の虛を衝けばなり、退いて追ふべからざるは、速かにして及ぶべからざればなり。故に我れ戰を欲せば、敵壘を高うし溝を深うすと雖も、我れと戰はざるを得ざるは、其の必ず救ふ所を攻むればなり。我れ戰を欲せずば、地を畫して之れを守ると雖も、敵我れと戰ふを得ざるは、其の之く所に乖けばなり。故に人を形して我れ形なくば我れ專にして敵分かる、我れ專にして一となり敵分かれて十となれば、是れ十を以て其一を攻むるなり、則ち我れ衆にして敵寡く、能く衆を以て寡を擊たば、則ち吾が與に戰ふの所のもの約なり。吾が與に戰ふ所の地知るべからず、知るべからずば敵の備ふる所のもの多し、敵の備ふる所のもの多ければ、吾が與に戰ふ所のもの寡し、故に前に備ふれば後寡し、後に備ふれば前寡し、左に備ふれば右寡し、右に備ふれば左寡し。備へざる所無ければ則ち寡からざる所なし。寡とは人に備ふる者なり、衆とは人をして己れに備へしむる者なり。故に戰の地を知り戰の日を知るものは、千里にして會戰すべし。戰地を知らず戰日を知らざるものは、左、右を救ふこと能はず、右、左を救ふこと能はず、前、後を救ふこと能はず、後、前を救ふこと能はず、況んや遠きもの數十里、近きもの數里なるをや。
吾を以て之れを度るに、越人の兵多しと雖も亦た奚んぞ勝つに益あらんや、故に曰く勝つこと爲すべきなり、敵多しと雖も鬪ふこと無からしむべし。故に之れを策つて得失の計を知り、之