新約聖書譬喩略解/第十一 悪農夫の譬

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第十一 あしきのうたとへ[編集]

馬太二十一章三十三節より四十四節 馬可十二章一節より十一節 路加二十章九節より十八節

またひとつたとへけ あるいへあるじ葡萄ぶだうばたけつくかきめぐらし其中そのうち酒榨さかぶねをほりものみたてのうかしほかくにゆきしが果期みのりどきちかづきければそのおさめためしもべのうのもとにつかはせり のうどもそのしもべとら一人ひとりころ一人ひとりいしにてうてり またほかしもべまへよりもおほつかはしけるにこれにもまへごとくなせり わがうやまふならんといひついそのつかはしヽにのうそのたがいいひけるは嗣子あとつぎなりいでこれをころしてその産業しんだいをもとるべしと すなわこれとら葡萄ぶだうばたけより逐出おひいだしてころせり され葡萄ぶだうばたけ主人あるじきたらんときにこののうなになすべき かれイエスいひけるはこれ悪人あくにんいたうちほろぼときおよんでそのおさむほかのう葡萄ぶだうばたけ貸予かしあたふべし イエスかれいひけるは聖書せいしょ工司いへつくりすてたるいしいへすみ首石かしらいしとなれり これしゅなしたまへることにしてわれふしぎとするところなりとしるされしをいまよまざる 是故このゆへわれなんぢらにげん かみくになんぢよりうばひそのむすたみあたへらるべし このいしうへおつるものはやぶれこのいしうへおつればそのものくだかるべし


〔註〕イエスすでにかみたとへときたまふにおのおの悔改くひあらたむこころなきをたまひしゆへかみたとへぎてまたひとつたとへまふけ書士がくしゃ法利はりさいともがらめたまふことはなはおもくそのこころ罪悪ざいあくあらはしたまへり ゆへなんぢまたひとつたとへけといひたまへり 葡萄ぶだうばたけかみたみこのにあるものを便すなわちユダヤびといへり 葡萄ぶだうユダヤさんにて言者げんじゃこれたとへとなせしことあり以賽亜いざやしょエホバ葡萄ぶだうばたけはすなわちイスラエルいへそのよろこところ植物うへものすなわちユダヤびとなりといへり〔以賽亜五章一節より七節〕書士がくしゃ法利はりさいともがらはすでにひさしくこれ聞熟ききなれしなり ただ以賽亜いざやしょには葡萄ぶだうよきむすばずといへるはすべてユダヤびとせむるなり さてイエスこのたとへかりさらにまたひとつすすめたまひのうあくいへるもっぱらに書士がくしゃ長老としよりせめたまふなり ほうおひまことかみらざるは曠野のべにただくさせうじてやさいくだものせうぜざるがごとし ユダヤひとかみ垂顧ひいきにあづかりたれば曠野のべにはおなじからず ゆへイエス葡萄ぶだうばたけこれたくらべたまへり(いへあるじ葡萄ぶだうばたけうゆ)といふ此家このいへあるじまことかみせり むかしかみにはモーセ アロンかりたまひてユダヤたみたてくにとなしたまへり ゆへうゆるといへるなり 出埃及いぢぷとをいづるなんぢまさにかれみちびかんとす なんぢやまなりはひいりこれうゆるといへるは〔出埃及記十五章十六節またこのこころなり(めぐらすまがきてす)とはかみより割礼かつれいめい律令おきてまもらしめたまひてユダヤほう混乱こんらんせざらしめたまふのこころなり ゆへモーセよそのたみひとりおらんとせり かなら諸国しょこくうちにはすべられずといへり〔數記二十三章九節ポーロ イエスのことをかたりけるはひとおしゆるにユダヤ割礼かつれい諸例しょれいとをまもることをもちひたまはずとなり またかれすなわちわれやはらぎなり へだつところまがきこぼちふたつものひとつとなさしめたまへりといへり〔以弗所エペソ書二章十四節〕(酒榨さかぶね)とは葡萄ぶだうをとりているところのためなり(ものみたつ)とはとほくのぞぬすびとまたはけものがいふせぐなり はたけうちかやうにひとつとしてよう調ととのはざることなきをまことかみユダヤびと保護ほごすることひとつとしてかくることなきにたくらべたまへり このたとへあがりとりのうすといふはいへあるじことごとようそなはりたる葡萄ぶだうばたけのうせしはあたへなくしてこれ貸與かしあたふるにあらず かならずそのあがり収納とりいるるはなほまことかみよりおのおのしょくおよび其他そのほか恩典めぐみひとあたへたまひひとかならまことかみつかへんことをもと六日むいかあひだつとめおのれしごとはたらだい七日なぬかにはもっぱらてんつかわれ十分じふぶんいちいたしてつねよきむすばしめんとするがごときなり(ほかくにゆく)といふは天国てんごく相隔あひへだたてんひとこころへだたることをせり 或説あるせつにははじめのときにはてんモーセあらは律例おきてさづユダヤひとおしへたまひそののちまた言者げんじゃよっひとびといましめられしよりまたあらはれたまはざるはこのいへあるじ他国ほかのくにゆきしとたりといへり このせつもまたつうぜり(のうかたつかはしもべ)は歴代むかしより言者げんじゃならびにけうせり 聖書せいしょ奉遣者つかはさるるものせうすこれなり のうしもべあしらふこと段々だんだん兇悪わるさはなはだし このところ路加ろかするところ馬太またいくらぶればその解明ときあかしほぼつまびらかなり はじめこれをしていたづらかへさしめそのつぎたふしてかつこれはづかしめまたきずつけてこれへりとこの解明ときあかし馬可まあくのすところもっとつまびらかなり いしなげてそのくびきずつけはなはだしきはころさるるもの其中そのうちにありとこれみなユダヤびと言者げんじゃたちあしあしらへるせり ゆへイエスいひたまひけるはエルサレムエルサレム言者げんじゃころつかはさるるものいしにてうつものよわれ母鶏めんどりひよこつばさしたあつむるがごとなんぢ子輩こどもあつめんとせしこと幾次いくたびぞや されどこのまざりきと〔馬太二十三章三十七節ステパノまたいわいづれの言者げんじゃをか なやまさざりしかれ義者ただしきもののきたらんことをあらかじかたりしものをころし なんぢらはいまその義者ただしきものわたかつこれころすものとなれり〔使徒行傳七章五十二節あるじなほ一人ひとりあいあり ついにまたこれつかはしおもへらくかれかならわがうやまはんと しかるにのうどもあいかたりいはくこれ嗣子あとつぎなり きたりこれころはたけ産業なりわひはみなわれせんと ついとらへこれころしそのしかばねはたけそとすてり このあい)はイエスせり 言者げんじゃイエスとはてんよりこれつかはしたまふものなり ただ言者げんじゃひとなり ゆへしもべとなへり イエスかみとは同體どうたいなりゆへとなへり さればイエス言者げんじゃおよび聖賢せいけんとはことなることをるべし 聖書せいしょかみむかしおほく区別わかちをなしおほくてだてをもて言者げんじゃにより列祖せんぞたちつげたまひしがこの末日よのすへにはそのよっわれつげたまへり かみかれたて萬物よろづのものよつぎとしかつかれをもろもろかいつくりたりといへり〔希伯ひぶらい一章二節〕(ころしてその産業なりわいるべし)といふは書士がくしゃ長老てうろうひとびととなしかれけんありて百姓ひやくせう管理しはいせり いまイエス眞道まことのみちつたふるを百姓ひやくせうこころイエスよせ己輩おのれたちはそのけんうしなはんことをおそるるがゆへこころねたみいだきイエスころさんとなせり ゆへ聖書せいしょねたみによりてイエスわたせりといへり(葡萄ぶだうばたけより逐出おひいだしてこれころ)とは将来のちのちユダヤびとイエス京城みやこそところすことをせり 希伯ひぶらいしょもんそとくるしみうくるとはこれいへるなり〔十三章十二節イエス衆人ひとびととふて(葡萄ぶだうばたけ主人あるじきたらんときこののうなにすべきやかれいひけるはこれ悪人あくにんいた討滅うちほろぼときおよびそのおさむほかのう葡萄ぶだうばたけすべし)とはこれ自己じぶん良心れうしんよりこたふるものなり 路加ろかでん聞人きくひとことばしるして(かやうのことはねがはざるなり)とはこれ書士がくしゃ長老てうろうたちほぼイエスことばくみとりユダヤほろびんとするをれるゆへにこのことばいだせるなり この両節れうせつこころかみさとしユダヤびと委託ゆだねたまひしかども そのめいたがへるによりてのちこれほろぼしてしんほうつたへたまふことをいへるなり イエスへん一百十八しゅことばかりユダヤびとめたまひ聖書せいしょ工司いへつくりすついしいへすみ首石かしらいしとなれりとたとへところのことはおなじからざれどもその意味いみふたつかかれり(工司いへつくりいしすつ)は書士がくしゃ長老てうろうたちイエス軽視あなどりしんぜざることをす イエスこのたとへかりたまふゆえんはまへあいころされたるは復生またいきることならず いしまへすてらるるとものちついいへせり これイエスひとすてらるるともひとイエスよらざればすくはるることをざるはいへたつるにこのいしもちひざればかた基址どだいたつることあたはざるがごときなり(此石このいしうへおつるものはやぶ)とはユダヤびとイエス敵対てきたいせんとすれどもイエスそんなくして自己じぶん霊魂れいこんがいすくひざるにたくらべり(この石上いしうへおつればそのものくだかるべし)とは書士がくしゃ長老てうろうイエスにくみてころさんとせしがイエス従来のちのちかならおほいなるけんをとりてひと審判さばきたまふにこのイエスそこなはんとするこころいよいふかきものは其罰そのばつうくまたいよいよおもし かなら永刑かぎりなきけいしづみていづることをがたきにたとへり さい長輩おさたち法利はり賽輩さいたちとこのたとへききおのれたちさしいひたまへることをれどもひとびとおそれつい其儘そのままにこのたちれり さてこのたとへはもとユダヤびと言者げんじゃはづかしイエスしんぜずしてころさんとせしゆへにそのくにほろぼされんとすることをさしいひたまへることなれどもいまおいかんがふるにただユダヤくに而已のみをしかりとするにあらず人々ひとびとまたかくごとくならん 現在げんざいいまてんけう諸国しょこくつかはされ福音ふくいんつたひと悔改くひあらためてイエスしんずることをおしへたまへどもけうことばむなしくすてイエスよりたのまあるひイエスてきになるものはまたかならユダヤこくほろぼさるるがごと霊魂れいこんながすくはれざるなり