朝鮮王朝実録/1849年/8月2日/2

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日本語訳[編集]

全羅監司南秉哲上疏:権敦仁の疏本を見ると、申観浩は不正な経路を医院を通して納めたことを論じても、自責の疏章まで上げたが、この事の顛末の概略はなくの箚辞の内容と同じです。臣たる大官が、疏流を大行大王に上奏したが、この日は2月20日から大晦日の間にあり、臣は現任の為、すぐに3月6日に闕下で下直し、その後の処分会議に参加している事を知りませんでした。本件は不十分に過ぎないのではなく、この事で引責したので、当時酬酌していたので 心中に恐惶をなして、すべて存じません。臣にふさわしい罪科を与えて下さい。"

批答:この件は既に解決しており、その医院の進上経路も、実際に自分に起因するものではなく、大臣の引責は意外なことであり、その卿を自分で論列することも非常に不当なことである。どのようにするのか。

原文[編集]

全羅監司南秉哲疏略曰:“伏以權敦仁疏本, 論申觀浩曲逕納醫一節, 至有自引之章, 蓋此事, 源由大略, 如大僚箚語。 臣以所聞於大僚者, 仰達於大行大王, 此在去二月念晦之間, 而臣以見任, 旋卽辭階於三月初六日, 厥後處分之如何, 臣實未及知也。 本事不過如是, 而大僚旣以此爲引, 則臣亦有伊時酬酢矣, 滿心惶懍, 無地自容, 議臣可勘之罪焉。”批曰: “本事已悉於相箚, 而醫人之因進, 實非由我, 則大臣引咎, 已是意外, 而卿之自列, 亦甚不當。 夫何足云云?”


【太白山史庫本】1本1巻9章A面

【影印本】48本551面

先代:
1849年8月2日第一項
朝鮮王朝実録
1849年8月2日第二項
次代:
1849年8月3日第一項