ヘブレオ書 (ラゲ訳)
『公敎宣敎師ラゲ譯 我主イエズスキリストの新約聖書』公敎會、
1910年発行
〔ローマ・カトリック訳〕
『ラゲ訳新約聖書』エミール・ラゲ(Emile Raguet,MEP)
ヘブレオ書
目次 |
[編集] 第1章
1神《かみ》は昔《むかし》預言《よげん》者《しや》等《たち》を以《もつ》て、幾度《いくたび》にも幾《いく》様《やう》にも先祖《せんぞ》等《たち》に語《かた》り給《たま》ひしに、 2此《この》末《すゑ》の日《ひ》に至《いた》り、曾《かつ》て萬物《ばんぶつ》の世嗣《よつぎ》に立《た》て、又《また》之《これ》によりて世《よ》を造《つく》り給《たま》ひたる御子《おんこ》を以《もつ》て、我《われ》等《ら》に語《かた》り給《たま》へり。 3彼《かれ》は神《かみ》の光榮《くわうえい》の輝《かがやき》、其《その》本體《ほんたい》の印章《いんしやう》に在《ましま》して、己《おの》が権能《ちから》の言《ことば》を以《もつ》て、萬物《ばんぶつ》を保《たも》ち、罪《つみ》の潔《きよめ》を為《な》し給《たま》ひて、天《てん》に於《おい》て稜威《みいつ》の右《みぎ》に坐《ざ》し給《たま》ふなり。 4彼《かれ》が天使等《てんしたち》に優《まさ》る者《もの》と成《な》り給《たま》へるは、猶《なほ》其《その》受《う》け給《たま》ひし御名《みな》の彼等《かれら》に優《まさ》れるが如《ごと》し。 5蓋《けだし》神《かみ》曾《かつ》て天使等《てんしたち》の敦《いづ》れに斯《かく》は曰《のたま》ひしぞ、[曰《いは》く]、「汝《なんぢ》は我《わが》子《こ》なり、我《われ》今日《こんにち》汝《なんぢ》を生《う》めり」と、又《また》「我《われ》彼《かれ》に父《ちち》たり彼《かれ》我《われ》に子《こ》たらん」と。 6又《また》冢子《うひご》を更《さら》に世《よ》に入《い》れ給《たま》ひし時《とき》に曰《のたまは》く、「神《かみ》の天使《てんし》皆《みな》之《これ》を禮拝《れいはい》すべし」、と。 7而《しか》して天使等《てんしたち》に就《つ》きては、「彼《かれ》風《かぜ》を其《その》使者《ししや》と為《な》し、焔《ほのほ》を其《そ》の役者《えきしや》となし給《たま》ふ」と言《い》へるに、 8御子《おんこ》に就《つ》きては、「神《かみ》よ、汝《なんぢ》の玉座《ぎよくざ》は世々《よよ》に在《あ》り、汝《なんぢ》の王位《わうゐ》の笏《しやく》は義《ぎ》の笏《しやく》なり、 9汝《なんぢ》正義《せいぎ》を愛《あい》し不義《ふぎ》を憎《にく》めり、故《ゆゑ》に汝《なんぢ》の神《かみ》たる神《かみ》は、喜《よろこび》の油《あぶら》を汝《なんぢ》が同輩《どうはい》に優《まさ》りて汝《なんぢ》に注《そそ》ぎ給《たま》へり、」と言《い》ふ。 10又《また》曰《いは》く、「主《しゆ》よ、汝《なんぢ》初《はじめ》に地《ち》を据置《すゑお》き給《たま》へり、而《しか》して諸《もろもろ》の天《てん》も御手《みて》の業《わざ》なり、 11是《これ》等《ら》は亡《ほろ》びん、然《さ》れど汝《なんぢ》は永存《えいそん》し給《たま》ひ、是《これ》等《ら》は皆《みな》衣服《いふく》の如《ごと》く古《ふる》びん。 12汝《なんぢ》之《これ》を上衣《うはぎ》の如《ごと》く畳《たた》み給《たま》はんに、是《これ》等《ら》は變《かは》るべしと雖《いへど》も、汝《なんぢ》は同《おな》じきものにして變《かは》る事《こと》なく、汝《なんぢ》の齢《よはひ》終《をはり》なかるべし」と。 13然《しか》るに曾《かつ》て天使等《てんしたち》の敦《いづ》れに向《むか》ひてか、「我《われ》汝《なんぢ》の敵《てき》を汝《なんぢ》の足《あし》台《だい》と成《な》らしむるまで我《わが》右《みぎ》に坐《ざ》せよ」、と曰《のたま》ひし事《こと》ある、 14天使《てんし》は悉《ことごと》く役者《えきしや》と成《な》る霊《れい》にして、救霊《たすかり》の世嗣《よつぎ》を受《う》くべき人々《ひとびと》の為《ため》に役者《えきしや》として遣《つか》はさるるに非《あら》ずや。
[編集] 第2章
1故《ゆゑ》に我《われ》等《ら》は漂流《へうりう》する事《こと》なき様《やう》、承《うけたまわ》りし所《ところ》を一層《ひとしほ》能《よ》く守《まも》らざるべからず。 2其《そ》は天使等《てんしたち》を以《もつ》て告《つ》げられし言《ことば》すら固《かた》くせられ、犯罪《はんざい》と不《ふ》從順《じゆうじゆん》とは悉《ことごと》く正《ただ》しき報《むくい》を受《う》けたれば、 3若《もし》我《われ》等《ら》にして斯《かく》も大《おほ》いなる救《すくひ》を等閑《なほざり》にせば、争《いか》でか迯《のが》るることを得《え》ん。此《この》救《すくひ》は原《もと》主《しゆ》より示《しめ》されて始《はじま》りたるに、承《うけたまわ》りし人々《ひとびと》より我《われ》等《ら》に言證《いひかた》められ、 4神《かみ》も亦《また》思召《おぼしめし》に從《したが》ひて、徴《しるし》と奇蹟《きせき》と、能力《のうりよく》の様々《さまざま》の業《わざ》と、聖霊《せいれい》の賜《たまもの》の分配《ぶんぱい》を以《もつ》て、彼《かの》人々《ひとびと》と共《とも》に之《これ》を保證《ほしよう》し給《たま》ひしなり。 5蓋《けだし》今《いま》言《い》ふ所《ところ》の将來《しやうらい》の世界《せかい》を天使等《てんしたち》に從《したが》はせ給《たま》ひしには非《あら》ず、 6或《ある》人《ひと》何處《いづこ》かに證《しよう》して曰《いは》く、「人《ひと》は誰《たれ》なれば主《しゆ》之《これ》を記憶《きおく》し給《たま》ひ、人《ひと》の子《こ》は誰《たれ》なれば之《これ》を訪問《はうもん》し給《たま》ふぞ、 7主《しゆ》之《これ》をして少《すこ》しく天使等《てんしたち》に劣《おと》らしめ、冠《かむ》らしむるに光榮《くわうえい》と名誉《めいよ》とを以《もつ》てし、御手《みて》の業《わざ》の上《うへ》に之《これ》を立《た》て、 8萬物《ばんぶつ》を其《その》足《あし》の下《した》に服《ふく》せしめ給《たま》ひしなり」と。然《さ》て萬物《ばんぶつ》を之《これ》に服《ふく》せしめ給《たま》ひし上《うへ》は、服《ふく》せざるものを殘《のこ》し給《たま》はざりしならんに、我《われ》等《ら》は現《げん》に未《いま》だ萬物《ばんぶつ》の之《これ》に服《ふく》するを見《み》ざるなり。 9然《さ》れど天使等《てんしたち》に少《すこ》しく劣《おと》らせられしもの、即《すなは》ちイエズスを見《み》奉《たてまつ》るに、神《かみ》の恩寵《おんちよう》により一切《いつさい》の人間《にんげん》の為《ため》に死《し》を嘗《な》め給《たま》はんとて、死《し》の苦《くるしみ》の故《ゆゑ》に、冠《かむ》らしむるに光榮《くわうえい》と名誉《めいよ》とを以《もつ》てせられ給《たま》ひしなり。 10蓋《けだし》萬物《ばんぶつ》は神《かみ》の為《ため》に、又《また》神《かみ》によりて造《つく》られたるものなれば、多《おほ》くの子《こ》を光榮《くわうえい》に導《みちび》き給《たま》へるもの、即《すなは》ち彼等《かれら》の救霊《たすかり》の原《もと》に在《ましま》せるものをば、宜《よろ》しく苦《くるしみ》を以《もつ》て全《まつた》うし給《たま》ふべきは、神《かみ》に於《おい》て適當《てきたう》なる事《こと》なりき。 11然《さ》て聖《せい》と成《な》らしめ給《たま》ふものも、聖《せい》と為《せ》らるる人々《ひとびと》も、共《とも》に同《どう》一《いつ》のものより出《い》づ、故《ゆゑ》に彼《かれ》、人々《ひとびと》を兄弟《きやうだい》と呼《よ》ぶを耻《はぢ》とせずして曰《のたま》はく、 12「我《われ》御名《みな》を我《わが》兄弟等《きやうだいたち》に告《つ》げん、集會《しゆうくわい》の中《うち》に汝《なんぢ》を賛美《さんび》し奉《たてまつ》らん」と。 13又《また》「我《われ》彼《かれ》に信頼《しんらい》せん」と、又《また》「我《われ》と神《かみ》の我《われ》に賜《たま》ひし子等《こども》とを見《み》よ」と。 14抑《そもそも》子等《こども》は血肉《けつにく》を有《いう》する者《もの》なれば、彼《かれ》も亦《また》之《これ》を有《いう》し給《たま》へり。是《これ》死《し》を司《つかさど》れるもの、即《すなは》ち惡魔《あくま》を亡《ほろ》ぼすに死《し》を以《もつ》てし、 15且《かつ》死《し》を懼《おそ》るるが為《ため》に生涯《しやうがい》奴隷《どれい》に属《ぞく》せる人々《ひとびと》を救《すく》ひ給《たま》はん為《ため》なり。 16蓋《けだし》曾《かつ》て天使等《てんしたち》を救《すく》ひ給《たま》はずして、アブラハムの裔《すゑ》を救《すく》ひ給《たま》ひしかば、 17萬事《ばんじ》兄弟等《きやうだいたち》に似《に》るべき筈《はず》なりき、是《これ》神《かみ》の御前《みまへ》に慈悲《じひ》にして忠信《ちゆうしん》なる大司祭《だいしさい》と成《な》り、民《たみ》の罪《つみ》を贖《あがな》ひ給《たま》はん為《ため》なりき。 18蓋《けだし》御《おん》自《みづか》ら苦《くるし》みて試《こころ》みられ給《たま》ひたれば、試《こころ》みらるる人々《ひとびと》をも助《たす》くるを得《え》給《たま》ふなり。
[編集] 第3章
1然《さ》れば聖《せい》なる兄弟等《きやうだいたち》よ、汝《なんぢ》等《ら》は天《てん》よりの召《めし》に與《あづか》りたる者《もの》なれば、我《われ》等《ら》が宣言《せんげん》[する信仰《しんかう》]の使徒《しと》に在《ましま》し大司祭《だいしさい》に在《ましま》すイエズスの、 2恰《あたか》もモイゼが神《かみ》の全家《ぜんか》に忠義《ちゆうぎ》なりし如《ごと》く、己《おのれ》を立《た》て給《たま》ひし者《もの》に忠義《ちゆうぎ》に在《ましま》す事《こと》を鑑《かんが》みよ。 3蓋《けだし》イエズスがモイゼに優《まさ》りて大《おほ》いなる光榮《くわうえい》を受《う》くべき者《もの》とせられ給《たま》ひしは、家《いへ》を造《つく》りたる者《もの》の其《その》家《いへ》に優《まさ》りて尊《たふと》ばるが如《ごと》し。 4家《いへ》は総《すべ》て人《ひと》に造《つく》らるれども、萬物《ばんぶつ》を無《む》より造《つく》り給《たま》ひしは神《かみ》にて在《ましま》す。 5而《しか》してモイゼが神《かみ》の全家《ぜんか》に忠義《ちゆうぎ》なりしは、僕《しもべ》として、後《のち》に告《つ》げらるべき事《こと》を證《しよう》せん為《ため》なるに、 6キリストは子《こ》として、神《かみ》の家《いへ》に忠義《ちゆうぎ》に在《ましま》せり。若《もし》希望《きぼう》による信頼《しんらい》と誇《ほこり》とを終《をはり》まで堅《かた》く保《たも》たば、我《われ》等《ら》ぞ即《すなは》ち其《その》家《いへ》なる。 7此《この》故《ゆゑ》に聖霊《せいれい》の曰《のたま》へる如《ごと》く、「今日《けふ》汝《なんぢ》等《ら》其《その》聲《こゑ》を聞《き》かば、 8曾《かつ》て荒野《あれの》に於《おい》て怒《いかり》の時《とき》神《かみ》を試《こころ》みし日《ひ》に在《あ》りし如《ごと》く、心《こころ》を頑固《かたくな》にすること勿《なか》れ、 9彼處《かしこ》にては、汝《なんぢ》等《ら》の先祖《せんぞ》試《こころ》みて我《われ》を験《ため》し、四十年《ねん》の間《あひだ》我《わが》業《わざ》を見《み》たり、 10故《ゆゑ》に我《われ》其《その》時代《じだい》の人《ひと》に怒《いか》りて謂《い》へらく、彼等《かれら》は何時《いつ》も心《こころ》にて彷徨《さまよ》ひ、我《わが》道《みち》を知《し》らざりき、 11然《さ》れば我《われ》怒《いか》りて、彼等《かれら》は我《わが》安息《あんそく》に入《い》らじと誓《ちか》へり」、と。 12兄弟等《きやうだいたち》よ、汝《なんぢ》等《ら》の中《うち》に、或《あるひ》は不《ふ》信仰《しんかう》の惡心《あくしん》ありて、活《い》き給《たま》へる神《かみ》に遠《とほ》ざからんとする事《こと》の誰《たれ》にも之《これ》なからん様《やう》注意《ちゆうい》せよ。 13寧《むしろ》今日《けふ》と稱《とな》ふる間《あひだ》に、日々《ひび》相《あひ》勧《すす》めて、汝《なんぢ》等《ら》の中《うち》に罪《つみ》の欺《あざむき》によりて頑固《かたくな》になる者《もの》なからしめよ。 14我《われ》等《ら》若《もし》始《はじめ》の信頼《しんらい》を終《をはり》まで堅固《けんご》に保《たも》たば、キリストに與《あづか》る者《もの》と為《せ》られたるなり。 15即《すなは》ち「今日《けふ》汝《なんぢ》等《ら》其《その》聲《こえ》を聞《き》かば、彼《かの》怒《いかり》の時《とき》の如《ごと》く心《こころ》を頑固《かたくな》にすること勿《なか》れ」と謂《い》はるればなり。 16聞《き》きて怒《いか》らせし人々《ひとびと》は誰《たれ》なるぞ、是《これ》モイゼと共《とも》にエジプトより出《い》でし凡《すべ》ての人《ひと》ならずや。 17又《また》四十年《ねん》の間《あひだ》、神《かみ》は誰《たれ》に對《むか》ひて怒《いか》り給《たま》ひしぞ、罪《つみ》を犯《をか》して屍《しかばね》を荒野《あれの》に横《よこ》たへられし人々《ひとびと》に對《たい》してに非《あら》ずや。 18又《また》我《わが》安息《あんそく》に入《い》らじと誓《ちか》い給《たま》ひしは、誰《たれ》に對《むか》ひてなるぞ、不順《ふじゆん》なりし人々《ひとびと》に對《たい》してに非《あら》ずや。 19我《われ》等《ら》の見《み》る所《ところ》によれば、彼等《かれら》は實《げ》に不順《ふじゆん》の為《ため》に入《い》る事《こと》を得《え》ざりしなり。
[編集] 第4章
1然《さ》れば我《われ》等《ら》の懼《おそ》るべきは、或《あるひ》は其《その》安息《あんそく》に入《いる》の御《おん》約束《やくそく》を措《お》きて、汝《なんぢ》等《ら》の中《うち》に之《これ》に達《たつ》せざる者《もの》ありとせらるる事《こと》是《これ》なり。 2其《そ》は我《われ》等《ら》が福《さいはひ》の音《おとずれ》を得《え》たること彼等《かれら》と等《ひと》しけれども、彼等《かれら》が聞《き》きし話《はなし》の其《その》身《み》に益《えき》せざりしは、聞《き》ける人々《ひとびと》に於《おい》て信仰《しんかう》に合《がつ》せざりし故《ゆゑ》なり。 3蓋《けだし》信《しん》じたる我《われ》等《ら》は安息《あんそく》に入《い》るべき者《もの》なり、曾《かつ》て、「我《われ》怒《いか》りて彼等《かれら》は我《わが》安息《あんそく》に入《い》らじと誓《ちか》えり」、と曰《のたま》ひしが如《ごと》し。抑《そもそも》其《その》安息《あんそく》は、開闢《かいびやく》の事業《じげふ》の成就《じやうじゆ》せし時《とき》より成《な》れり。 4蓋《けだし》或《ある》篇《へん》に七日《なぬか》目《め》に就《つ》きて曰《いは》く、「神《かみ》七日《なぬか》目《め》に其《その》凡《すべ》ての事業《じげふ》を息《やす》み給《たま》へり」と、 5又《また》此《この》篇《へん》に曰《のたま》はく、「彼等《かれら》は我《われ》安息《あんそく》に入《い》らじ」と。 6然《さ》れば彼《かの》安息《あんそく》に入《い》るべき人々《ひとびと》尚《なほ》在《あ》りて、前《さき》に福《さいはひ》の音《おとずれ》を得《え》し人々《ひとびと》、不《ふ》信仰《しんかう》によりて之《これ》等《ら》に入《い》らざりしが故《ゆゑ》に、 7神《かみ》は斯《かく》の如《ごと》く久《ひさ》しきを経《へ》て、ダヴィドを以《もつ》て更《さら》に「今日《けふ》」と云《い》ふ日《ひ》を定《さだ》め給《たま》ひしなり。即《すなは》ち「汝《なんぢ》等《ら》今日《けふ》其《その》聲《こえ》を聞《き》かば、心《こころ》を頑固《かたくな》にすること勿《なか》れ」、と既《すで》に謂《い》はれしが如《ごと》し。 8蓋《けだし》若《もし》ヨズエにして彼等《かれら》に安息《あんそく》を得《え》しめしならば、神《かみ》は尚《なほ》其《その》後《のち》他《た》の日《ひ》を指《さ》して曰《のたま》ふ事《こと》なかりしならん。 9然《さ》れば神《かみ》の民《たみ》に殘《のこ》れる安息《あんそく》あり、 10其《そ》は神《かみ》の安息《あんそく》に入《い》りたる人《ひと》も、恰《あたか》も神《かみ》の己《おの》が事業《じげふ》を息《やす》み給《たま》ひしが如《ごと》く、自《みづか》ら事業《じげふ》を息《やす》みたればなり。 11是《この》故《ゆゑ》に彼《かの》不《ふ》信仰《しんかう》の例《れい》に倣《なら》ひて堕落《だらく》する者《もの》なからん為《ため》に、我《われ》等《ら》は急《いそ》ぎて此《この》安息《あんそく》に入《い》る事《こと》を努《つと》むべきなり。 12蓋《けだし》神《かみ》の御言《おんことば》は活《い》きて効能《かうのう》あり、所有《あらゆる》兩刃《もろは》の剣《つるぎ》よりも鋭《するど》くして、霊魂《れいこん》と精神《せいしん》と、又《また》関節《くわんせつ》と骨髄《こつづゐ》との境《さかひ》に達《たつ》し、心《こころ》の思《おもひ》と志《こころざし》とを分《わか》つ。 13又《また》凡《すべ》て被《ひ》造物《ざうぶつ》として神《かみ》の御前《みまへ》に見《み》えざるはなく、其《その》御《おん》目前《めのまへ》には萬物《ばんぶつ》赤裸《あかはだか》にして露《あらは》なり、我《われ》等《ら》は必《かなら》ず其《その》審判《しんぱん》を受《う》くべし。 14然《さ》れば我《われ》等《ら》は、天《てん》に入《い》り給《たま》ひたる偉《おほ》いなる大司祭《だいしさい》、即《すなは》ち神《かみ》の御子《おんこ》イエズスを有《いう》するが故《ゆゑ》に、堅《かた》く[信仰《しんかう》の]宣言《せんげん》を保《たも》つべきなり。 15其《そ》は我《われ》等《ら》が有《いう》せる大司祭《だいしさい》は、我《われ》等《ら》の弱點《じやくてん》を勞《いたは》り得《え》給《たま》はざる者《もの》に非《あら》ずして、罪《つみ》を除《のぞ》くの外《ほか》、萬事《ばんじ》に於《おい》て、我《われ》等《ら》と同《おな》じく試《こころ》みられ給《たま》へる者《もの》なればなり。 16故《ゆゑ》に我《われ》等《ら》は慈悲《じひ》を蒙《かうむ》らん為《ため》、又《また》適切《てきせつ》なる助《たすけ》となるべき恩寵《おんちよう》を見出《みいだ》さん為《ため》に、憚《はばか》りなく恩寵《おんちよう》の玉座《ぎよくざ》に至《いた》り奉《たてまつ》るべし。
[編集] 第5章
1蓋《けだし》総《すべ》て大司祭《だいしさい》は人《ひと》の中《うち》より選《えら》まれ、神《かみ》に関《くわん》する事《こと》に就《つ》きて人々《ひとびと》の為《ため》に供物《くもつ》と贖罪《しよくざい》の犠牲《いけにへ》とを献《ささ》ぐるの任《にん》を受《う》け、 2自《みづか》らも弱點《じやくてん》に圍《かこ》まれたる者《もの》なれば、知《し》らざる人《ひと》、迷《まよ》へる人《ひと》を思《おもひ》遣《や》る事《こと》を得《え》ざるべからず。 3是《これ》に由《よ》りて、民《たみ》の為《ため》に為《な》すが如《ごと》く、己《おの》が為《ため》にも亦《また》贖罪《しよくざい》の献物《ささげもの》を為《な》すべきなり。 4又《また》神《かみ》に召《め》されたる事《こと》アアロンの如《ごと》くならずしては、何人《なにびと》も此《この》尊《たふと》き位《くらゐ》を自《みづか》ら取《と》る者《もの》なし、 5斯《かく》の如《ごと》く、キリストも大司祭《だいしさい》たらんとして自《みづか》ら進《すす》み給《たま》ひしには非《あら》ず、之《これ》に對《むか》ひて、「汝《なんぢ》は我《わが》子《こ》なり、我《われ》今日《こんにち》汝《なんぢ》を生《う》めり」と曰《のたま》ひしもの、之《これ》を立《た》て給《たま》ひしなり。 6他《た》の篇《へん》に又《また》、「汝《なんぢ》は限《かぎり》なくメルキセデクの如《ごと》き司祭《しさい》なり」、と曰《のたま》ひしが如《ごと》し。 7即《すなは》ちキリストは肉身《にくしん》に在《ましま》しし時《とき》、己《おのれ》を死《し》より救《すく》ひ給《たま》ふべきものに對《むか》ひて、祈祷《きたう》と懇願《こんぐわん》とを献《ささ》ぐるに、大《おほ》いなる叫《さけび》と涙《なみだ》とを以《もつ》てし給《たま》ひしかば、其《その》恭《うやうや》しさによりて聴《きき》容《い》れられ給《たま》へり。 8且《かつ》(神《かみ》の)御子《おんこ》に在《ましま》しながら、受《う》け給《たま》ひし苦《くるしみ》によりて從順《じゆうじゆん》を學《まな》び給《たま》ひ、 9然《さ》て全《まつた》うせられ給《たま》ひて、從《したが》ひ奉《たてまつ》る凡《すべ》ての人《ひと》に永遠《えいゑん》の救霊《たすかり》の原《もと》と成《な》り、 10神《かみ》よりメルキセデクの如《ごと》き大司祭《だいしさい》と稱《しよう》せられ給《たま》ひしなり。 11我《われ》等《ら》はこれに就《つ》きて語《かた》るべき事《こと》多《おほ》けれども、汝《なんぢ》等《ら》聞《き》くに鈍《にぶ》く成《な》りたれば、明《あきらか》に言《い》ひ難《かた》し。 12蓋《けだし》汝《なんぢ》等《ら》時《とき》の久《ひさ》しきよりすれば、教師《けうし》とも成《な》るべきを、更《さら》に神《かみ》の御言《おんことば》の初歩《しよほ》を教《をし》へらるるを要《えう》し、固《かた》き食物《しよくもつ》ならで、乳《ちち》を要《えう》する者《もの》と成《な》れり。 13抑《そもそも》乳《ちち》を要《えう》する者《もの》は嬰兒《みどりご》なれば、義《ぎ》の教《をし》へに達《たつ》する事《こと》を得《え》ず、 14固《かた》き食物《しよくもつ》は大人《おとな》のもの、即《すなは》ち慣習《くわんしふ》によりて善惡《よしあし》を弁別《べんべつ》するに熟達《じゆくたつ》せる人々《ひとびと》のものなり。
[編集] 第6章
1然《さ》れば我《われ》等《ら》は、キリストに関《くわん》する教《をしへ》の初歩《しよほ》を措《お》きて、死《し》せる業《わざ》よりの改心《かいしん》、神《かみ》に於《おけ》る信仰《しんかう》、 2及《およ》び諸《しよ》洗禮《せんれい》、按手《あんしゆ》禮《れい》、死者《ししや》の復活《ふくくわつ》、永遠《えいゑん》の審判《しんぱん》等《とう》に関《くわん》する教《をしへ》の基礎《どだい》を再《ふたた》び築《きづ》く事《こと》を為《せ》ずして、尚《なほ》完全《くわんぜん》なる事《こと》に進《すす》まん、 3神《かみ》許《ゆる》し給《たま》はば我《われ》等《ら》は之《これ》を為《な》すべし。 4蓋《けだし》一度《ひとたび》照《て》らされて、天《てん》の賜《たまもの》を味《あじは》ひ、聖霊《せいれい》の分配《ぶんぱい》にも與《あづか》り、 5且《かつ》神《かみ》の善《よ》き御言《おんことば》と來世《らいせ》の勢力《せいりよく》とを味《あじは》ひながら、 6堕落《だらく》したる人々《ひとびと》は、己《おの》が罪《つみ》として神《かみ》の御子《おんこ》を再《ふたた》び十字架《じふじか》に釘《つ》け、之《これ》を辱《はづかし》め奉《たてまつ》る者《もの》なれば、更《さら》に改心《かいしん》する様《やう》一新《いつしん》せらるる事《こと》を得《え》ず。 7即《すなは》ち土《つち》屡《しばしば》其《その》上《うへ》に降《ふり》來《く》る雨《あめ》を吸入《すひい》れて、耕《たがや》す人《ひと》を益《えき》すべき草《くさ》を生《しやう》ずれば、神《かみ》より祝福《しゆくふく》を受《う》くと雖《いへど》も、 8荊棘《いばら》と薊《あざみ》とを生《しやう》ずれば、棄《す》てられて詛《のろ》はるるに近《ちか》く、其《その》終《はて》は焼《や》かるべきのみ。 9至愛《しあい》なる者《もの》よ、我《われ》等《ら》は斯《か》く言《い》ふと雖《いへど》も、汝《なんぢ》等《ら》に就《つ》きては尚《なほ》善《よ》くして救霊《たすかり》に近《ちか》からん事《こと》を希望《きぼう》す。 10蓋《けだし》神《かみ》は、汝《なんぢ》等《ら》が曾《かつ》て聖徒《せいと》等《たち》に供給《きようきふ》し、今《いま》も尚《なほ》供給《きようきふ》しつつあるに、汝《なんぢ》等《ら》の業《わざ》と汝《なんぢ》等《ら》が御名《みな》に對《たい》して顕《あらは》はしし愛《あい》とを忘《わす》れ給《たま》ふ如《ごと》き、不義《ふぎ》なる者《もの》には在《ましま》さず。 11我《われ》等《ら》の望《のぞ》む所《ところ》は、汝《なんぢ》等《ら》が各《おのおの》希望《きぼう》を全《まつた》うするまで、始終《しじゆう》同様《どうやう》の励《はげみ》を顕《あらは》し、 12怠慢《たいまん》に流《なが》れずして、信仰《しんかう》と忍耐《にんたい》とを以《もつて》、約束《やくそく》の世嗣《よつぎ》と成《な》るべき人々《ひとびと》に倣《なら》う者《もの》と成《な》らん事《こと》是《これ》なり。 13蓋《けだし》神《かみ》アブラハムに約《やく》し給《たま》ひし時《とき》、己《おのれ》より大《おほ》いにして指《さ》して以《もつ》て誓《ちか》ふべきものなきが故《ゆゑ》に、御《おん》自《みづか》らを指《さ》して、誓《ちか》ひて、 14曰《いは》く、「我《われ》祝《しゆく》して汝《なんぢ》を祝《しゆく》せん、殖《ふや》して汝《なんぢ》を殖《ふや》さん」と。 15斯《かく》てアブラハム忍耐《にんたい》を以《もつ》て待《まち》御《おん》約束《やくそく》の事《こと》を得《え》たり。 16即《すなは》ち人々《ひとびと》は最《もつと》も大《おほ》いなるものを指《さ》して誓《ちか》ひ、又《また》保證《ほしよう》と成《な》る誓《ちかひ》は其《その》一切《いつさい》の論《ろん》を決《けつ》す。 17斯《かく》の如《ごと》く、神《かみ》は約束《やくそく》の世嗣《よつぎ》たる人々《ひとびと》に對《むかひ》て、其《その》規定《きてい》の變《へん》ぜざる事《こと》を尚《なほ》十分《じふぶん》に示《しめ》さんとて、誓《ちかひ》を加《くは》へ給《たま》ひしなり。 18是《これ》備《そな》へられたる希望《きぼう》を捉《とら》へんとして倚《より》縋《すが》り奉《たてまつ》りたる我《われ》等《ら》に、神《かみ》の僞《いつは》り給《たま》ふ能《あた》はざる二《ふたつ》の動《うご》かざる事《こと》を以《もつ》て、最《もつと》も強《つよ》き慰《なぐさめ》を得《え》させ給《たま》はん為《ため》なり。 19此《この》希望《きぼう》は、安全《あんぜん》にして堅固《けんご》なる魂《たましひ》の碇《いかり》として我《われ》等《ら》之《これ》を保《たも》ち、 20更《さら》にイエズスが限《かぎり》なくメルキセデクの如《ごと》き大司祭《だいしさい》と為《せ》られて、我《われ》等《ら》の為《ため》に先駆《せんく》として入《い》り給《たま》ひし幕屋《まくや》の中《うち》までも、[此《この》希望《きぼう》は]入《い》るものなり。
[編集] 第7章
1蓋《けだし》此《この》メルキセデクはサレムの王《わう》、最上《さいじやう》の神《かみ》の司祭《しさい》にして、アブラハムが王《わう》等《ら》に打勝《うちか》ちて歸《かへ》れるを迎《むか》へ、之《これ》に祝福《しゆくふく》せしかば、 2アブラハム彼《かれ》に分捕《ぶんどり》物《とりもの》の十分《ぶん》の一《いち》を分《わけ》與《あた》へたり。メルキセデクの名《な》を釈《と》けば、先《まづ》義《ぎ》の王《わう》にして、次《つぎ》にサレムの王《わう》、即《すなは》ち平和《へいわ》の王《わう》なり。 3彼《かれ》は父《ちち》なく母《はは》なく系圖《けいづ》なく、其《その》日《ひ》の始《はじめ》もなく齢《よはひ》の終《をはり》もなく、神《かみ》の御子《おんこ》に肖《あやか》かりて永久《えいきゆう》の司祭《しさい》として存《そん》す。 4汝《なんぢ》等《ら》斯《か》く祖先《そせん》アブラハムが、主《しゆ》なる分捕《ぶんどり》物《もの》の十分《じふぶん》の一《いち》をも與《あた》へし人《ひと》の、如何《いか》に大《おほ》いなるかを鑑《かんが》みよ。 5抑《そもそも》レヴィの子孫《しそん》の中《うち》、司祭《しさい》職《しよく》を受《う》くる人々《ひとびと》は、民《たみ》より、即《すなは》ち同《おな》じくアブラハムの腰《こし》より出《い》でたる者《もの》なるも、己《おの》が兄弟等《きやうだいたち》より十分《じふぶん》の一《いち》を取《と》る事《こと》を、律法《りつぱふ》によりて命《めい》ぜられたるなり。 6然《しか》るに彼《かの》司祭《しさい》等《たち》の血脉《ちすぢ》に非《あら》ざる者《もの》は、アブラハムより十分《じふぶん》の一《いち》を取《と》りて、約束《やくそく》を蒙《かうむ》りし其《その》人《ひと》を祝福《しゆくふく》せり。 7然《さ》て劣《おと》れる者《もの》の優《まさ》れる者《もの》に祝福《しゆくふく》せらるるは勿論《もちろん》なり、 8今《いま》十分《じふぶん》の一《いち》を受《う》くる人々《ひとびと》は、死《し》する者《もの》なれど、彼《かの》時《とき》に受《う》けしは、活《い》ける者《もの》として證《しよう》せられし者《もの》なり。 9斯《かく》て十分《じふぶん》の一《いち》を受《う》くる所《ところ》のレヴィも、アブラハムに於《おい》て十分《じふぶん》の一《いち》を納《おさ》めたりと謂《い》はるべきなり、 10其《そ》はメルキセデク之《これ》に會《あ》ひし時《とき》、レヴィ尚《なほ》其《その》父《ちち》の腰《こし》に在《あ》りたればなり。 11民《たみ》はレヴィ族《ぞく》の司祭《しさい》職《しよく》の下《もと》に在《あ》りて律法《りつぱふ》を受《う》けたれば、若《もし》人《ひと》を完全《くわんぜん》ならしむる事《こと》レヴィの司祭《しさい》職《しよく》によりしならば、アアロンの如《ごと》きと謂《い》はれずして、他《た》にメルキセデクの如《ごと》き司祭《しさい》の起《おこ》る必要《ひつえう》は何處《いづこ》にか在《あ》りし。 12即《すなは》ち司祭《しさい》職《しよく》移《うつ》りたらんには、律法《りつぱふ》も亦《また》當《まさ》に移《うつ》るべきなり。 13是《これ》等《ら》の事《こと》を言《い》はれたる人《ひと》は、曾《かつ》て祭壇《さいだん》に事《つか》へし者《もの》なき他《た》の族《ぞく》に出《い》でたり。 14蓋《けだし》我《われ》等《ら》の主《しゆ》がユダ族《ぞく》より出《い》で給《たま》ひし事《こと》は明《あきらか》にして、モイゼは此《この》族《ぞく》に就《つ》きて、一《ひとつ》も司祭《しさい》に関《くわん》する事《こと》を言《い》はざりき。 15斯《かく》てメルキセデクに似《に》たる他《た》の司祭《しさい》、 16即《すなは》ち肉的《にくてき》なる掟《おきて》の律法《りつぱふ》によらず、不朽《ふきう》なる生命《せいめい》の能力《ちから》によりて立《た》てられたる司祭《しさい》の起《おこ》る事《こと》あらば、律法《りつぱふ》の移転《いてん》は尚更《なおさら》明《あきらか》なり。 17其《そ》は、「汝《なんぢ》は限《かぎり》なくメルキセデクの如《ごと》き司祭《しさい》なり」と稱《しよう》せられたればなり。 18抑《そもそも》前《さき》の掟《おきて》の廃《はい》せらるるは、其《その》弱《よわ》くして益《えき》なきによりてなり。 19蓋《けだし》律法《りつぱふ》は何事《なにごと》をも完全《くわんぜん》に至《いた》らしめず、唯《ただ》我《われ》等《ら》が以《もつ》て神《かみ》に近《ちか》づき奉《たてまつ》るべき、尚《なほ》善《よ》き希望《きぼう》に入《い》らしめしのみ。 20而《しか》も是《これ》誓《ちかひ》なくして為《せ》られしに非《あら》ず、即《すなは》ち他《た》の司祭《しさい》は誓《ちかひ》なくして立《た》てられたれど、 21イエズスは誓《ちかひ》を以《もつ》て、即《すなは》ち、「主《しゆ》誓《ちか》ひ給《たま》へり、取返《とりかへ》し給《たま》ふ事《こと》なかるべし、汝《なんぢ》は限《かぎり》なく司祭《しさい》なり」と曰《のたま》ひし者《もの》によりて立《た》てられ給《たま》ひしなり。 22是《これ》によりてイエズスは、優《まさ》れる契約《けいやく》の保《ほ》證《しよう》者《しや》と為《せ》られ給《たま》へり。 23又《また》他《た》の司祭《しさい》は死《し》を以《もつ》て妨《さまた》げられて、絶《た》えず司祭《しさい》たる能《あた》はざるが故《ゆゑ》に、立《た》てられし者《もの》の數多《かずおほ》し、 24然《さ》れどイエズスは限《かぎり》なく存《そん》し給《たま》ふによりて、不朽《ふきう》の司祭《しさい》職《しよく》を有《いう》し給《たま》ふ。 25故《ゆゑ》に人《ひと》の為《ため》に執成《とりなし》を為《な》さんとて常《つね》に活《い》き給《たま》ひ、己《おのれ》によりて神《かみ》に近《ちか》づき奉《たてまつ》る人々《ひとびと》を全《まつた》く救《すく》ふことを得《え》給《たま》ふ。 26蓋《けだし》我《われ》等《ら》が斯《かか》る大司祭《だいしさい》を有《いう》する事《こと》は至當《したう》なりき、即《すなは》ち聖《せい》にして、罪《つみ》なく、穢《けが》れなく、罪人《ざいにん》に遠《とほ》ざかりて、天《てん》よりも高《たか》くせられ、 27他《た》の大司祭《だいしさい》の如《ごと》く、日々《ひび》先《まづ》己《おの》が罪《つみ》の為《ため》、次《つぎ》に民《たみ》の罪《つみ》の為《ため》に犠牲《いけにへ》を献《ささ》ぐるを要《えう》せざる者《もの》たるべし。蓋《けだし》己《おのれ》を献《ささ》げて之《これ》を為《な》し給《たま》ひし事《こと》一度《ひとたび》のみ、 28其《そ》は律法《りつぱふ》の立《た》てし司祭《しさい》は弱點《じやくてん》或《ある》人々《ひとびと》なるに、律法《りつぱふ》の後《のち》なる誓《ちかひ》の言《ことば》の立《た》てしは、限《かぎり》なく完全《くわんぜん》に在《ましま》す御子《おんこ》なればなり。
[編集] 第8章
1今《いま》言《い》ふ所《ところ》の要點《えうてん》は是《これ》なり、即《すなは》ち我《われ》等《ら》の有《いう》する大司祭《だいしさい》は天《てん》に於《おい》て至大《しだい》[なる稜威《みいつ》]の玉座《ぎよくざ》の右《みぎ》に坐《ざ》し給《たま》ひ、 2聖所《せいじよ》の役者《えきしや》にして、人《ひと》の立《た》てしにはあらで主《しゆ》の立《た》て給《たま》ひし、眞《まこと》の幕屋《まくや》の役者《えきしや》にて在《ましま》す。 3夫《それ》総《すべ》て大司祭《だいしさい》の立《た》てらるるは、供物《くもつ》と犠牲《いけにへ》とを献《ささ》げん為《ため》なれば、彼《かれ》も亦《また》必《かなら》ず献《ささ》ぐべき何者《なにもの》かを有《いう》し給《たま》はざるべからず。 4若《もし》地上《ちじやう》に居《ゐ》給《たま》はば司祭《しさい》と成《な》り給《たま》はざるべし、其《そ》は律法《りつぱふ》に從《したが》ひて供物《くもつ》を献《ささ》ぐる人々《ひとびと》既《すで》にあればなり。 5此《この》人々《ひとびと》は、在天《ざいてん》の事物《じぶつ》の模《うつし》、及《およ》び影《かげ》に奉事《ほうじ》するのみ、恰《あたか》もモイゼが幕屋《まくや》を造《つく》らんとせし時《とき》に告《つ》げられしが如《ごと》し、曰《いは》く、「看《み》よ、何事《なにごと》も山《やま》に於《おい》て汝《なんぢ》に示《しめ》されし模型《もけい》に從《したが》ひて之《これ》を為《な》せ」と。 6然《さ》れど我《われ》等《ら》の大司祭《だいしさい》が現《げん》に尚《なほ》善《よ》き聖《せい》役《えき》を得《え》給《たま》ひしは、尚《なほ》善《よ》き約束《やくそく》を以《もつ》て保證《ほしよう》せられたる、尚《なほ》善《よ》き契約《けいやく》の仲介《ちゆうかい》者《しや》たるに應《おう》じてなり。 7蓋《けだし》彼《かの》第《だい》一《いち》の契約《けいやく》に缺點《けつてん》なかりせば、第《だい》二のものを立《た》つる餘地《よち》なかるべしと雖《いへど》も、 8[神《かみ》]人々《ひとびと》を咎《とが》めて曰《のたま》ひけるは、「主《しゆ》曰《のたまは》く、看《み》よ、日《ひ》來《きた》らんとす、而《しか》して我《われ》イスラエルの家《いへ》の上《うへ》、又《また》ユダの家《いへ》の上《うへ》に新約《しんやく》を全《まつた》うすべし、 9是《これ》我《わ》が彼等《かれら》の先祖《せんぞ》をエジプトの地《ち》より救出《すくひいだ》さんとて其《その》手《て》を取《と》りし時《とき》、之《これ》に為《な》しし約《やく》の如《ごと》きものに非《あら》ず、蓋《けだし》彼等《かれら》は我《われ》約《やく》に止《とどま》らざりしかば、我《われ》も亦《また》彼等《かれら》を顧《かへり》みざりき、と主《しゆ》曰《のたま》へり。 10即《すなは》ち主《しゆ》曰《のたま》はく、彼《かの》日《ひ》の後《のち》、イスラエルの家《いへ》に我《わ》が立《た》てんとする約《やく》は斯《これ》なり、我《わが》律法《りつぱふ》を其《その》精神《せいしん》に置《お》き、之《これ》を其《その》心《こころ》に書《かき》記《しる》さん、而《しか》して我《われ》は彼等《かれら》に神《かみ》と成《な》り、彼等《かれら》は我《われ》に民《たみ》と成《な》るべし。 11又《また》各《おのおの》其《その》近《ちか》き者《もの》、其《その》兄弟《きやうだい》に教《をし》へて、主《しゆ》を知《し》れと言《い》ふ事《こと》あらじ、其《そ》は小《ちひさ》き者《もの》より大《おほ》いなる者《もの》に至《いた》るまで悉《ことごと》く我《われ》を知《し》るべければなり。 12蓋《けだし》我《われ》彼等《かれら》の不義《ふぎ》を憫《あはれ》み、曾《かつ》て其《その》罪《つみ》を記憶《きおく》せざるべし」と。 13然《さ》て新《しん》と曰《のたま》へば、前《さき》のものを舊《きゆう》とし給《たま》ひしなり、舊《きゆう》にして老衰《らうすい》せるものは亡《ほろび》に近《ちか》し。
[編集] 第9章
{{Verse|9|1}抑《そもそも》前《さき》の約《やく》には拝禮《はいれい》の規定《きてい》あり、世《よ》に属《ぞく》する聖所《せいじよ》ありき。 2即《すなは》ち第《だい》一の幕屋《まくや》を造《つく》り、是《これ》に燈台《とうだい》と机《つくゑ》と供《そなへ》の麪《ぱん》と在《あ》りて、之《これ》を聖所《せいじよ》と云《い》ふ。 3又《また》第《だい》二の幕《まく》の後《うしろ》に至聖所《しせいじよ》と云《い》ふ幕屋《まくや》ありて、 4其《その》内《うち》に、金《きん》の香台《かうだい》と全面《ぜんめん》金《きん》を着《き》せたる契約《けいやく》の櫃《ひつ》と在《あ》り、其《その》櫃《ひつ》の内《うち》には、マンナを入《い》れたる金《きん》の壷《つぼ》と、芽《め》ざしたりしアアロンの杖《つゑ》と、契約《けいやく》の二《ふたつ》の石標《せきへう》と在《あ》り、 5尚《なほ》其《その》櫃《ひつ》の上《うへ》に、贖罪所《しよくざいしよ》を覆《おほへ》る光榮《くわうえい》の[二]ケルビム有《あり》しが、是《これ》等《ら》に就《つ》きては今《いま》逐一《ちくいち》言《い》ふに及《およ》ばず。 6然《さ》て是《これ》等《ら》の物《もの》の備《そな》はる事《こと》斯《かく》の如《ごと》くにして、第《だい》一の幕屋《まくや》には禮拝《れいはい》を行《おこな》ふ司祭《しさい》等《たち》常《つね》に入《い》れども、 7第《だい》二の幕屋《まくや》には一年《ねん》に一度《いちど》大司祭《だいしさい》のみ入《い》り、而《しか》も己《おの》が為《ため》、又《また》民《たみ》の不知《ふち》罪《ざい》の為《ため》に献《ささ》ぐる血《ち》を持《も》たざる事《こと》なかりき。 8是《これ》聖霊《せいれい》が、第《だい》一の幕屋《まくや》の存《そん》する間《あひだ》は、聖所《せいじよ》に入《い》る道《みち》の未《いまだ》開《ひら》けざるを示《しめ》し給《たま》ふ所以《ゆゑん》にして、 9現時《げんじ》の為《ため》の前表《ぜんぺう》なり。即《すなは》ち供物《くもつ》と犠牲《いけにへ》とは献《ささ》げらると雖《いへど》も、是《これ》等《ら》の物《もの》は禮拝《れいはい》者《しや》をして其《その》良心《りやうしん》をも完全《くわんぜん》ならしむる能《あた》はず、 10唯《ただ》改正《かいせい》の時《とき》まで設《まう》けられたる飲食《いんしよく》物《ぶつ》、種々《しゆじゆ》の洗《あらひ》潔《きよめ》、肉身上《にくしんじやう》の掟《おきて》に止《とどま》れり。 11然《しか》るにキリストは、将來《しやうらい》の恵《めぐみ》の大司祭《だいしさい》として來《きた》り給《たま》ひ、更《さら》に広《ひろ》く、更《さら》に完全《くわんぜん》にして、人《ひと》の手《て》に成《な》らざる、即《すなは》ち此《この》造物《ざうぶつ》ならざる幕屋《まくや》を経《へ》て、 12牡《を》山羊《やぎ》、犢《こうし》の血《ち》を用《もち》ひず、己《おの》が血《ち》を以《もつ》て一度《ひとたび》聖所《せいじよ》に入《い》り、不朽《ふきう》の贖《あがなひ》を得《え》させ給《たま》ひしなり。 13蓋《けだし》牡《を》山羊《やぎ》、牡《を》牛《うし》の血《ち》、及《およ》び若《わか》き牝牛《めうし》の焼灰《やきばひ》を注《そそ》ぐ事《こと》は、穢《けが》れたる人々《ひとびと》を、肉身上《にくしんじやう》に於《おい》て潔《きよ》めて聖《せい》とするものなれば、 14况《いわん》や聖霊《せいれい》を以《もつ》て、己《おの》が穢《けがれ》なき身《み》を神《かみ》に献《ささ》げ給《たま》ひしキリストの御血《おんち》は、活《い》き給《たま》へる神《かみ》に事《つか》へ奉《たてまつ》らしめん為《ため》に、死《し》せる業《わざ》より我《われ》等《ら》の良心《りやうしん》を潔《きよ》むべきをや。 15故《ゆゑ》にキリストは新約《しんやく》の仲介《ちゆうかい》者《しや》に在《ましま》して、死《し》を凌《しの》ぎて前《さき》の約《やく》の下《もと》に犯《をか》されたる過《あやまち》を贖《あがな》ひ、召《め》されたる人々《ひとびと》に永遠《えいゑん》の世嗣《よつぎ》の約束《やくそく》を得《え》させ給《たま》ふなり。 16遺言《ゆゐごん》書《しよ》ある時《とき》は遺言《ゆゐごん》者《しや》の死《し》を要《えう》す、 17其《そ》は遺言《ゆゐごん》書《しよ》は人《ひと》死《し》して後《のち》に効力《かうりよく》あり、遺言《ゆゐごん》せる人《ひと》の存命《ぞんめい》せる間《あひだ》は、未《いま》だ其《その》効《かう》あらざればなり。 18然《さ》れば第《だい》一の約《やく》も、血《ち》なくして立《た》てられしには非《あら》ず、 19蓋《けだし》モイゼ、律法《りつぱふ》によれる掟《おきて》を悉《ことごと》く民《たみ》一同《いちどう》に読《よみ》聞《き》かせし後《のち》、緋色《ひいろ》の毛《け》、ヒソッポと共《とも》に犢《こうし》の血《ち》と牡《を》山羊《やぎ》の血《ち》と水《みづ》とを取《と》り、律法《りつぱふ》の巻物《まきもの》と一般《いつぱん》の民《たみ》とに沃《そそ》ぎて、 20言《い》ひけるは、是《これ》ぞ神《かみ》の汝《なんぢ》等《ら》に命《めい》じ給《たま》へる約《やく》の血《ち》なる、と、 21又《また》幕屋《まくや》と凡《すべ》ての祭器《さいき》とにも同《おな》じく血《ち》を沃《そそ》ぎたり。 22斯《かく》て律法《りつぱふ》に從《したが》ひては、殆《ほとん》ど一切《いつさい》のもの血《ち》を以《もつ》て潔《きよ》められ、血《ち》を流《なが》す事《こと》なくしては赦《ゆる》さるる事《こと》なし。 23然《さ》れば在天《ざいてん》の事物《じぶつ》に象《かたど》りたるものすら、血《ち》によりて潔《きよ》まれば、在天《ざいてん》の事物《じぶつ》其《その》物《もの》は、是《これ》等《ら》に優《まさ》る犠牲《いけにへ》によりて潔《きよ》められざるべからず。 24蓋《けだし》イエズスの入《い》り給《たま》ひしは、眞實《しんじつ》のものの象《すがた》に過《す》ぎざる、手《て》にて造《つく》られし聖所《せいじよ》には非《あら》ず、天《てん》其《その》物《もの》に入《い》り給《たま》ひて、今《いま》は我《われ》等《ら》の為《ため》に、神《かみ》の御《おん》目前《めのまへ》に謁《まみえ》給《たま》ふなり。 25又《また》大司祭《だいしさい》が他《た》のものの血《ち》を持《も》ちて年々《ねんねん》至聖所《しせいじよ》に入《い》るが如《ごと》く、屡《しばしば》己《おのれ》を献《ささ》げ給《たま》はんとに非《あら》ず、 26然《しか》らずんば、開闢《かいびやく》以來《いらい》屡《しばしば》苦《くる》しみ給《たま》ふべかりしなり。然《さ》れど今《いま》世《よ》の末《すゑ》に當《あた》りて、己《おのれ》を犠牲《ぎせい》として罪《つみ》を亡《ほろ》ぼさん為《ため》に、一度《ひとたび》現《あらは》れ給《たま》ひしなり。 27斯《かく》て人《ひと》一度《ひとたび》死《し》して然《しか》る後《のち》に審判《しんぱん》ある事《こと》の定《さだ》まれるが如《ごと》く、 28キリストも多《おほ》くの人《ひと》の罪《つみ》を贖《あがな》はんとて一度《ひとたび》身《み》を献《ささ》げ給《たま》ひ、然《さ》て之《これ》を待《ま》ち奉《たてまつ》る人々《ひとびと》を救《すく》はん為《ため》に、再《ふたた》び罪《つみ》を負《お》はずして現《あらは》れ給《たま》ふべし。
[編集] 第10章
1抑《そもそも》律法《りつぱふ》は、将來《しやうらい》の恵《めぐみ》の影《かげ》のみを有《いう》して、事物《じぶつ》の眞《しん》の像《かたち》を有《いう》せざるが故《ゆゑ》に、毎年《まいねん》絶《た》えず同《おな》じ犠牲《いけにへ》を献《ささ》げて、祭壇《さいだん》に近《ちか》づく人々《ひとびと》を完全《くわんぜん》ならしむる事《こと》は、決《けつ》して能《あた》はざるなり。 2然《しか》らずんば、祭《まつ》る人々《ひとびと》一旦《いつたん》潔《きよ》められては、復《また》罪《つみ》の意識《いしき》なかるべければ、祭《まつり》を献《ささ》ぐる事《こと》止《や》むべかりしなり。 3然《さ》れど彼《かの》祭《まつり》に於《おい》て年々《ねんねん》罪《つみ》を紀《き》念《ねん》するは、 4牡《を》牛《うし》と牡《を》山羊《やぎ》との血《ち》を以《もつ》てしては罪《つみ》を除《のぞ》く事《こと》能《あた》はざるが故《ゆゑ》なり。 5然《さ》ればキリスト世《よ》に入《い》り給《たま》ひし時《とき》曰《のたま》ひけるは、「主《しゆ》よ、犠牲《いけにへ》と献物《ささげもの》とを否《いな》みて肉體《にくたい》を我《われ》に備《そな》へ給《たま》へり、 6燔祭《はんさい》と罪祭《ざいさい》とは御心《みこころ》に適《かな》はざりしを以《もつ》て、 7我《われ》言《い》へらく、看《み》給《たま》へ、巻物《まきもの》の初《はじめ》に我《われ》に就《つ》きて録《かきしる》したれば、神《かみ》よ、我《われ》は御旨《みむね》を行《おこな》はん為《ため》に來《きた》れり」、と。 8然《さ》て初《はじめ》には、「主《しゆ》よ、犠牲《いけにへ》と献物《ささげもの》と燔祭《はんさい》と罪祭《ざいさい》とを否《いな》み給《たま》ひて、律法《りつぱふ》に從《したが》ひて献《ささ》げらるるものは御意《みこころ》に適《かな》はざりき」、と曰《のたま》ひて、 9後《のち》には「神《かみ》よ、看《み》給《たま》へ、我《われ》は御旨《みむね》を行《おこな》はん為《ため》に來《きた》れり」、と曰《のたま》へば、是《これ》初《はじめ》の事《こと》を廃《はい》して其《その》次《つぎ》の事《こと》を立《た》て給《たま》ふなり、 10此《この》御旨《みむね》の故《ゆゑ》にこそ、イエズス、キリストの御《おん》體《からだ》が一度《ひとたび》献《ささ》げられしに由《よ》りて、我《われ》等《ら》は聖《せい》と為《せ》られしなれ。 11然《さ》て司祭《しさい》は、総《すべ》て日々《ひび》に立《た》ちて聖《せい》役《えき》を行《おこな》ひ、何時《いつ》も罪《つみ》を除《のぞ》く能《あた》はざる同《おな》じ犠牲《いけにへ》を献《ささ》ぐれども、 12此《この》大司祭《だいしさい》は罪《つみ》の為《ため》に一《ひとつ》の犠牲《いけにへ》を献《ささ》げ給《たまひ》て、限《かぎり》なく神《かみ》の御《おん》右《みぎ》に坐《ざ》し、 13斯《かく》て敵《てき》の己《おの》が足《あし》台《だい》と為《せ》られん事《こと》を待《ま》ち給《たま》ふなり。 14其《そ》は聖《せい》と為《せ》られたる人々《ひとびと》を、一《いつ》の献物《ささげもの》を以《もつ》て限《かぎり》なく全《まつた》うし給《たま》ひたればなり、 15聖霊《せいれい》も亦《また》之《これ》を我《われ》等《ら》に證《しよう》し給《たま》ふ。蓋《けだし》前《さき》には、 16「主《しゆ》曰《のたま》はく、彼《かの》日《ひ》の後《のち》我《わ》が立《た》てんとする約《やく》は斯《これ》なり、我《わが》律法《りつぱふ》を彼等《かれら》の心《こころ》に與《あた》へ、之《これ》を其《その》精神《せいしん》に録《かきしる》さん」、と曰《のたま》ひて後《のち》、 17「我《われ》最早《もはや》彼等《かれら》の罪《つみ》と不義《ふぎ》とを記憶《きおく》せざるべし」、と曰《のたま》ひしなり。 18是《これ》等《ら》の赦《ゆるし》ありたる上《うへ》は、罪《つみ》の為《ため》の献物《ささげもの》は絶《た》えて之《これ》ある事《こと》なし。 19然《さ》れば兄弟等《きやうだいたち》よ、我《われ》等《ら》はイエズスの御血《おんち》により、 20イエズスの己《おの》が肉《にく》なる幔《まく》を経《へ》て我《われ》等《ら》に開《ひら》き給《たま》ひし、新《あらた》にして活《い》ける道《みち》より聖所《せいじよ》に入《い》るべき事《こと》を確信《かくしん》し、 21且《かつ》神《かみ》の家《いへ》を司《つかさど》る大司祭《だいしさい》を有《いう》する者《もの》なれば、 22心《こころ》を惡《あし》き料簡《れうけん》より濯《すす》がれ、身《み》を清《きよ》き水《みづ》に洗《あら》はれて、眞心《まごころ》と完全《くわんぜん》なる信仰《しんかう》とを以《もつ》て之《これ》に近《ちか》づき奉《たてまつ》り、 23確乎《かくこ》として我《われ》等《ら》が希望《きぼう》の宣言《せんげん》を保《たも》つべし、約《やく》し給《たま》ひし者《もの》は眞實《しんじつ》にて在《ましま》せばなり。 24又《また》互《たがひ》に顧《かへり》みて親愛《しんあい》と善業《ぜんげふ》とを相《あひ》励《はげ》まし、 25或《ある》人々《ひとびと》の為《し》馴《な》れたるが如《ごと》くに集《あつまり》を缺《か》く事《こと》なく、寧《むしろ》相《あひ》勧《すす》めて、日《ひ》の近《ちか》づくを見《み》るに随《したが》ひて愈《いよいよ》励《はげ》むべきなり。 26蓋《けだし》我《われ》等《ら》既《すで》に眞理《しんり》の知識《ちしき》を受《う》けたる後《のち》、故《ことさら》に罪《つみ》を犯《をか》さば、殘《のこ》る所《ところ》は最早《もはや》罪《つみ》を贖《あがな》ふ犠牲《いけにへ》に非《あら》ずして、 27唯《ただ》懼《おそ》る懼《おそ》る審判《しんぱん》を待《ま》つ事《こと》と、敵《てき》對《たい》する者《もの》を焼盡《やきつく》すべき火《ひ》の烈《はげ》しさとのみ。 28モイゼの律法《りつぱふ》を破《やぶ》りたる人《ひと》すら、二三人《にん》の證言《しようげん》によりて容赦《ようしや》なく死《し》するなれば、 29况《まし》て神《かみ》の御子《おんこ》を蹂躪《ふみつ》け、己《おの》が由《よ》りて以《もつ》て聖《せい》と為《せ》られし約《やく》の血《ち》を蔑視《べつし》し、恩寵《おんちよう》を賜《たま》ふ聖霊《せいれい》に侮辱《ぶじよく》を加《くは》へたる人《ひと》の受《う》くべき刑罰《けいばつ》の厳《きび》しさの、如何許《いかばかり》なるかを思《おも》へ。 30「復讐《ふくしゆう》は我《わが》事《こと》なり、我《われ》報《むく》ゆべし」と曰《のたま》ひ、又《また》「主《しゆ》は其《その》民《たみ》を審判《しんぱん》すべし」と曰《のたま》ひし者《もの》の誰《たれ》なるかは我《われ》等《ら》の知《し》れる所《ところ》なり。 31恐《おそ》るべき哉《かな》、活《い》き給《たま》へる神《かみ》の御手《みて》に罹《かか》る事《こと》。 32汝《なんぢ》等《ら》曩《さき》に照《て》らされつつ、苦《くるしみ》の大《おほ》いなる戰《たたかひ》を忍《しの》びたりし日《ひ》を追想《つゐさう》せよ。 33即《すなは》ち或《あるひ》は侮辱《ぶじよく》と患難《くわんなん》とを以《もつ》て人《ひと》の観物《みもの》と為《せ》られ、或《あるひ》は斯《かか》る事《こと》に遇《あ》へる人々《ひとびと》の侶《とも》と成《な》りたりき。 34蓋《けだし》囚人《しうじん》の上《うへ》をも思《おもひ》遣《や》り、又《また》己《おの》が立《たち》勝《まさ》りたる永存《えいそん》の寳《たから》を有《いう》せるを知《し》りて、我《われ》財産《ざいさん》を奪《うば》はるるをも喜《よろこ》びて忍《しの》びたるなり。 35然《さ》れば大《おほ》いなる報《むくい》を得《う》べき汝《なんぢ》等《ら》の希望《きぼう》を失《うしな》ふ勿《なか》れ。 36即《すなは》ち神《かみ》の御旨《みむね》を行《おこな》ひて約束《やくそく》のものを得《え》ん為《ため》に、汝《なんぢ》等《ら》に必要《ひつえう》なるは忍耐《にんたい》なり。 37蓋《けだし》來《きた》らんとする者《もの》は軈《やが》て來《きた》り給《たま》ふべく、延引《えんいん》し給《たま》ふ事《こと》あらじ。 38我《わが》義人《ぎじん》は信仰《しんかう》によりて活《い》く、若《もし》自《みづか》ら退《しりぞ》かば我《わが》心《こころ》に適《かな》はざるべし。 39我《われ》等《ら》は亡《ほろび》に至《いた》らんとして退《しりぞ》く者《もの》に非《あら》ず、魂《たましひ》を得《え》んとして信仰《しんかう》する者《もの》なり。
[編集] 第11章
1抑《そもそも》信仰《しんかう》は希望《きぼう》すべき事物《じぶつ》の保證《ほしよう》、見《み》えざる事物《じぶつ》の證據《しようこ》なり、 2蓋《けだし》故人《こじん》之《これ》を以《もつ》て好評《かうひやう》を得《え》たり。 3信仰《しんかう》に由《よ》りて我《われ》等《ら》は、世界《せかい》が神《かみ》の一言《いちごん》にて組立《くみた》てられ、現《げん》に見《み》ゆるものが見《み》ゆるものより成出《なりい》でざりしことを暁《さと》る。 4信仰《しんかう》に由《よ》りてアベルは、カインの其《それ》に優《まさ》れる犠牲《いけにへ》を神《かみ》に献《ささ》げ、信仰《しんかう》に由《よ》りて義人《ぎじん》たる保證《ほしよう》を受《う》け、神《かみ》其《その》献物《ささげもの》を保證《ほしよう》し給《たま》ひ、彼《かれ》は信仰《しんかう》に由《よ》りて死《し》しても猶《なほ》言《ものい》ふなり。 5信仰《しんかう》に由《よ》りてヘノクは、死《し》を見《み》ざらん為《ため》に移《うつ》され、神《かみ》之《これ》を移《うつ》し給《たま》ひしに由《よ》りて見出《みいだ》されざりき、其《そ》は移転《いてん》の前《まへ》に神《かみ》の御意《みこころ》に適《かな》へる事《こと》を證《しよう》せられたればなり。 6信仰《しんかう》なくしては神《かみ》の御意《みこころ》に適《かな》ふこと能《あた》はず、蓋《けだし》神《かみ》に近《ちか》づき奉《たてまつ》る人《ひと》は、必《かなら》ずや神《かみ》の存在《そんざい》して之《これ》を求《もと》め奉《たてまつ》る人々《ひとびと》に報《むく》い給《たま》ふ者《もの》なる事《こと》を信《しん》ぜざるべからず。 7信仰《しんかう》によりてノエは、未《いま》だ見《み》えざる事柄《ことがら》に就《つ》きて黙示《もくじ》を蒙《かうむ》り、畏《かしこ》みて家族《かぞく》を救《すく》はん為《ため》に方舟《はこぶね》を造《つく》り、之《これ》を以《もつ》て世《よ》の人《ひと》を罪《つみ》し、其《その》身《み》は信仰《しんかう》に由《よ》れる義《ぎ》の世嗣《よつぎ》と為《せ》られたり。 8信仰《しんかう》に由《よ》りてアブラハムは、承《うけ》継《つ》ぐべき地《ち》に出《い》づべしとの召《めし》に從《したが》ひ、何處《いづこ》に行《ゆ》くべきかを知《し》らずして立《たち》出《い》でたり。 9彼《かれ》は約束《やくそく》の地《ち》に於《おい》て他國《たこく》にあるが如《ごと》く、同《おな》じ約束《やくそく》を相継《あいつ》ぐべきイザアク、ヤコブと共《とも》に幕屋《まくや》に住《す》めり、 10其《そ》は神《かみ》を其《その》設立《せつりつ》者《しや》、建築《けんちく》者《しや》に戴《いただ》ける、基礎《きそ》ある都會《とくわい》を待《ま》てばなり。 11信仰《しんかう》に由《よ》りてサラも、石女《うまずめ》にして齢《よはひ》過《す》ぎたるに孕《たね》を胎《やど》す力《ちから》を得《え》たり、是《これ》約《やく》し給《たま》へる者《もの》の忠實《ちゆうじつ》に在《ましま》す事《こと》を信《しん》じたるが故《ゆゑ》なり、 12斯《かく》て一人《ひとり》より、而《しか》も既《すで》に死《し》せるに齊《ひと》しき者《もの》より出《い》でし人《ひと》、空《そら》の星《ほし》の如《ごと》く夥《おびただ》しく、海辺《うみべ》の眞砂《まさご》の如《ごと》く數《かぞ》へ難《がた》し。 13彼等《かれら》は皆《みな》信仰《しんかう》に從《したが》ひ、約束《やくそく》のものを受《う》けずして死《し》したれども、遥《はるか》に望《のぞ》みて之《これ》を祝《しゆく》し、地上《ちじやう》に於《おい》て己《おのれ》は旅人《たびびと》たり寄留《きりう》人《にん》たる事《こと》を宣言《せんげん》せり。 14斯《か》く語《かた》る人々《ひとびと》は、是《これ》本國《ほんごく》を求《もと》むる事《こと》を示《しめ》す者《もの》なり。 15若《もし》其《その》懐《おも》へる所《ところ》曾《かつ》て出《い》でたる本國《ほんごく》ならば、復《また》還《かへ》る時《とき》もありしならん、 16然《さ》れど彼等《かれら》は、今《いま》一層《ひとしほ》善《よ》きもの、即《すなは》ち天《てん》の[本國《ほんごく》]を慕《した》ひしなり、故《ゆゑ》に神《かみ》は彼等《かれら》の神《かみ》と呼《よ》ばるるを耻《はぢ》とし給《たま》はず、其《そ》は彼等《かれら》の為《ため》に都會《とくわい》を備《そな》へ給《たま》ひたればなり。 17信仰《しんかう》に由《よ》りてアブラハムは、試《こころ》みられし時《とき》イザアクを献《ささ》げたり、其《その》献《ささ》げたりしは、約束《やくそく》を蒙《かうむ》りたりし獨子《ひとりご》にして、 18曾《かつ》て「汝《なんぢ》の子孫《しそん》と稱《とな》へらるるはイザアクによるべし」と謂《い》はれし其者《そのもの》なりき。 19即《すなは》ち彼《かれ》謂《い》へらく、神《かみ》は死《し》したる人々《ひとびと》をも復活《ふくくわつ》せしむるを得《え》給《たま》ふなりと、而《しか》して前表《ぜんぺう》として其《その》子《こ》を還《かへし》與《あた》へられたり。 20信仰《しんかう》に由《よ》りてイザアクは、将來《しやうらい》の事《こと》に就《つ》きてヤコブとエザウとを祝福《しゆくふく》せり。 21信仰《しんかう》に由《よ》りてヤコブは、死《し》に臨《のぞ》みてヨゼフの子《こ》等《たち》を各《おのおの》祝福《しゆくふく》し、杖《つゑ》の首《かしら》に倚《よ》りて禮拝《れいはい》せり。 22信仰《しんかう》に由《よ》りてヨゼフは、死《し》に臨《のぞ》みてイスラエルの子《こ》等《ら》の出立《しゆつたつ》を思《おも》はしめ、己《おの》が骸骨《がいこつ》に就《つ》きて命《めい》を下《くだ》せり。 23信仰《しんかう》に由《よ》りてモイゼは、生《うま》れて三月《みつき》の間《あひだ》兩親《ふたおや》によりて匿《かく》されたり、是《これ》其《その》子《こ》の美《うつく》しきを見《み》たるが故《ゆゑ》にして、彼等《かれら》は國王《こくわう》の命令《めいれい》を懼《おそ》れざりき。 24信仰《しんかう》に由《よ》りてモイゼは、成長《せいちやう》してファラオンの女《むすめ》の子《こ》たる事《こと》を否《いな》めり、 25即《すなは》ち罪《つみ》によれる暫時《ざんじ》の快樂《くわいらく》よりも、寧《むしろ》神《かみ》の民《たみ》と共《とも》に悩《なや》むことを擇《えら》み、 26キリストの耻辱《ちじよく》を以《もつ》てエジプトの寳《たから》に優《まさ》れる富《とみ》とせり、其《そ》は報酬《はうしう》を眺《なが》め居《ゐ》たればなり。 27信仰《しんかう》に由《よ》りて彼《かれ》は、國王《こくわう》の怒《いかり》を怖《おそ》れずしてエジプトを去《さ》れり、即《すなは》ち見《み》えざる所《ところ》を見《み》るが如《ごと》くにして忍耐《にんたい》せしなり。 28信仰《しんかう》に由《よ》りて彼《かれ》は過越《すぎこし》を祝《いは》ひ、又《また》長子《ちやうし》を亡《ほろ》ぼせる者《もの》の彼等《かれら》に触《ふ》れざらん為《ため》、[羔《こひつじ》の]血《ち》を沃《そそ》ぐ禮《れい》を行《おこな》へり。 29信仰《しんかう》に由《よ》りて彼等《かれら》は、紅海《こうかい》を陸《くが》の如《ごと》くにして渡《わた》れり、エジプト人《ひと》は之《これ》を試《こころ》みて溺《おぼ》れたりき。 30信仰《しんかう》に由《よ》りてエリコの城壁《じようへき》は、七日《なぬか》の間《あひだ》廻《めぐ》られて崩《くず》れたり。 31信仰《しんかう》に由《よ》りて娼婦《しやうふ》ラハブは、探偵《たんてい》者《しや》を懇切《こんせつ》に接待《せつたい》せしかば、不《ふ》信者《しんじや》と共《とも》には亡《ほろ》びざりき。 32此《この》外《ほか》に我《われ》何《なに》をか言《い》はん、ゲデオン、バラク、サムソン、イエフテ、ダヴィド、サムエル及《およ》び預言《よげん》者《しや》等《たち》の事《こと》を述《の》べんには時《とき》足《た》らざるべし。 33信仰《しんかう》に由《よ》りて彼等《かれら》は、國々《くにぐに》に打《う》ち勝《か》ち、義《ぎ》を行《おこな》ひ、約束《やくそく》を蒙《かうむ》り、獅子《しし》の口《くち》を塞《ふさ》ぎ、 34火《ひ》の勢《いきほひ》を消《け》し、剣《つるぎ》の刃《やいば》を迯《のが》れ、弱《よわ》きを強《つよ》うせられ、軍《いくさ》に勇《いさ》ましき者《もの》と成《な》りて異邦《いはう》人《じん》の陣《ぢん》を破《やぶ》り、 35婦人《ふじん》等《ら》は其《その》死《し》したりし者《もの》を復活《ふくくわつ》を以《もつ》て還《かへし》與《あた》へられ、或《ある》人々《ひとびと》は引裂《ひきさ》かれて、勝《すぐ》れたる復活《ふくくわつ》を得《え》ん為《ため》に迯《のが》るる事《こと》を肯《がへん》ぜず、 36或《ある》人々《ひとびと》は侮辱《ぶじよく》打擲《ちやうちやく》の上《うへ》に捕縛《ほばく》入獄《にふごく》に遇《あ》ひ、 37石《いし》を擲《なげう》たれ、鋸《のこぎり》にて挽《ひ》かれ、試《ため》され、剣《つるぎ》にて殺《ころ》され、羊《ひつじ》山羊《やぎ》の毛皮《けがわ》を纏《まと》ひて萬事《ばんじ》に缺乏《けつぼう》し、責《せ》められ悩《なや》まされて流浪《るらう》せり。 38世《よ》は此《この》人々《ひとびと》を置《お》くに堪《た》へざりしに、彼等《かれら》は荒地《あれち》に山《やま》に、地《ち》の洞《ほら》及《およ》び穴《あな》の内《うち》に彷徨《さまよ》ひしなり。 39彼等《かれら》も皆《みな》信仰《しんかう》の稱揚《しようやう》を得《え》たれども、約束《やくそく》のものをば得《え》ざりき。 40是《これ》神《かみ》が我《われ》等《ら》の為《ため》に更《さら》に宜《よろ》しき事《こと》を圖《はか》り給《たま》ひて、我《われ》等《ら》と共《とも》にならでは彼等《かれら》の全《まつた》うせられざらん為《ため》なり。
[編集] 第12章
1然《さ》れば我《われ》等《ら》も、斯《か》く夥《おびただ》しき證人《しようにん》の雲《くも》に圍《かこ》まれたれば、一切《いつさい》の荷《に》と纏《まと》へる罪《つみ》とを卸《おろ》して、 2我《われ》等《ら》の信仰《しんかう》の指導《しどう》者《しや》に在《ましま》し完成《くわんせい》者《しや》に在《ましま》すイエズスに鑑《かんが》みつつ、忍耐《にんたい》を以《もつ》て我《われ》等《ら》に備《そな》はれる勝負《しようぶ》に走《はし》るべし。即《すなは》ちイエズスは曾《かつ》て、己《おのれ》に備《そな》はれる喜《よろこび》に代《か》へて、辱《はづかしめ》を厭《いと》はず、十字架《じふじか》を忍《しの》び給《たま》ひ、而《しか》して神《かみ》の玉座《ぎよくざ》の右《みぎ》に坐《ざ》し給《たま》ふ。 3汝《なんぢ》等《ら》倦《う》みて己《おの》が心《こころ》の弱《よわ》らざらん為《ため》に、己《おのれ》に對《たい》する惡人《あくにん》のさしも甚《はなはだ》しかりし反抗《はんかう》を忍《しの》び給《たま》ひし者《もの》を回想《くわいそう》せよ。 4蓋《けだし》汝《なんぢ》等《ら》の罪《つみ》に對《むか》ひて戰《たたか》ふに、未《いま》だ血《ち》を流《なが》す程《ほど》に抵抗《ていかう》せし事《こと》なし。 5汝《なんぢ》等《ら》は又《また》、子《こ》に於《おけ》るが如《ごと》くに告《つ》げらるる勧《すすめ》を忘《わす》れたり。曰《いは》く、「我《わが》子《こ》よ、主《しゆ》の懲《こらしめ》を疎畧《おろそか》にすることなく、之《これ》に懲《こ》らされ奉《たてまつ》る時《とき》倦《う》む事《こと》勿《なか》れ、 6主《しゆ》は其《その》寵《いつくし》み給《たま》ふ人《ひと》を懲《こ》らし、総《すべ》て子《こ》として受《う》け給《たま》ふ者《もの》を鞭《むちう》ち給《たま》へばなり」と。 7汝《なんぢ》等《ら》懲《こらしめ》を忍《しの》べ、神《かみ》の汝《なんぢ》等《ら》に對《たい》し給《たま》ふは、恰《あたか》も子等《こども》に於《おけ》るが如《ごと》し。誰《たれ》か父《ちち》に懲《こ》らされざる子《こ》あらん、 8汝《なんぢ》等《ら》若《もし》凡《すべ》ての人《ひと》の受《う》くる懲《こらしめ》の外《ほか》に在《あ》らば、是《これ》私生児《しせいじ》にして正子《せいし》に非《あら》ざるべし。 9且《かつ》我《われ》等《ら》は肉身《にくしん》の父《ちち》に懲《こ》らされて、尚《なほ》之《これ》を尊敬《そんけい》しつつありしものを、况《いわん》や霊《れい》の父《ちち》には歸服《きふく》して生命《せいめい》を得《う》べきに非《あら》ずや。 10肉身《にくしん》の父《ちち》等《ら》は、少《すくな》き日數《ひかず》の間《あひだ》に心《こころ》の儘《まま》に我《われ》等《ら》を懲《こ》らしたるに、霊《れい》の父《ちち》の懲《こ》らし給《たま》ふは、己《おの》が聖徳《せいとく》を蒙《かうむ》らしめて我《われ》等《ら》を益《えき》し給《たま》はん為《ため》なり。 11総《すべ》て懲《こらしめ》は其《その》當時《たうじ》に在《あ》りては、喜《よろこ》ばしく見《み》えず、悲《かな》しきが如《ごと》くなれども、後《のち》には之《これ》を以《もつ》て鍛錬《たんれん》せられたる人《ひと》に、義《ぎ》の平穏《へいおん》なる果《み》を結《むす》ぶものなり。 12然《さ》れば汝《なんぢ》等《ら》、萎《な》えたる手《て》、弱《よわ》りたる膝《ひざ》を立《た》てよ、 13誰《たれ》も足萎《あしな》えて踏外《ふみはず》す事《こと》なく、寧《むしろ》醫《いや》されん為《ため》に己《おのれ》の足踏《あしぶみ》を直《なほ》くせよ。 14汝《なんぢ》等《ら》凡《すべ》ての人《ひと》と和合《わがふ》し、聖徳《せいとく》を追求《つゐきう》せよ、之《これ》なくては誰《たれ》も主《しゆ》を見《み》奉《たてまつ》る事《こと》を得《え》じ。 15汝《なんぢ》等《ら》注意《ちゆうい》して、一人《ひとり》も恩寵《おんちよう》より退《しりぞ》く事《こと》なく、如何《いか》なる苦《にが》き根《ね》にもあれ、生出《はえい》でて妨《さまたげ》を為《な》し、多《おほ》くの人《ひと》を汚《けが》すことなからしめ、 16一人《ひとり》たりとも、食物《しよくもつ》の為《ため》に長子《ちやうし》権《けん》を売《う》りしエザウの如《ごと》く、私通《しつう》者《しや》不敬《ふけい》者《しや》と成《な》る事《こと》なからしめよ。 17蓋《けだし》彼《かれ》が、後《のち》に祝福《しゆくふく》を継《つ》がん事《こと》を望《のぞ》みしも退《しりぞ》けられ、涙《なみだ》を以《もつ》て回復《くわいふく》を求《もと》めたれど其《その》餘地《よち》を得《え》ざりしは、汝《なんぢ》等《ら》の知《し》るべき所《ところ》なり。 18汝《なんぢ》等《ら》の近《ちか》づけるは、触《ふ》れ得《う》べき山《やま》、燃《も》ゆる火《ひ》、黒雲《くろくも》、暗黒《くらやみ》、暴風《はやて》、 19溂叭《らつぱ》の音《おと》、又《また》言《ことば》の聲《こゑ》には非《あら》ず。彼《かの》聲《こゑ》を聞《き》きし人々《ひとびと》は、言《ことば》の己《おのれ》に語《かた》られざらん事《こと》を願《ねが》へり。 20蓋《けだし》獣《けもの》すらも、山《やま》に触《ふ》れなば石《いし》を擲《なげう》たるべしと命《めい》ぜられたるを忍《しの》び得《え》ず、 21見《み》ゆる物《もの》甚《はなは》だ恐《おそ》ろしくして、モイゼも、我《われ》恐怖《おそれ》慄《をのの》けり、と言《い》へり。 22然《しか》るに汝《なんぢ》等《ら》の近《ちか》づきたるは、シヨンの山《やま》と、活《い》き給《たま》へる神《かみ》の都《みやこ》なる天《てん》のエルザレムと、億萬《おくまん》の天使《てんし》の喜《よろこ》ばしき集會《しゆうくわい》と、 23天《てん》に其《その》名《な》を記《しる》されたる長子《ちやうし》等《ら》の教會《けうくわい》と、萬民《ばんみん》の審判《しんぱん》者《しや》に在《ましま》す神《かみ》と、全《まつた》うせられし義人《ぎじん》等《たち》の霊《れい》と、 24新約《しんやく》の仲介《ちゆうかい》者《しや》に在《ましま》すイエズスと、アベルの血《ち》に優《まさ》りて能《よ》く言《ものい》ふ血《ち》の沃《そそ》がるる事《こと》と是《これ》なり。 25汝《なんぢ》等《ら》慎《つつし》みて、言《ものい》ひ給《たま》ふを否《いな》むこと勿《なか》れ。蓋《けだし》彼等《かれら》は地上《ちじやう》に言《ものい》ひ給《たま》へるを否《いな》みて迯《のが》れざりしなれば、况《まし》て天《てん》より言《ものい》ひ給《たま》ふを退《しりぞ》くる我《われ》等《ら》の迯《のが》るべけんや。 26彼《かの》時《とき》は其《その》聲《こゑ》地《ち》を動《うご》かしたりしに、今《いま》は約《やく》して曰《のたま》はく、「我《われ》唯《ただ》に地《ち》をのみならず天《てん》をも尚《なほ》一度《ひとたび》動《うご》かさん」と。 27斯《かく》の如《ごと》く「尚《なほ》一度《ひとたび》」と曰《のたま》へるは、震動《しんどう》せざる事物《じぶつ》の永存《えいそん》せん為《ため》に、震動《しんどう》せし事物《じぶつ》の、造《つく》られたるものとして廃《すた》るべきを示《しめ》し給《たま》ふなり。 28然《さ》れば震動《しんどう》せざる國《くに》を受《う》けたるが故《ゆゑ》に、我《われ》等《ら》は感謝《かんしや》し奉《たてまつ》りて、御意《みこころ》に適《かな》ふ様《やう》、恐《おそ》れ畏《かしこ》みて神《かみ》に事《つか》へ奉《まつ》るべし。 29是《これ》我《われ》等《ら》の神《かみ》は焼盡《やきつく》す火《ひ》にて在《ましま》せばなり。
[編集] 第13章
1汝《なんぢ》等《ら》の間《あひだ》に兄弟《きやうだい》的《てき》相愛《さうあい》あるべし。 2又《また》旅人《りよじん》を接待《せつたい》する事《こと》を忘《わす》るる勿《なか》れ、或《ある》人々《ひとびと》は、是《これ》によりて知《し》らず識《し》らず天使等《てんしたち》を宿《やど》したり。 3囚人《しうじん》を思《おもひ》遣《や》ること、我《わが》身《み》も共《とも》に囚人《しうじん》たるが如《ごと》く、己《おのれ》も肉身《にくしん》にあるを思《おも》ひて苦勞《くらう》せる人《ひと》を思《おもひ》遣《や》るべし。 4婚姻《こんいん》は萬事《ばんじ》に於《おい》て尊《たふと》かるべし、又《また》寝床《ねどこ》は汚《けが》さるべからず、神《かみ》は私通《しつう》者《しや》及《およ》び姦淫《かんいん》者《しや》を審判《しんぱん》し給《たま》ふべければなり。 5行状《ぎやうじよう》に於《おい》ては、金銭《きんせん》を貪《むさぼ》らず、現《げん》に在《あ》る所《ところ》を以《もつ》て満足《まんぞく》せよ。蓋《けだし》神《かみ》御《おん》自《みづか》ら曰《のたまは》く、「我《われ》は汝《なんぢ》を離《はな》れず、又《また》汝《なんぢ》を捨《す》てじ」と。 6然《さ》れば我《われ》等《ら》は信頼《しんらい》を以《もつ》て、「主《しゆ》は我《わ》が補助《ほじよ》者《しや》にて在《ましま》す、我《われ》は懼《おそ》れじ、人《ひと》我《われ》に何《なに》をか為《な》さん」、と言《い》ふことを得《う》るなり。 7汝《なんぢ》等《ら》に神《かみ》の御言《おんことば》を語《かた》りし教導《けうどう》師《し》等《たち》を記憶《きおく》し、其《その》齢《よはひ》の終《をはり》を鑑《かんが》みて其《その》信仰《しんかう》に倣《なら》へ。 8イエズス、キリストは昨日《きのふ》も今日《けふ》も同《どう》一《いつ》に在《ましま》して、世々《よよ》にも亦《また》然《しか》り。 9汝《なんぢ》等《ら》種々《さまざま》様々《さまざま》の異《こと》なる教《をしへ》に迷《まよ》はさるること勿《なか》れ。恩寵《おんちよう》を以《もつ》て心《こころ》を固《かた》むるは、是《これ》最《もつと》も善《よ》き事《こと》にして、倚《より》縋《すが》れる人々《ひとびと》に有益《いうえき》ならざりし食物《しょくもつ》を以《もつ》てすべきには非《あら》ず。 10我《われ》等《ら》に祭壇《さいだん》あり、幕屋《まくや》に事《つか》ふる人々《ひとびと》は、この祭壇《さいだん》より食《しよく》する権《けん》を有《いう》せず、 11蓋《けだし》獣《けもの》の血《ち》は罪《つみ》の為《ため》に、大司祭《だいしさい》によりて聖所《せいじよ》の内《うち》に携《たづさ》へらるれども、*《むくろ》は陣《ぢん》の外《そと》に焼《や》かる。 12イエズスが、己《おのれ》の血《ち》を以《もつ》て民《たみ》を聖《せい》とならしめん為《ため》に門外《もんぐわい》に苦《くるしみ》を受《う》け給《たま》ひしも此《この》故《ゆゑ》なり。 13然《さ》れば我《われ》等《ら》は陣《ぢん》を出《い》でて、イエズスの耻辱《ちじよく》を擔《になひ》つ御許《おんもと》に至《いた》り奉《たてまつ》るべし、 14蓋《けだし》我《われ》等《ら》は此處《ここ》にては、永存《えいそん》する都會《とくわい》を有《いう》せずして、未來《みらい》のものを求《もと》む。 15是《これ》を以《もつ》て我《われ》等《ら》は、彼《かれ》によりて、絶《た》えず賛美《さんび》の祭《まつり》、即《すなは》ち御名《みな》を稱《とな》ふる唇《くちびる》の果《み》を神《かみ》に献《ささ》ぐべし。 16慈善《じぜん》及《およ》び施《ほどこし》を為《な》すを忘《わす》るる勿《なか》れ、其《そ》は斯《かか》る祭《まつり》を以《もつ》てこそ神《かみ》の御意《みこころ》に適《かな》へばなり。 17汝《なんぢ》等《ら》己《おの》が教導《けうどう》師《し》に從《したが》ひて之《これ》に歸服《きふく》せよ、彼等《かれら》は汝《なんぢ》等《ら》の霊魂《れいこん》に就《つ》きて、自《みづか》ら報告《ほうこく》の責《せ》めあるものとして警戒《けいかい》すればなり。之《これ》を喞《かこ》ちながらに為《せ》ずして、喜《よろこ》びて為《な》す事《こと》を得《え》させよ、喞《かこ》ちながらに為《な》すは汝《なんぢ》等《ら》に益《えき》あらざればなり。 18請《こ》ふ我《われ》等《ら》の為《ため》に祈《いの》れ、其《そ》は我《われ》等《ら》が、萬事《ばんじ》に就《つ》きて宜《よろ》しく行《おこな》はん事《こと》を欲《ほつ》して、善《よ》き良心《りやうしん》を有《いう》せるを確信《かくしん》すればなり。 19然《しか》せん事《こと》を、我《わ》が尚《なほ》切《せつ》に冀《こひねが》ふは、我《わ》が速《すみやか》に汝《なんぢ》等《ら》に返《かへ》されん為《ため》なり。 20願《ねが》はくは永遠《えいゑん》の約《やく》の御血《おんち》に由《より》て、羊《ひつじ》の大《だい》牧者《ぼくしや》にて在《ましま》す我主《わがしゆ》イエズス、キリストを、死《し》より復活《ふくくわつ》せしめ給《たま》ひし平和《へいわ》の神《かみ》、 21御旨《みむね》を行《おこな》はしめん為《ため》に、汝《なんぢ》等《ら》を凡《すべ》ての善事《ぜんじ》に完全《くわんぜん》ならしめ、御前《みまへ》に於《おい》て御意《みこころ》に適《かな》ふ所《ところ》を、イエズス、キリストによりて、汝《なんぢ》等《ら》の中《うち》に為《な》し給《たま》はん事《こと》を。光榮《くわうえい》世々《よよ》之《これ》に歸《き》す、アメン。 22兄弟等《きやうだいたち》よ、請《こ》ふ我《わが》勧《すすめ》の言《ことば》を容《い》れよ、蓋《けだし》我《われ》は簡単《かんたん》に書贈《かきおく》れり。 23我《われ》等《ら》の兄弟《きやうだい》チモテオは放免《はうめん》せられしと知《し》れ、彼《かれ》若《もし》速《すみやか》に來《きた》らば、我《われ》彼《かれ》と共《とも》に汝《なんぢ》等《ら》を見《み》んとす。 24総《すべ》て汝《なんぢ》等《ら》の教導《けうどう》師《し》と聖徒《せいと》とに宜《よろ》しく傳《つた》へよ。イタリアの兄弟等《きやうだいたち》、汝《なんぢ》等《ら》に宜《よろ》しくと言《い》へり。 25願《ねが》はくは恩寵《おんちよう》汝《なんぢ》等《ら》一同《いちどう》と共《とも》に在《あ》らん事《こと》を、アメン。