谷陵記

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谷陵記(こくりょうき)

  • 萬變記と共に江戸時代中期(1707年)に発生した巨大地震である宝永地震土佐を中心とした惨禍を記録した、奧宮正明による著書。
  • どうしても再現できない特殊な文字については、新字体で代用した。
  • 『土佐國群書類從』、『大日本地震史料』所載。

寳永四年丁亥十月四日、未ノ上刻大地震起リ、山穿チ水ヲ漲シ、川埋リテ丘トナル、國中ノ官舍民屋、悉ク轉倒ス、迯ントスレドモ眩テ壓ニ打レ、或ハ頓絶ノ者多シ、又ハ幽岑寒谷ノ民ハ、巖石ノ爲メニ死傷スルモノ若干也、係ル後ハ必髙潮入ナル由言傳フナドツブヤク所ニ、同下刻津浪打テ、海邊ノ在家一所トシテ殘ル方ナシ、未ノ下刻ヨリ寅ノ刻マデ、晝夜十一度打來ル也、中ニモ第三番ノ津浪髙ク、山ノ半腹ニアル家モ、多ク漂流ス、國中ノ死人二千餘人、當國ニ不限、伊與、阿波、紀伊、攝津、長門ノ海邊モ、頗ル破壞ニ及ブ、其外西國、中國、關東ハ地震計ト云、江戸ヨリ大坂マデノ模樣如斯、
江戸、駿河原マデ小地震、芳原家倒ル、死人ナシ、神原、油井破損、淸見寺膏藥屋、不殘潰ル、澳津、江尻、家大ニ倒ル、岡部、藤澤、島田、金谷、日坂、上ニ同ジ、懸川家大ニ潰ル、袋井不殘潰、見附、濱松半潰レ、舞坂同ジ、荒井津浪打テ、御番所流ル、二川半潰、吉田城潰ル、町家モ大ニ破損、御油、赤坂、藤川事ナシ、岡崎小破、橋落ル、池鯉鮒事ナシ、鳴海、宮半潰、大垣城破損、桑名事ナシ、四日市マデ橋ナシ、四日市半潰、石藥師、庄野、龜山小破、關、大津マデ小破、
大坂、
地震崩家一萬四千十五軒、○髙潮入大船小船竸落ス、橋數三十八、○家潰レ壓ニ打レ、或ハ髙潮ニ溺ル共、死人壹萬五千二百六十人、
又隣國ノ樣子、
德島、士屋敷二百三十軒、民屋四百軒地震ニ潰ル、潮入ハナシ、黑土浦鄕共、潮入亡所、富岡浦鄕小破、橋半亡所、泊浦小破、井佐ヨリ志和木マデハ、存亡不知、由岐兩浦共亡所、溺死夥シ、淺川、在家大形流失、死人少シ、海部、堅浦事ナシ、鞆小破、宍喰亡所、死人少ナシ、
宇和島領小破、本町、裏町、新町、弓町、糀崎迄大潮入、家財悉ク流失、吉田浦ト云所ハ、民家五十軒計流失、此所ノ潮ノ髙サ、平地ヨリ八九尺計上ル、今治領、吉田領、松山領モ、海邊ノ鄕浦悉ク大潮入ケレドモ、大破ハ無シ、總テ當國潮入在在所々、田苑ハ云ニ不及、故ノ市井ハ大半海底ニ沈沒シ、嶮山却テ平地トナリヌレバ、新ニ國土ヲ生ジ出シタル心地也、凡ソ世ノ中ノ物語ハ、サシモ異々シク聞エシモ、面ノアタリ其實ヲ失フコト多カルニ、此程ノ損廢ハ引カヘテ、言語文墨ニモ盡スコト能ハズト云ヘドモ、其梗概ヲ記スコト如左、
 安喜郡
甲浦  亡所、潮ハ山迄、御殿並寺院三ヶ寺、水主ノ家三軒殘ル、番所一軒屋具計殘ル、舟越ト云所ハ潮入ケレドモ家流レズ、
白濱  亡所、潮ハ在所殘ナシ、家ハ少シ殘ル、
河内  此村ノ土地ハ所々入込有之故、詳ニ難記、大體三ヶ一ノ亡所、潮ハ山迄、
生見  潮ハ田町ニテ、家ハナシ、
野根  事ナシ、
崎濱  事ナシ、
椎名  事ナシ、
三津  事ナシ、
津呂  事ナシ、
室津  耳崎ヨリ打入ル潮ニ、湊ノ東水尻ト云所ノ家流ル、其外事ナシ、
浮津  事ナシ、
元   磯邊ノ家少流ル、潮ハ田丁三ヶ一迄、慶長九年潮ヨリ、六尺卑シト云フ、
吉良川 事ナシ、
羽根  事ナシ、
奈判利 濱ノ在家亡所、御殿邊ノ家流ル、潮ハ田丁殘ナシ、
田野  事ナシ、
安田  事ナシ、
唐濱  潮ハ田丁迄、家ニハ不入、
下山  事ナシ、但幸野家ハ流ル、
伊尾木 潮ハ山迄、家少シ殘ル、
川北  松田島窪田モ亡所、抦川本村事ナシ、
土居  本村ハ事ナシ、玉作ハ半亡所、
安喜濱 半亡所、潮ハ田町十丁程迄、新庄新在家亡所、
赤野  潮ハ田丁迄、流家ハ少ナシ、
和食  潮ハ田丁ニ少シ入、
 香我美郡
手結  亡所、潮ハ山迄、山上家少シ殘ル、
下夜須 半亡所、橫濱知切ノ家ハ悉ク流ル、潮ハ大宮ノ庭迄、此濱ノ笠松流ル、屈枝蟠根、無雙ノ名木也、可惜、
岸本  亡所、潮ハ山迄、
王子  潮ハ田丁迄、家ハ山上ニアル故事ナシ、
赤岡  潮ハ在所殘ナシ、流家ハ三ヶ一、
古川  半亡所、流家少シ、
芳原  亡所、濱ノ並松ノ外ニ古田出ル、畔ノ形顯全タリ、地一反計リハ並松ノ西ノ端ニアリ、庄屋ヤシキヨリ申酉ニ當ル、庄屋々數ハ古ノ土居ノ跡ナリ、地二十代バカリハ並松東ノ端少シ西ヘヨリテ、同所ヨリ辰巳ニアタル、里人云、此所沙濱モ髙潮推剥推流ケレバ、今ニシテハ此古田ノ幾ハク底ヨリ出タルト云コトヲ不知、但此松杉ハ昔ヨリ當所ノ墓地ニシテ、常ニ七八尺掘ルト云エドモ、終ニ如斯ノ土ナシ、爰ヲ以テ相計レバ、深サ一丈ノ内ナラン、○愚按ニ、右ノ古田、秦氏ノ地檢帳ニモ不載、何レノ代沒セシト云コトモ據ナシ、上ニ三圍ノ松樹生植スレバ、決シテ三四百年來ノ物ニアラズ、
野市  潮ハ芳原境迄、家少シ流ル、
物部  三ヶ一亡所、廿四人死、
上田村 在家中半迄潮入、流家少シ、
下島  亡所、
久枝  亡所、
下田村 亡所、
前濱  半亡所、
 長岡郡
里改田 潮ハ家迄、
濱改田 潮ハ田丁殘ナシ、家ニハ中半迄、流家ナシ、
十市  潮ハ田丁中半迄、
池   潮ハ田丁ニ少シ入、
仁井田 潮ハ山迄、在家ニハ三ヶ一、
種崎  亡所、一草一木殘ナシ、南ノ海際ニ、神母ノ小社殘ル、誠ニ奇ナリ、溺死七百餘人、死骸海際ニ漂泊シ、行客哀傷ニ不堪、且臭腐不可忍、
下田  潮ハ田丁殘ナシ、家ニハ三ヶ二、
衣笠  上ニ同、
五臺山 潮ハ山迄、家ニモ、
吸江  上ニ同、
八頭  潮ハ山迄、家ハ擔ヲ浸シ、冬ヲ經テ干落ザレバ、民居所ヲ失ヒ、山處穴居ノ有樣、目モアテラレズ、
桂島  上ニ同、
髙須  上ニ同、
介良  潮ハ田丁中半迄、
大津  上ニ同、
 土佐郡
布師田 潮ハ田丁中半迄、家ニハ少シ、
一宮  潮ハ二王門迄、
莇野  潮ハ田丁迄、
比島  潮ハ山迄、家ニモ、
泰泉寺 潮ハ田丁迄、
江ノ口 潮ハ在所殘ナシ、家ニハ三ヶ一、
髙知  堅固ニ設タル家ハ、地震ニ倒レ、或ハ破損、御城ハ全シ、潮ハ町ハ眞如寺橋ヨリ北見通シ限リ 江ノ口堀筋ハ常通寺橋ヨリ、潮江川ハ常通寺嶋限リ、新町下知ハ海ニナル、
潮江  潮ハ山迄、家ニモ、
 右内海分ハ、初ノ打入シ日ヨリ定潮トナリ、聊モ干滿ナシ、潮江、下知、新町、江ノ口ヨリ、一宮、布師田、大津、介良、下田、衣笠迄、一般ノ海ニナリ、船ナラデハ通路ナシ、
 吾川郡
橫濱  潮ハ山迄、
瀨戸  潮ハ山迄、
御曼瀨 浦戸亡所、潮ハ山迄、但家ハ三ヶ一、家具計殘ル、勝浦濱モ亡所、
長濱  潮ハ雪溪寺ノ院内迄、西ハ日出野限、又ハ民家ニモ流家鮮シ、
東諸木 潮ハ大堤限、戸原ノ家少シ流ル、
西諸木 潮ハ大堤限、西南ノ在家ニハ入、
甲殿  亡所、潮ハ山迄、
秋山  潮ハ甲殿境ノ田丁迄、
仁ノ村 亡所、潮ハ山迄、
西畑  潮ハ山迄、流家少シ、二淀川ノ潮ハ、入田村ノ渡場迄、
 髙岡郡
新居  亡所、潮ハ山迄、山腹ノ家少シ殘ル、
宇佐  亡所、潮ハ橋田ノ奧宇佐坂ノ麓萩谷口迄、山上ノ家軒殘ル、在家ノ後ノ田丁ヘ先潮廻シケル故、通路ヲ失ヒ、溺死四百餘人、
渭濱  在所盡ク海ニ沒シ、深サ五尋六尋アルナレバ、別ニ記¬ナシ、
福島  上ニ同ジ、溺死百餘人、
龍   亡所、靑龍寺客殿斗殘、蟹ガ池海ニ沒ス、
井尻  亡所、
浦ノ内 谷口多キ村ナレバ、詳ニ難記、大體潮ハ山ヲ限、海際ニ家不殘流、
東奧浦 潮ハ山迄、東橫浪、西橫浪ノ家ハ、屋具計殘ル、鳴無大明神ノ拜殿モ潮入、潮田ハ海、
西奧浦 潮ハ山迄、家ハ髙キ處故ニ無事、潮田ハ海、
押岡  潮ハ在所中半迄、流家ナシ、
神田  亡所、谷々民家田苑少殘ル、
吾井鄕 潮ハ名越坂麓松ガ瀨川ノ奧迄、家ハ少シ殘ル、
土崎  亡所、民家田苑海ニ沒ス、山上ノ家少シ殘ル、
多ノ鄕 潮ハ本村ハ賀茂明神ノ奧ヲ限リ、大間ハ山迄、流家鮮シ、大間ヨリ名越ノ麓迄、一面ノ海ニナリ、往還山ヲ繞ル、
池ノ内 潮ハ田丁迄、當所ノ池今在家ノ二ッ石ト云所ヨリ突拔ケ、海ニ連ル、家ハ事ナシ、
須崎  亡所、潮ハ山迄、池ノ内村ノ池ヲ、近年新田トス、其溝渠深サ二間、橫三間計、當所ノ故倉ト云處ヘ通ル、初ノ地震ニ橋々落ケルニヨリ、湊ヨリ湧入ル潮ニ、溺死スル者三百餘人、今在家モ亡所、
下分  亡所、潮ハ山迄、坂ノ川ト云山溪ノ在家少シ殘、樹木竹篁盡ク流失シテ、望洋如無涯、
下鄕  半亡所、潮ハ上分村ノ大境遲越ノ川限、
野見  亡所、潮ハ山迄、
大谷  亡所、潮ハ山迄、山腹ノ茅屋三軒殘、
安和  半亡所、潮ハ燒坂ノ麓迄、山腹ノ家ハ殘ル、
久禮  亡所、潮ハ南ハ逢坂谷迄、中ハ常源寺ノ植松限、北ハ燒坂ノ麓迄、市井三ヶ二海ニ沒ス、死人二百餘人、凡國中潮入ル所々、溺死スル者五十人、或ハ二十人無¬能ハズ、種崎、宇佐、福島、須崎、久禮ノ大ヲ書メ小ヲ書セザルハ、事繁ケレバナリ、
上加江 亡所、潮ハ山迄、
小矢井賀 潮入ケレドモ、事ナシ、
大矢井賀 上ニ同、
志和  亡所、潮ハ山迄、
小弦津 潮入ケレドモ、事ナシ、
大弦津 上ニ同ジ、
興津  亡所、潮ハ山迄、
 幡多郡
鈴   半亡所、潮ハ山迄、
佐賀  亡所、潮ハ伊與喜ノ大境白石迄、山間ノ家少シ殘ル、
井田  亡所、潮ハ山迄、白濱モ同ジ、
有井川 半亡所、潮ハ山迄、家ハ山上ニアル故、多ク流レズ、一ノ宮親王ノ古跡多ク埋沒ス、衣懸嵓ト云岩モ、定潮髙クナルニ依テ不見、
上川口 半亡所、潮ハ山迄、家ハ山上ニ有故、中半殘、
蜷川  潮ハ田丁下モ迄、
浮津  亡所、
鞭   潮ハ山迄、上ノ家ハ無事、
口湊  潮ハ山迄、流家鮮シ、
入野  亡所、潮ハ山迄、此濱ノ松林八幡賀茂ノ兩社潮入ト云ヘドモ流レズ、賀茂ハ式社也、右松林ハ鞭ヨリ下田ノ口迄、連續シ、其樹直キコト竹ノ如ニシテ、其長短モ無ク、一國ノ壯觀也シガ、所々キレ、或ハ打ヲリ、根コギニシ、又ハ根ヲ洗ヒ出シケル故、大半ハ枯木トナル、林ノ中間ニ古ヨリ潮ミチクレバ、橫二十間計ノ江灣有ケルガ、髙潮ホリウガチ、橫四五丁計ノ海トナリ、田丁六丁程上ニ浪打際トナル、此村ノ地髙千三百石、谷々ニ殘ル所ノ田畑、纔カニ九十石、里人生業ヲ失フモ理リ也、
鹿持  亡所、潮ハ山迄、山上ノ家ハ全シ、田丁ハ一面ノ濱トナル、矢玉猿飼ト云所ノ山間ノ薄田、少シ殘ル、沙漠渺々トシテ、旅客迷洋、
下田ノ口 亡所、
上田ノ口 潮ハ銅山ノ下迄、流家少シ、
田ノ浦 半亡所、潮ハ飯積ノ麓迄、平地ノ家ハ流ル、
出口  半亡所、潮ハ在所ノヒキ丶所迄、
井屋  上ニ同、
下田  亡所、潮ハ山迄、山際ニ屋具計殘ル、家少シアリ、
鍋島  潮ハ田丁、家ニモ、窪田ハ海ニ成ル、
竹島  上ニ同、
井澤  上ニ同、
小津賀 潮ハ田丁迄、家ハ事ナシ、窪田ハ海ニナル、
佐岡  潮ハ田丁迄、家ハ事ナシ、後川ノ潮ハ敷地ノ中澤岩田ノ境大要寺ノ門前堤ノ下迄、
中村  地震ニ家三ヶ二倒ル、潮ハ田丁窪迄、渡リ川ノ潮ハ岩崎脇田ノ池限、
宇山  潮ハ田丁殘リナシ、津野崎境迄、十三端船一艘打上ル、家ハ髙キ處故無事、
津野崎 潮ハ田丁殘リナシ、家ハ上ニ同、
不破  潮ハ八幡ノ並松迄、家ハ上ニ同、
坂本  潮ハ香山寺ノ麓迄、家ハ上ニ同、
山路  本村ノ潮ハ田丁迄、木戸ト云所ハ家悉ク流ル、但窪田ハ海ニナル、
眞崎  潮ハ山迄、家ニモ、流家鮮シ、田地不殘海ニ成ル、
深木  潮ハ山迄、家ハ山間故全シ、田地中半海ニ成ル、
間崎  潮ハ山迄、流家鮮シ、田地殘ナシ、
津藏淵 半亡所、潮ハ山迄、田丁中半海ニナル、
初崎  亡所、潮ハ山迄、一草一木無殘、
布   本村亡所、山腹茅屋二軒殘ル、名鹿モ亡所、立石ハ無事、
下第  亡所、潮ハ苣ノ木迄、濱ヨリ行程一里、故ノ市井ハ海底ニ沈淪シ、舸艦ヲ多ク繁ギヌレバ、外ニ可記ナシ、船ヲ壑ニ藏シ、山ヲ澤ニ藏ス、驚動再三、
鍵懸  亡所、田苑一面濱ト成、
大岐  亡所、潮ハ山迄、念西寺ト云寺、并民家三軒殘ル、是皆山上ニアル故也、此外一草一木殘ナシ、田苑ハ一般ノ沙濱ト成リ、浩々乎トシテ、暗ニ胡國ニ迷フ、南ノ山下ニ湊生ズ、久百モ亡所、
津呂  在所髙キ所故、無事、
大谷  モ同、
以布利 亡所、潮ハ天神山ノ峠五尺計下迄、市井海ニ沒、
窪津  亡所、潮ハ山迄、一王子ノ社迄殘ル、
伊佐  在所髙キ所故、無事、
松尾  上ニ同、
大濱  亡所、潮ハ山迄、
中濱  上ニ同、
浦尻  亡所、潮ハ山迄、
淸水  亡所、潮ハ越浦境ノ小坂ヲ打越シ、山間ノ家少シ殘ル、鹿島ノ宮流ル、
越   亡所、潮ハ山迄、賀久見ノ通路、舟ヲ用、
賀久見 半亡所、潮ハ山迄、山間ノ家ハ殘ル、
養老  亡所、
下猿野 半亡所、潮ハ田丁殘ナシ、
三崎  亡所、潮ハ山迄、山半腹ノ家ハ少殘ル、田苑ハ一面ノ濱ニナル、龍串ノ奇石埋沒ス、遺恨、
爪白  半亡所、潮ハ山迄、打ノ松樹悉ク流失、
下川口 亡所、潮ハ山迄、山上ノ家少シ殘ル、
片糟  亡所、潮ハ山迄、
貝ノ川 亡所、潮ハ山迄、山腹ノ家少シ殘ル、
大津  半亡所、潮ハ山迄、
小才津 亡所、潮ハ山迄、
才津野 潮ハ田丁殘ナシ、家ハ無事、
尾浦  亡所、
西泊  潮ハ山迄、
周防方 亡所、
小間目 亡所、
赤泊  亡所、
柏島  島ノ四面潮湧出シ、堤ト一般ニ成シカドモ、在家ニハ不入、今年八月十九日大風雨、波浪雲ヲ捲、汀淵ヲ打ハキ、魚ノ網代モ損沒シ、民家不殘潮ニヒタリ、魚翁産ヲ失ヒ、悲歎セシカドモ、此程ノ難ヲ遁レ、愁喜忽地ヲカヘタリ、
一切  無事、
天地  亡所、
橋   亡所、
泊   亡所、
榊   亡所、
福良  亡所、山溪ノ家少シ殘ル、
小盡  亡所、
湊   亡所、民家田苑海ニ沒、
伊與野 潮ハ田丁殘ナシ、家ニモ入レドモ不流、
田ノ浦 亡所、
小浦  亡所、
内ノ浦 亡所、
外ノ浦 亡所、
呼崎  亡所、
坂ノ下 亡所、山腹ノ家少殘ル、
宿毛  亡所、潮ハ和田ノ奧、或ハ牛ノ瀨川ヲ限ル、初ノ地震ニ士舘炎車輪ノ如ニテ、良久ク波上ニ浮沈シ、後ハ悉ク土居ノ前ニ漂ヒケルガ、第三番ノ津浪ニ沖ヘ流出デ、土居計殘ル、浦梯、宇薄、藻津、右悉ク亡所、
右國中潮入在々所々、山迄打詰タル潮三分ノ一ハ、速ニ減ジ、三分ノ二ハ定潮トナル、凡潮及ブ所ノ田畠ハ、悉くク永荒ト成リ、餓殍野ニ滿ントス、可悲々々、係リシコトハ往古ノ樣モ稀也、慶長九年ノ髙潮ノコトヲ、阿闍利曉印カ記録ヲ以テ推尋レバ、東灘ノ破損ハ、大體一般ニシテ、西郡ハ其事不傳、但幡多郡佐賀ヘハ、此時ノ潮家迄入ル、此外ノ浦々云傳ナシ、
谷陵記後序、
予甞官-遊四方、頗知本邦之地理焉、今也再周-流海濱、回頭却怪異方、驛-馬行-々間津、馬僮熟視予曰、公稱吏遊、跨馬遶郊外、不某-鄕某-浦者何也、予默識良-久、漸認-出昔-日之地方、拍掌大-息、願奴隸曰、鳴呼哀哉、此罹十月四日之厄者也、從此至彼、曲灣抱海潮、或洲渚渺茫、白鷺群水鷗喧、故市-井也、國家承-平長-久也、良-賈富農、閭閻撲地、不寸歩、大厦髙-堂勢起雲、長棟橫梁氣吐虹、倉-廩皚-々、長望霜-雪、今其安在乎、汝亦應之、其回-視而不予歎息何也、狂瀾泝山、怒-潯皷丘、見之咫尺、有驚有驚者、蓋有意與上レ乎昔今之控引耳、噫滄海茫々、又復早-晩爲桑田耶、有乎詩-人谷-陵之歎聊取豪於客-舍之下云、
寳永四年臘月日      奧宮正明識
   公義差出ノ寫
一、 流家壹萬千百七拾軒、
   内
  壹軒          浦戸御殿、
  四拾貳軒        御舟屋并役屋敷、
  八拾九軒        浦々分一并御米藏
              番所共、
  五千百拾七軒      鄕、
  五千八百四拾六軒    浦、
  七拾五軒        寺社、
一、 潰家四千八百六拾六軒、
   内
  五軒          御舟屋、
  百七軒         侍屋敷、
  貳千貳拾貳軒      町屋、
  千九百九拾四軒     鄕、
  七百拾四軒       浦、
  貳拾四軒        寺、
一、 破損家千七百四拾貳軒、
   内
  三拾五軒        御舟屋、
  拾貳軒         赤岡□野根迄御殿分
              一、
  九拾三軒        侍屋敷、
  千五百九拾八軒     民家、
    内
   七拾七軒        町屋、此外小破之分
               家并殘無之、
   千五百貳拾三軒     鄕、
  四軒          寺社、
一、 死人千八百四拾四人、
   内 
  五百六拾壹人      男、
  千貳百八拾參人     女、
一、 過人九百貳拾六人、
   内 
  八百九人        男、
  百拾七人        女、
一、 流失牛馬五百四拾貳疋、
   内 
  百六拾八疋       牛、
  三百七拾四疋      馬、
一、 過牛六疋、
一、 流失米穀貳萬四千貳百四拾貳石、
   内
  米  壹萬四千百八拾四石、
  籾  七千九百四拾石、
  麥  千九百九拾貳石、
  大豆 百貳拾六石、
一、 濡米穀壹萬六千七百六拾四石、
   内
  米  八千四百拾八石、
  籾  八千貳百三拾壹石、
  麥  百拾五石、
一、 流失
  鹽  四百八拾石、
  茶  三百三拾九丸、
  鰹節 五拾萬八千節、
一、 流失并破損船、七百六拾八艘、
   内
  百七拾貳艘        御手船、
  百三拾六艘        商船、
  四百六拾艘        漁船并艜共、
一、 流失網、四百三拾九帖、
一、 浦々鹽燒道具、不殘流失、
一、 流失材木、五萬四千六百本、
一、 流失
  保佐、六百八拾三艘荷、一艘十端帆積ニシテ、
  起炭、貳拾艘荷、
一、 損田四萬五千百七拾石餘、
一、 片關川除堤破損、四千百九ヶ所、
一、 流失
  板橋 百八拾八ヶ所、
  筧  九百九拾貳艘、
一、 同井流六拾七艘、
一、 亡所之浦、六拾三ヶ所、半亡所四ヶ所、
一、 亡所之鄕、四拾貳ヶ所、半亡所三拾貳ヶ所、
一、 湊、三ヶ所大破、
一、 山分之山崩、畠作之雑穀、大分損失仕候、
  其外御國中往還道筋及大破、往來不自由之所、數ヶ所御座候、以上、

天武天皇白鳳十三年十月十四日ノ夜、地震夥シク、當國ノ田苑五十餘頃、海底ニ沒シタル由、日本記ニ見エテ、東寺ノ崎ヨリ足摺ノ崎マデノ海灣ハ、往昔ノ田畠ニシテ、白鳳以來ノ海也ト、國俗ノ傳稱喧ト云ヘドモ、未詳其實矣、トニカク此度ノ大變ハ、當國ニ在テハ前代未曾有ノ事ナルベシ、扨モ今年ハイカナル氣運ゾヤ、地震冬ヲ終テ未息、去ル八月十九日大風雨ノ後ヨリ、諸木花開キ、偏ニ春ノ如シ、秋毎ニ風雨スレバ、必花サクコト珍シカラズト云ヘドモ、十月四日ヲ過テ、彌草木生カヘリ、山ニハ楊梅實ヲ結ビ、野ニハ筍生出ルコト夏ニ齋シ、斯ノ如ンバ、孟仁ガ孝感モ見ニ至ヌ、鄙人ノ叶ハヌタトヘニハ、師走ノ楊梅也ト談笑セシモ、興サメ顔ナリ、

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  • 地震49日後の富士山噴火の記録。



寳永四年
駿刕ノ災ヲ聞ケバ、十一月廿二日未ノ刻ヨリ、明ル廿三日辰ノ下刻迄地震甚メ、民家一宇モ不殘轉倒ス、同巳ノ刻富士山夥ク動揺シ、其響天地ニ亙リ、男女多ク絶ス、然シテ後富峯ノ雪消流シ、黑烟卷テ、獪々天地鳴動シテ、富士鄕中一片ノ烟、二時許ウヅ卷ケレバ、互ニ膝ニヨリ肩ニ傍テ、兩手ヲ以テ額ヲ抱キ、ヲメキ呼ブ、漸ク黄昏ニ及ケレバ、黑烟變ジテ火炎トナル、スサマジナンド云ニ言ノハナシ、十二月十日頃マデ、山獪々燒ルトイフ、折節南風烈シクシテ、富峯ノ火氣吹送リケレバ、甲州三縹矢檜尾ト云所ハ、山林民屋一時ニ燒亡シ、居民殘リナク燒死スト聞ユ、又江府ハ十一月廿三日、海底迅雷ノ如ク轟キ出デ、諸人コハ如何ト周章スル所ニ、亥ノ下刻俄ニ天色變ジ、明ル寅ノ下刻迄、城中其外諸大名ノ第邸、地震不成シテ鳴動スルコト甚シ、世ニ是ヲ屋鳴ト云、同廿四日午ノ中刻ヨリ、爐灰降、其降ル初メハ雪ノ如シ、同夜子ノ刻迄降リカサナリ、地ニ積ルコト六七歩、晝ノ灰ハ白ク、夜ノ灰ハ黑シ、是皆富士ノ餘怪ナルベシ、
右同年ノ珍事故併セ録ス、昔桓武天皇延暦十九年三月十四日ヨリ、四月十八日マデ、富士山ノ頂自ラ燃テ、晝ハ烟暗ク、夜ハ火光天ヲ照ス、其聲ハ雷ノ如ク、灰ノ下ルコト雨ノ如シ、山下ノ河水皆紅ナリト記セリ、又淸和天皇貞観六年五月、富士山燃テ、十餘日ニシテ火ヲ消ス、山上ノ磐石崩テ、海ヲ埋コト三十里許、人家モ多ク崩ル、始ハ淺間ノ方ヨリ燃出デ、後ニハ甲州ノ方ヘ燒移ルト云リ、