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身娶婦の望を絕てりと。余其故を問ふ。曰く。我家は世々勞瘵を病みて死す。余復た患を子孫に及ぼすに忍びず。而して故里一少女あり。望を余に屬す。雁書往復、今に到りて止まず。余措いて答へざらんことを欲すれども能はずと。因りて其小照を出して示す。余其意を憐み、慰めて曰く。今コツホ Robert Koch 結核菌の發明あり。人傳屍鬼疰の妄を辨ず。君の身今健全なり。宜く强壯なる婦を娶りて强壯なる兒を育す可しと。トオマスは博言學を修め、敎育學舘 Paedagogium の業に從事せんとす。今夏試を受け、試畢れば鄕に歸るなり。

三日。谷口謙の書到る。官署組織の變を記す。又諸學士の事を報じて云く。江口は相易らず風車と一般、賀古は木强にして無頓着、小池は歸朝、舊に依りて傲慢云々と。余其舊態依然たるを想ひ、覺えず絕倒す。

八日。家書到る。此日學校を鎖づ。

九日。トオマス及其一友人 (失名、右手二指を缺く) とロイドニツツ Reudnitz なる城窖 Schlosskeller と云ふ舞踏塲に赴く。トオマスは歐米の若き人には稀なる事にて、未だ曾て舞踏を試みずと云ふ。されど之を觀ることをば好めり。此舞踏塲は上等客の爲めに設くる者に非ず。此に來る婦人は、多く行酒女 Kellnerinnen の類なり。トオマスは新に米國より來れる友に此境界を示さんとて伴ひ來れるなり。此日ホフマン師の家を訪ふ。鈴索を引くこと屢〻なれども、一人の應ずるものなし。盖し全家の旅行せるなり。

十日。田中正平の書伯林より至る。正平は羅馬字會員なり。其一節に曰く。近頃羅馬字會は書法を改めて、これを報じ來れり。故に余は其要領を君に傳へんと欲して果さゞりき。然るに君の書を見れば早くこれを知り給ふ如しと。余が田中に贈りし書簡も、羅馬字もて記したりし故、斯く云ふなり。葢し余は羅馬字會の法則を知れるには非ず。略〻ヘバアン Hepburn の法に依り、一種の寫音 phonetische Transscription を試みたるに、偶然符合したるなり。

十三日。ホフマン師及軍醫ウユルツレルの家を訪ふ。皆逢はず。佐方の曰く。一昨日途上ウユルツレルの車上より高く帽を擧て揮くを見たり。同車の人ありしや否は