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るべし。敢て辞すと。江口𧹞然たり。餘は推知すべし。夜宴に公使舘に赴く。
十五日。家書至る。雞林醫事の譯稿成る。
十六日。ライン J. J. Rein と文書往復を始む。ラインは日本と題せる風土物產記の編者なり。是より先き、橫山又次郞書を寄せて曾て日本產の介族の事を叙述せし獨逸人リシユケ Lischke の居を問ふ。余も知らざる故、諸家に問合せたり。ライン彼ナウマンとの爭論を知る。余に詳細なる答書を贈り、リシユケの骨既に朽つる事を以て吿げらる。
十七日。ヒルゲンドルフ Hilgendorf の答書至る。言ふ所ラインに同じ。
十八日。北里、江口等と片山の家に會す。北里ペエケルハアリング Pekelharing と脚氣細菌の事に就きて爭端を開けるを語る。
二十一日。石君とコオレル及シヤイベを訪ふ。
二十二日。午前石君訪はる。
二十三日。早川來る。曰く。江口と云ふもの、その云爲頗る怪むべし云々。
二十九日。早川を訪ふ。
三月八日。家書至る。阿君の小金井敎授に嫁する可否を問ふ。電報を發して同意を表す。陸軍省醫務局に至る。コオレルと語らんことを欲するなり。在らず。其家に至りて逢ふ。公使舘に福島を訪ふ。在らず。書を遺して去る。皆入隊の事に關す。午後獨逸帝病篤き報あり。全都騷然たり。
九日。獨逸帝維廉第一世崩ず。
十日。普國近衞步兵第二聯隊の醫務に服すべき命あり。隊務日記の稿を起す。
四月一日。遷居す。ハアケ市塲 Haacke'scher Markt