ヤコボ書 (ラゲ訳)
『公敎宣敎師ラゲ譯 我主イエズスキリストの新約聖書』公敎會、
1910年発行
〔ローマ・カトリック訳〕
『ラゲ訳新約聖書』エミール・ラゲ(Emile Raguet,MEP)
ヤコボ書
目次 |
[編集] 第1章
1神《かみ》及《およ》び我主《わがしゆ》イエズス、キリストの僕《しもべ》ヤコボ、離散《りさん》せる十二族《ぞく》に挨拶《あいさつ》す。 2我《わが》兄弟等《きやうだいたち》よ、汝《なんぢ》等《ら》種々《しゆじゆ》の試《こころみ》に陥《おちい》りたる時《とき》は、之《これ》を最《もつと》も喜《よろこ》ぶべき事《こと》と思《おも》へ。 3其《そ》は汝《なんぢ》等《ら》の信仰《しんかう》の試《こころみ》は、忍耐《にんたい》を生《しやう》ずるを知《し》ればなり。 4然《さ》れど汝《なんぢ》等《ら》が完全《くわんぜん》無缺《むけつ》にして、何事《なにごと》も乏《とぼ》しき所《ところ》なからん為《ため》に、忍耐《にんたい》は完全《くわんぜん》なる業《げふ》を為《な》さざるべからず。 5汝《なんぢ》等《ら》の中《うち》に知識《ちしき》を要《えう》する人《ひと》あらば、誰《たれ》をも咎《とが》めめ給《たま》はずして吝《をしみ》なく賜《たま》ふ神《かみ》に願《ねが》ひ奉《たてまつ》るべし、然《さ》らば與《あた》へられん。 6但《ただし》疑《うたが》ふ事《こと》なく信仰《しんかう》を以《もつ》て願《ねが》はざるべからず、蓋《けだし》疑《うたが》ふ者《もの》は風《かぜ》に動《うご》かされて、漂《ただよ》へる海《うみ》の波《なみ》に似《に》たれば、 7斯《かか》る人《ひと》は主《しゆ》より何《なに》物《もの》をも受《う》けんと期《き》する事《こと》勿《なか》れ、 8是《これ》二心《ふたごころ》ある人《ひと》にして、其《その》凡《すべ》ての道《みち》に於《おい》て定《さだ》まり無《な》ければなり。 9兄弟《きやうだい》の卑《ひく》き者《もの》は其《その》高《たか》められしを大《おほ》いに喜《よろこ》ぶべく、 10富《と》める者《もの》は、己《おの》が卑《ひく》きによりて喜《よろこ》ぶべし。是《これ》将《まさ》に草《くさ》の花《はな》の如《ごと》くに過《す》ぎんとすればなり。 11夫《それ》日《ひ》出《い》でて焦《や》くれば、草《くさ》は枯《か》れて其《その》花《はな》は落《お》ち、其《その》面《おもて》の美《うつく》しさは失《う》せたり。富《と》める者《もの》の其《その》道《みち》に於《おい》て凋《しぼ》むべき事《こと》も亦《また》斯《かく》の如《ごと》し。 12試《こころみ》を忍《しの》ぶ人《ひと》は福《さいはひ》なり、其《そ》は鍛錬《たんれん》を経《へ》て後《のち》、神《かみ》の己《おのれ》を愛《あいし》奉《たてまつ》る人々《ひとびと》に約《やく》し給《たま》ひし生命《せいめい》の冠《かんむり》を得《う》べければなり。 13誰《たれ》も誘《いざな》はるるに當《あた》りて、神《かみ》より誘《いざな》はると謂《い》ふべからず。蓋《けだし》神《かみ》は惡《あく》に誘《いざな》はれ給《たま》ふ事《こと》能《あた》はざれば、誰《たれ》をも誘《いざな》ひ給《たま》ふ事《こと》なし。 14各《おのおの》の誘《いざな》はるるは、己《おのれ》の慾《よく》に惹《ひ》かれ惑《まど》はされてなり、 15斯《かく》て慾《よく》の孕《はら》むや罪《つみ》を産《う》み、罪《つみ》の全《まつた》うせらるるや死《し》を生《しやう》ず。 16然《さ》れば我《わが》至愛《しあい》なる兄弟等《きやうだいたち》よ、過《あやま》つ事《こと》勿《なか》れ、 17総《すべ》て善《よ》き賜《たまもの》と完全《くわんぜん》なる恵《めぐみ》とは上《うへ》よりして、變更《へんかう》なく回転《かいてん》の影《かげ》なき光《ひかり》の父《ちち》より降《くだ》る。 18蓋《けだし》被《ひ》造物《ざうぶつ》の初穂《はつほ》の如《ごと》きものたらしめん為《ため》に、御心《みこころ》よりして眞理《しんり》の言《ことば》を以《もつ》て我《われ》等《ら》を生《う》み給《たま》ひしなり。 19我《わが》至愛《しあい》なる兄弟等《きやうだいたち》よ、汝《なんぢ》等《ら》は知《し》れり、人《ひと》総《すべ》て聞《き》くに疾《はや》く、語《かた》るに遅《おそ》かるべし。 20其《そ》は人《ひと》の怒《いかり》は神《かみ》の義《ぎ》を為《な》さざればなり。 21然《さ》れば汝《なんぢ》等《ら》一切《いつさい》の穢《けが》らはしき事《こと》と、夥《おびただ》しき惡事《あくじ》とを脱《ぬぎ》棄《す》て、汝《なんぢ》等《ら》に植《う》ゑられて汝《なんぢ》等《ら》の霊魂《れいこん》を救《すく》ふべき御言《おんことば》を穏《おだやか》に承容《うけい》れよ。 22斯《かく》て汝《なんぢ》等《ら》自《みづか》ら欺《あざむ》きて聴聞《ちやうもん》者《しや》たるに止《とどま》らず、言《ことば》の實行《じつかう》者《しや》と成《な》れ。 23蓋《けだし》人《ひと》もし言《ことば》の聴聞《ちやうもん》者《しや》にして實行《じつかう》者《しや》に非《あら》ずば、鏡《かがみ》に寫《うつ》して生來《うまれつき》の顔《かほ》を見《み》る人《ひと》に似《に》たるべし。 24即《すなは》ち己《おの》が姿《すがた》を見《み》て退《しりぞ》くや、直《ただち》に其《その》如何《いか》に在《あ》りしかを忘《わす》る。 25然《しか》れども自由《じいう》の完全《くわんぜん》なる律法《りつぱふ》を鑑《かんが》みて之《これ》に止《とどま》る者《もの》は、忘《わす》れ勝《が》ちなる聴聞《ちやうもん》者《しや》と成《な》らずして業《わざ》の實行《じつかう》者《しや》と成《な》る。斯《かか》る人《ひと》は、其《その》為《な》す所《ところ》に由《よ》りて福《さいはひ》なるべし。 26人《ひと》若《もし》自《みづか》ら宗教《しうけう》家《か》なりと思《おも》ひつつ、其《その》舌《した》を制《せい》せずして己《おの》が心《こころ》を欺《あざむ》かば、其《その》宗教《しうけう》は無益《むえき》なり。 27父《ちち》にて在《ましま》す神《かみ》の御前《みまへ》に潔《きよ》くして穢《けが》れなき宗教《しうけう》は、孤児《みなしご》寡婦《やもめ》を其《その》困難《こんなん》に當《あた》りて訪問《はうもん》し、自《みづか》ら守《まも》りて世間《せけん》に穢《けが》されざる事《こと》是《これ》なり。
[編集] 第2章
1我《わが》兄弟等《きやうだいたち》よ、汝《なんぢ》等《ら》光榮《くわうえい》なる我主《わがしゆ》イエズス、キリストに於《おけ》る信仰《しんかう》を保《たも》ちて、人《ひと》に依怙《えこ》ある事《こと》勿《なか》れ。 2蓋《けだし》汝《なんぢ》等《ら》の集《あつまり》に美《び》服《ふく》して金《きん》の指《ゆび》環《わ》を嵌《は》めたる人《ひと》入來《いりきた》り、又《また》粗服《そふく》したる貧《まず》しき人《ひと》入來《いりきた》らんに、 3汝《なんぢ》等《ら》美《び》服《ふく》したる人《ひと》を顧《かへり》みて、宜《よろ》しく此處《ここ》に坐《ざ》せよと言《い》ひ、貧《まず》しき人《ひと》には、其處《そこ》に立《た》て或《あるひ》は我《わ》が足《あし》台《だい》の下《もと》に坐《ざ》せよ、と言《い》はば、 4是《これ》心《こころ》の中《うち》に隔《へだて》して料簡《れうけん》正《ただ》しからざる審判《しんぱん》者《しや》と成《な》るに非《あら》ずや。 5我《わが》至愛《しあい》なる兄弟等《きやうだいたち》よ、聞《き》け、神《かみ》は此《この》世《よ》に於《おけ》る貧者《ひんしや》を選《えら》みて信仰《しんかう》に富《と》める者《もの》と成《な》らしめ、神《かみ》が己《おのれ》を愛《あい》し奉《たてまつ》る人々《ひとびと》に約《やく》し給《たま》ひし國《くに》の世嗣《よつぎ》たらしめ給《たま》ひしに非《あら》ずや。 6然《しか》るに汝《なんぢ》等《ら》は貧者《ひんしや》を卑《いや》しめたり。富者《ふしや》は勢力《せいりよく》を以《もつ》て汝《なんぢ》等《ら》を壓《あつ》し、且《かつ》自《みづか》ら法廷《はふてい》に牽《ひ》くに非《あら》ずや、 7汝《なんぢ》等《ら》の上《うへ》に稱《とな》へられたる善《よ》き名《な》を穢《けが》すに非《あら》ずや。 8但《ただ》し汝《なんぢ》等《ら》もし聖書《せいしよ》に從《したが》ひて、「汝《なんぢ》己《おの》が近《ちか》き者《もの》を己《おのれ》の如《ごと》く愛《あい》せよ」との王《わう》的《てき》律法《りつぱふ》を守《まも》らば、其《その》為《な》す所《ところ》や宜《よ》し。 9然《さ》れど若《もし》人《ひと》に對《たい》して依怙《えこ》あらば、是《これ》罪《つみ》を犯《をか》して、犯人《はんにん》として律法《りつぱふ》に咎《とが》めらるるなり。 10其《そ》は誰《たれ》にもあれ、律法《りつぱふ》を悉《ことごと》く守《まも》るも、一《いつ》點《てん》の犯《をか》す所《ところ》あらば、一切《いつさい》に對《たい》して有罪《いうざい》となればなり。 11蓋《けだし》、「汝《なんぢ》姦淫《かんいん》する勿《なか》れ」と曰《のたま》ひし者《もの》は又《また》、「殺《ころ》す勿《なか》れ」と曰《のたま》ひしが故《ゆゑ》に、假令《たとひ》姦淫《かんいん》せざるも殺《ころ》す事《こと》あらば、是《これ》律法《りつぱふ》の違反《ゐはん》者《しや》たるなり。 12然《さ》れば汝《なんぢ》等《ら》語《かた》るにも行《おこな》ふにも、恰《あたか》も自由《じいう》の律法《りつぱふ》を以《もつ》て審判《しんぱん》せらるべき者《もの》の如《ごと》くにせよ。 13蓋《けだし》審判《しんぱん》は慈悲《じひ》を為《な》さざる人《ひと》に慈悲《じひ》なき者《もの》にして、慈悲《じひ》は審判《しんぱん》に勝《か》つものなり。 14我《わが》兄弟等《きやうだいたち》よ、假令《たとひ》人《ひと》自《みづか》ら信仰《しんかう》ありと謂《い》ふとも、行《おこなひ》なくば何《なん》の益《えき》かあらん、信仰《しんかう》豈《あに》之《これ》を救《すく》ふを得《え》んや。 15若《もし》兄弟《きやうだい》姉妹《しまい》の赤裸《はだか》にして日々《にちにち》の食物《しよくもつ》に乏《とぼ》しからんに、 16汝《なんぢ》等《ら》の中《うち》彼等《かれら》に對《むか》ひて、心安《こころやす》く往《ゆ》きて身《み》を暖《あたた》め、飽《あ》くまで食《しよく》せよ、と言《い》ふ人《ひと》ありとも、身《み》に要《えう》する物《もの》を與《あた》へずば何《なん》の益《えき》かあらん。 17信仰《しんかう》も亦《また》斯《か》くの如《ごと》し、行《おこなひ》なくば死《し》したるものなり。 18然《しか》るに人《ひと》或《あるひ》は言《い》はん、汝《なんぢ》は信仰《しんかう》あり我《われ》は行《おこなひ》あり、行《おこなひ》なき汝《なんぢ》の信仰《しんかう》を我《われ》に示《しめ》せ、然《しか》らば我《われ》も亦《また》行《おこなひ》によりて我《わ》が信仰《しんかう》を汝《なんぢ》に示《しめ》さん、 19汝《なんぢ》は神《かみ》の唯《ゆゐ》一《いつ》にて在《ましま》す事《こと》を信《しん》ず、其《その》為《な》す所《ところ》や宜《よ》し、惡魔《あくま》も信《しん》じて戰《ふるひ》慄《をのの》くなりと。 20空《くう》なる人《ひと》よ、行《おこなひ》なき信仰《しんかう》の死《し》したるものなるを知《し》らん事《こと》を欲《ほつ》するか、 21我《わが》父《ちち》アブラハムは、祭壇《さいだん》の上《うへ》に其《その》子《こ》イザアクを献《ささ》げて、行《おこなひ》によりて義《ぎ》とせられしに非《あら》ずや。 22信仰《しんかう》が彼《かれ》の行《おこなひ》と共《とも》に働《はたら》きし事《こと》と、行《おこなひ》によりて信仰《しんかう》の全《まつた》うせられし事《こと》とは汝《なんぢ》の見《み》る所《ところ》なり。 23而《しか》して聖書《せいしよ》に、「アブラハム神《かみ》を信《しん》じたり、斯《かく》て此《この》事《こと》義《ぎ》として彼《かれ》に歸《き》せられたり」と在《あ》ること成就《じやうじゆ》し、彼《かれ》は神《かみ》の愛人《あいじん》とせられたり。 24人《ひと》の義《ぎ》とせらるるは、唯《ただ》信仰《しんかう》のみに由《よ》らずして行《おこなひ》に由《よ》るを見《み》ずや。 25是《これ》と等《ひと》しく娼婦《しやうふ》ラハブも、使《つかひ》等《たち》を承《う》けて外《ほか》の道《みち》より去《さ》らしめ、行《おこなひ》によりて義《ぎ》とせられしに非《あら》ずや。 26蓋《けだし》霊《れい》なき肉體《にくたい》の死《し》せるが如《ごと》く、行《おこなひ》なき信仰《しんかう》も亦《また》死《し》せるなり。
[編集] 第3章
1我《わが》兄弟等《きやうだいたち》よ、多人數《たにんずう》教師《けうし》と成《な》る事《こと》勿《なか》れ、我《われ》等《ら》が一層《ひとしほ》厳《きび》しき審判《しんぱん》を受《う》くるは汝《なんぢ》等《ら》の知《し》る所《ところ》にして、 2我《われ》等《ら》は皆《みな》多《おほ》くの事《こと》に就《つ》きて愆《あやま》つものなればなり。人《ひと》若《もし》言《ことば》によりて愆《あやま》つ事《こと》なくば是《これ》完全《くわんぜん》なる人《ひと》にして、亦《また》其《その》全身《ぜんしん》を銜《くつわ》にて制《をさ》むるを得《う》べし。 3夫《それ》馬《うま》を從《したが》へんとして、銜《くつわ》を其《その》口《くち》に施《ほどこ》せば、我《われ》等《ら》は其《その》全身《ぜんしん》を馭《ぎよ》す。 4又《また》船《ふね》を看《み》よ、假令《たとひ》其《その》船《ふね》大《おほ》いにして強《つよ》き風《かぜ》に襲《おそ》わるるも、最《いと》小《ちひさ》き舵《かじ》によりて操《あやつ》る者《もの》の欲《ほつ》する所《ところ》に向《む》けらる、 5斯《かく》の如《ごと》く舌《した》も小《ちひさ》き局部《きよくぶ》ながら、其《その》誇《ほこ》る所《ところ》は大《おほ》いなり。如何《いか》ばかりの小《ちひさ》き火《ひ》が、如何《いか》ばかりの大《おほ》いなる林《はやし》を焼《や》くかを看《み》よや。 6舌《した》も亦《また》火《ひ》なり、不義《ふぎ》の世界《せかい》なり。舌《した》は我《われ》等《ら》が五體《ごたい》の中《うち》に備《そな》はりて全身《ぜんしん》を穢《けが》し、地獄《じごく》の火《ひ》を以《もつ》て燃《もや》され、我《われ》等《ら》が一生《いつしやう》の車輪《しやりん》を焼《や》く。 7蓋《けだし》一切《いつさい》の獣《けもの》、鳥《とり》、爬蟲《はふもの》、海《うみ》に在《あ》る種族《しゆぞく》は制《せい》せられ、又《また》實《じつ》に人性《じんせい》によりて制《せい》せられたり。 8然《しか》れども舌《した》は一人《ひとり》も之《これ》を制《せい》する事《こと》能《あた》はず、定《さだ》まりなき惡《あく》にして死毒《しどく》に充《み》てり。 9我《われ》等《ら》は舌《した》を以《もつ》て父《ちち》にて在《ましま》す神《かみ》を祝《しゆく》し奉《たてまつ》り、又《また》之《これ》を以《もつ》て神《かみ》に象《かたど》りて造《つく》られたる人《ひと》を詛《のろ》ひ、 10祝福《しゆくふく》と詛《のろひ》と同《おな》じ口《くち》より出《い》づ。我《わが》兄弟等《きやうだいたち》よ、是《これ》然《しか》あるべきに非《あら》ず、 11豈《あに》同《おな》じ穴《あな》より水《みづ》の甘《あま》きものと苦《にが》きものとを流《なが》す泉《いづみ》あらんや。 12我《わが》兄弟等《きやうだいたち》よ、如何《いかん》ぞ無花果《いちじく》が葡萄《ぶだう》を生《しやう》じ、葡萄《ぶだう》が無花果《いちじく》を生《しやう》ずるを得《え》んや。斯《かく》の如《ごと》く塩水《しほみづ》の泉《いづみ》も亦《また》淡水《まみづ》を出《いだ》すこと能《あた》はず。 13汝《なんぢ》等《ら》の中《うち》に智識《ちしき》ありて敏捷《びんせう》なる者《もの》ありや、其《その》人《ひと》は宜《よろ》しく善《よ》き生活《せいくわつ》により、知識《ちしき》に出《い》づる温和《をんわ》を以《もつ》て行《おこなひ》を示《しめ》すべし。 14然《さ》れど汝《なんぢ》等《ら》若《もし》苦《にが》き妬《ねたみ》を懐《いだ》きて争《あらそ》ふ心《こころ》あらば誇《ほこ》る事《こと》勿《なか》れ、眞理《しんり》に反《はん》して僞《いつは》る事《こと》勿《なか》れ。 15是《これ》斯《かか》る知識《ちしき》は天《てん》より降《くだ》れるものに非《あら》ずして地《ち》に属《ぞく》するもの、肉慾《にくよく》より出《い》づるもの、惡魔《あくま》より來《きた》るものなればなり。 16蓋《けだし》妬《ねたみ》と争《あらそひ》とある處《ところ》には、亂《みだれ》と一切《いつさい》の惡業《あくげふ》とあり。 17上《うへ》よりの知識《ちしき》は第《だい》一に操《みさを》、次《つぎ》に穏便《をんびん》温和《をんわ》にして勧《すすめ》を容《い》れ易《やす》く、(善《ぜん》に與《くみ》し)矜恤《あはれみ》と好果《かうくわ》とに満《み》ち、是非《ぜひ》せず、表裏《へうり》なきものなり。 18義《ぎ》の果《み》は平和《へいわ》を為《な》せる人々《ひとびと》に於《おい》て、平和《へいわ》の中《うち》に撒《ま》かるるなり。
[編集] 第4章
1汝《なんぢ》等《ら》の中《うち》に於《おけ》る軍《いくさ》と争《あらそひ》とは何處《いづこ》よりか來《きた》れる、汝《なんぢ》等《ら》が五體《ごたい》の中《うち》に戰《たたか》へる其《その》慾《よく》よりに非《あら》ずや。 2汝《なんぢ》等《ら》が貪《むさぼ》りて得《え》ず、殺《ころ》し妬《ねた》みて取《と》る事《こと》能《あた》はず、争《あらそ》ひ戰《たたか》ひて得《う》る事《こと》なきは願《ねが》はざるが故《ゆゑ》なり。 3願《ねが》ひて受《う》けざるは、慾《よく》の為《ため》に費《つひや》さんとして惡《あし》く願《ねが》ふが故《ゆゑ》なり。 4姦淫《かんいん》者《しや》よ、此《この》世《よ》に對《たい》する愛情《あいじやう》は神《かみ》の仇《あだ》となるを知《し》らずや、然《さ》れば誰《たれ》にもあれ、此《この》世《よ》の友《とも》たらんとする人《ひと》は皆《みな》神《かみ》の仇《あだ》となる。 5汝《なんぢ》等《ら》聖書《せいしよ》の云《い》へる事《こと》を徒《いたづら》なりと思《おも》ふか、神《かみ》は汝《なんぢ》等《ら》に宿《やど》らせ給《たま》ひし霊《れい》を妬《ねた》むまでに望《のぞ》み給《たま》ふ、 6尚《なほ》大《おほ》いなる恩寵《おんちよう》を賜《たま》へばこそ、「神《かみ》は傲慢《がうまん》なる者《もの》に逆《さか》らひ、謙遜《けんそん》なる者《もの》に恩寵《おんちよう》を賜《たま》ふ」とは云《い》へるなれ。 7此《この》故《ゆゑ》に汝《なんぢ》等《ら》神《かみ》に歸服《きふく》して惡魔《あくま》に逆《さか》らへ、然《しか》らば惡魔《あくま》は汝《なんぢ》等《ら》より退《しりぞ》くべし。 8神《かみ》に近《ちか》づき奉《たてまつ》れ、然《さ》らば神《かみ》は汝《なんぢ》等《ら》に近《ちか》づき給《たま》はん。罪人《つみびと》よ、手《て》を潔《きよ》めよ、二心《ふたごころ》の者《もの》よ、心《こころ》を清《きよ》らかにせよ。 9痛悔《つうくわい》して歎《なげ》き且《かつ》泣《な》け、汝《なんぢ》等《ら》の笑《わらひ》は歎《なげき》となり、汝《なんぢ》等《ら》の喜《よろこび》は悲《かなしみ》と成《な》れ、 10主《しゆ》の御前《みまへ》に謙《へりくだ》れ、然《さ》らば主《しゆ》汝《なんぢ》等《ら》を高《たか》め給《たま》はん。 11兄弟等《きやうだいたち》よ、相《あひ》譏《そし》る事《こと》勿《なか》れ、兄弟《きやうだい》を譏《そし》る者《もの》或《あるひ》は兄弟《きやうだい》を是非《ぜひ》するものは、律法《りつぱふ》を譏《そし》り律法《りつぱふ》を是非《ぜひ》する者《もの》なり。若《もし》律法《りつぱふ》を是非《ぜひ》せば、是《これ》律法《りつぱふ》の履行《りかう》者《しや》に非《あら》ずして、其《その》審判《しんぱん》者《しや》たるなり。 12抑《そもそも》救《すく》ひ得《う》べく亡《ほろ》ぼし得《う》べき立法《りつぱふ》者《しや》審判《しんぱん》者《しや》は唯《ゆゐ》一《いつ》にて在《ましま》す、 13然《しか》るに汝《なんぢ》誰《たれ》なれば近《ちか》き者《もの》をば是非《ぜひ》するぞ。然《さ》て今《いま》、我《われ》等《ら》今日《けふ》明日《あす》何某《なにがし》の町《まち》に往《ゆ》き、一《いち》年《ねん》の間《あひだ》其處《そこ》に留《とどま》り、商売《しやうばい》して利《り》を得《え》んと言《い》ふ者《もの》よ、 14汝《なんぢ》等《ら》は明日《あす》何事《なにごと》のあるべきかを知《し》らざるに非《あら》ずや。 15蓋《けだし》汝《なんぢ》等《ら》の生命《いのち》は何《なに》ぞや、暫《しばら》く見《み》ゆる靄《もや》にして、終《つひ》には消失《きえう》するものなり。汝《なんぢ》等《ら》宜《よろ》しく之《これ》に代《か》へて、我《われ》等《ら》若《もし》主《しゆ》の思召《おぼしめし》ならば又《また》は生《い》くるならば、此《これ》彼《かれ》を為《な》さんと言《い》ふべし。 16然《しか》るに汝《なんぢ》等《ら》は今《いま》驕《たかぶ》りて自《みづか》ら誇《ほこ》れり、斯《かく》の如《ごと》き誇《ほこり》は総《すべ》て惡事《あくじ》なり。 17故《ゆゑ》に人《ひと》、善《ぜん》の行《おこな》ふべきを知《し》りて之《これ》を行《おこな》はざれば罪《つみ》と成《な》るなり。
[編集] 第5章
1偖《さて》も富《と》める人々《ひとびと》よ、汝《なんぢ》等《ら》が身《み》に到來《たうらい》すべき禍《わざはひ》の為《ため》に叫《さけ》び歎《なげ》け。 2汝《なんぢ》等《ら》の富《とみ》は腐敗《ふはい》し、汝《なんぢ》等《ら》の衣服《いふく》は蠧《むしば》まれ、 3汝《なんぢ》等《ら》の金銀《きんぎん》は銹《さ》びたり。斯《かく》て其《その》銹《さび》は汝《なんぢ》等《ら》に證據《しようこ》と成《なり》て、火《ひ》の如《ごと》くに汝《なんぢ》等《ら》の肉《にく》を食《は》まん、汝《なんぢ》等《ら》は末《すゑ》の日《ひ》に對《たい》して怒《いかり》を貯《たくは》へたるなり。 4看《み》よ、汝《なんぢ》等《ら》が欺《あざむ》きて、汝《なんぢ》等《ら》の土地《とち》を刈取《かりと》りし作人《さくにん》に與《あた》へざりし賃金《ちんぎん》は叫《さけ》ぶ、彼等《かれら》の叫《さけび》は萬軍《ばんぐん》の主《しゆ》の耳《みみ》に入《い》れり。 5汝《なんぢ》等《ら》は地上《ちじやう》に在《あ》りて歓樂《くわんらく》し、身《み》を放蕩《はうたう》に委《ゆだ》ね、殺害《さつがい》の日《ひ》に當《あた》りても心《こころ》を満足《まんぞく》せしめ、 6義人《ぎじん》を罪《つみ》に定《さだ》めて之《これ》を殺《ころ》ししも、彼《かれ》は汝《なんぢ》等《ら》に抵抗《ていかう》せざりき。 7然《さ》れば兄弟等《きやうだいたち》よ、主《しゆ》の降臨《かうりん》まで忍耐《にんたい》せよ、看《み》よや農夫《のうふ》が地《ち》の尊《たふと》き果《み》を待《ま》ちて、春秋《はるあき》の雨《あめ》を受《う》くるまで忍耐《にんたい》するを。 8然《さ》れば汝《なんぢ》等《ら》も忍耐《にんたい》して心《こころ》を堅《かた》うせよ、蓋《けだし》主《しゆ》の降臨《かうりん》は近《ちか》きに在《あ》り。 9兄弟等《きやうだいたち》よ、汝《なんぢ》等《ら》審判《しんぱん》せられざらん為《ため》に、相《あひ》怨《うら》む事《こと》勿《なか》れ、看《み》よ審判《しんぱん》者《しや》は門前《もんぜん》に立《た》ち給《たま》ふ。 10兄弟等《きやうだいたち》よ、汝《なんぢ》等《ら》主《しゆ》の御名《みな》によりて語《かた》りし預言《よげん》者《しや》等《たち》を以《もつ》て、苦痛《くつう》と忍耐《にんたい》との模範《もはん》とせよ。 11我《われ》等《ら》が忍耐《にんたい》したる人々《ひとびと》を福《さいはひ》なりとするを思《おも》へ、汝《なんぢ》等《ら》曾《かつ》てヨブの忍耐《にんたい》を聞《き》き、又《また》終《をはり》に主《しゆ》の為《な》し給《たま》ひし事《こと》を見《み》たり。即《すなは》ち主《しゆ》は慈悲《じひ》深《ふか》く在《ましま》して、憫《あはれみ》を垂《た》れ給《たま》ふ者《もの》なり。 12我《わが》兄弟等《きやうだいたち》よ、汝《なんぢ》等《ら》第《だい》一に、或《あるひ》は天《てん》、或《あるひ》は地《ち》、或《あるひ》は他《た》の何《なに》物《もの》を以《もつ》ても誓《ちか》ふ事《こと》勿《なか》れ、唯《ただ》然《しか》りは然《しか》り、否《いな》は否《いな》と云《い》へ、之《これ》審判《しんぱん》に罹《かか》らざらん為《ため》なり。 13汝《なんぢ》等《ら》の中《うち》に憂《うれ》ふる者《もの》あらんか、其《その》人《ひと》は祈《いの》るべきなり。喜《よろこ》ぶ者《もの》あらんか、其《その》人《ひと》は聖《せい》詩《し》を謳《うた》ふべきなり。 14汝《なんぢ》等《ら》の中《うち》に病《や》める者《もの》あらんか、其《その》人《ひと》は教會《けうくわい》の長老《ちやうらう》等《たち》を喚《よ》ぶべく、彼等《かれら》は主《しゆ》の御名《みな》によりて之《これ》に注油《ちゆうゆ》し、之《これ》が上《うへ》に祈《いの》るべし。 15斯《かく》て信仰《しんかう》の祈《いのり》は病者《びやうしや》を救《すく》ひ、主《しゆ》之《これ》を引立《ひきた》て給《たま》ひ、若《もし》罪《つみ》あらば赦《ゆる》さるべきなり。 16然《さ》れば互《たが》ひに己《おの》が罪《つみ》を告白《こくはく》して、互《たがひ》の為《ため》に祈《いの》れ、是《これ》汝《なんぢ》等《ら》の醫《いや》されん為《ため》なり。義人《ぎじん》の篤《あつ》き祈《いのり》は大《おほ》いなる効力《かうりよく》あり。 17エリアは我《われ》等《ら》と同様《どうやう》の人《ひと》なりしも、雨《あめ》の地上《ちじやう》に降《ふ》らざらん事《こと》を切《せつ》に祈《いの》りしかば、降《ふ》らざる事《こと》三年《ねん》六箇月《かげつ》なりき。 18斯《かく》て再《ふたた》び祈《いの》りしかば、天《てん》は雨《あめ》を與《あた》へ地《ち》は果《み》を與《あた》へたりき。 19我《わが》兄弟等《きやうだいたち》よ、若《もし》汝《なんぢ》等《ら》の中《うち》に眞理《しんり》を過《あやま》てる者《もの》あり、人《ひと》ありて之《これ》を立《たち》歸《かへ》らしめんか、 20罪人《つみびと》を其《その》道《みち》の迷《まよひ》より立《たち》歸《かへ》らしめたる者《もの》は、其《その》魂《たましひ》を死《し》より救《すく》ひ、多《おほ》くの罪《つみ》を覆《おほ》ふべしと識《し》るべきなり。