コリント後書 (ラゲ訳)
『公敎宣敎師ラゲ譯 我主イエズスキリストの新約聖書』公敎會、
1910年発行
〔ローマ・カトリック訳〕
『ラゲ訳新約聖書』エミール・ラゲ(Emile Raguet,MEP)
コリント後書
目次 |
[編集] 第1章
1神《かみ》の思召《おぼしめし》によりてイエズス、キリストの使徒《しと》たるパウロ、及《およ》び兄弟《きやうだい》チモテオ、コリントに在《あ》る神《かみ》の教會《けうくわい》並《ならび》にアカヤ全《ぜん》地方《ちはう》の聖徒《せいと》一同《いちどう》に[書簡《しよかん》を贈《おく》る]。 2願《ねが》はくは我《わが》父《ちち》にて在《ましま》す神《かみ》及《およ》び主《しゆ》イエズス、キリストより、恩寵《おんちよう》と平安《へいあん》とを汝《なんぢ》等《ら》に賜《たま》はらん事《こと》を。 3祝《しゆく》すべき哉《かな》我主《わがしゆ》キリスト、イエズスの神《かみ》及《およ》び父《ちち》、慈悲《じひ》の父《ちち》、諸《もろもろ》の慰《なぐさめ》の神《かみ》。即《すなは》ち 4我《わが》一切《いつさい》の患難《くわんなん》に於《おい》て我《われ》等《ら》を慰《なぐさ》め給《たま》へるは、我《われ》等《ら》をして、己《おの》が神《かみ》より慰《なぐさ》めらるる慰《なぐさめ》を以《もつ》て、亦《また》自《みづか》ら一切《いつさい》の難《なん》に迫《せま》れる人々《ひとびと》を慰《なぐさ》むる事《こと》を得《え》しめ給《たま》はんとなり。 5蓋《けだし》キリストの為《ため》の苦《くるしみ》我《われ》等《ら》に溢《あふ》るるが如《ごと》く、我《われ》等《ら》の慰《なぐさめ》も亦《また》キリストを以《もつ》て溢《あふ》るるなり。 6抑《そもそも》我《われ》等《ら》が苦難《くなん》に遇《あ》へるも汝《なんぢ》等《ら》の慰安《なぐさめ》と救霊《たすかり》との為《ため》、慰《なぐさ》めらるるも汝《なんぢ》等《ら》の慰《なぐさめ》の為《ため》にして、汝《なんぢ》等《ら》にも我《われ》等《ら》が忍《しの》べる如《ごと》き苦《くるしみ》を忍《しの》ぶ事《こと》を得《え》しむるなり。 7斯《かく》て汝《なんぢ》等《ら》が苦《くるしみ》を共《とも》にするが如《ごと》く、又《また》慰《なぐさめ》をも共《とも》にせん事《こと》を知《し》れば、我《われ》等《ら》が汝《なんぢ》等《ら》に對《たい》する希望《きぼう》は堅《かた》し。 8蓋《けだし》兄弟等《きやうだいたち》よ、我《われ》等《ら》が[小《せう》]アジアに於《おい》て遇《あ》ひし困難《こんなん》に就《つ》きて、汝《なんぢ》等《ら》の知《し》らざるを好《この》まず、即《すなは》ち責《せ》めらるる事《こと》過度《くわど》にして、力《ちから》及《およ》ばず、活《い》くる望《のぞみ》をすら失《うしな》ふに至《いた》りしかば、 9心《こころ》の中《うち》には死《し》すとの返答《へんたふ》を持《も》ちたりき。是《これ》己《おのれ》を頼《たの》まずして、死者《ししや》を復活《ふくくわつ》せしめ給《たまふ》神《かみ》を頼《たのみ》奉《たてまつ》らん為《ため》なり。 10即《すなは》ち曩《さき》に斯《かか》る死《し》より我《われ》等《ら》を救《すく》ひ給《たま》ひて今《いま》も救《すく》ひ給《たま》へば、尚《なほ》救《すく》ひ給《たま》ふべき事《こと》を信頼《しんらい》するなり。 11是《これ》亦《また》汝《なんぢ》等《ら》が我《われ》等《ら》の為《ため》に祈《いの》りて援《たす》くるに由《よ》る、蓋《けだし》多《おほ》くの人《ひと》の願《ねがひ》によりて我《われ》等《ら》に賜《たま》はる恵《めぐみ》を、多《おほ》くの人《ひと》を以《もつ》て我《われ》等《ら》の為《ため》に感謝《かんしや》せられんとてなり。 12我《われ》等《ら》が誇《ほこり》とする所《ところ》は、即《すなは》ち世中《よのなか》、殊《こと》に汝《なんぢ》等《ら》に對《たい》して處《しよ》するに質直《すなほ》なる心《こころ》と神《かみ》の賜《たま》へる眞實《しんじつ》とを以《もつ》てし、又《また》肉的《にくてき》智恵《ちゑ》に由《よ》らず神《かみ》の恩寵《おんちよう》に由《よ》りてせるを、我《わが》良心《りやうしん》の證《しよう》する事《こと》是《これ》なり。 13蓋《けだし》我《われ》等《ら》の書遣《かきおく》るは汝《なんぢ》等《ら》が読《よ》む所《ところ》知《し》る所《ところ》に外《ほか》ならず、 14汝《なんぢ》等《ら》既《すで》に粗《ほぼ》我《われ》等《ら》を知《し》りたれば、亦《また》主《しゆ》イエズス、キリストの日《ひ》に於《おい》て我《われ》等《ら》が汝《なんぢ》等《ら》の名誉《めいよ》なるが如《ごと》く、汝《なんぢ》等《ら》も我《われ》等《ら》の名誉《めいよ》なる事《こと》を、終《をはり》まで知《し》らん事《こと》を希望《きぼう》す。 15斯《かか》る希望《きぼう》の下《もと》に再《ふたた》び恩寵《おんちよう》を得《え》させんとて、我《われ》曩《さき》に汝《なんぢ》等《ら》に至《いた》り、 16汝《なんぢ》等《ら》を経《へ》てマケドニアに往《ゆ》き、マケドニアより更《さら》に復《また》汝《なんぢ》等《ら》に至《いた》り、汝《なんぢ》等《ら》よりユデアへ送《おく》られんと志《こころざ》ししが、 17斯《か》く志《こころざ》したればとて、我《われ》豈《あに》軽々《かろがろ》しくせしものならんや、又《また》我《わ》が定《さだ》むる事《こと》をば肉《にく》に由《よ》りて定《さだ》め、我《われ》に於《おい》て然《しか》りと云《い》ひ、又《また》然《しか》らずと云《い》ふが如《ごと》き事《こと》あらんや。 18神《かみ》は眞實《しんじつ》に在《ましま》して、我《わ》が汝《なんぢ》等《ら》の中《うち》に語《かた》りし所《ところ》には、然《しか》り然《しか》らずと云《い》ふ事《こと》なきを證《しよう》し給《たま》ふ。 19蓋《けだし》我《われ》等《ら》を以《もつ》て、即《すなは》ち我《われ》とシルヴァノとチモテオとを以《もつ》て、汝《なんぢ》等《ら》の中《うち》に宣《の》べられ給《たま》ひし神《かみ》の御子《おんこ》イエズス、キリストに於《おい》ては、然《しか》り然《しか》らずと云《い》ふ事《こと》なく、唯《ただ》然《しか》りと云《い》ふ事《こと》あるのみ。 20即《すなはち》神《かみ》の御《おん》約束《やくそく》は彼《かれ》に於《おい》て悉《ことごと》く然《しか》りとなりたれば、我《われ》等《ら》は彼《かれ》を以《もつ》て神《かみ》に向《むか》ひて其《その》光榮《くわうえい》の為《ため》にアメンと誦《とな》ふるなり。 21汝《なんぢ》等《ら》と共《とも》に我《われ》等《ら》をキリストに於《おい》て堅固《けんご》ならしめ、且《かつ》我《われ》等《ら》に注油《ちゆうゆ》し給《たま》ひしものは神《かみ》にて在《ましま》す。 22而《しかし》て尚《なほ》我《われ》等《ら》を證《しよう》印《しる》し給《たま》ひ、保證《ほしよう》として霊《れい》を我《われ》等《ら》の心《こころ》に賜《たま》ひしなり。 23我《われ》魂《たましひ》を賭《か》けて、神《かみ》を呼《よ》びて證者《しようしや》とし奉《たてまつ》る、即《すなは》ち我《わ》が更《さら》に汝《なんぢ》等《ら》に至《いた》らざりしは、汝《なんぢ》等《ら》を宥恕《いうじよ》する故《ゆゑ》なり。 24我《われ》等《ら》は汝《なんぢ》等《ら》の信仰《しんかう》を壓《お》せんとする者《もの》に非《あら》ずして、汝《なんぢ》等《ら》の喜《よろこび》の協力《けふりよく》者《しや》なり、其《そ》は汝《なんぢ》等《ら》信仰《しんかう》に據《よ》りて立《た》てばなり。
[編集] 第2章
1然《さ》て我《われ》心《こころ》の中《うち》に、再《ふたた》び悲《かなしみ》を以《もつ》て汝《なんぢ》等《ら》に至《いた》らじと定《さだ》めたり、 2蓋《けだし》我《われ》もし汝《なんぢ》等《ら》を悲《かな》しましめば、我《わ》が悲《かな》しましむる其者《そのもの》ならで誰《たれ》か我《われ》を喜《よろこ》ばしめんや。 3我《わ》が曩《さき》に汝《なんぢ》等《ら》に書遣《かきおく》りしも、至《いた》らん時《とき》我《われ》を喜《よろこ》ばすべき筈《はず》の人々《ひとびと》に由《よ》りて、却《かえつ》て悲《かなしみ》に悲《かなしみ》を重《かさ》ぬる事《こと》なからん為《ため》にして、我《わが》喜《よろこび》は汝《なんぢ》等《ら》一同《いちどう》の喜《よろこび》なりと、汝《なんぢ》等《ら》一同《いちどう》に就《つ》きて信《しん》ずる故《ゆゑ》なり。 4蓋《けだし》我《われ》大《おほ》いなる患難《くわんなん》と心痛《しんつう》とにより、多《おほ》くの涙《なみだ》を以《もつ》て汝《なんぢ》等《ら》に書遣《かきおく》れり、是《これ》汝《なんぢ》等《ら》を悲《かな》しましめんとには非《あら》ず、汝《なんぢ》等《ら》に對《たい》する我《わが》寵《いつくしみ》の殊《こと》に深《ふか》きを知《し》らしめん為《ため》なりき。 5若《もし》悲《かな》しましめたる人《ひと》あらば、其《そ》は我《われ》[のみ]を悲《かな》しましめたるに非《あら》ずして、幾許《いくばく》か汝《なんぢ》等《ら》一同《いちどう》を悲《かな》しましめたるなり、我《われ》は激《はげ》しく責《せ》めじとて斯《か》く言《い》ふ。 6然《さ》る人《ひと》は多《おほ》くの人《ひと》より受《う》けたる譴責《けんせき》にて事足《ことたり》れり。 7汝《なんぢ》等《ら》は寧《むしろ》之《これ》を宥恕《いうじよ》し且《かつ》慰《なぐさ》めよ、恐《おそら》くは其《その》人《ひと》堪《た》へ難《がた》き悲《かな》しみに沈《しづ》むべければ、 8我《われ》は汝《なんぢ》等《ら》が彼《かれ》に對《たい》して、愈《いよいよ》愛《あい》を加《くは》へん事《こと》を希《こひねが》ふ。 9曩《さき》に書遣《かきおく》りしも是《これ》が為《ため》にして、汝《なんぢ》等《ら》が萬事《ばんじ》に從《したが》へるや否《いな》やを試《こころみ》に知《し》らんとてなりき。 10抑《そもそも》汝《なんぢ》等《ら》何事《なにごと》をか人《ひと》に赦《ゆる》したらば我《われ》も然《しか》せん、我《わ》が赦《ゆる》したる事《こと》あるも汝《なんぢ》等《ら》に對《たい》してキリストの御前《みまへ》に赦《ゆる》したるなり。 11是《こ》は我《われ》等《ら》サタンの謀《はかりごと》を知《し》らざるに非《あら》ざれば、之《これ》に籠絡《ろうらく》せられざらん為《ため》なり。 12然《さて》我《われ》キリストの福音《ふくいん》の為《ため》トロアデ[町《まち》]に至《いた》りしに、主《しゆ》我《われ》に門《もん》を開《ひら》き給《たま》ひたれど、 13我《われ》は我《わが》兄弟《きやうだい》チトに遇《あ》はざるによりて心安《こころやす》からず、別《わかれ》を彼等《かれら》に告《つ》げてマケドニアに出發《しゆつぱつ》せり。 14我《われ》等《ら》をして何時《いつ》もキリスト、イエズスによりて勝《かち》を得《え》させ、且《かつ》我《われ》等《ら》を以《もつ》て彼《かれ》を知《し》る事《こと》の香《かをり》を何處《いづこ》にも顕《あらは》し給《たま》へる神《かみ》に感謝《かんしや》し奉《たてまつ》る。 15蓋《けだし》救《すく》はるる人《ひと》にも亡《ほろ》ぶる人《ひと》にも、我《われ》等《ら》は神《かみ》の御《おん》為《ため》キリストの馨《かうば》しき香《かをり》なり、 16或《ある》人《ひと》には死《し》の香《かをり》にして死《し》に至《いた》らしむれど、或《ある》人《ひと》には生《せい》の香《かをり》にして生《せい》に至《いた》らしむ。而《しか》も、誰《たれ》か此《これ》等《ら》の任《にん》に勝《た》へたる者《もの》ぞ。 17蓋《けだし》我《われ》等《ら》は多《おほ》くの人《ひと》の如《ごと》くに神《かみ》の御言《おんことば》を僞造《ぎざう》せず、眞實《しんじつ》の儘《まま》に神《かみ》より出《い》づる如《ごと》く、神《かみ》の御前《みまへ》にキリストに於《おい》て語《かた》る。
[編集] 第3章
1我《われ》等《ら》は又《また》己《おのれ》を立《た》てんとするか、将《はた》或《ある》人々《ひとびと》の如《ごと》く、汝《なんぢ》等《ら》に對《たい》して、若《もし》くは汝《なんぢ》等《ら》より、添書《てんしよ》を要《えう》する者《もの》なるか、 2汝《なんぢ》等《ら》こそ我《われ》等《ら》が心《こころ》に録《かきしる》されたる我《われ》等《ら》の書簡《しよかん》にして、萬民《ばんみん》に知《し》られ且《かつ》読《よ》まるるなれ。 3汝《なんぢ》等《ら》は明《あきらか》に、我《われ》等《ら》に由《よ》りて認《みと》められたるキリストの書簡《しよかん》にして、而《しか》も墨《すみ》を以《もつ》てせず活《いき》給《たまへ》る神《かみ》の霊《れい》を以《もつ》てし、又《また》石碑《せきひ》の上《うへ》ならで心《こころ》の肉《にく》碑《ひ》の上《うへ》に書《か》きたるものなり。 4我《われ》等《ら》キリストに由《よ》りて斯《かく》の如《ごと》く神《かみ》の御前《みまへ》に確信《かくしん》す、 5是《これ》何事《なにごと》かを己《おのれ》より思《おも》ひ得《う》るには非《あら》ず、我《われ》等《ら》の得《う》るは神《かみ》によれり。 6即《すなは》ち神《かみ》は我《われ》等《ら》を新約《しんやく》の相當《そうたう》なる役者《えきしや》とならしめ給《たま》へり、其《そ》は儀《ぎ》文《ぶん》の役者《えきしや》に非《あら》ず霊《れい》の役者《えきしや》なり、蓋《けだし》儀《ぎ》文《ぶん》は殺《ころ》し霊《れい》は活《い》かし給《たま》ふ。 7イスラエルの子《こ》等《ら》、モイゼの顔《かほ》の終《をはり》ある光榮《くわうえい》の為《ため》に、其《その》顔《かほ》を熟視《みつ》め得《え》ざりし程《ほど》に、死《し》の役《えき》すら文字《もんじ》にて石《いし》に刻銘《きざみつ》けられ、光榮《くわうえい》の中《うち》に在《あ》りたれば、 8霊《れい》の役《えき》は豈《あに》一層《ひとしほ》光榮《くわうえい》あらざらんや。 9蓋《けだし》罪《つみ》に定《さだ》むる役《えき》は光榮《くわうえい》なれば、况《いはん》や義《ぎ》に定《さだ》むる役《えき》は尚《なほ》豊《ゆたか》に光榮《くわうえい》あるべきをや。 10彼《かの》時《とき》に輝《かがや》きしは、勝《すぐ》れたる光榮《くわうえい》に對《たい》しては光榮《くわうえい》ならず、 11蓋《けだし》終《をは》るべきものすら光榮《くわうえい》を以《もつ》て成《な》りたれば、况《いはん》や永存《えいそん》すべきものは増《まさ》りて光榮《くわうえい》あるべきをや。 12然《さ》れば我《われ》等《ら》は斯《かか》る希望《きぼう》を懐《いだ》ける上《うへ》に、憚《はばか》らず言《ものい》ひて、 13モイゼの如《ごと》くには為《せ》ざるなり。彼《かれ》は終《をは》るべき其《その》役《えき》の終《をはり》をイスラエルの子《こ》等《ら》に見《み》せざらん為《ため》、己《おの》が顔《かほ》に覆《おほひ》を置《お》きたり。 14斯《かく》て彼等《かれら》の精神《せいしん》鈍《にぶ》りて、今日《こんにち》に至《いた》るまで、舊約《きうやく》を読《よ》むに其《その》覆《おほひ》は依然《いぜん》として取《とり》除《のぞ》かれず。蓋《けだし》舊約《きうやく》はキリストに於《おい》て終《をは》るものなれども、 15今日《こんにち》に至《いた》るまでモイゼの書《しよ》を読《よ》む時《とき》に、覆《おほひ》は彼等《かれら》の心《こころ》の上《うへ》に置《お》かれたり。 16然《さ》れど主《しゆ》に立《たち》歸《かへ》らん時《とき》、其《その》覆《おほひ》は取《とり》除《のぞ》かるべし。 17然《さ》て主《しゆ》は彼《かの》霊《れい》なり、主《しゆ》の霊《れい》ある處《ところ》には自由《じいう》あり、 18我《われ》等《ら》は皆《みな》素顔《すがほ》にて主《しゆ》の光榮《くわうえい》を鏡《かがみ》に映《うつ》すが如《ごと》く見《み》奉《たてまつ》りて、光榮《くわうえい》より光榮《くわうえい》に進《すす》み、主《しゆ》と同《おな》じ像《すがた》に化《くわ》す、是《これ》主《しゆ》の霊《れい》に由《よ》りてなるが如《ごと》し。
[編集] 第4章
1是《この》故《ゆゑ》に我《われ》等《ら》は、御《おん》慈悲《じひ》を蒙《かうむ》りたるによりて聖《せい》役《えき》を有《いう》する者《もの》なれば、弱《よわ》る事《こと》なく、 2耻《はじ》隠《かく》す所《ところ》を棄《す》て、狡猾《かうくわつ》に挙動《ふるま》ふ事《こと》を為《せ》ず、又《また》神《かみ》の御言《おんことば》を僞造《ぎざう》せずして眞理《しんり》を顕《あらは》し、神《かみ》の御前《みまへ》に凡《すべ》ての人《ひと》の良心《りやうしん》に訴《うつた》へて己《おのれ》を立《た》つるなり。 3若《もし》我《われ》等《ら》の福音《ふくいん》にして尚《なほ》覆《おほひ》を以《もつ》て包《つつ》まれたりとせば、其《そ》は亡《ほろ》ぶる人々《ひとびと》に對《たい》して包《つつ》まれたるなり。 4即《すなは》ち彼等《かれら》に於《おい》て、世間《せけん》の神《かみ》不《ふ》信者《しんじや》の心《こころ》を暗《くら》まし、神《かみ》の像《すがた》に在《ましま》せるキリストの光榮《くわうえい》の福音《ふくいん》の光《ひかり》を、彼等《かれら》の上《うへ》に輝《かがや》かしめじとせるなり。 5蓋《けだし》我《われ》等《ら》は己《おの》が事《こと》を宣《の》べず、我主《わがしゆ》イエズス、キリストの事《こと》を宣《の》べて、イエズス、キリストの為《ため》に己《おのれ》を汝《なんぢ》等《ら》の僕《しもべ》となす。 6蓋《けだし》命《めい》じて光《ひかり》を闇《やみ》より輝《かがや》かしめ給《たま》ひし神《かみ》は、キリスト、イエズスの御顔《みかほ》に在《あ》る神《かみ》の光榮《くわうえい》の知識《ちしき》を輝《かがや》かしめん為《ため》に、自《みづか》ら我《われ》等《ら》の心《こころ》を照《て》らし給《たま》へり。 7然《しか》れども我《われ》等《ら》は此《この》寳《たから》を土器《どき》の中《うち》に有《も》てるなり、是《これ》力《ちから》の偉大《ゐだい》なる所《ところ》は、我《われ》等《ら》に由《よ》らずして神《かみ》に由《よ》るべき故《ゆゑ》なり。 8我《われ》等《ら》萬事《ばんじ》に患難《くわんなん》を受《う》くれども苦悩《くなう》せず、窮迫《きうはく》極《きはま》れども失望《しつぼう》せず、 9迫害《はくがい》を受《う》くれども棄《す》てられず、倒《たふ》さるれども亡《ほろ》びず、 10何時《いつ》もイエズスの死《し》を我《わが》身《み》に帯《お》ぶ、是《これ》イエズスの生命《せいめい》が亦《また》我《われ》等《ら》の身《み》に於《おい》て顕《あらは》れん為《ため》なり。 11即《すなは》ち我《われ》等《ら》は活《い》ける者《もの》なれども、常《つね》にイエズスの為《ため》死《し》に付《わた》さる、是《これ》イエズスの生命《せいめい》が、亦《また》死《し》すべき我《わが》肉身《にくしん》に於《おい》て顕《あらは》れん為《ため》なり。 12然《さ》れば死《し》は我《われ》等《ら》の中《うち》に働《はたら》き、生命《せいめい》は汝《なんぢ》等《ら》の中《うち》に働《はたら》くなり。 13然《しか》るに信仰《しんかう》の同《おな》じ霊《れい》を有《いう》すれば、録《かきしる》して、「我《われ》信《しん》じたるが故《ゆゑ》に語《かた》りしなり」とあるが如《ごと》く、我《われ》等《ら》も亦《また》信《しん》ずるが故《ゆゑ》に語《かた》る、 14イエズスを復活《ふくくわつ》せしめ給《たま》ひしものが、我《われ》等《ら》をもイエズスと共《とも》に復活《ふくくわつ》せしめ、汝《なんぢ》等《ら》と共《とも》に立《た》たしめ給《たま》ふべしと知《し》ればなり。 15蓋《けだし》萬事《ばんじ》は汝《なんぢ》等《ら》の為《ため》にして、是《これ》恩寵《おんちよう》豊《ゆたか》に、神《かみ》の光榮《くわうえい》として愈《いよいよ》多《おほ》くの人《ひと》の感謝《かんしや》を豊《ゆたか》ならしめん為《ため》なり。 16故《ゆゑ》に我《われ》等《ら》は沮喪《そさう》せず、我《われ》等《ら》の外面《ぐわいめん》の人《ひと》は腐敗《ふはい》すれども、内面《ないめん》の人《ひと》は却《かえつ》て日々《ひび》に新《あらた》なり。 17其《そ》は我《われ》等《ら》の短《みじか》く軽《かろ》き現在《げんざい》の患難《くわんなん》が、我《われ》等《ら》に永遠《えいゑん》重大《ぢゆうだい》にして無比《むひ》なる光榮《くわうえい》を準備《じゆんび》すればなり。 18我《われ》等《ら》の顧《かへり》みるは見《み》ゆるものに非《あら》ずして見《み》えざるものなり、其《そ》は見《み》ゆるものは此《この》世《よ》に限《かぎ》れど見《み》えざるものは永遠《えいゑん》なればなり。
[編集] 第5章
1蓋《けだし》我《われ》等《ら》は、幕屋《まくや》なる我《わ》が地上《ちじやう》の住處《すみか》破《やぶ》るれば、人《ひと》の手《て》に成《な》らずして神《かみ》より賜《たま》はれる住處《すみか》、永遠《えいゑん》の家《いへ》が我《われ》等《ら》の為《ため》に天《てん》に在《あ》る事《こと》を知《し》る。 2即《すなは》ち我《われ》等《ら》はこの住處《すみか》に在《あ》りて嘆《なげ》きつつ、此《この》儘《まま》にして天《てん》よりの住處《すみか》を上《うへ》に着《き》せられん事《こと》を希《こひねが》ふ。 3是《これ》既《すで》に着《き》たるものにして裸《はだか》にて見出《みいだ》されずば誠《まこと》に然《しか》あるべし。 4蓋《けだし》我《われ》等《ら》が此《この》幕屋《まくや》に在《あ》りて、壓迫《あつぱく》を蒙《かうむ》りて歎《なげ》くは、是《これ》剥《は》がるるを好《この》まず、却《かえつ》て此《この》上《うへ》に着《き》せられ、死《し》すべき部分《ぶぶん》を直《ただち》に生命《せいめい》に呑《のみ》入《い》れられん事《こと》を欲《ほつ》すればなり。 5之《これ》が為《ため》に我《われ》等《ら》を造《つく》り給《たま》へる者《もの》は即《すなは》ち神《かみ》に在《ましま》し、之《これ》が保證《ほしよう》として[聖《せい》]霊《れい》を我《われ》等《ら》に賜《たま》ひたるなり。 6然《さ》れば我《われ》等《ら》は何時《いつ》も憶《おく》する事《こと》なく、此《この》肉體《にくたい》に在《あ》る間《あひだ》は主《しゆ》に離《はな》れて流浪《るらう》する者《もの》なる事《こと》を知《し》りて、 7現《げん》に像《すがた》を見《み》ず信仰《しんかう》を以《もつ》て歩《あゆ》む者《もの》なれば、 8敢《あ》えて憶《おく》する事《こと》なく、寧《むしろ》肉體《にくたい》を離《はな》れて主《しゆ》に侍《はべ》らん事《こと》を欲《ほつ》す。 9然《さ》れば肉體《にくたい》に在《あ》るも之《これ》を離《はな》るるも御意《みこころ》に適《かな》はん事《こと》を勉《つとむ》む、 10其《そ》は我《われ》等《ら》皆《みな》キリストの法廷《はふてい》に於《おい》て顕《あらは》れ、或《あるひ》は善《ぜん》、或《あるひ》は惡《あく》、各《おのおの》肉體《にくたい》に在《あ》りて為《な》しし所《ところ》に報《むく》いらるべければなり。 11斯《かく》の如《ごと》く、我《われ》等《ら》は主《しゆ》の畏《おそ》れ奉《たてまつ》るべき事《こと》を知《しりて》人々《ひとびと》を勧《すす》む。我《われ》等《ら》は明《あきらか》に神《かみ》に知《し》られたれば、汝《なんぢ》等《ら》の良心《りやうしん》にも明《あきらか》に知《し》られたるべき事《こと》を信《しん》ず。 12我《われ》等《ら》は又《また》汝《なんぢ》等《ら》の前《まへ》に己《おのれ》を立《た》つる者《もの》に非《あら》ず、唯《ただ》我《われ》等《ら》を以《もつ》て誇《ほこり》となす機會《きくわい》を汝《なんぢ》等《ら》に與《あた》へんとす、是《これ》心《こころ》にならで面《おもて》に誇《ほこ》れる人々《ひとびと》に答《こた》ふる事《こと》を得《え》させん為《ため》なり。 13即《すなは》ち我《われ》等《ら》が浮《うか》るるも神《かみ》の為《ため》、己《おの》が事《こと》を謙遜《けんそん》に語《かた》るも亦《また》汝《なんぢ》等《ら》の為《ため》なり。 14蓋《けだし》キリストの寵《いつくしみ》我《われ》等《ら》に迫《せま》れり、我《われ》等《ら》想《おも》へらく、凡《すべ》ての人《ひと》の為《ため》に一人《ひとり》死《し》し給《たま》ひしなれば、是《これ》凡《すべ》ての人《ひと》死《し》したるなり。 15又《また》キリストが(凡《すべ》ての人《ひと》の為《ため》に)死《し》し給《たま》ひしは、活《い》ける人《ひと》をして最早《もはや》己《おの》が為《ため》に活《い》きず、寧《むしろ》己《おのれ》等《ら》の為《ため》に死《し》し且《かつ》復活《ふくくわつ》し給《たま》ひし者《もの》の為《ため》に活《い》きしめんとてなり。 16故《ゆゑ》に今《いま》より後《のち》我《われ》等《ら》は人《ひと》を肉身《にくしん》によりて知《し》らず、曾《かつ》てはキリストを肉身《にくしん》によりて知《し》りたりとも、今《いま》は最早《もはや》斯《かく》の如《ごと》くにして知《し》るに非《あら》ず。 17人《ひと》若《もし》キリストに在《あ》れば、新《あらた》に造《つく》られたる者《もの》となりて、舊《ふる》き所《ところ》は既《すで》に過去《すぎさ》り、何事《なにごと》も新《あらた》になりたるなり。 18是《これ》等《ら》の事《こと》は皆《みな》神《かみ》より出《い》づ、即《すなは》ち神《かみ》はキリストを以《もつ》て我《われ》等《ら》を己《おのれ》と和睦《わぼく》せしめ、且《かつ》和睦《わぼく》の務《つとめ》を我《われ》等《ら》に授《さづ》け給《たま》へり。 19蓋《けだし》神《かみ》はキリストの中《うち》に在《ましま》して世《よ》を己《おのれ》と和睦《わぼく》せしめ、又《また》人々《ひとびと》に其《その》罪《つみ》を負《お》はせず、我《われ》等《ら》に委《ゆだ》ぬるに和睦《わぼく》の言《ことば》を以《もつ》てし給《たま》へり。 20然《さ》れば我《われ》等《ら》はキリストの為《ため》に使節《しせつ》たり、恰《あたか》も神《かみ》が我《われ》等《ら》を以《もつ》て汝《なんぢ》等《ら》に勧《すす》め給《たま》ふに齊《ひと》し。キリストに代《かは》りて希《こひねが》ふ、神《かみ》と和睦《わぼく》し奉《たてまつ》れ。 21罪《つみ》を知《し》り給《たま》はざる者《もの》を我《われ》等《ら》の為《ため》に罪《つみ》と見做《みな》し給《たま》ひしは、我《われ》等《ら》がキリストに於《おい》て神《かみ》の義《ぎ》とせられん為《ため》なり。
[編集] 第6章
1我《われ》等《ら》は[キリストの]助手《じよしゆ》として、汝《なんぢ》等《ら》が神《かみ》の恩寵《おんちよう》を徒《いたづら》に受《う》けざらん事《こと》を勧《すす》む、 2蓋《けだし》曰《のたま》はく、「我《われ》宜《よ》き時《とき》に汝《なんぢ》の願《ねがひ》を聴《き》き救《すくひ》の日《ひ》に汝《なんぢ》を助《たす》けたり」と。今《いま》こそは宜《よ》き時《とき》なれ、今《いま》こそは救《すくひ》の日《ひ》なれ。 3我《われ》等《ら》聖《せい》役《えき》を譏《そし》られざらん為《ため》に誰《たれ》の意《こころ》をも損《そこな》はず、 4却《かえつ》て萬事《ばんじ》に於《おい》て己《おのれ》を神《かみ》の役者《えきしや》として顕《あらは》す。即《すなは》ち大《おほ》いなる堪忍《かんにん》を以《もつ》て、患難《くわんなん》にも、困窮《こんきう》にも、苦悩《くなう》にも、 5負傷《ふしよう》するも、監獄《かんごく》に在《あ》るも、騒亂《さうらん》にも、勞働《らうどう》にも、徹夜《てつや》にも、断食《だんじき》にも。 6貞潔《ていけつ》と學識《がくしき》と、耐忍《たいにん》と温良《をんりやう》と、聖霊《せいれい》[の好果《かうくわ》]と僞《いつはり》なき愛《あい》と、 7眞理《しんり》の言《ことば》と神《かみ》の御《おん》力《ちから》と、左右《さいう》に持《もて》る義《ぎ》の武器《ぶき》とを以《もつ》て、 8又《また》尊榮《そんえい》と耻辱《ちじよく》、惡評《あくひやう》と好評《かうひやう》とを以《もつ》て、人《ひと》を惑《まど》はす者《もの》の如《ごと》くにして而《しか》も眞實《しんじつ》に、知《し》られざるが如《ごと》くにして而《しか》も人《ひと》に知《し》られ、 9死《し》するに似《に》て而《しか》も活《い》くる事《こと》斯《かく》の如《ごと》く、懲《こら》さるるに似《に》て而《しか》も殺《ころ》されず、 10憂《うれ》ふるが如《ごと》くなるも常《つね》に喜《よろこ》び、乏《とぼ》しきが如《ごと》くなるも多《おほ》くの人《ひと》を富《と》ましめ、有《いう》する所《ところ》なきが如《ごと》くにして一切《いつさい》を有《いう》し、[以《もつ》て神《かみ》の役者《えきしや》として己《おのれ》を顕《あらは》すなり]。 11嗚呼《ああ》コリント人《じん》よ、我《われ》等《ら》の口《くち》は汝《なんぢ》等《ら》に開《ひら》き、我《われ》等《ら》の心《こころ》は広《ひろ》くなれり、 12汝《なんぢ》等《ら》が我《われ》等《ら》の中《うち》に狭《せば》めらるるには非《あら》ず、汝《なんぢ》等《ら》の腸《はらわた》こそ狭《せば》きなれ。 13我《われ》わが子《こ》に謂《い》ふが如《ごと》くに語《かた》らん、我《われ》に等《ひと》しく報《むく》いん為《ため》に汝《なんぢ》等《ら》も開《ひら》かれよ。 14汝《なんぢ》等《ら》不《ふ》信者《しんじや》と軛《くびき》を同《おな》じうする事《こと》勿《なか》れ、蓋《けだし》義《ぎ》と不義《ふぎ》と何《なん》の與《あづか》る所《ところ》かあらん、光《ひかり》と闇《やみ》と何《なん》の與《くみ》する所《ところ》かあらん、 15キリストとベリアルと何《なん》の約《やく》する所《ところ》かあらん、信者《しんじや》と不《ふ》信者《しんじや》と何《なん》の關《かかは》る所《ところ》かあらん、 16神殿《しんでん》と偶像《ぐうざう》と何《なん》の一致《いつち》する所《ところ》かあらん、神《かみ》の曰《のたま》へる如《ごと》く、汝《なんぢ》等《ら》は活《い》ける神《かみ》の[神《しん》]殿《でん》なり、曰《いは》く、「我《われ》彼等《かれら》の中《うち》に住《す》み、彼等《かれら》の間《あひだ》に歩《あゆ》まんとす、而《しか》して我《われ》彼等《かれら》の神《かみ》となり、彼等《かれら》我《わが》民《たみ》となるべし」、 17又《また》、「主《しゆ》曰《のたま》はく、然《さ》れば汝《なんぢ》等《ら》彼等《かれら》の中《うち》より出《い》でて之《これ》を離《はな》れよ、不潔《ふけつ》なるものに触《ふる》る事《こと》勿《なか》れ、 18斯《かく》て我《われ》汝《なんぢ》等《ら》を承《う》けて汝《なんぢ》等《ら》の父《ちち》となり、汝《なんぢ》等《ら》わが子女《しぢよ》とならん、と全能《ぜんのう》の神《かみ》曰《のたま》へり」と。
[編集] 第7章
1然《さ》れば我《わが》至愛《しあい》なる者《もの》よ、我《われ》等《ら》此《この》御《おん》約束《やくそく》を得《え》て己《おのれ》を霊肉《れいにく》の凡《すべ》ての穢《けがれ》より潔《きよ》め、神《かみ》を畏《おそ》れ奉《たてまつ》りて聖《せい》となる事《こと》を全《まつた》うすべし。 2我《われ》等《ら》を承容《うけい》れよ、我《われ》等《ら》は誰《たれ》をも害《がい》せず、誰《たれ》をも傷《そこな》はず、誰《たれ》をも掠《かす》めし事《こと》なし。 3我《わ》が斯《かく》の如《ごと》く言《い》ふは汝《なんぢ》等《ら》を咎《とが》めんとには非《あら》ず、其《そ》は生死《せいし》を倶《とも》にすべく汝《なんぢ》等《ら》我《われ》等《ら》の心《こころ》に在《あ》りとは我《わ》が既《すで》に言《い》ひたる所《ところ》なればなり。 4我《われ》汝《なんぢ》等《ら》を信用《しんよう》する事《こと》大《おほ》いにして、汝《なんぢ》等《ら》を以《もつ》て誇《ほこり》とする事《こと》大《おほ》いなり。我《われ》等《ら》が一切《いつさい》の患難《くわんなん》の中《うち》に於《おい》て、我《われ》は慰《なぐさめ》に満《み》ち喜《よろこび》に堪《た》へず。 5蓋《けだし》マケドニアに至《いた》りし時《とき》、我《われ》等《ら》の肉身《にくしん》は聊《いささか》も安《やす》き事《こと》なく、一切《いつさい》の患難《くわんなん》に遇《あ》ひ、外《そと》には争《あらそひ》、内《うち》には懼《おそれ》ありき。 6然《さ》れど謙《へりくだ》る人々《ひとびと》を慰《なぐさ》め給《たま》ふ神《かみ》は、チトの來着《らいちやく》に由《よ》りて我《われ》等《ら》を慰《なぐさ》め給《たま》へり。 7唯《ただ》其《その》來着《らいちやく》に由《よ》りて耳《のみ》ならず、尚《なほ》彼《かれ》が汝《なんぢ》等《ら》の中《うち》に慰《なぐさ》められし慰《なぐさめ》を以《もつ》てせり。即《すなは》ち汝《なんぢ》等《ら》の我《われ》を慕《した》ふ事《こと》、其《その》歎《なげき》、其《その》熱心《ねつしん》を我《われ》等《ら》に告《つ》げしかば、我《わが》喜《よろこび》は更《さら》に大《おほ》いなりき。 8蓋《けだし》我《われ》書簡《しよかん》を以《もつ》て汝《なんぢ》等《ら》を悲《かなし》ましめたれども、之《これ》を後悔《こうくわい》せず、假令《たとひ》其《その》書簡《しよかん》が暫《しば》しにても汝《なんぢ》等《ら》を悲《かなし》ましめしを見《み》て後悔《こうくわい》したる事《こと》ありとも、 9今《いま》は喜《よろこ》べり。是《これ》汝《なんぢ》等《ら》の悲《かなし》みし故《ゆゑ》に非《あら》ず、悲《かなし》みて改心《かいしん》するに至《いた》りたる故《ゆゑ》なり。汝《なんぢ》等《ら》の悲《かなし》みしは神《かみ》に順《したが》ひしものなれば、我《われ》等《ら》より何等《なんら》の損害《そんがい》をも受《う》けざるなり。 10蓋《けだし》神《かみ》に順《したが》ひての悲《かなしみ》は、悔《くい》なき救霊《たすかり》に至《いた》るべき改心《かいしん》を生《しやう》じ、世間《せけん》の悲《かなしみ》は死《し》を生《しやう》ず。 11看《み》よ汝《なんぢ》等《ら》が神《かみ》に順《したが》ひて悲《かなし》みしは、如何《いか》ばかりの奮發《ふんぱつ》、而《しか》も弁駁《べんばく》、而《しか》も憤激《ふんげき》、而《しか》も恐怖《きようふ》、而《しか》も愛慕《あいぼ》、而《しか》も熱心《ねつしん》、而《しか》も罪《つみ》を責《せ》むる事《こと》を汝《なんぢ》等《ら》の中《うち》に生《しやう》じたるかを。汝《なんぢ》等《ら》は萬事《ばんじ》の上《うへ》に此《この》件《けん》に就《つ》きて穢《けがれ》に染《そ》まざる事《こと》を顕《あらは》せり。 12然《さ》れば我《わ》が汝《なんぢ》等《ら》に書遣《かきおく》りしは、害《がい》を為《な》しし人《ひと》の為《ため》に非《あら》ず、害《がい》を受《う》けし人《ひと》の為《ため》にも非《あら》ず、我《われ》等《ら》が汝《なんぢ》等《ら》に對《たい》して神《かみ》の御前《みまへ》に有《も》てる奮發《ふんぱつ》を顕《あらは》さん為《ため》なり。 13斯《かく》て我《われ》等《ら》は慰《なぐさめ》を得《え》、慰《なぐさめ》を得《え》たる上《うへ》に尚《なほ》チトの喜《よろこび》によりて一層《ひとしほ》喜《よろこ》べり。其《そ》は彼《かれ》の精神《せいしん》、汝《なんぢ》等《ら》一同《いちどう》に由《よ》りて安《やす》んぜられたればなり。 14我《われ》曾《かつ》て彼《かれ》の前《まへ》に汝《なんぢ》等《ら》を以《もつ》て誇《ほこり》とせしも耻《はじ》とする所《ところ》なく、我《われ》等《ら》が汝《なんぢ》等《ら》に語《かた》りし所《ところ》の皆《みな》眞《まこと》なりし如《ごと》く、チトの前《まへ》に誇《ほこ》りし事《こと》も亦《また》眞《まこと》となれり。 15彼《かれ》は汝《なんぢ》等《ら》一同《いちどう》の從順《じゆうじゆん》と恐《おそれ》慄《おのの》きつつ己《おのれ》を歓迎《くわんげい》したる態《さま》とを思《おもひ》出《いだ》して、其《その》腸《はらわた》の汝《なんぢ》等《ら》に向《むか》へる事《こと》更《さら》に深《ふか》し、 16我《われ》萬事《ばんじ》につけて汝《なんぢ》等《ら》を信用《しんよう》するを喜《よろこ》ぶ。
[編集] 第8章
1兄弟等《きやうだいたち》よ、我《われ》等《ら》マケドニア[國《こく》]の諸《しよ》教會《けうくわい》に賜《たま》はりたる神《かみ》の恩寵《おんちよう》を汝《なんぢ》等《ら》に告《つ》ぐ、 2即《すなは》ち彼等《かれら》は夥《おびただ》しき患難《くわんなん》の試《ためし》に遇《あ》ひたれども、其《その》喜《よろこび》溢《あふ》れ、其《その》甚《はなはだ》しき貧窮《ひんきう》は、豊《ゆたか》に其《その》吝《をしみ》なき志《こころざし》の富《とみ》を顕《あらは》せり。 3彼等《かれら》は力《ちから》に應《おう》じて、否《いな》我《われ》彼等《かれら》の為《ため》に保證《ほしよう》す、力《ちから》以上《いじやう》に快《こころよ》く施《ほどこ》せり。 4即《すなは》ち頻《しきり》に聖徒《せいと》等《たち》に對《たい》する醵金《きよきん》に與《あづか》る恵《めぐみ》を求《もと》めて、 5我《われ》等《ら》の希望《きぼう》以外《いぐわい》にも亦《また》自《みづか》ら、先《まづ》己《おのれ》を主《しゆ》に任《まか》せ、次《つぎ》に神《かみ》の思召《おぼしめし》によりて我《われ》等《ら》にも任《まか》せたり。 6然《さ》れば我《われ》等《ら》チトに望《のぞ》みて、既《すで》に此《この》慈善《じぜん》事業《じげふ》を始《はじ》めたれば、汝《なんぢ》等《ら》の中《うち》にも亦《また》之《これ》を為遂《なしと》げん事《こと》を願《ねが》へり。 7故《ゆゑ》に汝《なんぢ》等《ら》信仰《しんかう》に、言語《げんご》に、學識《がくしき》に、凡《すべ》ての奮發《ふんぱつ》に、又《また》我《われ》等《ら》に對《たい》する愛《あい》に、一切《いつさい》に於《おい》て富《と》めるが如《ごと》く、此《この》慈善《じぜん》にも富《と》む者《もの》となれかし。 8我《われ》は之《これ》を命《めい》ずるが如《ごと》くには言《い》はず、他人《たにん》の奮發《ふんぱつ》を以《もつ》て汝《なんぢ》等《ら》の愛《あい》の眞實《しんじつ》を試《こころ》みんとす。 9蓋《けだし》汝《なんぢ》等《ら》わが主《しゆ》イエズス、キリストの恩寵《おんちよう》を知《し》れり、即《すなは》ち富《と》める者《もの》にて在《ましま》しながら、己《おの》が貧《まづ》しきを以《もつ》て汝《なんぢ》等《ら》を富《と》ましめんとて、汝《なんぢ》等《ら》の為《ため》に貧《まづ》しき者《もの》となり給《たま》ひしなり。 10是《これ》に就《つ》きて我《われ》は勧告《くわんこく》す、此《この》慈善《じぜん》は汝《なんぢ》等《ら》に益《えき》あり、蓋《けだし》汝《なんぢ》等《ら》先《さき》に之《これ》を為《な》し始《はじ》めし耳《のみ》ならず、一年《ねん》前《まへ》より志《こころざ》したる事《こと》なれば、 11今《いま》は實際《じつさい》に之《これ》を為遂《しと》げよ、是《これ》志《こころざし》の早《はや》かりし如《ごと》く、所有物《もちもの》に應《おう》じて為遂《なしと》ぐる事《こと》も亦《また》早《はや》からん為《ため》なり。 12其《そ》は假令《たとひ》志《こころざ》す事《こと》早《はや》くとも嘉納《かなふ》せらるるは有《も》たざるものに由《よ》らずして有《も》てるものに由《よ》ればなり。 13是《これ》他人《たにん》に寛《ゆるやか》にして汝《なんぢ》等《ら》を苦《くるし》めんとするに非《あら》ず、平均《へいきん》の為《ため》なり。 14現《げん》に汝《なんぢ》等《ら》の餘《あま》る所《ところ》は、彼等《かれら》の缺乏《けつぼう》を補《おぎな》はざるべからず、然《しか》らば彼等《かれら》の餘《あま》る所《ところ》も亦《また》汝《なんぢ》等《ら》の缺乏《けつぼう》を補《おぎな》ひて、平均《へいきん》するに至《いた》るべし。録《かきしる》して、 15「多《おほ》く得《え》たりし人《ひと》は餘《あま》る事《こと》なく、少《すくな》く得《え》たりし人《ひと》は足《た》らざる事《こと》なかりき」、とあるが如《ごと》し。 16神《かみ》に感謝《かんしや》す、チトの心《こころ》にも汝《なんぢ》等《ら》に對《たい》して同《おな》じ奮發《ふんぱつ》を賜《たま》ひたるによりて、 17彼《かれ》は勧《すすめ》を容《い》れし耳《のみ》ならず、奮發《ふんぱつ》の心《こころ》尚《なほ》深《ふか》くして、進《すす》みて汝《なんぢ》等《ら》の許《もと》へ出立《しゆつたつ》せり。 18我《われ》等《ら》又《また》彼《かれ》と共《とも》に一人《ひとり》の兄弟《きやうだい》を遣《つか》はしたるが、此《この》人《ひと》は福音《ふくいん》に就《つ》きて諸《しよ》教會《けうくわい》に普《あまね》く誉《ほまれ》ある 19耳《のみ》ならず、主《しゆ》の光榮《くわうえい》の為《ため》、又《また》我《われ》等《ら》が志《こころざし》を顕《あらは》さん為《ため》に行《おこな》へる慈善《じぜん》に就《つ》きて、諸《しよ》教會《けうくわい》より我《われ》等《ら》の旅《たび》の侶《とも》とせられたるなり。即《すなは》ち我《われ》等《ら》は注意《ちゆうい》して、 20多額《たがく》の醵金《きよきん》を取扱《とりあつか》ふに、人《ひと》に咎《とが》められざらんとす。 21其《そ》は神《かみ》の御前《みまへ》に耳《のみ》ならず、人《ひと》の前《まへ》にも善《よ》からんことを慮《おもんぱか》ればなり。 22尚《なほ》彼等《かれら》と共《とも》に又《また》一人《ひとり》の兄弟《きやうだい》を遣《つか》はしたるが、我《われ》等《ら》は其《その》奮發《ふんぱつ》を多《おほ》くの事《こと》に就《つ》きて屡《しばしば》認《みと》めたる耳《のみ》ならず、今《いま》は大《おほ》いに汝《なんぢ》等《ら》を信用《しんよう》するに由《よ》りて其《その》奮發《ふんぱつ》心《しん》の更《さら》に著《いちじる》しきを認《みと》む。 23然《さ》れば我《わ》が友《とも》たり汝《なんぢ》等《ら》に對《たい》する協力《けふりよく》者《しや》たるチトに於《おい》ても、諸《しよ》教會《けうくわい》の使《つかひ》たりキリストの名誉《めいよ》たる我《われ》等《ら》の兄弟等《きやうだいたち》に於《おい》ても、 24汝《なんぢ》等《ら》の愛《あい》と、我《われ》等《ら》が汝《なんぢ》等《ら》に就《つ》きて誇《ほこ》れる事《こと》との徴《しるし》を諸《しよ》教會《けうくわい》の面前《めんぜん》に顕《あらは》せ。
[編集] 第9章
{{Verse|9|1}聖徒《せいと》等《たち》の為《ため》にせらるる醵金《きよきん》に就《つ》きては、我《われ》汝《なんぢ》等《ら》に書遣《かきおく》るに及《およ》ばず、 2汝《なんぢ》等《ら》の志《こころざし》の趣《おもむ》けるを知《し》ればなり。是《これ》によりて我《われ》、アカヤ[州《しう》]は昨年《さくねん》より既《すで》に準備《じゆんび》せりとて、マケドニア人《じん》の前《まへ》に汝《なんぢ》等《ら》を以《もつ》て誇《ほこり》と為《な》す、斯《かく》て汝《なんぢ》等《ら》の奮發《ふんぱつ》は夥《おびただ》しき人々《ひとびと》を励《はげ》ましたるなり。 3然《しか》るを我《わ》が兄弟等《きやうだいたち》を遣《つか》はしたるは、曾《かつ》て汝《なんぢ》等《ら》に就《つ》きて誇《ほこ》る事《こと》の此《この》點《てん》に於《おい》て空《むな》しからず、既《すで》に言《い》へる如《ごと》く準備《じゆんび》の成《な》らん為《ため》なり。 4若《もし》マケドニア人《じん》我《われ》と共《とも》に至《いた》りて、汝《なんぢ》等《ら》の準備《じゆんび》の未《いまだ》成《な》らざるを見《み》ば、此《この》點《てん》に於《おい》て、汝《なんぢ》等《ら》は言《い》ふに及《およ》ばず、恐《おそら》くは我《われ》等《ら》も赤面《せきめん》するならん。 5故《ゆゑ》に我《わが》兄弟等《きやうだいたち》に請《こ》ひて、先《さきだ》ちて汝《なんぢ》等《ら》に至《いた》り、既《すで》に約束《やくそく》せられし醵金《きよきん》を、吝《をし》むが如《ごと》くにせず恵《めぐ》むが如《ごと》くにして、豫《あらかじ》め備《そなへ》置《お》かしめん事《こと》を必要《ひつえう》と思《おも》へり。 6是《ここ》に於《おい》て我《われ》は言《い》ふ、吝《をし》みて少《すくな》く蒔《ま》く人《ひと》は亦《また》少《すくな》く刈《か》り、豊《ゆたか》に蒔《ま》く人《ひと》は亦《また》豊《ゆたか》に刈《か》らん。 7各《おのおの》心《こころ》に決《けつ》せし如《ごと》く、吝《をし》まず、止《や》むを得《え》ざるに出《い》でずして施《ほどこ》すべし、神《かみ》は喜《よろこ》びて與《あた》ふる人《ひと》を嘉《よみ》し給《たま》へばなり。 8抑《そもそも》神《かみ》は能《よ》く凡《すべ》ての恩寵《おんちよう》を汝《なんぢ》等《ら》の中《うち》に溢《あふ》れしめ、汝《なんぢ》等《ら》をして何時《いつ》も萬事《ばんじ》に十分《じふぶん》ならざる所《ところ》なく、凡《すべ》ての善業《ぜんげふ》に豊《ゆたか》ならしむることを得《え》給《たま》ふ、 9録《かきしる》して、「[義人《ぎじん》]蒔《まき》散《ち》らして貧人《ひんじん》に與《あた》へたり、其《その》義《ぎ》は世々《よよ》に存《そん》す」、とあるが如《ごと》し。 10然《さ》て蒔《ま》く人《ひと》に種《たね》を賜《たま》ふ者《もの》は食《しよく》すべき麪《ぱん》をも賜《たま》ひ、汝《なんぢ》等《ら》の種《たね》を殖《ふや》し、且《かつ》汝《なんぢ》等《ら》の義《ぎ》の結《むす》ぶ果《み》を増《ま》し給《たま》ふべし。 11斯《かく》て汝《なんぢ》等《ら》が萬事《ばんじ》に富《と》み、総《すべ》て快《こころよ》く施《ほどこ》すを以《もつ》て、人《ひと》は我《われ》等《ら》に就《つ》きて神《かみ》に感謝《かんしや》し奉《たてまつ》るに至《いた》らん。 12蓋《けだし》此《この》祭務《さいむ》を行《おこな》ふは、聖徒《せいと》等《たち》の缺乏《けつぼう》を補《おぎな》ふ耳《のみ》ならず、尚《なほ》又《また》主《しゆ》に對《たい》して多《おほ》くの感謝《かんしや》を豊《ゆたか》ならしむるなり。 13即《すなは》ち聖徒《せいと》等《たち》は此《この》務《つとめ》を證據《しようこ》として、汝《なんぢ》等《ら》がキリストの福音《ふくいん》に對《たい》して顕《あらは》す所《ところ》の服從《ふくじゆう》、及《およ》び彼等《かれら》にも凡《すべ》ての人《ひと》にも快《こころよ》く施《ほどこ》せる事《こと》に就《つ》きて、神《かみ》に光榮《くわうえい》を歸《き》し奉《たてまつ》らん。 14又《また》神《かみ》の汝《なんぢ》等《ら》に賜《たま》ひし勝《すぐ》れたる恩寵《おんちよう》に就《つ》き、汝《なんぢ》等《ら》を慕《した》ひて汝《なんぢ》等《ら》の為《ため》に祈《いの》らん。 15言盡《いいつく》し難《がた》き御《おん》賜《たまもの》に就《つ》きて神《かみ》に感謝《かんしや》し奉《たてまつ》るべし。
[編集] 第10章
1面前《めんぜん》に居《を》る時《とき》は汝《なんぢ》等《ら》の中《うち》に謙《へりくだ》りて、居《を》らざる時《とき》は汝《なんぢ》等《ら》に對《たい》して敢《あへ》て大胆《だいたん》なる我《われ》パウロ、自《みづか》らキリストの柔和《にうわ》と謙遜《けんそん》とを以《もつ》て汝《なんぢ》等《ら》に希《こひねが》ふ。 2或《ある》人々《ひとびと》は我《われ》等《ら》を恰《あたか》も肉《にく》に從《したが》ひて歩《あゆ》むが如《ごと》く思《おも》ふが故《ゆゑ》に、我《わ》が汝《なんぢ》等《ら》に願《ねが》ふ所《ところ》は、其處《そこ》に居《を》りて彼《か》の思《おも》はるる大胆《だいたん》を以《もつ》て敢《あへ》て此《こ》の人々《ひとびと》に對《むか》はざらん事《こと》是《これ》なり。 3蓋《けだし》我《われ》等《ら》肉《にく》に於《おい》て歩《あゆ》むと雖《いへど》も、肉《にく》に從《したが》ひて戰《たたか》ふには非《あら》ず。 4即《すなは》ち我《われ》等《ら》の戰《たたかひ》の武器《ぶき》は肉的《にくてき》に非《あら》ずして、城塞《じやうさい》を破《やぶ》るほど神《かみ》によりて強《つよ》きなり。之《これ》を以《もつ》て謀計《はかりごと》と、 5神《かみ》の智識《ちしき》に逆《さか》らひて驕《たかぶ》る計畧《けいりやく》と堡塁《はうるゐ》とを悉《ことごと》く壊《くづ》し、凡《すべ》ての理性《りせい》を虜《とりこ》にしてキリストに服從《ふくじゆう》せしむ。 6又《また》汝《なんぢ》等《ら》の服從《ふくじゆう》完全《くわんぜん》になりたらん時《とき》、一切《いつさい》の悖逆《はいぎやく》を罰《ばつ》せんとす。 7外面《ぐわいめん》の事《こと》を看《み》よ、人《ひと》若《も》し自《みづか》らキリストのものなりと思《おも》はば、又《また》省《かへり》みて自《みづか》らキリストのものとなるが如《ごと》く、我《われ》等《ら》も亦《また》然《しか》りと考《かんが》ふべし。 8蓋《けだし》假令《たとひ》我《われ》等《ら》の権力《けんりよく》、即《すなは》ち主《しゆ》が汝《なんぢ》等《ら》を破《やぶ》る為《ため》ならで立《た》つる為《ため》に、我《われ》等《ら》に賜《たま》ひたる権力《けんりよく》に就《つ》きて愈《いよいよ》誇《ほこ》るとも、我《われ》は赤面《せきめん》せざるべし。 9但《ただし》我《われ》書簡《しよかん》を以《もつ》て汝《なんぢ》等《ら》を威《おど》すと思《おも》はれざらん為《ため》、 {{Verse|10|10:――即《すなは》ち彼等《かれら》は云《い》ふ、其《その》書簡《しよかん》こそ厳《きび》しく且《かつ》強《つよ》けれ、面前《まのあたり》には身《み》は弱《よわ》く談話《だんわ》は拙《つたな》しと、―― 11斯《かく》の如《ごと》き人《ひと》は我《われ》等《ら》が居《を》らざる時《とき》書簡《しよかん》によりて語《かた》るが如《ごと》く、居《を》る時《とき》も亦《また》實際《じつさい》に然《しか》りと覚悟《かくご》せざるべからず。 12蓋《けだし》己《おのれ》を立《た》つる人々《ひとびと》には、我《われ》等《ら》身《み》を並《なら》べ又《また》は比《くら》ぶる事《こと》を敢《あへ》てせず、彼等《かれら》は己《おのれ》を以《もつ》て己《おのれ》を度《はか》り、己《おのれ》に己《おのれ》を比《くら》べて悟《さと》らざる者《もの》なり。 13我《われ》等《ら》は度外《どぐわい》に誇《ほこ》らず、神《かみ》の我《われ》等《ら》に度《はか》りて賜《たま》ひたる分界《ぶんかい》の度《はかり》によりて誇《ほこ》る、其《その》度《はかり》は汝《なんぢ》等《ら》にまで及《およ》べる事《こと》即《すなは》ち是《これ》なり。 14其《そ》は汝《なんぢ》等《ら》まで届《とど》かざるものの如《ごと》く、度《はかり》を超《こ》えて身《み》を延《の》ばしたるに非《あら》ずして、實《まこと》にキリストの福音《ふくいん》を以《もつ》て汝《なんぢ》等《ら》に及《およ》びたればなり。 15我《われ》等《ら》は他人《たにん》の働《はたらき》を以《もつ》て度外《どぐわい》に誇《ほこ》らず、唯《ただ》汝《なんぢ》等《ら》が信仰《しんかう》の彌増《いやま》すに随《したが》ひて、己《おの》が分界《ぶんかい》に應《おう》じて汝《なんぢ》等《ら》の中《うち》に益《ますます》大《おほ》いならん事《こと》を希望《きぼう》し、 16又《また》既《すで》に準備《じゆんび》せられたる他人《たにん》の分界《ぶんかい》に誇《ほこ》らずして、尚《なほ》汝《なんぢ》等《ら》を踰《こ》えて他《た》にも福音《ふくいん》を宣《の》べん事《こと》を希望《きぼう》す。 17誇《ほこ》る人《ひと》は宜《よろ》しく主《しゆ》によりて誇《ほこ》るべし、 18其《そ》は可《よし》とせらるる者《もの》は、己《おのれ》を立《た》つる人《ひと》に非《あら》ずして、主《しゆ》の立《た》て給《たま》ふ所《ところ》の人《ひと》なればなり。
[編集] 第11章
1冀《こひねが》はくは汝《なんぢ》等《ら》我《わ》が愚《おろか》なる所《ところ》を聊《いささか》容赦《ようしや》せん事《こと》を、又《また》我《われ》をも容赦《ようしや》せよ。 2其《そ》は我《わが》神《かみ》の如《ごと》き妬《ねたみ》を以《もつ》て汝《なんぢ》等《ら》の為《ため》に奮發《ふんぱつ》し、汝《なんぢ》等《ら》を一人《ひとり》の夫《をつと》に於《おけ》る潔白《けつぱく》なる少女《せうぢよ》としてキリストに婚約《いひなづけ》したればなり。 3然《さ》れど我《わ》が恐《おそ》るる所《ところ》は、蛇《へび》の狡猾《かうくわつ》によりてエワの惑《まど》はされし如《ごと》く、汝《なんぢ》等《ら》の心《こころ》損《そこな》はれてキリストに對《たい》する質朴《しつぼく》を失《うしな》はん事《こと》是《これ》なり。 4蓋《けだし》人《ひと》來《きた》りて、我《われ》等《ら》の宣《の》べざりし他《た》のキリストを宣《の》べ、又《また》は汝《なんぢ》等《ら》曾《かつ》て蒙《かうむ》らざりし他《た》の霊《れい》、若《もし》くは曾《かつ》て承容《うけい》れざりし他《た》の福音《ふくいん》を受《う》けんか、汝《なんぢ》等《ら》能《よ》く之《これ》を容《い》れん。 5然《さ》れど我《われ》は何事《なにごと》に於《おい》ても彼《かの》大《だい》使徒《しと》等《たち》に劣《おと》らずと思《おも》ふ、 6蓋《けだし》談話《だんわ》には拙《つたな》けれども學識《がくしき》は然《しか》らず、然《さ》れど萬事《ばんじ》に於《おい》て汝《なんぢ》等《ら》には顕然《けんぜん》たり。 7或《あるひ》は我《われ》、汝《なんぢ》等《ら》を高《たか》めん為《ため》に自《みづか》ら謙《へりくだ》りて、報酬《はうしう》なくして神《かみ》の福音《ふくいん》を宣《の》べたるが犯罪《はんざい》なりや、 8我《われ》他《た》の教會《けうくわい》を剥《はぎ》取《と》りて給金《きふきん》を受《う》け、以《もつ》て汝《なんぢ》等《ら》の為《ため》に務《つと》め、 9又《また》汝《なんぢ》等《ら》の中《うち》に在《あ》りて乏《とぼ》しかりしも誰《たれ》をも煩《わづら》はさず、マケドニアより來《きた》りし兄弟等《きやうだいたち》は我《わ》が足《た》らざるを補《おぎな》へり、斯《かく》の如《ごと》く自《みづか》ら注意《ちゆうい》して、萬事《ばんじ》に於《おい》て汝《なんぢ》等《ら》を煩《わづら》はさじとしたるが、以後《いご》も亦《また》注意《ちゆうい》せんとす。 10我《われ》に在《あ》るキリストの眞理《しんり》によりて誓《ちか》ふ、此《この》名誉《めいよ》はアカヤ地方《ちはう》に於《おい》て我《われ》に就《つ》きて毀《そこな》はれざるべし、 11是《これ》何故《なにゆゑ》ぞ、我《わ》が汝《なんぢ》等《ら》を愛《あい》せざる故《ゆゑ》なるか、神《かみ》は知《し》り給《たま》へり。 12我《わ》が行《おこな》ふ所《ところ》は我《われ》尚《なほ》之《これ》を行《おこな》はんとす、是《これ》機會《きくわい》を求《もと》むる人々《ひとびと》の機會《きくわい》を断《た》ち、彼等《かれら》をして自《みづか》ら誇《ほこ》る所《ところ》に就《つ》きて我《われ》等《ら》と同《おな》じからしめん為《ため》なり。 13蓋《けだし》斯《かか》る人々《ひとびと》は僞《ぎ》使徒《しと》にして狡猾《かうくわつ》なる勞働《らうどう》者《しや》、身《み》をキリストの使徒《しと》に装《よそほ》へる者《もの》なり。 14是《こ》は珍《めづら》しき事《こと》に非《あら》ず、サタンすら自《みづか》ら光《ひかり》の使《つかひ》に己《おのれ》を装《よそほ》ふ者《もの》なれば、 15其《その》役者《えきしや》が亦《また》義《ぎ》の役者《えきしや》の如《ごと》く装《よそほ》ふは大事《だいじ》に非《あら》ず、彼等《かれら》の終《をはり》は其《その》業《わざ》に適《かな》ふべし。 16我《われ》再《ふたた》び言《い》はん、我《われ》も少《すこ》しく誇《ほこ》るべければ、誰《たれ》も我《われ》を愚《ぐ》なりとする事《こと》勿《なか》れ、然《さ》らずば愚《ぐ》として我《われ》を承容《うけい》れよ。 17此《この》名誉《めいよ》の點《てん》に就《つ》きて我《わ》が語《かた》る所《ところ》は、主《しゆ》に從《したが》ひて語《かた》るに非《あら》ず、愚《ぐ》なる者《もの》の如《ごと》くにして語《かた》るなり。 18多《おほ》くの人《ひと》は肉身上《にくしんじやう》に誇《ほこ》る故《ゆゑ》に、我《われ》も亦《また》誇《ほこ》らん。 19蓋《けだし》汝《なんぢ》等《ら》は自《みづか》ら智者《ちしや》なれば、喜《よろこ》びて愚者《ぐしや》を忍《しの》ぶなり。 20即《すなは》ち人《ひと》ありて汝《なんぢ》等《ら》を奴隷《どれい》とするも、喰《くひ》盡《つく》すも、掠《かす》むるも、驕《たかぶ》るも、汝《なんぢ》等《ら》の面《かほ》を打《う》つも、汝《なんぢ》等《ら》は之《これ》を忍《しの》ぶ。 21耻《はづか》しながら我《われ》は言《い》ふ、我《われ》等《ら》は此《この》點《てん》に就《つ》きて弱《よわ》き者《もの》の如《ごと》くなりき。愚《おろか》にも言《い》はん、人《ひと》の敢《あへ》て憶《おく》せざる所《ところ》は我《われ》もあえて憶《おく》せず。 22彼等《かれら》ヘブレオ人《じん》なるか、我《われ》も亦《また》然《しか》り、彼等《かれら》イスラエル人《じん》なるか、我《われ》も亦《また》然《しか》り、彼等《かれら》アブラハムの裔《すゑ》なるか、我《われ》も亦《また》然《しか》り、 23彼等《かれら》キリストの役者《えきしや》なるか、我《われ》狂《くる》へるが如《ごと》くに云《い》はん、我《われ》は尚《なほ》然《しか》り。我《わが》働《はたらき》は尚《なほ》夥《おびただ》しく、監獄《かんごく》に入《い》りし事《こと》は尚《なほ》多《おほ》く、傷《きずつ》けられし事《こと》は無量《むりやう》にして、死《し》に遇《あ》へる事《こと》は屡《しばしば》なりき。 24ユデア人《じん》より四《し》十《じふ》に一《ひとつ》足《た》らず打擲《ちやうちやく》せられし事《こと》五《いつ》度《たび》、 25笞刑《ちけい》を受《う》けし事《こと》三《み》度《たび》、石《いし》を擲《なげう》たれし事《こと》一度《ひとたび》、破船《はせん》に遇《あ》ひし事《こと》三《み》度《たび》にして、一晝夜《いつちうや》の間《あひだ》海中《かいちゆう》に在《あ》りき。 26數次《しばしば》旅行《りよかう》して、河《かは》の難《なん》、盗賊《たうぞく》の難《なん》、邦人《はうじん》よりの難《なん》、異邦《いはう》人《じん》よりの難《なん》、都會《とくわい》に於《おけ》る難《なん》、僻地《へきち》に於《おけ》る難《なん》、海上《かいじやう》の難《なん》、僞《ぎ》兄弟《きやうだい》よりの難《なん》に遇《あ》ひ、 27勞働《らうどう》し且《かつ》悩《なや》み、數次《しばしば》夜《よる》眠《ねむ》らず、飢渇《うゑかわ》き、断食《だんじき》する事《こと》度々《たびたび》にして凍《こご》え且《かつ》裸《はだか》なりき。 28是《これ》等《ら》外部《ぐわいぶ》の事《こと》の外《ほか》、亦《また》日々《にちにち》差《さし》迫《せま》れる諸《しよ》教會《けうくわい》の憂《うれひ》あり、 29弱《よわ》れる者《もの》あるに我《われ》も弱《よわ》らざらんや、躓《つまづ》く者《もの》あるに我《われ》も心《こころ》燬《や》けざらんや。 30誇《ほこ》るべくんば我《わ》が弱點《じやくてん》に就《つ》きて誇《ほこ》らん、 31世々《よよ》に祝《しゆく》せられ給《たま》ふ我主《わがしゆ》イエズス、キリストの神《かみ》及《およ》び父《ちち》は、我《わ》が僞《いつは》らざる事《こと》を知《し》り給《たま》ふ。 32ダマスコに於《おい》てアレタ王《わう》の下《もと》なる州《しう》長《ちやう》、我《われ》を捕《とら》へんとてダマスコ人《ひと》の都會《とくわい》を守《まも》りしかば、 33我《われ》は籠《かご》を以《もつ》て窓《まど》より石垣《いしがき》傳《づた》ひに釣《つり》下《おろ》され、然《さ》て其《その》手《て》を脱《のが》れたりき。
[編集] 第12章
1誇《ほこ》るべくんば、無益《むえき》の事《こと》ながら、我《われ》は主《しゆ》の賜《たま》ひし幻影《まぼろし》と黙示《もくし》とに及《およ》ばん。 2我《われ》はキリストに在《あ》る一人《ひとり》の人《ひと》を知《し》れり、彼《かれ》は十四年《ねん》前《ぜん》、――肉體《にくたい》に在《あ》りてか肉體《にくたい》の外《ほか》に在《あ》りてか、其《そ》は我《わ》が知《し》る所《ところ》に非《あら》ず、神《かみ》ぞ知《しろ》しめす、――第《だい》三天《てん》まで上《あ》げられしなり。 3我《われ》は又《また》知《し》れり。この人《ひと》は ――肉體《にくたい》に在《あ》りてか肉體《にくたい》の外《ほか》に在《あ》りてか其《そ》は我《わ》が知《し》る所《ところ》に非《あら》ず、神《かみ》ぞ知《しろ》しめす、 {{Verse|12|4:――樂土《らくど》に取《とり》挙《あ》げられて、得《え》も言《い》はず人《ひと》の語《かた》るべからざる言《ことば》を聞《き》きしなり。 5我《われ》は斯《かか》る人《ひと》の為《ため》に誇《ほこ》らんとすれども、我《わが》為《ため》には我《わが》弱點《じやくてん》の外《ほか》誇《ほこ》る事《こと》を為《せ》じ。 6蓋《けだし》誇《ほこ》らんとすとも愚《ぐ》なるべきには非《あら》ず、眞《まこと》を語《かた》らんとすればなり。然《さ》れど人《ひと》の我《われ》に見《み》る所《ところ》、或《あるひ》は我《われ》より聞《き》く所《ところ》に過《す》ぎて我《われ》を重《おも》んずる事《こと》なからん為《ため》に我《われ》は罷《や》めん。 7然《さ》て我《わ》が蒙《かうむ》りたる黙示《もくし》の偉大《ゐだい》なるにより、我《われ》をして驕《たかぶ》らざらしめん為《ため》に、肉身《にくしん》に一《ひとつ》の刺《とげ》、即《すなは》ち我《われ》を打《う》つべきサタンの使《つかひ》を與《あた》へられたり。 8是《ここ》に於《おい》て其《そ》の我《わが》身《み》より去《さ》らん事《こと》を三《み》度《たび》まで主《しゆ》に求《もと》め奉《たてまつ》りしに、 9曰《のたま》へらく、汝《なんぢ》には我《わが》恩寵《おんちよう》にて足《た》れり、其《そ》は力《ちから》は弱《よわ》き中《うち》に於《おい》て全《まつた》うせらるればなり、と。然《さ》ればキリストの能力《のうりよく》の我《われ》に宿《やど》らん為《ため》に、寧《むしろ》喜《よろこ》びて我《わが》弱點《じやくてん》によりて誇《ほこ》らん。 10故《ゆゑ》に我《われ》はキリストの為《ため》、我《わが》弱點《じやくてん》に、耻辱《ちじよく》に、缺乏《けつぼう》に、迫害《はくがい》に、患難《くわんなん》に安《やす》んず、弱《よわ》き時《とき》に於《おい》てこそ強《つよ》ければなり。 11我《われ》は愚《おろか》になれり、汝《なんぢ》等《ら》に強《し》ひられてなり。蓋《けだし》汝《なんぢ》等《ら》より引立《ひきた》てらるる筈《はず》なりき、其《そ》は我《われ》取《と》るに足《た》らざる者《もの》なりと雖《いへど》も、何事《なにごと》も彼《かの》無上《むじやう》の大《だい》使徒《しと》に劣《おと》らざればなり。 12我《わ》が使徒《しと》たるの證據《しようこ》は、凡《すべ》ての忍耐《にんたい》と徴《しるし》と奇蹟《きせき》と不思議《ふしぎ》とによりて、汝《なんぢ》等《ら》の上《うへ》に成立《なりた》てり。 13抑《そもそも》汝《なんぢ》等《ら》が他《た》の諸《しよ》教會《けうくわい》より少《すくな》く得《え》たりしは何《なん》ぞ、或《あるひ》は我《わ》が汝《なんぢ》等《ら》を煩《わづら》はさざりし事《こと》なるか、請《こ》ふ此《この》不義《ふぎ》を我《われ》に許《ゆる》せ。 14今《いま》や三《み》度《たび》目《め》に汝《なんぢ》等《ら》に至《いたらん》として支度《したく》せしが、尚《なほ》汝《なんぢ》等《ら》を煩《わづら》はさじ、是《これ》我《わ》が求《もと》むる所《ところ》は汝《なんぢ》等《ら》にして、汝《なんぢ》等《ら》の所有物《もちもの》に非《あら》ざればなり。即《すなは》ち子等《こども》は親《おや》の為《ため》に貯蓄《ちよちく》すべきに非《あら》ず、親《おや》こそ子等《こども》の為《ため》に之《これ》を行《おこな》ふべきなれば、假令《たとひ》汝《なんぢ》等《ら》多《おほ》く愛《あい》して、少《すくな》く愛《あい》せらるる事《こと》ありとも、 15我《われ》は最《もつと》も喜《よろこ》びて汝《なんぢ》等《ら》の魂《たましひ》の為《ため》に盡《つく》し、又《また》己《おのれ》をも盡《つく》さん。 16縦《よし》我《われ》汝《なんぢ》等《ら》を煩《わづら》はさざりしも、狡猾《かうくわつ》にして汝《なんぢ》等《ら》を籠絡《ろうらく》せりとせんか、 17然《さ》れど我《わ》が汝《なんぢ》等《ら》に遣《つか》はしし人々《ひとびと》の中《うち》、誰《たれ》を以《もつ》て汝《なんぢ》等《ら》を籠絡《ろうらく》せしぞ。 18チトに頼《たの》み、彼《かれ》と共《とも》に又《また》一人《ひとり》の兄弟《きやうだい》を遣《つか》はししが、チトは汝《なんぢ》等《ら》を籠絡《ろうらく》せしか、我《われ》等《ら》は同《どう》一《いつ》の精神《せいしん》を以《もつ》て同《どう》一《いつ》の足跡《あしあと》を歩《あゆ》みしに非《あら》ずや。 19汝《なんぢ》等《ら》は豫《かね》て、我《われ》等《ら》汝《なんぢ》等《ら》に對《たい》して弁解《べんかい》すと思《おも》へり、我《われ》等《ら》は神《かみ》の御前《みまへ》にキリストに在《あ》りて語《かた》るなり。我《わが》至愛《しあい》なる者《もの》よ、萬事《ばんじ》は汝《なんぢ》等《ら》の徳《とく》を立《た》てんが為《ため》なるぞ。 20然《さ》れど我《われ》恐《おそら》くは、或《あるひ》は至《いた》りて汝《なんぢ》等《ら》を見《み》んに、我《わ》が思《おも》へる如《ごと》くならず、又《また》汝《なんぢ》等《ら》が我《われ》を見《み》んにも、思《おも》へるが如《ごと》くならざらんか、或《あるひ》は汝《なんぢ》等《ら》の間《あひだ》に闘争《あらそひ》、嫉妬《ねたみ》、怨恨《うらみ》、争論《さうろん》、誹謗《ひばう》、呟言《つぶやき》、驕慢《たかぶり》、擾亂《さうらん》あらんか、 21又《また》或《あるひ》は我《わ》が至《いた》らん時《とき》、我《わが》神《かみ》我《われ》を耻《はぢ》しめ給《たま》ひて、多《おほ》くの人《ひと》曾《かつ》て罪《つみ》を犯《をか》したるに、其《そ》の行《おこな》ひし不潔《ふけつ》と私通《しつう》と甚《はなはだ》しき罪《つみ》とを悔改《くいあらた》めざるを我《わ》が歎《なげ》く事《こと》あらんか。
[編集] 第13章
1今《いま》や我《われ》三《み》度《たび》汝《なんぢ》等《ら》に至《いたらん》とす、二三の證人《しようにん》の口《くち》に由《よ》りて、凡《すべ》ての事《こと》決《けつ》せらるべし。 2既《すで》に告《つ》げし事《こと》ながら、今《いま》我《われ》其處《そこ》に居《を》らざれども居《を》ると等《ひと》しく、前《さき》に罪《つみ》を犯《をか》しし人々《ひとびと》及《およ》び他《た》の凡《すべ》ての人《ひと》にも告《つ》ぐ、我《われ》再《ふたた》び至《いた》らば決《けつ》して恕《ゆる》さじ。 3汝《なんぢ》等《ら》キリストの我《われ》に於《おい》て語《かた》り給《たま》ふ證據《しようこ》を求《もと》めんとすれば、キリストは汝《なんぢ》等《ら》に向《むか》ひて弱《よわ》く在《ましま》さず、汝《なんぢ》等《ら》の中《うち》に大《おほ》いに能力《のうりよく》あり。 4蓋《けだし》弱《よわ》きによりて十字架《じふじか》に釘《つ》けられ給《たま》ひしかど、神《かみ》の力《ちから》によりて活《い》き給《たま》へばなり。即《すなは》ち我《われ》等《ら》も彼《かれ》に於《おい》て弱《よわ》しと雖《いへど》も、神《かみ》の力《ちから》によりて彼《かれ》と共《とも》に汝《なんぢ》等《ら》の中《うち》に活《い》きんとす、 5汝《なんぢ》等《ら》信仰《しんかう》に在《あ》るや否《いな》やを、自《みづか》ら試《こころ》み自《みづか》ら證《しよう》せよ、汝《なんぢ》等《ら》の中《うち》にキリストの在《ましま》す事《こと》を自《みづか》ら知《し》らざるか、或《あるひ》は非認《ひにん》せられたる者《もの》なるか、 6我《われ》は我《われ》等《ら》の非認《ひにん》せられたる者《もの》に非《あら》ざるを汝《なんぢ》等《ら》の知《し》らん事《こと》を希望《きぼう》す。 7我《われ》等《ら》が神《かみ》に祈《いの》るは、汝《なんぢ》等《ら》の豪《すこし》も惡《あく》を為《な》さざらん事《こと》是《これ》なり。是《これ》我《われ》等《ら》の是認《ぜにん》せられたる事《こと》の顕《あらは》れん為《ため》に非《あら》ずして、假令《たとひ》我《われ》等《ら》は非認《ひにん》せらるとも、汝《なんぢ》等《ら》が善事《ぜんじ》を行《おこな》はん為《ため》なり。 8蓋《けだし》我《われ》等《ら》は眞理《しんり》の為《ため》に力《ちから》あり、之《これ》に背《そむ》きては何事《なにごと》も能《あた》はざればなり。 9我《われ》は我《われ》等《ら》の弱《よわ》く汝《なんぢ》等《ら》の強《つよ》きを喜《よろこ》ぶ、又《また》我《わ》が祈《いの》る所《ところ》は汝《なんぢ》等《ら》の改善《かいぜん》なり。 10不在《ふざい》にして是《これ》等《ら》の事《こと》を書贈《かきおく》るは我《わ》が至《いた》らん時《とき》、亡《ほろ》ぼさん為《ため》ならで立《た》てん為《ため》に主《しゆ》より賜《たまは》りたる権力《けんりよく》を以《もつ》て、餘《あま》りに厳《きび》しくせざらんとてなり。 11其外《そのほか》兄弟等《きやうだいたち》よ、汝《なんぢ》等《ら》喜《よろこ》び且《かつ》完全《くわんぜん》にして、相《あひ》慰《なぐさ》め、心《こころ》を同《おなじ》うして平和《へいわ》を保《たも》て、然《しか》らば平和《へいわ》と愛《あい》との神《かみ》は汝《なんぢ》等《ら》と共《とも》に在《ましま》さん。 12聖《せい》なる接吻《せつぷん》を以《もつ》て互《たがひ》に宜《よろ》しく言《い》へ、聖徒《せいと》等《ら》皆《みな》汝《なんぢ》等《ら》に宜《よろ》しくと言《い》へり。 13願《ねが》はくは我主《わがしゆ》イエズス、キリストの恩寵《おんちよう》と、神《かみ》の寵愛《いつくしみ》と、聖霊《せいれい》の交際《まじはり》と、汝《なんぢ》等《ら》一同《いちどう》と共《とも》に在《あ》らん事《こと》を、アメン。