公教要理説明/02-16

提供:Wikisource


-161-

だい四十くわ だい三とだい四との律令おきて

215●教会けうくわいだい三の律令おきてぶん如何いかゞ

すくなくともねんに一かなら告白こくはくすべし。

すくなくともねんに一

とは、毎年まいねんなりもとことで、尚度々なおたびゝゞ

告白こくはくする

教会けうくわいのぞところである。こく

[下段]

はく悔悛くわいしゅん秘跡ひせきの一部分ぶぶんぎぬからだい三百四十七のとひかゝげられること皆致みないたすをめいぜられるのである。

ちゅう大罪だいざいあるときは、天主てんしゅ子等こどもながらも、打棄うちすてらるべきてきり、善業ぜんげふいたしても唯棄たゞすてられるやうにばかりで、天国てんごくには其報そのむくいける事出来ことできず、其侭そのまゝするならば、をはりなきばつまぬがれぬゆゑ教会けうくわいでは、ねんに一なりとも告白こくはくして、是非赦ぜひゆるしいたゞくやうにせよとめいずるのである。なが大罪だいざいをかしたならば、律令おきてときたず、一にちはや告白こくはくもっゆるしねがひ、ふたゝをかさぬやうにちからもとめるのが肝要かんえうである。

216◯何歳なんさいから告白こくはくするはずであるか

善悪ぜんあくわきまへる年齢ねんれいすなはち七さいから告白こくはくするはずであります。

大抵小児たいていこどもおよそ七さいから告白こくはくするはずであります。

善悪よしあし見分みわければこそ、わることをするに人目ひとめしのぶのである。小児こどもでも大罪だいざいをかされぬことはない。はやゆるしうをねがはぬならば天主てんしゅばつまぬがれぬ。叉例令またたとひ大罪だいざいはなくともこゝろあらためるに告白こくはくするのは必要ひつえうである。

217◯教会けうくわいだい四の律令おきてぶん如何いかゞ

すくなくと

-162-

ねんに一御復活祭ごふくくわつさいころ聖体せいたいくべし。

御復活祭ごふくくわつさいころ

とは、御復活ごふくくゎつさい前後ぜんご週間しゅうかんづゝである。しか必要ひつえう時司教ときしけう其期間そのきかんを、四旬節じゅんせつ四の日曜日にちえうびから聖霊せいれい降臨かうりんの八日目かめなる日曜日にちえうびまでのばこと出来できる。各教区かくけうく聖暦せいれきいて毎年まいねんしらべて必要ひつえうがあります。

聖体せいたい拝領くる

とは、だい三百三十五以下いかとひはれるごとく、聖体せいたい秘跡ひっせきこもましましゅイエズス、キリスト御血肉ごけつにく実際じっさいいたゞことであるが、これ聖体せいたい拜領はいれうまうします。 聖体せいたい拜領はいれう御復活祭ごふっかつさいころめいぜらるはず(一)あだイエズス、キリスト其時忝 そのときかたじけなくこれさだたまふたゆゑ、(二)聖体せいたいいたゞくのはなにより御受難ごじゅなん御復活ごふくくわつ効果かうくわかうむみちであるゆゑ、(三)つひ御復活頃ごふくくわつころ殊更告白ことさらこくはくもっイエズスともつみし、叉聖体拝領またせいたいはいれうもっとも生回いきかへはずときであるゆゑであります。

ちゅう

(一)ねんに一

なりとも聖体せいたい拜領はいれうめいぜられるのは、男女だんぢょはず信者皆しんじゃみなで、分別ふんべつ年齢ねんれいたっした小児せうにまでゝ

[下段]

ある。小児せうに聖体せいたいいたゞかせる義務ぎむ殊更ことさら両親れうしん後見人こうけんにん伝道者でんだうしゃ司祭等しさいなどせめあたる。(二)大罪だいざいもっ聖体拝領せいたいはいれうすればさら瀆聖とくせい大罪だいざいをかしてだい四の制令おきてまったうされぬ(三)聖体拝領せいたいはいれうつとめ信者各々しんじゃおのゝゝ所属しょぞく御堂みどうるが本当ほんたうである。御堂みどうねんつとめいたしたなら所属しょぞく司祭しさいこれ通知つうちすべきものである。(四)御飯ごはん三度さんどべるのに霊魂れいこんかてなる聖体せいたいねんに一度戴どいたゞくだけでははずはない。ねんに一とは極々約ごくゞゝつまったところで、たゞイエズス、キリストえんれず、大罪だいざいにならぬためばかりである。教会けうくわいふかのぞところ信者しんじゃがミサ聖祭せいさい効果かうくわ尚潤沢なほじゅんたくいたゞためこれあづか度毎たびごと聖体せいたいさづかるとことである。これによって聖日毎せいじつごと否い日々にちゝゝでも相当さうたう準備じんびもっ聖体せいたいいたゞくならば熱心ねっしんちからおの欠点けってんなほし、かなら完全くわんぜん信者しんじゃこと出来できる。

218◯故意わざねんに一告白こくはくせず、聖体せいたいさづからぬのは大罪だいざいであるか

大罪だいざいになります。

故意わざ

とあれば、大罪だいざいがかりがあるのに、告白こくはくする

-163-

機会きくわいがあってもねんに一もせず、叉聖体またせいたい拝領はいれうする機会きくわいがあってもあるひかまはずあるひ口実こうじつもっおこたり、ねんも一聖体せいたいさづからぬことふ。

大罪だいざいるのは、

(一)教会けうくわい厳重げんじう律令おきてかろんじ、(二)天主てんしゅ御恩ごおんってき、(三)ひとしきかゞみり、(四)天主てんしゅ御招おんまねきこばんで救霊たすかりあやふくするからである。其侭そのまゝんだひとには公教会こうけうくわいでは宗教的葬式しうけうてきそうしききんじられてあるほどである。

219◯御復活祭ごふくくわつさいころ聖体せいたいさづからぬもの如何どうせねばなりませぬか

△一にちはや聖体せいたいさづかるやうにねばなりませぬ。

司祭しさい不足ふそくする地方ちほうで、御復ごふく活祭くゎつさいころ聖体せいたい拜領はいれうぬのは、やむことであってつみにはならぬが、しかすくなくともねんに一律令おきて其時そのときによってくなるものではないから、きまったときやむあるひおこたって秘跡ひっせきさづかるやうにすべきはずであるもなければ大罪だいざいるに相違さうゐない。