14箇条の平和原則

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14箇条の平和原則
作者:ウッドロウ・ウィルソン

この演説は、1918年1月8日に発表された。ウィルソンは、第一次世界大戦の終結と世界平和の実現のために取るべき方法として、秘密外交の禁止や経済障壁の除去、軍備縮小、民族自決など14項目を列挙した。国際連盟の源流をなす演説として知られる。

演説[編集]

議員諸君よ。

和平の過程は、開始すれば完全に開かれたものとならねばならず、如何なる類の秘密の合意をも含めたり許可したりしてはならない。これが我々の希望であり、目的である。征服と拡大の時代は過ぎ去った。同様に、特定の政府の利益のために、そして恐らくは予期せぬ時期に世界の平和を乱すために締結される、秘密の盟約の時代も過ぎ去った。この喜ばしい事実は、過去に囚われない思想を持つあらゆる公人にとって、今や明白である。そしてこの事実は、世界の正義と平和に沿った目的を持つあらゆる国家が、今、あるいはいつでも、自国の目標を公言することを可能にしているのである。

我々がこの戦争に突入したのは、数々の権利侵害が生じたが故である[1]。我々を深く傷つけたこれらの権利侵害が正され、これを最後にその再発から世界が守られない限り、米国民の生活は覚束なくなったのである。従って、この戦争において我々が求めるものは、我々特有のものではない。それは、この世界を住み良く安全なものにすることである。そして、己の生活を送ることを望み、己の制度を決定することを望み、力と利己的な攻撃とではなく正義と公正な待遇とを他の諸国民から保証されることを望む、全ての平和を愛好する国民、とりわけ米国民のような国民にとって、世界を安全なものにすることである。これについては、世界の全人民が事実上の協力者である。そして我々自身に関する限り、他者に対して正義が為されなければ我々に対しても正義は為されないことは、実に明白である。従って、世界平和のための計画は我々の計画であり、唯一可能と思われる計画は、以下の通りである。

1. 公明正大に達成された、公明正大な平和の盟約。その締結後は、如何なる類の秘密の国際合意もあってはならず、外交は常に率直に、かつ衆人環視の下で進められるべきである[2]
2. 領海外の海洋上の航行の完全な自由。これは平時も戦時も同様であるが、国際盟約の施行のための国際行動により、海洋が全面的または部分的に閉鎖される場合を除く。
3. 和平に同意し、その維持に参加する全ての諸国間における、全ての経済障壁の可能な限りの除去、及び貿易条件の平等性の確立。
4. 相互に交わされる充分な保証。即ち、国家の軍備を、国内の安全と整合性の取れる最低段階まで削減すること。
5. 植民地に関する全ての請求における、自由で寛容な、しかも完全に公平な調整。ただし、主権を巡るそうした問題全てを決するに際しては、関係住民の利害が、法的権利を受けんとしている政府の正当な請求と同等の重要性を有しなければならない、という原則の厳格な遵守に基づくものとする。
6. 全てのロシア領土からの駐留軍撤退と、ロシアに影響を及ぼすあらゆる問題の解決。それは、ロシアが自国の政治的発展と国家政策を独自に決めるための、制約も邪魔もない機会を得る上で、世界各国の最善かつ最も自由な協力を保証し、またロシアが自ら選んだ諸制度の下で、心からの歓迎を自由諸国の社会から受けることを保証するであろう。また歓迎のみならず、ロシアが必要とし希望する各種の援助をも保証するであろう。今後数ヶ月間に、ロシアに対して姉妹諸国が支える待遇は、それら諸国の善意と、己の利益から区別されたものとしてのロシアの需要に対する理解と、彼らの知的かつ寛大な同情心とを測るリトマス試験紙[3]となるであろう。
7. ベルギーから駐留軍を撤退させ、同国を復興させねばならない[4]。しかも、同国が他の全ての自由諸国と同様に享受している主権を制限しようとする企てなくしてである。これについては、全世界の同意が得られるであろう。各国が相互の関係を管理するために自ら定めた掟に対する各国の信頼を回復する上で、これほど貢献する行為はあるまい。この治癒行為がなければ、国際法全体の構造と正当性は永久に損なわれてしまう。
8. フランスの全領土は解放され、侵略された区域は返還されるべきである。また、1871 年にアルザス=ロレーヌに関してプロイセンがフランスに行った不正[5]は、50 年近くに亙って世界の平和を乱してきた訳であるが、皆の利益のためにもう1度平和を確保するためにも、この不正は正されるべきである。
9. イタリア国境の再調整は、明確に判別し得る民族的境界線に沿って為されるべきである[6]
10. オーストリア=ハンガリー国民には、自主的発展の最も自由な機会が与えられるべきである。我々は、彼らの諸国間における地位が保護・保証されることを望んでいる。
11. ルーマニアセルビア、及びモンテネグロからの駐留軍撤退が為されるべきである。占領された領土が回復され、セルビアは海洋への自由かつ安全な通路を与えられ、幾つかのバルカン諸国間の相互関係が、忠誠及び民族性という歴史的に確立された方針に沿って友好的協議により決定され、また幾つかのバルカン諸国の政治的・経済的独立と領土保全に関する国際的な保証が為されるべきである。
12. 現在のオスマン帝国のトルコ人居住区は確固たる主権を保証されるべきであるが、今トルコ人の支配下にある他の諸民族は、確実な生命の安全と、自律的発展に関する絶対不可侵の機会とを保証されるべきである[7]。そしてダーダネルス海峡は国際的保証の下で、全ての国の船舶と通商に対し、自由な通路として永久に開放されるべきである。
13. 独立したポーランド国家が樹立されるべきである[8]。ここでいう「ポーランド国家」とは明白なポーランド人たる人民の居住する領土を含むものとし、彼らは海洋への自由かつ安全な通路を保証され、政治的・経済的独立と領土保全とが国際的盟約によって保証されるべきである。
14. 国家の大小を問わず、政治的独立と領土保全との相互保証を与えることを目的とする具体的な盟約の下で、諸国の包括提携が形成されねばならない[9]

以上のような、不正の根本的是正と正義の主張に関して言えば、我々は、帝国主義者に抗い連携する全ての政府及び国民の親密な協力者であると自認している。利害や目的を巡って対立するようなことがあってはならない。我々は最後まで団結する。

こうした協定や盟約のためとあらば、我々は進んで戦うし、これらが達成されるまで戦い続ける所存である。だがそれは、我々が正義の普及を望み、公正かつ安定した平和を欲しているからに他ならない。かかる平和は、戦争の主な誘因を除去することによってのみ保障され得るが、この計画はそうした誘因を除去するものではない。我々は、ドイツの偉大さに対する嫉みなど持ち合わせてはいないし、この計画にはそれを損なう要素などない。同国の業績や、学問における優秀性、そして平和的事業は、輝かしく羨望に値する経歴を同国にもたらしたが、我々は決してこれらを憎んではいない。我々は、同国を害することも、同国の正当な影響力や力を如何なる方法であれ阻止することも望まない。同国が正義と法と公正取引とからなる盟約によって、我々と、そして平和を愛好する世界各国と連携する気があるならば、我々は兵器によっても敵対的通商協定によっても、同国と戦うことを望まない。我々が望むのは、同国が支配者の地位ではなく、世界の――今我々が生きている新たな世界の――人民の間における平等な地位を受け入れることである。

同時に我々は、同国の諸制度について如何なる改変も修正も勧告する気はない。だが、これだけは率直に言わねばならない。我々と同国との間における何らかの知的関係の前提として不可欠なのは、同国の代弁者が我々に向かって発言する時、彼らは誰のために発言しているのか、同国議会の多数派のためなのか、軍事政党のためなのか、それとも帝国的支配を信条とする人々のためなのかを理解する必要がある、ということである。

只今我々は、これ以上の疑問の余地もないほど具体的な言葉で述べた。私が概説したこの計画全体には、明確な原則がある。それは、全ての国民と民族に対する正義という原則であり、強き者も弱き者も、互いに自由と安全という平等な条件下で生きる権利という原則である。

この原則に立脚せねば、国際正義の構造における如何なる部分も存立し得ない。合衆国国民は、他の原則に従って行動することはできないし、この原則を擁護すべく、己の生命や名誉、そして持てる全てを捧げる覚悟がある。このことの道徳的な頂点、人類の自由のための絶頂たる最終戦争が到来したのである。合衆国国民には、己の力、己の最も崇高な目的、そして己の品性と熱意を試す覚悟がある。

訳註[編集]

  1. 米国は1917年4月6日、ドイツが強行した外国船舶の無差別撃沈を表向きの理由として参戦した。ただし、英仏の敗北による対米債務不履行の懸念が裏の理由として存在した。
  2. 第一次世界大戦に参戦した列強は、自国に協力すれば自治や領土拡大を保証するとの秘密協定を交わして、植民地や中立国の抱き込みを図った。その典型例が、フサイン=マクマホン協定バルフォア宣言など、英国が行った一連の密約である。
  3. 原文では「acid test」。原義は「酸性試験」で、派生して「真価を試すもの」との意味を持つようになった。
  4. 1914年8月2日、ドイツはフランスを叩くために、永世中立国ベルギーに対してドイツ軍を通過させるよう要求し、ベルギー領を侵犯した。
  5. ドイツ統一を目指すプロイセンは、これを阻もうとするフランスと対立し、普仏戦争が始まった(1870年7月~1871年2月)。この戦争で勝利したプロイセン(戦争末期に「ドイツ帝国」に改組)は、1871年5月にフランクフルト講和条約をフランスとの間に締結し、アルザス=ロレーヌを獲得した。鉱物資源に恵まれた同地を得たことにより、ドイツの重工業は大きく発展した。
  6. イタリアは、1870年の統一後も領土に収めることができずにいたトリエステやイストリアなどのイタリア人居住地域、いわゆる「未回収のイタリア」の獲得を主たる目的として第一次世界大戦に参戦した。
  7. 旧オスマン帝国領では、東欧のように民族自決の原則が厳格には適用されず、委任統治領の形で旧宗主国から分離された。具体的には、イラクヨルダンシリアなどである。
  8. ポーランドは1772年、1793年、1795年の3次に亙る分割によって消滅し、ロシア、プロイセン、オーストリアの3国の領土に組み入れられた。1815年に調印されたヴィーン議定書によって「ポーランド立憲王国」が成立したが、国王をロシア皇帝が兼務したため、実質的にはロシア領に等しかった。
  9. 同項目は、国際連盟設立の先鞭をつけた。