と共トモに二千ニセンとなれり。[三ミつ(宿衞、箭筒士、侍衞)幷アハせて]
萬の番士バンシよりなれる大中軍タイチウグン
萬マンの番士バンシとなれり。成吉思 合罕チンギス カガン 勅ミコトあるには「我等ワレラの身ミに貼ツける萬マンの番士バンシを勵ハゲまして大中軍タイチウグンとなり居ヲれ」と勅ミコトありき。
§227(09:40:09)白鳥庫吉訳『音訳蒙文元朝秘史』(東洋文庫,1943年)
番直バンチヨクの宿老オトナ 四人 不合ブカ 阿勒赤歹アルチダイ 朶歹ドダイ 朶豁勒忽ドゴルク
又マタ 成吉思 合罕チンギス カガン 勅ミコトありて、侍衞ジヱイの四班ヨクミの宿老オトナたる者︀モノに任コトヨサし「不合ブカは、一班ヒトクミの番士バンシを知シりて、番士バンシを整トヽノへて入イれ、阿勒赤歹アルチダイは、一班ヒトクミの番士バンシを知シりて、番士バンシを整トヽノへて入イれ。朶歹 扯兒必ドダイ チエルビは、一班ヒトクミの番士バンシを知シりて、番士バンシを整トヽノへて入イれ。朶豁勒忽 扯兒必ドゴルク チエルビは、一班ヒトクミの番士バンシを知シりて番士バンシを整トヽノへて入イれ」とて、四班ヨクミの宿老オトナを任ヨサして、
番直バンチヨクに入イる勅ミコトを傳ツタへ「番直バンチヨクに入イるには、番直バンチヨクの官人クワンニン、己オノレの處トコロに番直バンチヨクする番士バンシを點檢テンケンして、番直バンチヨクに入イりて、三ミたび宿トマり合アひて、代カハり合アへ。
番直バンチヨクある(番地に當れる)人ヒト 番直バンチヨクを脫ハヅさば、その番直バンチヨクを脫ハヅしたる番士バンシに三ミつの笞シモトを與アタへよ。その番士バンシ 又マタ 二フタたび番直バンチヨクを脫ハヅさば七シチつの笞シモトを與アタへよ。又マタ その人ヒト、身ミに病ヤマヒなく、番直バンチヨクの官人クワンニン 等ラに相談サウダンなく、又マタその番士バンシ 三ミたび番直バンチヨクを脫ハヅさば、三十七サンジフシチの笞シモトを與アタへて、我等ワレラの處トコロに行ユくことを艱ツラしとしたれば、[眼メの]陰カゲに遠トホき地トコロに遣ヤらん」と勅ミコトありき。(番直の宿老、蒙語に客失昆 斡脫古と云ひ、元史 兵志には怯薛 之 長とあり。輟耕錄に曰く「國朝有㆓四 怯薛 大官㆒。怯薛 者︀、分㆓宿衞供奉之士㆒爲㆓四番㆒、番三晝夜。凡上之起居飮食諸︀服御之政令、怯薛 之長皆總焉」と云へり。)
「番直バンチヨクの宿老オトナは、第三ダイサン 第三ダイサンの番直バンチヨクに(當番の三日目ごとに)この勅ミコトを番士バンシに聽キかせよ(明譯掌