なりと雖(いへど)も、自村(じそん)の儀式(ぎしき)に精通(せいつう)せずして、先方(せんぱう)の注意(ちうい)を受(う)くる樣(やう)の事(こと)ありては、其(そ)の者(もの)自身(じしん)の恥(はぢ)たるのみならず、實(じつ)に其(そ)の部落(ぶらく)の不名譽(ふめいよ)なるを以(もつ)て先(ま)づ自村(じそん)の風習(ふうしふ)を敎(をし)へ、次(つぎ)に他村(たそん)の事(こと)に及(およ)ぶなり。
家庭(かてい)敎育(けういく)は右(みぎ)の如(ごと)くにして、決(けっ)して惡(あ)しゝと言(い)ふにあらざれども、惜(をし)むらくは狹(せま)きアイヌの區域(くゐき)に止(とゞま)りて、廣(ひろ)く社會(しやくわい)に亙(わた)らざるなり。且(か)つ家庭(かてい)には種々(しゆ〴〵)不良(ふりやう)なる事(こと)ありて、不良(ふりやう)なる感化(かんくわ)を子弟(してい)に與(あた)ふるの憂(うれひ)あり。
(三)學校敎育の沿革及び規程
アイヌの學校(がくかう)敎育(けういく)は、開拓使(かいたくし)の時(とき)に、其(そ)の端(たん)を發(はつ)したりと雖(いへど)も、當時(たうじ)は北海道(ほくかいだう)に學校(がくかう)の數(すう)も少(すく)なかりし故(ゆゑ)、アイヌの子弟(してい)にして就學(しうがく)