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朝鮮王朝実録/1849年/6月16日/1

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日本語訳[編集]

礼曹の啓告:位号を加上する以外の方法の為、館閣堂上たちが献議して、その後にやっと儒賢達が到着し、収議を行ったが、祭酒洪直弼は「国朝の前例で三大妃殿にこの事態が起こったのは、成宗朝だけですが、徽号を2文字ずつ加えることで解決できました。宣祖朝おいては仁聖大妃を恭懿殿とし、粛宗朝には、荘烈大妃を慈懿殿と呼んで、徽号の公私が混ざり合っています。他は前漢の時代に皇太太后と称したそうですが、根拠がないので、啓告はいたしません。」副司直成近黙、宋来熙は「徽号を決定する事はとても重大な事ですので、私達のような浅見蔑識には答えることができません」であった。

原文[編集]

壬午/禮曹啓言: “東朝位號加上之節, 大臣館堂上, 已爲獻議, 儒賢收議, 今纔來到, 而祭酒洪直弼以爲, ‘伏念國朝往例, 三大妃殿同時竝臨, 惟成宗朝爲然, 而各加徽號二字於大妃殿位號之上, 而無別之殊稱, 至宣祖朝稱仁聖大妃, 以恭懿殿, 肅宗朝稱莊烈大妃, 以慈懿殿, 是亦擧徽號而云爾, 見于公私文字者也。 西漢有皇太太后之稱, 而恐涉無稽, 靡足以爲稽也。’ 副司直成近默、宋來熙, 皆以爲 ‘進號之節, 旣重且大, 則淺見蔑識, 不敢仰對。’ 云矣。”


【太白山史庫本】1本1巻3章A面

【影印本】48本548面

先代:
1849年6月14日第五項
朝鮮王朝実録
1849年6月16日第一項
次代:
1849年6月17日第一項