱に苦みしに、數日前より忽然冷氣膚を侵せり。試驗室は今日權に爐を開き、僅に室內溫度の攝氏十八度に達するを見たり。炎凉の變斯く迄なるは近年稀なりと府民語りあへたり。

十五日。長沼守敬伊國ヱネチア Venezia より來る。余問ひて曰く。君伊國に在りしならば、必ず緖方惟直君の事を知るならん。僕の東京を發するや、其舍弟にして僕の親友たる收二郞より、惟直君の墳墓のことを聞き、僕の足其地を躡むことあらば必ずこれを弔せんと約したり。願くは其詳なるを語れと。長沼の曰く。惟直君の墳墓は予の領事舘の吏輩と議して建つる所なり。其地はチミテ