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の女兒の踊)を敎ふるには、擧止を優美嫻雅ならしむるを唯一の主旨とし、音樂は、父兄、良人の欝屈を慰せんが爲のものなりしを以て、此の藝能も亦た專修の技たらず、要するに窮極の目的は心念を淸淨ならしむるにありたるを以て、心平ならずんば、五音自から諧はずと謂へり。乃ち靑年を敎育するに當り、藝の要は必ずや德を補ふべきものなりとしたる思想の、又た爰に存するを見るべし。音樂舞踏は、人生に補ふに優美の情、快闊の性を以てするを得ば、其用旣に足れりとし、此れを以て或は虛榮奢侈を衒ふの具となすこと無し。波斯王曾て倫敦に遊びて、舞踏會に列す。而して王の其戱樂を共にせんことを促さるゝや、自國此伎を業とするの舞女あるを云ひ、竟に頑として之に應ぜざりしとは、吾人