ユダ書 (ラゲ訳)
『公敎宣敎師ラゲ譯 我主イエズスキリストの新約聖書』公敎會、
1910年発行
〔ローマ・カトリック訳〕
『ラゲ訳新約聖書』エミール・ラゲ(Emile Raguet,MEP)
ユダ書
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[編集] 第1章
1イエズス、キリストの僕《しもべ》にしてヤコボの兄弟《きやうだい》なるユダ、父《ちち》にて在《ましま》す神《かみ》に愛《あい》せられ、キリスト、イエズスの為《ため》に保《たも》たれ、且《かつ》召《め》され奉《たてまつ》りたる人々《ひとびと》に[書簡《しよかん》を贈《おく》る]。 2願《ねが》はくは慈悲《じひ》と平安《へいあん》と慈愛《じあい》と汝《なんぢ》等《ら》に加《くは》はらん事《こと》を。 3至愛《しあい》なる者《もの》よ、我《われ》は我《われ》等《ら》が共同《きようどう》の救霊《たすかり》に就《つ》きて汝《なんぢ》等《ら》に書贈《かきおく》らんことを切《せつ》に望《のぞ》み、一度《ひとたび》聖人等《せいじんたち》によりて傳《つた》へられし信仰《しんかう》の為《ため》に力《ちから》を盡《つく》して戰《たたか》はんことを勧《すす》めんとて、汝《なんぢ》等《ら》に書贈《かきおく》るを必要《ひつえう》とせり。 4其《そ》は或《ある》人々《ひとびと》、即《すなは》ち昔《むかし》より罪《つみ》に處《しよ》せるる様《やう》預定《よてい》せられたる不《ふ》敬虔《けいけん》なる人々《ひとびと》の潜《くぐり》入《い》りて、我《わが》神《かみ》の恩寵《おんちよう》を放蕩《はうたう》に易《か》へ、唯《ゆゐ》一《いつ》の主宰者《しゆさいしや》にして我主《わがしゆ》にて在《ましま》せるイエズス、キリストを否《いな》み奉《たてまつ》ればなり。 5汝《なんぢ》等《ら》素《もと》より何事《なにごと》をも知《し》れりと雖《いへど》も、爰《ここ》に我《われ》汝《なんぢ》等《ら》をして思《おもひ》出《いだ》さしめんとする事《こと》あり。即《すなは》ち主《しゆ》エジプトの地《ち》より民《たみ》を救出《すくひいだ》し給《たま》ひて後《のち》、信《しん》ぜざりし人々《ひとびと》を亡《ほろ》びし給《たま》ひ、 6又《また》己《おの》が位《くらゐ》を保《たも》たず己《おの》が居處《ゐどころ》を棄《す》てたりし天使等《てんしたち》を、大《おほ》いなる日《ひ》の審判《しんぱん》の為《ため》に、無窮《むきう》の縲絏《なはめ》を以《もつ》て暗黒《くらやみ》の中《うち》に閉《と》ぢ給《たま》ひ、 7又《また》ソドマ、ゴモラ及《およ》び其《その》付近《ふきん》の市町《まちまち》は、同《おな》じく淫亂《いんらん》に耽《ふけ》り、異《こと》なる肉身《にくしん》を冒《おか》したるが故《ゆゑ》に、永遠《えいえん》の火《ひ》の刑罰《けいばつ》を受《う》けて見《み》せしめと為《せ》られしなり。 8斯《かく》の如《ごと》く彼《かの》夢想者《むさうしや》等《ども》も亦《また》肉身《にくしん》を汚《けが》し、権力《けんりよく》を軽《かろ》んじ、尊榮《そんえい》を罵《ののし》る。 9大《だい》天使《てんし》ミカエルは、惡魔《あくま》と論《ろん》じてモイゼの屍《しかばね》を争《あらそ》ひし時《とき》に、敢《あへ》て罵《ののし》るが如《ごと》き宣告《せんこく》を為《な》さずして、願《ねが》はくは主《しゆ》汝《なんぢ》に命《めい》じ給《たま》はん事《こと》を、と言《い》へり。 10然《しか》れども是《これ》等《ら》の人《ひと》は総《すべ》て知《し》らざる事《こと》を罵《ののし》り、無知《むち》の畜類《ちくるゐ》の如《ごと》く自然《しぜん》に知《し》れる事《こと》を以《もつ》て其《その》身《み》を汚《けが》すなり。 11彼等《かれら》は禍《わざはひ》なる哉《かな》、其《そ》はカインの道《みち》に行《ゆ》き、又《また》報酬《はうしう》の為《ため》にバラアムの迷《まよひ》に流《なが》れ、尚《なほ》コオレの謀反《むほん》の中《うち》に亡《ほろ》びたればなり。 12彼等《かれら》は憚《はばか》らずして食《しよく》し、己《おのれ》を飽《あき》足《た》らしめて、汝《なんぢ》等《ら》の愛餐《あいさん》に於《おい》て汚《けがれ》と成《な》り、風《かぜ》に吹《ふき》遣《や》らるる水《みづ》なき雲《くも》、實《みの》らずして再《ふたた》び枯《か》れ、根《ね》の抜《ぬ》かれたる秋《あき》の末《すゑ》の樹《き》、 13己《おの》が醜行《しうかう》を泡立《あわだ》たする海《うみ》の暴波《あらなみ》、暗黒《くらやみ》が彼等《かれら》の為《ため》に限《かぎり》なく備《そな》はれる惑星《わくせい》なり。 14アダムより七代目《だいめ》なるヘノクは、是《これ》等《ら》の人《ひと》をも斥《さ》して預言《よげん》して言《い》へらく、「看《み》よ主《しゆ》は其《その》千萬《せんまん》の聖徒《せいと》を從《したが》へて來《きた》り給《たま》ひ、 15萬民《ばんみん》に對《むか》ひて審判《しんぱん》を為《な》し、凡《すべ》ての不《ふ》敬虔《けいけん》なる者《もの》を、其《その》不《ふ》敬虔《けいけん》に行《おこな》ひし不《ふ》敬虔《けいけん》の業《わざ》と、不《ふ》敬虔《けいけん》なる罪人《つみびと》が神《かみ》に對《むか》ひ奉《たてまつ》りて語《かた》りし凡《すべ》ての暴言《ばうげん》とを以《もつ》て責《せ》め給《たま》ふべし」と。 16彼等《かれら》は私慾《しよく》に從《したが》ひて歩《あゆ》み、不満《ふまん》を鳴《な》らして呟《つぶや》く者《もの》、其《その》口《くち》は大言《たいげん》を語《かた》り、利益《りえき》の為《ため》に人《ひと》に諂《へつら》ふ者《もの》なり。 17至愛《しあい》なる者《もの》よ、汝《なんぢ》等《ら》は我主《わがしゆ》イエズス、キリストの使徒《しと》等《たち》より預言《よげん》せられし事《こと》を記憶《きおく》せよ。 18即《すなは》ち彼等《かれら》謂《い》へらく、末《すゑ》の時《とき》には嘲《あざけ》る人々《ひとびと》來《きた》り、己《おの》が望《のぞみ》に從《したが》ひて不《ふ》敬虔《けいけん》の業《わざ》の中《うち》に歩《あゆ》まん、と。 19彼等《かれら》は自《みづか》ら分裂《ぶんれつ》して肉慾《にくよく》に從《したが》ひ、霊《れい》を有《いう》せざる者《もの》なり。 20至愛《しあい》なる者《もの》よ、汝《なんぢ》等《ら》が至聖《しせい》なる信仰《しんかう》の上《うへ》に己《おのれ》を建《た》て、聖霊《せいれい》によりて祈《いの》り、 21己《おのれ》を神《かみ》の愛《あい》の中《うち》に守《まも》り、永遠《えいえん》の生命《せいめい》を得《え》ん為《ため》に、我主《わがしゆ》イエズス、キリストの御《おん》慈悲《じひ》を待《ま》て。 22汝《なんぢ》等《ら》彼等《かれら》の中《うち》の或《ある》者《もの》、即《すなは》ち眞偽《しんぎ》を争《あらそ》へる人々《ひとびと》を承服《しようふく》せしめ、 23或《ある》者《もの》を火《ひ》より取出《とりいだ》して救《すく》ひ、或《ある》者《もの》を懼《おそ》れつつ憫《あはれ》み、肉《にく》に汚《けが》されたる肌着《はだぎ》をも厭《いと》ふべし。 24克《よ》く汝《なんぢ》等《ら》を守《まも》りて躓《つまづ》かざらしむる事《こと》と、(我主《わがしゆ》イエズス、キリストの降臨《かうりん》の時《とき》に)其《その》光榮《くわうえい》の御前《みまへ》に汚《けがれ》なく喜《よろこ》ばしく立《た》たしむる事《こと》を得《え》給《たま》ふもの、 25即《すなは》ち我主《わがしゆ》イエズス、キリストによりて、我《わが》救主《すくひぬし》にて在《ましま》す唯《ゆゐ》一《いつ》の神《かみ》に、萬世《ばんせい》の以前《いぜん》に於《おい》ても、今《いま》に於《おい》ても、又《また》萬世《ばんせい》に至《いた》る迄《まで》も、光榮《くわうえい》、威光《ゐくわう》、能力《のうりよく》、権能《けんのう》歸《き》す、アメン。