日朝修好条規

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日朝修好条規(にっちょうしゅうこうじょうき)

目次

[編集] 日朝修好條規

  • 締結時期: 1876年2月26日
  • 場所: 江華府(江華島)
  • 全權
    • 日本側: 黒田清隆、井上馨
    • 朝鮮側: 申〈木憲〉、尹滋承
  • 典拠: アジア歴史資料センター (レファレンスコード:A01100134900)
  • 備考
    • 句読点は投稿者が付加。
    • 〈〉内は一文字。
    • 旧字体でないものは、原文のまま表記したものである。


修好條規

大日本國

大朝鮮國ト素ヨリ友誼ニ敦ク年所ヲ歴有セリ。今兩國ノ情意未タ洽ネカラサルヲ視ルニ因テ、重テ舊好ヲ修メ親睦ヲ固フセント欲ス。是ヲ以テ日本國政府ハ特命全權辨理大臣陸軍中將兼參議開拓長官黑田清隆・特命副全權辨理大臣議官井上馨ヲ簡ミ、朝鮮國江華府ニ詣リ、朝鮮國政府ハ判中樞府事申櫶・都摠府副摠管尹滋承ヲ簡ミ、各奉スル所ノ諭旨ニ遵ヒ、議立セル條款ヲ左ニ開列ス。

[編集] 第一款

朝鮮國ハ自主ノ邦ニシテ、日本國ト平等ノ權ヲ保有セリ。嗣後兩國和親ノ實ヲ表セント欲スルニハ、彼此互ニ同等ノ禮義ヲ以テ相接待シ、毫モ侵越猜嫌スル事アルヘカラス。先ツ從前交情阻塞ノ患ヲ爲セシ諸例規ヲ悉ク革除シ、務メテ寛裕弘通ノ法ヲ開擴シ、以テ雙方トモ安寧ヲ永遠ニ期スヘシ。

[編集] 第二款

日本國政府ハ今ヨリ十五個月ノ後、時ニ隨ヒ使臣ヲ派出シ、朝鮮國京城ニ到リ禮曹判書ニ親接シ、交際ノ事務ヲ商議スルヲ得ヘシ。該使臣或ハ留滯シ、或ハ直ニ歸國スルモ、共ニ其時宜ニ任スヘシ。朝鮮國政府ハ何時ニテモ、使臣ヲ派出シ、日本國東京ニ至リ、外務卿ニ親接シ、交際事務ヲ商議スルヲ得ヘシ。該使臣或ハ留滯シ、或ハ直ニ歸國スルモ、亦其時宜ニ任スヘシ。

[編集] 第三款

嗣後、兩國相往復スル公用文ハ、日本ハ其國文ヲ用ヒ、今ヨリ十年間ハ添フルニ譯漢文ヲ以テシ、朝鮮ハ眞文ヲ用ユヘシ。

[編集] 第四款

朝鮮國釜山ノ草梁項ニハ日本公館アリテ、年來兩國人民通商ノ地タリ。今ヨリ從前ノ慣例及歳遣船等ノ事ヲ改革シ、今般新立セル條款ヲ憑準トナシ、貿易事務ヲ措辨スヘシ。且又朝鮮國政府ハ第五款ニ載スル所ノ二口ヲ開キ、日本人民ノ往來通商スルヲ准聽スヘシ。右ノ場所ニ就キ地面ヲ賃借シ、家屋ヲ造營シ、又ハ所在朝鮮人民ノ屋宅ヲ賃借スルモ、各其隨意ニ任スヘシ。

[編集] 第五款

京圻・忠清・全羅・慶尚・咸鏡五道ノ沿海ニテ、通商ニ便利ナル港口二箇所ヲ見立タル後、地名ヲ指定スヘシ。開港ノ期ハ、日本暦明治九年二月ヨリ朝鮮暦丙子年正月ヨリ共ニ數ヘテ、二十個月ニ當ルヲ期トスヘシ。

[編集] 第六款

嗣後、日本國船隻朝鮮國沿海ニアリテ、或ハ大風ニ遭ヒ、又ハ薪粮ニ窮竭シ、指定シタル港口ニ達スル能ハサル時ハ、何レノ港灣ニテモ船隻ヲ寄泊シ、風波ノ險ヲ避ケ、要用品ヲ買入レ船具ヲ修繕シ、柴炭類ヲ買求ムルヲ得ヘシ。勿論其供給費用ハ總テ船主ヨリ賠償スヘシト雖モ、是等ノ事ニ就テハ地方官人民トモニ其困難ヲ體察シ、眞實ニ憐恤ヲ加ヘ、救援至ラサル無ク、補給敢テ吝惜スル無ルヘシ。倘又兩國ノ船隻大洋中ニテ破壞シ、乘組人員何レノ地方ニテモ漂着スル時ハ、其地ノ人民ヨリ即刻救助ノ手續ヲ施シ、各人ノ性命ヲ保全セシメ、地方官ニ届出、該官ヨリ各本國ヘ護送スルカ、又ハ其近傍ニ在留セル本國ノ官員ヘ引渡スヘシ。

[編集] 第七款

朝鮮國ノ沿海島嶼岩礁、從前審撿ヲ經サレハ極メテ危險トナスニ因リ、日本國ノ航海者自由ニ海岸ヲ測量スルヲ准シ、其位置淺深ヲ審ニシ、圖誌ヲ編製シ、兩國船客ヲシテ危險ヲ避ケ、安穏ニ航通スルヲ得セシムヘシ。

[編集] 第八款

嗣後、日本國政府ヨリ朝鮮國指定各口ヘ、時宜ニ隨ヒ日本商民ヲ管理スルノ官ヲ設ケ置クヘシ。若シ兩國ニ交渉スル事件アル時ハ、該官ヨリ其所ノ地方長官ニ會商シテ辨理セン。

[編集] 第九款

兩國既ニ通好ヲ經タリ、彼此ノ人民各自己ノ意見ニ任セ貿易セシムヘシ。兩國官吏毫モ之レニ關係スルコトナシ。又貿易ノ制限ヲ立テ、或ハ禁沮スルヲ得ス。倘シ兩國ノ商民欺罔衒賣、又ハ貸借償ハサルコトアル時ハ、兩國ノ官吏嚴重ニ該逋商民ヲ取糺シ、債欠ヲ追辨セシムヘシ。但シ兩國ノ政府ハ之ヲ代償スルノ理ナシ。

[編集] 第十款

日本國人民朝鮮國指定ノ各口ニ在留中、若シ罪科ヲ犯シ、朝鮮國人民ニ交渉スル事件ハ、總テ日本國官員ノ審斷ニ歸スヘシ。若シ朝鮮國人民罪科ヲ犯シ、日本國人民ニ交渉スル事件ハ、均シク朝鮮國官員ノ査辨ニ歸スヘシ。尤雙方トモ各其國律ニ拠リ裁判シ、毫モ回護袒庇スルコトナク、務メテ公平允當ノ裁判ヲ示スヘシ。

[編集] 第十一款

兩國既ニ通好ヲ經タレハ、另ニ通商章程ヲ設立シ、兩國商民ノ便利ヲ與フヘシ。且現今議立セル各款中、更ニ細目ヲ補添シテ、以テ遵照ニ便ニスヘキ條件共、自今六個月ヲ過スシテ、兩國另ニ委員ヲ命シ、朝鮮國京城又ハ江華府ニ會シテ商議定立セン。

[編集] 第十二款

右議定セル十一款ノ條約、此日ヨリ兩國信守遵行ノ始トス。兩國政府復之レヲ變革スルヲ得ス。以テ永遠ニ及ホシ兩國ノ和親ヲ固フスヘシ。之レカ爲ニ此約書二本ヲ作リ兩國委任ノ大臣各鈐印シ、相互ニ交付シ以テ憑信ヲ昭ニスルモノナリ。

大日本國紀元二千五百三十六年明治九年二月二十六日

大日本國特命全權辨理大臣陸軍中將兼參議開拓長官 黒田清隆 (印)

大日本國特命副全權辨理大臣議官 井上馨 (印)

大朝鮮國開國四百八十五年丙子二月初二日

大朝鮮國大官判中樞府事 申櫶 (印)

大朝鮮國副官都摠府副摠管 尹滋承 (印)

[編集] 日朝修好條規附録

  • 締結時期: 1876年8月24日
  • 場所:  漢城
  • 全權
    • 日本側: 宮本小一
    • 朝鮮側: 趙寅熈
  • 典拠: アジア歴史資料センター (レファレンスコード:B06150027600)
  • 備考
    • 句読は投稿者が付加。
    • 〈〉内は一文字。

日本國政府、曩ニ特命全權辨理大臣・陸軍中將兼參議開拓長官黒田清隆、特命副全權辨理大臣・議官井上馨ヲシテ、朝鮮國江華府ニ詣ラシメ、同國政府ハ大官判中樞府事申櫶、副官都〈扌悤〉府副〈扌悤〉管尹滋承ニ委任シ、日本暦明治九年二月二十六日・朝鮮暦丙子年二月初二日、雙方互ニ調印シタル修好條規第十一款ノ旨趣ニ從ヒ、日本國政府ハ理事官外務大丞宮本小一ニ委任シ、朝鮮國京城ニ詣リ、朝鮮國政府ハ講修官・議政府堂上趙寅熈ニ委任シ、相會同シテ議立スル條款左ニ開列ス。

[編集] 第一款

嗣後各港口駐留日本國人民管理官、朝鮮國沿海地方ニ於テ、日本國ノ諸船困難ニ遭ヒ、緊急ナリト聞クトキハ、地方官ニ告ケ、該地ニ到ル道路ヲ經過スルヲ得ヘシ。

[編集] 第二款

嗣後使臣及管理官ヨリ各所ヘ通スル送文ハ、自費ヲ以テ郵送スルモ、或ハ該國人民ヲ雇ヒ專差スルモ、各其便ニ從フヘシ。

[編集] 第三款

議定シタル朝鮮國通商各港ニ在リテ、日本國人民地基ヲ租賃シ住居スルハ、各其地主ト相議シテ價ヲ定ムヘシ。朝鮮國政府ニ屬スル地ハ、朝鮮國人民ヨリ官ニ納ルト同一ノ租額ヲ出シテ住居スヘシ。釜山草梁項日本公館ニハ、從前同國政府ヨリ守門設門ヲ設ケシカ、今後之ヲ廢撤シ、一ニ新定ノ程限ニ依リ標ヲ界上ニ立ツヘシ。他ノ二港モ亦此例ヲ照ス。

[編集] 第四款

嗣後釜山港ニ於テ日本國人民行歩ヲ得ヘキ道路ノ里程ハ、波戸場ヨリ起算シテ東西南北各直徑十里(朝鮮里法ニ依ル(朱枠)凡日本里法一里ニ當ル)ト定ム。東萊府中ニ至テハ里程外ニ在リト雖モ、特ニ往來ヲ爲ス。此里程内ニ於テ日本國人民隨意行歩シ、其地ノ物産及日本國物産ヲ賣買スルヲ得ヘシ。

[編集] 第五款

議定シタル朝鮮國各港ニ於テ日本國人民ハ、朝鮮國人民ヲ賃雇スルヲ得ヘシ。朝鮮國人民其政府ノ許可ヲ得ハ、日本國ニ來ルモ妨無シ。

[編集] 第六款

議定シタル朝鮮國各港ニ於テ日本國人民若シ死去シタル時ハ、適宜ノ地處ヲ選ミ、埋葬スルヲ得ヘシ。但他ノ二港ノ埋葬地ハ、釜山埋葬地ノ遠近ノ例ニ依ル。

[編集] 第七款

日本國人民、日本國ノ諸貨幣ヲ以テ朝鮮國人民ノ所有物ト交換シ得ヘシ。又朝鮮國人民ハ交換シ買得タル日本國ノ諸貨幣ヲ以テ、日本國ノ諸貨物ヲ買入ル爲メ、朝鮮國指定ノ諸港ニテハ人民相互ニ通用スルヲ得ヘシ。 日本國人民ハ朝鮮國銅貨幣ヲ使用運輸スルヲ得ヘシ。兩國人民私ニ錢貨ヲ鑄造スル者アレハ各其國ノ法律ニ照シテ處斷スヘシ

[編集] 第八款

朝鮮國人民日本國人民ヨリ買得タル貨物或ハ贈與ヲ受タル諸物品ハ隨意使用シテ妨無シ

[編集] 第九款

修好條規第七款ニ載スル旨趣ニ從ヒ日本國測量船小船ヲ放チ朝鮮國沿海ヲ測量スル時或ハ風雨ニ逢ヒ或ハ干潮ノ爲メ本船ニ歸ル能ハサル時ハ該處里正ヨリ其近傍ノ人家ニ安着セシムヘシ若シ需用ノ物品アラハ官ヨリ辨給シ後日其入費ヲ完清スヘシ

[編集] 第十款

朝鮮國ハ未タ海外諸國ト通信セス日本國ハ年來諸國ト締盟友誼アルノ故ヲ以テ今後朝鮮國ノ沿海ヘ諸國ノ船舶風波ノ爲メ困難シ漂着スルアラハ朝鮮國人民理ニ於テ之ヲ愛恤セサル無シ該漂民本國ニ送還セラレンヲ望マハ朝鮮國政府ヨリ各港口駐留ノ日本國管理官ニ遞付シ本國ニ送還セシム該官員之ヲ領諾セサル無シ

[編集] 第十一款

右十款ノ章程及之ニ添ヘタル通商規則共修好條規ト同一ノ權ヲ有ス兩國政府遵行シテ違フ莫カル可シ然レトモ此各款中若シ兩國人民交際貿易上實地ノ障碍ヲ生シ改革セサル可カラサル事柄ヲ認ムル時ハ兩國政府其議案ヲ作リ一箇年前報知シテ協議決定スヘシ

大日本紀元二千五百三十六年明治九年八月二十四日

理事官外務大丞 宮本小一 (印)

大朝鮮開國四百八十五年丙子七月初六日

講修官議政府堂上 趙寅熈 (印)


[編集] 日本國人民貿易規則(日朝貿易章程)

  • 締結時期: 1876年8月24日
  • 場所: 江華府(江華島)
  • 典拠: アジア歴史資料センター (レファレンスコード:B06150027600)
    • 但し公文は、田保橋潔『近代日鮮關係ノ研究』原書房、1973年復刊本より
  • 備考:
    • 句読は投稿者が付加。
    • 〈〉内は一文字。

[編集] 第一則

日本國商船、日本政府所管ノ軍艦及專ラ通信ニ用フル諸船ヲ除ク朝鮮國ニテ許可セシ諸港ニ入津ノ時、船主或ハ船長、日本國人民管理官ヨリ渡シタル證書ヲ三日ノ内ニ朝鮮國官廳ヘ差出スヘシ。

所謂證書ナル者ハ、船主所持ノ日本國船籍航海公證ノ類ヲ、入港ノ日ヨリ出港ノ日マデ管理官ニ差出シ置キ、管理官ヨリ此證書類ヲ預リタル證票ヲ与フ。是ヲ日本國現時施行ノ商船成規ト爲ス。船主本港碇泊中、此證票ヲ朝鮮國官廳ヘ差出シ、日本國ノ商船タルコトヲ驗明ス。

此時、船主又其記録簿ヲ差出スヘシ。

所謂記録ナル者ハ、船名并ニ本船ヲ發スルノ地名、積荷ノ噸數石數共ニ船舶ノ容積ヲ算定スルノ名、船長ノ姓名、乗組水夫ノ人員、船客ノ姓名ヲ詳記シテ、船主調印シタル者ナリ。

此時、船主又本船積荷ノ報單并船内所用雜物ノ簿記ヲ差出スヘシ。

所謂報單ナル者ハ荷物ノ名或ハ其物質ノ實名并荷主ノ姓名記號番號ヲ詳記シテ、記號番號ナキ荷物ハ此ノ例ニアラズ報知スルナリ。此報單及其他書類共、何レモ日本國文ヲ用ヒテ漢譯文ヲ副ルコト無シ。

[編集] 第二則

日本國商船、進港ノ積荷ヲ陸揚げセント欲スル時ハ、船主或ハ荷主ヨリ更ニ積荷ノ物名并元値斤量個數ヲ書記シ、朝鮮國官廳ニ届出ヘシ。官廳届書ヲ得ハ速ニ荷卸シ免状ヲ渡スヘシ。

[編集] 第三則

船主或ハ荷主、第二則ノ免状ヲ得タルノ後、其荷物ヲ陸揚ゲスヘシ。朝鮮國官吏若シ之ヲ驗査セント要スレハ、荷主敢テ之ヲ拒ムコト無シ。官吏亦注意驗査シテ、之カ爲メ毀損ヲ致スコト無カレ。

[編集] 第四則

出港セントスル荷物ハ、荷主第二則入港積荷届書ノ式ニ照シ、船名并荷物ノ品書個數ヲ書記シ、朝鮮國官廳ニ届出ヘシ。官廳ハ速ニ之ヲ許可シ、出港荷物免状ヲ渡スヘシ。荷主免状ヲ得ハ、本船ニ積込ムコトヲ得ヘシ。官廳若シ其荷物ヲ驗査セント要スレハ、荷主敢テ之ヲ拒ムコト無シ。

[編集] 第五則

日本國商船出港ヲ要スル時ハ、前日正午前ニ朝鮮國官廳ヘ報知スヘシ。官廳報ヲ得ハ嘗テ預リ置キタル證書ヲ還附シ、出港免状ヲ渡スヘシ。日本國郵便船ハ成規ノ時限ニ拘ハラスシテ出港スルトモ必ス官廳ニ報知スヘシ。

[編集] 第六則

嗣後、朝鮮國諸港口ニ於テ、粮米及雜穀トモ輸出入スルヲ得ヘシ。

[編集] 第七則

港税

連桅檣ノ商船及蒸気商船税金五圓
單桅檣ノ商船税金貳圓荷物五百石以上積
單桅檣ノ商船税金壱圓五十錢荷物五百石以下積 倶ニ附屬脚艇ヲ除ク

日本國政府ニ屬スル諸船舶ハ港税ヲ納レス

[編集] 第八則

朝鮮國政府或ハ人民諸物品ヲ不開港場ノ口岸ニ運輸セント欲スル時ハ、日本國商船ヲ雇入ルルコトヲ得ヘシ。雇主若シ人民ナレハ朝鮮國政府ノ免状ニ照シテ雇役スヘシ。

[編集] 第九則

日本國船隻若シ通商ヲ許ササル朝鮮國ノ港口ニ到リ、私ニ買賣ヲ爲スヲ該地方官見届ケタル時ハ最寄管理官ニ引渡スヘシ。管理官ハ其所得ノ錢物一切ヲ取上ケテ朝鮮國官廳ニ交付スヘシ。

[編集] 第十則

鴉片煙販賣ヲ嚴禁ス。

[編集] 第十一則

兩國、現ニ定ムル規則ハ、今後兩國商民貿易形況ニ依リ、各委員、時ニ隨テ事情ヲ酌量シ商議改正スルヲ得ヘシ。此カ爲メ兩國委員各調印シテ即日ヨリ遵行セシム。

大日本國紀元二千五百三十六年明治九年八月廿四日

理事官外務大丞 宮本小一 (印)

大朝鮮國開國四百八十五年丙子七月初六日

講修官議政府堂上 趙寅熈 (印)

[編集] 公文

逕啓者、貴國與我邦、古來好交、其爲貿易也、宗氏與貴政府爲之、不准人民各自通商、加之貴政府中年以各色貨物貿易、例准聽管理自営、慣習如令、弊端漸滋、今新約協立、據第九款、兩國人民貿易、主貴寛裕弘通、則是等弊竇、宜速革除、其我人民所輸送于貴國之各物件、我海關不課輸出税、且我人民將貴國各物産輸送我内地來、亦數年間不課輸入税、此事是係我政府内議決定、蓋寛裕至此者無他、貿易大旨、素自在使兩國人民有無相通、長短相補、以利用厚生矣、然竊察貴國現今情形、鎖閉讒解、禁網始開、料當人民交通、未可頓至親密、貿易互市、難急期繁盛、察時酌宜、則兩國政府之所最當注意保護要件、務當協議創立、而爲妨害障碍之事項、則不可不速芟除、若夫相胥貌視、互爲苟合、是有通交之名、而無其實、故今掲條件、以爲後來證左。

一、從前貴國准行貿易者、限爲數名、除商譯都中及経允商民之外、他人不得復行之、嗣後宜寛裕、使人々得行之、且其或限制數量、或甲止販某貨、乙不得買某物等、其所爲類似搉酤者、宜阻絶莫復行。 一、朝鮮人民與日本人民買賣貨物、不要毎回照數必稟報朝鮮政府官、如欲知其出入物品多寡、則閲海關出入報單而足矣、不須復煩人民。 一、兩國人民、互相貿易、則要保護催進之、不宜無派員、某派員入有俸給、出有法度、足以養廉飭行、不可使之肆求索人民、若夫隱誘窘迫、貪賂無厭、則妨碍商路不測、故政府須速戒飭、以塞弊端、若夫證跡分明、奸状敗露者、政府須任其責、以爲之處分。 一、設海關定税額、約束兩國人民以徴収、是爲公税、而今特有進國船公税之一、則若其進口貨物入内地之時出口貨物出内地之時、要路關隘、設立搉酤市場、以陰徴諸種税餉、或關吏托其點撿之勞、以納賄等、皆是公許貿易、而其實沮抑之也。故自今斷然廢撤罷革、不須復開弊竇。

右數款係條約附録内当掲載緊要條件、而至公布之人民、則有未可者、故〈冊刂〉去之、別録交付、以相約束、而其權理則不異附録、爲此耑〈石阝力〉、併祈時祈、敬具。

明治九年八月廿四日

日本國理事官 理事官外務大丞 宮本小一 (印)

朝鮮國講修官議政府堂上 趙寅熈 閣下

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