コロサイ書 (ラゲ訳)
『公敎宣敎師ラゲ譯 我主イエズスキリストの新約聖書』公敎會、
1910年発行
〔ローマ・カトリック訳〕
『ラゲ訳新約聖書』エミール・ラゲ(Emile Raguet,MEP)
コロサイ書
目次 |
[編集] 第1章
1神《かみ》の思召《おぼしめし》によりてイエズス、キリストの使徒《しと》たるパウロ、及《およ》び兄弟《きやうだい》チモテオ、 2コロサイに於《おい》てキリスト(イエズス)に在《あ》る聖徒《せいと》、及《およ》び忠信《ちゆうしん》なる兄弟等《きやうだいたち》に[書簡《しよかん》を贈《おく》る]。 3願《ねが》はくは我《わが》父《ちち》にて在《ましま》す神《かみ》、及《およ》び主《しゆ》イエズス、キリストより、汝《なんぢ》等《ら》に恩寵《おんちよう》と平安《へいあん》とを賜《たま》はらん事《こと》を。 4我《われ》等《ら》キリスト、イエズスに於《おけ》る汝《なんぢ》等《ら》の信仰《しんかう》と凡《すべ》ての聖徒《せいと》に對《たい》する愛情《あいじやう》とを聞《き》きて、常《つね》に汝《なんぢ》等《ら》の為《ため》に祈《いの》りて、我主《わがしゆ》イエズス、キリストの父《ちち》にて在《ましま》す神《かみ》に感謝《かんしや》し奉《たてまつ》る。 5是《これ》天《てん》に於《おい》て汝《なんぢ》等《ら》の為《ため》に備《そな》へられ、曾《かつ》て汝《なんぢ》等《ら》が福音《ふくいん》の眞理《しんり》の言《ことば》の中《うち》に聞《き》きし希望《きぼう》の故《ゆゑ》なり。 6汝《なんぢ》等《ら》に至《いた》れる福音《ふくいん》は、果《み》を世界《せかい》に結《むす》びて傳播《でんぱ》しつつある事《こと》、猶《なほ》汝《なんぢ》等《ら》が眞理《しんり》に從《したが》ひて神《かみ》の恩寵《おんちよう》を聞《き》き且《かつ》識《し》りし日《ひ》より汝《なんぢ》等《ら》の中《うち》に於《おい》て在《あ》りしが如《ごと》し。 7汝《なんぢ》等《ら》之《これ》を至愛《しあい》なる我《われ》等《ら》の同輩《どうはい》エパフラより學《まな》びたるが、彼《かれ》は汝《なんぢ》等《ら》の為《ため》にキリスト、イエズスの忠信《ちゆうしん》なる役者《えきしや》にして、 8[聖《せい》]霊《れい》によれる汝《なんぢ》等《ら》の愛情《あいじやう》を我《われ》等《ら》に告《つ》げたり。 9故《ゆゑ》に我《われ》等《ら》も亦《また》之《これ》を聞《き》きし其《その》日《ひ》より、汝《なんぢ》等《ら》の為《ため》に祈《いの》りて止《や》まず、以《もつ》て汝《なんぢ》等《ら》が[聖《せい》]霊《れい》によれる凡《すべ》ての智恵《ちゑ》と悟《さとり》とによりて、神《かみ》の御旨《みむね》を知《し》る[の知識《ちしき》]に満《み》たされん事《こと》を求《もと》め奉《たてまつ》る。 10是《これ》汝《なんぢ》等《ら》が主《しゆ》に相應《ふさは》しく歩《あゆ》み、萬事《ばんじ》につけて御意《みこころ》に合《かな》ひ、凡《すべ》ての善業《ぜんげふ》に於《おい》て果《み》を結《むす》び、神《かみ》[を識《し》る]の知識《ちしき》を増《ま》し、 11其《その》光榮《くわうえい》ある全能《ぜんのう》に從《したが》ひて凡《すべ》ての力《ちから》を加《くは》へられ、喜《よろこび》を以《もつ》て凡《すべ》ての事《こと》に辛抱《しんぼう》し堪忍《かんにん》し、 12神《かみ》にて在《ましま》す父《ちち》に感謝《かんしや》し奉《たてまつ》ることを得《え》ん為《ため》なり。其《そ》は忝《かたじけな》くも我《われ》等《ら》を以《もつ》て、聖徒《せいと》等《たち》と共《とも》に榮光《えいくわう》を蒙《かうむ》るに足《た》るべき者《もの》と為《な》し給《たま》ひ、 13暗黒《くらやみ》の権威《けんゐ》より救出《すくひいだ》して最愛《さいあい》なる御子《おんこ》の國《くに》に移《うつ》し給《たま》ひ、 14我《われ》等《ら》其《その》御子《おんこ》に在《あ》りて、御血《おんち》を以《もつ》て贖《あがな》はれ、罪《つみ》の赦《ゆる》しを得《う》ればなり。 15御子《おんこ》は即《すなは》ち見《み》え給《たま》はざる神《かみ》の御姿《みすがた》にして、一切《いつさい》の被《ひ》造物《ざうぶつ》に先《さき》だちて生《うま》れ給《たま》ひし者《もの》なり。 16蓋《けだし》萬物《ばんぶつ》は彼《かれ》に於《おい》て造《つく》られ、天《てん》にも地《ち》にも見《み》ゆるもの、見《み》えざるもの、或《あるひ》は玉座《ぎよくざ》、或《あるひ》は主権《しゆけん》、或《あるひ》は権勢《けんせい》、或《あるひ》は能力《のうりよく》、皆《みな》彼《かれ》を以《もつ》て且《かつ》彼《かれ》の為《ため》に造《つく》られ、 17御《おん》自《みづか》らは萬物《ばんぶつ》に先《さき》だちて在《ましま》し、萬物《ばんぶつ》は彼《かれ》の為《ため》に存《そん》す。 18彼《かれ》は又《また》其《その》體《からだ》なる教會《けうくわい》の頭《かしら》にて在《ましま》す、蓋《けだし》原因《げんいん》に在《ましま》して其《その》死者《ししや》の中《うち》より先《さき》んじて生《うま》れ給《たま》ひしは、萬事《ばんじ》に於《おい》て自《みづか》ら先《さき》んずる者《もの》と成《な》り給《たま》はん為《ため》なり、 19其《そ》は充満《じゆうまん》せる徳《とく》を全《まつた》く彼《かれ》に宿《やど》らしめ、 20彼《かれ》を以《もつ》て萬物《ばんぶつ》を己《おのれ》と和睦《わぼく》せしめ、其《その》十字架《じふじか》の血《ち》を以《もつ》て地《ち》に在《あ》るものをも天《てん》に在《あ》るものをも和合《わがふ》せしむる事《こと》の、御意《みこころ》に適《かな》ひたればなり。 21汝《なんぢ》等《ら》も曾《かつ》て惡業《あくげふ》によりて神《かみ》に遠《とほ》ざかり、心《こころ》より其《その》仇《あだ》となりしを、 22神《かみ》は今《いま》御子《おんこ》の肉體《にくたい》に於《おい》て其《その》死《し》によりて己《おのれ》と和睦《わぼく》せしめ、聖《せい》にして汚《けがれ》なく罪《つみ》なき者《もの》たらしめ、以《もつ》て御前《みまへ》に供《そな》へんとし給《たま》へり。 23汝《なんぢ》等《ら》若《もし》確乎《かくこ》として信仰《しんかう》に基《もとづ》き、福音《ふくいん》に於《おけ》る希望《きぼう》より動《うご》かされずば、當《まさ》に然《しか》あるべし。此《この》福音《ふくいん》は、汝《なんぢ》等《ら》之《これ》を聞《き》き、普《あまね》く天下《てんか》一切《いつさい》の人《ひと》に宣《の》べられしが、我《われ》パウロは其《その》役者《えきしや》と為《せ》られたるなり。 24我《われ》今《いま》汝《なんぢ》等《ら》の為《ため》に苦《くるし》むを喜《よろこ》ぶ、又《また》キリストの御《おん》苦《くるしみ》の缺《か》けたる所《ところ》を、御《おん》體《からだ》なる教會《けうくわい》の為《ため》に我《わ》が肉體《にくたい》に於《おい》て補《おぎな》ふなり。 25我《わ》が教會《けうくわい》の役者《えきしや》と為《せ》られたるは、汝《なんぢ》等《ら》の為《ため》に神《かみ》より賜《たま》はりたる務《つとめ》に由《よ》れり、是《これ》神《かみ》の御言《おんことば》、即《すなは》ち世々《よよ》代々《だいだい》に隠《かく》れ來《きた》りて、 26今《いま》や其《その》聖徒《せいと》等《たち》に顕《あらは》れたる奥義《おくぎ》を、具《つぶさ》に傳《つた》へん為《ため》なり。 27此《この》奥義《おくぎ》とは光榮《くわうえい》の希望《きぼう》にして、汝《なんぢ》等《ら》に在《ましま》すキリスト是《これ》なり、此《この》奥義《おくぎ》の異邦《いはう》人《じん》に及《およ》ぼしたる光榮《くわうえい》の富《とみ》の如何《いかん》を知《し》らしむるは神《かみ》の御意《みこころ》なり。 28我《われ》等《ら》は之《これ》を宣《の》べ傳《つた》へ、凡《すべ》ての知識《ちしき》に從《したが》ひて、凡《すべ》ての人《ひと》を誡《いまし》め凡《すべ》ての人《ひと》に教《をし》ふ、是《これ》凡《すべ》ての人《ひと》をしてキリスト、イエズスに於《おい》て完全《くわんぜん》にならしめんが為《ため》なり。 29我《わ》が現《げん》に勞苦《らうく》して、我《われ》に於《おい》て強《つよ》く働《はたら》ける彼《かれ》の勢力《せいりよく》に應《おう》じて戰《たたか》ひつつあるは是《これ》が為《ため》なり。
[編集] 第2章
1我《われ》は我《わ》が汝《なんぢ》等《ら》とラオジケアに在《あ》る人々《ひとびと》と、又《また》未《いま》だ我《わが》肉身《にくしん》の顔《かほ》を見《み》ざる一切《いつさい》の人《ひと》との為《ため》に、戰《たたか》ふ事《こと》の如何《いか》ばかりなるかを、汝《なんぢ》等《ら》の知《し》らん事《こと》を欲《ほつ》す。 2是《これ》其《その》心《こころ》慰《なぐさ》められ、愛《あい》を以《もつ》て繋《つな》がれ、全《まつた》き智識《ちしき》の諸《もろもろ》の富《とみ》に満《み》たされて、父《ちち》にて在《ましま》す神《かみ》、及《およ》びキリスト、イエズスの奥義《おくぎ》を識《し》るに至《いた》らん為《ため》にして、 3智識《ちしき》及《およ》び學識《がくしき》の諸《もろもろ》の寳《たから》、彼《かれ》に隠《かく》れて存《そん》すればなり。 4我《わ》が之《これ》を言《い》ふは、誰《たれ》も巧《たく》みなる談話《ものがたり》を以《もつ》て汝《なんぢ》等《ら》を欺《あざむ》く事《こと》なからん為《ため》なり。 5蓋《けだし》我《わが》肉體《にくたい》にては不在《ふざい》なれども、精神《せいしん》にては汝《なんぢ》等《ら》と共《とも》に居《を》り、汝《なんぢ》等《ら》の秩序《ちつじよ》とキリストに於《おけ》る信仰《しんかう》の堅固《けんご》なるとを見《み》て之《これ》を喜《よろこ》ぶ。 6然《さ》れば汝《なんぢ》等《ら》主《しゆ》イエズス、キリストを承《う》けしが如《ごと》く之《これ》に在《あ》りて歩《あゆ》み、 7之《これ》に根《ね》ざし之《これ》が上《うへ》に建《た》てられて、學《まな》びしが如《ごと》く信仰《しんかう》に固《かた》まり、之《これ》に成長《せいちやう》して感謝《かんしや》し奉《たてまつ》れ。 8空《むな》しき虚言《きよげん》なる哲學《てつがく》を以《もつ》て誰《たれ》にも欺《あざむ》かれざる様《やう》注意《ちゆうい》せよ、其《そ》は人間《にんげん》の傳《つたへ》と世《よ》の小學《せうがく》とに由《よ》るものにして、キリストに由《よ》るものに非《あら》ず。 9蓋《けだし》神性《しんせい》は殘《のこり》なく實體《じつたい》的《てき》にキリストの中《うち》に充満《みちみ》ちて宿《やど》れるなり。 10彼《かれ》は諸《もろもろ》の権勢《けんせい》及《およ》び能力《のうりよく》の頭《かしら》にて在《ましま》す、汝《なんぢ》等《ら》之《これ》に在《あ》りて充満《じゆうまん》し、 11又《また》之《これ》に於《おい》て割禮《かつれい》を受《う》けたり。其《その》割禮《かつれい》は手《て》にて為《な》せるものに非《あら》ずして、肉身《にくしん》を取《とり》除《のぞ》く所《ところ》のキリストの割禮《かつれい》なり。 12汝《なんぢ》等《ら》は洗禮《せんれい》を以《もつ》て彼《かれ》と共《とも》に葬《はうむ》られ、又《また》彼《かれ》を死者《ししや》の中《うち》より復活《ふくくわつ》せしめ給《たま》ひし神《かみ》の大能《たいのう》を信仰《しんかう》せるを以《もつ》て、彼《かれ》によりて復活《ふくくわつ》したるなり。 13斯《かく》て汝《なんぢ》等《ら》、罪《つみ》と肉身《にくしん》の無《む》割禮《かつれい》とによりて死《し》したる者《もの》なりしに、神《かみ》は汝《なんぢ》等《ら》に悉《ことごと》く罪《つみ》を赦《ゆる》して、キリストと共《とも》に更《さら》に活《い》かし給《たま》ひ、 14我《われ》等《ら》に迫《せま》りて我《われ》等《ら》に反《はん》せる誡《いましめ》の書《しよ》を取消《とりけ》し、之《これ》を中間《ちゆうかん》より取去《とりさ》りて十字架《じふじか》に釘《つ》け、 15[堕落《だらく》の]権勢《けんせい》及《およ》び能力《のうりよく》等《とう》を剥《は》ぎて敢《あへ》て之《これ》を擒《とりこ》にし、キリストの御身《おんみ》に於《おい》て公然《こうぜん》是《これ》等《ら》に打勝《うちか》ち給《たま》へり。 16然《さ》れば食物《くひもの》、或《あるひ》は飲物《のみもの》、或《あるひ》は祭日《さいじつ》、或《あるひ》は朔日《ついたち》、或《あるひ》は安息日《あんそくじつ》に関《くわん》しては、誰《たれ》にもあれ汝《なんぢ》等《ら》を咎《とが》むべからず、 17是《これ》等《ら》の事《こと》は後《のち》に在《あ》るべき事《こと》の影《かげ》にして、本體《ほんたい》はキリストなり。 18誰《たれ》にもあれ、故《ことさら》に謙遜《けんそん》[を装《よそ》ひ]、天使《てんし》崇拝《すうはい》を以《もつ》て汝《なんぢ》等《ら》の褒美《はうび》を取《と》るべからず。斯《かか》る人《ひと》は見《み》ざる事《こと》に立入《たちい》りて徒《いたづら》に肉的《にくてき》思念《しねん》に誇《ほこ》り、 19頭《かしら》たる者《もの》に属《ぞく》せざるなり。全體《ぜんたい》は此《この》頭《かしら》よりしてこそ、関節《くわんせつ》及《およ》び繊維《せんゐ》を以《もつ》て組《くみ》立《た》てられ且《かつ》聯《つらな》りて、神《かみ》によりて成長《せいちやう》するなれ。 20汝《なんぢ》等《ら》若《もし》キリストと共《とも》に此《この》世《よ》の小學《せうがく》に就《つ》きて死《し》したる者《もの》ならば、何《なん》ぞ尚《なほ》世《よ》に在《あ》るが如《ごと》く身《み》を掟《おきて》に服《ふく》せしむるや。 21謂《いは》ゆる触《ふ》るる勿《なか》れ、味《あじは》ふ勿《なか》れ、扱《あつか》ふ勿《なか》れの類《るゐ》は、 22皆《みな》用《もち》ふるに随《したが》ひて盡《つ》くるものにして、人間《にんげん》の誡《いましめ》と教《をしへ》とによれり。 23彼《か》の崇拝《すうはい》、謙遜《けんそん》、身《み》を吝《をし》まざる點《てん》に於《おい》ては、道理《だうり》めきたるものなれども、其《その》實《じつ》は尊《たふと》き事《こと》なく、唯《ただ》肉慾《にくよく》を飽《あ》かしむるのみ。
[編集] 第3章
1然《さ》れば汝《なんぢ》等《ら》、若《もし》キリストと共《とも》に復活《ふくくわつ》したるならば、上《うへ》の事《こと》、即《すなは》ち神《かみ》御《おん》右《みぎ》にキリストの坐《ざ》し居《ゐ》給《たま》ふ處《ところ》の事《こと》を求《もと》めよ。 2地上《ちじやう》の事《こと》ならで、上《うへ》の事《こと》を慮《おもんぱか》れ、 3蓋《けだし》汝《なんぢ》等《ら》は死《し》したる者《もの》にして、其《その》生命《せいめい》は、キリストと共《とも》に神《かみ》に於《おい》て隠《かく》れたるなり。 4我《われ》等《ら》の生命《せいめい》にて在《ましま》すキリストの顕《あらは》れ給《たま》ふ時《とき》には、汝《なんぢ》等《ら》も亦《また》彼《かれ》と共《とも》に光榮《くわうえい》の中《うち》に顕《あらは》るべし。 5故《ゆゑ》に汝《なんぢ》等《ら》、地上《ちじやう》に於《おけ》る四肢《しし》五體《ごたい》、即《すなは》ち私通《しつう》、淫亂《いんらん》、情慾《じやうよく》、邪慾《じやよく》及《およ》び偶像《ぐうざう》崇拝《すうはい》なる貪欲《どんよく》を殺《ころ》すべし、 6神《かみの》御《おん》怒《いかり》は、是《これ》等《ら》の事《こと》の為《ため》に不信《ふしん》の子《こ》等《ら》の上《うへ》に來《きた》る。 7汝《なんぢ》等《ら》も彼等《かれら》の中《うち》に生活《せいくわつ》せし時《とき》は、斯《かか》る事《こと》の中《うち》に歩《あゆ》みたれど、 8今《いま》は汝《なんぢ》等《ら》も是《これ》等《ら》の一切《いつさい》と、怒《いかり》、憤《いきどほり》、惡心《あくしん》、罵*《ののしり》とを棄《す》て、猥褻《わいせつ》なる談話《ものがたり》を其《その》口《くち》より棄《す》てよ。 9互《たがひ》いに僞《いつは》る勿《なか》れ。舊《ふる》き人《ひと》と其《その》業《げふ》とを脱《ぬ》ぎて、 10新《あたら》しき人《ひと》、即《すなは》ち之《これ》を造《つく》り給《たま》ひしものの御像《みすがた》に肖《かたど》りて知識《ちしき》に進《すす》む様《やう》、新《あらた》になる人《ひと》を着《き》るべし。 11茲《ここ》に至《いた》りては、異邦《いはう》人《じん》もユデア人《じん》も、割禮《かつれい》も無《む》割禮《かつれい》も、夷《えびす》もシタ人《じん》も、奴隷《どれい》も自由《じいう》の身《み》もある事《こと》なく、唯《ただ》萬民《ばんみん》の中《うち》に萬事《ばんじ》と成《な》り給《たま》へるキリストの在《ましま》せるのみ。 12然《さ》れば汝《なんぢ》等《ら》、神《かみ》に選《えら》まれ奉《たてまつ》りたる聖《せい》にして且《かつ》至愛《しあい》なる者《もの》の如《ごと》く、慈悲《じひ》の腸《はらわた》、寛仁《くわんじん》、謙遜《けんそん》、柔和《にうわ》、堪忍《かんにん》等《とう》を身《み》に纏《まと》ひて、 13互《たがひ》に忍耐《にんたい》し、若《もし》人《ひと》に對《たい》して苦情《くじやう》あらば互《たがひ》に宥恕《いうじよ》し、主《しゆ》の汝《なんぢ》等《ら》に赦《ゆる》し給《たま》ひし如《ごと》く、汝《なんぢ》等《ら》も亦《また》然《しか》せよ。 14尚《なほ》此《この》一切《いつさい》の事《こと》に加《くは》へて愛《あい》を有《いう》せよ、愛《あい》は完《くわん》徳《とく》の結《むすび》なればなり。 15而《しか》して汝《なんぢ》等《ら》一體《いつたい》としてキリストの平和《へいわ》に召《め》されたれば、其《その》平和《へいわ》をして汝《なんぢ》等《ら》の心《こころ》を司《つかさど》らしむべし、汝《なんぢ》等《ら》も亦《また》感謝《かんしや》し奉《たてまつ》れ。 16キリストの御言《おんことば》汝《なんぢ》等《ら》の中《うち》に豊《ゆたか》に宿《やど》りて、凡《すべ》ての知識《ちしき》に於《おい》て相《あひ》教《をし》へ相《あひ》勧《すす》め、恩寵《おんちよう》によりて霊的《れいてき》の詩《し》、讃美歌《さんびか》、歌《うた》を以《もつ》て、心《こころ》の中《うち》に神《かみ》に謳《うた》ふべし。 17何事《なにごと》を為《な》すも、或《あるひ》は言《ことば》、或《あるひ》は行《おこなひ》、悉《ことごと》く主《しゆ》イエズス、キリストの御名《みな》により、之《これ》を以《もつ》て父《ちち》にて在《ましま》す神《かみ》に感謝《かんしや》し奉《たてまつ》りつつ為《な》すべし。 18妻《つま》たる者《もの》よ、為《な》すべき如《ごと》く主《しゆ》に於《おい》て夫《をつと》に從《したが》へ。 19夫《をつと》たる者《もの》よ、其《その》妻《つま》を愛《あい》して彼等《かれら》に苦《にが》かること勿《なか》れ。 20子《こ》たる者《もの》よ、萬事《ばんじ》に於《おい》て親《おや》に從《したが》へ、是《これ》主《しゆ》の御意《みこころ》に適《かな》ふが故《ゆゑ》なり。 21父《ちち》たる者《もの》よ、汝《なんぢ》等《ら》其《その》子等《こども》の怒《いかり》を買《か》ふ事《こと》勿《なか》れ、恐《おそ》らくは落胆《らくたん》せん。 22奴隷《どれい》たる者《もの》よ、萬事《ばんじ》に於《おい》て肉身上《にくしんじやう》の主人《しゆじん》に從《したが》へ、人《ひと》に喜《よろこ》ばれんとするが如《ごと》くに、目前《めのまへ》のみにて事《つか》へず、純朴《じゆんぼく》なる心《こころ》を以《もつ》て主《しゆ》を畏《おそ》れて事《つか》へよ。 23汝《なんぢ》等《ら》何事《なにごと》を為《な》すも、人《ひと》の為《ため》にすと思《おも》はず、主《しゆ》の為《ため》にすと思《おも》ひ、 24主《しゆ》より世嗣《よつぎ》の報《むくい》を得《う》べしと覚《さと》りて之《これ》を心《こころ》より行《おこな》へ。主《しゆ》キリストに事《つか》へ奉《たてまつ》れ、 25蓋《けだし》不義《ふぎ》を為《な》す人《ひと》は其《その》不義《ふぎ》の報《むくい》を得《う》べし、且《かつ》神《かみ》に於《おい》ては人《ひと》に偏《かたよ》り給《たま》ふ事《こと》あらざるなり。
[編集] 第4章
1主人《しゆじん》たる者《もの》よ、汝《なんぢ》等《ら》も天《てん》に主《しゆ》を有《も》ち奉《たてまつ》れることを知《し》りて、正當《せいたう》公正《こうせい》なる事《こと》を奴隷《どれい》に為《な》せ。 2汝《なんぢ》等《ら》祈祷《きたう》に從事《じゆうじ》し、感謝《かんしや》を以《もつ》てこれに注意《ちゆうい》せよ。 3将《はた》又《また》我《われ》等《ら》の為《ため》に祈《いの》りて、我《わ》が之《これ》が為《ため》に縲絏《なはめ》に遇《あ》へるキリストの奥義《おくぎ》を語《かた》る様《やう》、神《かみ》が宣教《せんけう》の門《もん》を我《われ》等《ら》に開《ひら》き給《たま》はんことを願《ねが》へ、 4是《これ》我《わ》が語《かた》るべき如《ごと》くに之《これ》を顕《あらは》すことを得《え》ん為《ため》なり。 5外《そと》なる人々《ひとびと》と交《まじは》るに知識《ちしき》を以《もつ》てして機會《きくわい》を求《もと》めよ。 6汝《なんぢ》等《ら》の談話《ものがたり》は、塩《しほ》を以《もつ》て塩梅《あんばい》して常《つね》に麗《うるは》しかるべし、是《これ》如何《いか》に人々《ひとびと》に答《こた》ふべきかを知《し》らん為《ため》なり。 7忠信《ちゆうしん》なる役者《えきしや》、主《しゆ》に於《おけ》る同輩《どうはい》にして我《わが》至愛《しあい》の兄弟《きやうだい》たるチキコは、我《わが》身《みの》上《うへ》の一切《いつさい》を汝《なんぢ》等《ら》に告《つげ》知《し》らするならん。 8我《わ》が故《ことさら》に之《これ》を遣《つか》はししは、彼《かれ》をして汝《なんぢ》等《ら》に関《くわん》する事《こと》を知《し》り、且《かつ》汝《なんぢ》等《ら》の心《こころ》を慰《なぐさ》めしめん為《ため》なり。 9又《また》汝《なんぢ》等《ら》の一人《ひとり》にして忠信《ちゆうしん》なる我《わが》至愛《しあい》の兄弟《きやうだい》オネジモを之《これ》に伴《ともな》はしめたれば、彼等《かれら》は此處《ここ》の凡《すべ》ての事《こと》を汝《なんぢ》等《ら》に告《つ》げ知《し》らするならん。 10我《われ》と共《とも》に獄中《ごくちゆう》に在《あ》るアリスタルコ、及《およ》びバルナバの從弟《いとこ》マルコ、汝《なんぢ》等《ら》に宜《よろ》しくと言《い》へり。此《この》マルコに就《つ》きては、汝《なんぢ》等《ら》命《めい》を受《う》けたる事《こと》あり、若《もし》汝《なんぢ》等《ら》に至《いた》らば之《これ》を優待《いうたい》せよ。 11ユストと呼《よば》るるイエズスも宜《よろ》しくと言《い》へり。彼等《かれら》は割禮《かつれい》を受《う》けし人々《ひとびと》なるが、神《かみ》の國《くに》の為《ため》に我《われ》に助力《じよりよく》したるは此《この》三人《にん》にして、我《わが》慰《なぐさめ》と成《な》りし者《もの》なり。 12汝《なんぢ》等《ら》の一人《ひとり》なるエパフラ、汝《なんぢ》等《ら》に宜《よろ》しくと言《い》へり。彼《かれ》はキリスト、イエズスの僕《しもべ》にして、常《つね》に汝《なんぢ》等《ら》の為《ため》に戰《たたか》ひ、祈《いのり》の中《うち》に、汝《なんぢ》等《ら》が神《かみ》の諸《もろもろ》の思召《おぼしめし》に於《おい》て完全《くわんぜん》に且《かつ》確信《かくしん》して立《た》たん事《こと》を求《もと》む。 13彼《かれ》が汝《なんぢ》等《ら》の為《ため》に、又《また》ラオジケア及《およ》びイェラポリスの人々《ひとびと》の為《ため》に、甚《いた》く心《こころ》を勞《らう》せる事《こと》は、我《われ》彼《かれ》の為《ため》に之《これ》を證《しよう》す。 14至愛《しあい》なる醫者《いしや》ルカ汝《なんぢ》等《ら》に宜《よろ》しくと言《い》へり。デマスも亦《また》然《しか》り。 15ラオヂケアに在《あ》る兄弟等《きやうだいたち》、及《およ》びニムファと其《その》家《いへ》に在《あ》る教會《けうくわい》とに宜《よろ》しく傳《つた》へよ。 16此《この》書簡《しよかん》汝《なんぢ》等《ら》の中《うち》に読《よ》まれなば、又《また》ラオヂケアの教會《けうくわい》にも読《よ》まるる様《やう》計《はか》らひ、汝《なんぢ》等《ら》も亦《また》ラオヂケア人《じん》の書簡《しよかん》を読《よ》め。 17又《また》アルキッポに傳《つた》へて、汝《なんぢ》主《しゆ》に於《おい》て受《う》けし聖《せい》役《えき》を省《かへり》みて之《これ》を全《まつた》うすべし、と言《い》へ。 18我《われ》パウロ手《て》づから宜《よろ》しくと言《い》ふ。我《わが》縲絏《なはめ》を記憶《きおく》せよ。願《ねが》はくは恩寵《おんちよう》汝《なんぢ》等《ら》と共《とも》に在《あ》らん事《こと》を。アメン。