ガラチヤの書 (ラゲ訳)
『公敎宣敎師ラゲ譯 我主イエズスキリストの新約聖書』公敎會、
1910年発行
〔ローマ・カトリック訳〕
『ラゲ訳新約聖書』エミール・ラゲ(Emile Raguet,MEP)
ガラチヤの書
目次 |
[編集] 第1章
1人《ひと》よりに非《あら》ず、人《ひと》によるにも非《あら》ず、イエズス、キリストと、之《これ》を死者《ししや》の中《うち》より復活《ふくくわつ》せしめ給《たま》ひし父《ちち》にて在《ましま》す神《かみ》とによりて使徒《しと》たるパウロ、 2並《ならび》に我《われ》と共《とも》に在《あ》る兄弟《きやうだい》一同《いちどう》、ガラチアの諸《しよ》教會《けうくわい》に[書簡《しよかん》を贈《おく》る]。 3願《ねが》はくは父《ちち》にて在《ましま》す神《かみ》、及《およ》び我主《わがしゆ》イエズス、キリストより、恩寵《おんちよう》と平安《へいあん》とを汝《なんじ》等《ら》に賜《たま》はらん事《こと》を。 4此《この》キリストは即《すなは》ち我《わが》父《ちち》にて在《ましま》す神《かみ》の思召《おぼしめし》によりて、我《われ》等《ら》を此《この》惡《あし》き世《よ》より救出《すくひいだ》さんとて、我《われ》等《ら》の罪《つみ》の為《ため》に己《おのれ》を献《ささ》げ給《たま》ひし者《もの》なれば、 5之《これ》に世々《よよ》光榮《くわうえい》あれかし、アメン。 6我《われ》は汝《なんじ》等《ら》がキリストの恩寵《おんちよう》を以《もつ》て己《おのれ》を召《め》し給《たま》ひし者《もの》を遠《とほ》ざかりて、斯《かく》も速《すみやか》に異《こと》なる福音《ふくいん》に移《うつ》れるを怪《あや》しむ。 7是《これ》異《こと》なる福音《ふくいん》あるに非《あら》ず、唯《ただ》或《ある》人々《ひとびと》が汝《なんじ》等《ら》を擾《みだ》して、キリストの福音《ふくいん》を翻《ひるがへ》さんとするなり。 8然《さ》れど我《われ》等《ら》にまれ、天《てん》よりの使《つかひ》にまれ、我《われ》等《ら》が汝《なんじ》等《ら》に宣《の》べし所《ところ》に反《はん》して福音《ふくいん》を宣《の》ぶるならば、詛《のろ》はれよかし。 9我《われ》等《ら》曩《さき》に言《い》ひしが今《いま》又《また》重《かさ》ねて言《い》ふ、汝《なんじ》等《ら》が受《う》けし所《ところ》に反《はん》して福音《ふくいん》を宣《の》ぶる者《もの》あらば詛《のろ》はれよかし。 10蓋《けだし》今《いま》我《われ》人《ひと》の心《こころ》を獲《え》んとするか、将《はた》神《かみ》の御意《みこころ》を獲《え》んとするか、人《ひと》の心《こころ》に適《かな》はんと力《つと》むるか、我《われ》尚《なほ》人《ひと》の心《こころ》に適《かな》はばキリストの僕《しもべ》に非《あら》ざるべし。 11蓋《けだし》兄弟等《きやうだいたち》よ、汝《なんじ》等《ら》に告《つげ》知《し》らせん、我《わ》が宣《の》べし福音《ふくいん》は人《ひと》によれるものに非《あら》ず、 12即《すなは》ち我《われ》人《ひと》より之《これ》を受《う》け之《これ》に學《まな》びたるに非《あら》ず、イエズス、キリストの黙示《もくし》によれるなり。 13蓋《けだし》ユデア教《けう》に於《おけ》る前《さき》の我《わが》行状《ぎやうじよう》如何《いかん》は、汝《なんじ》等《ら》の聞《き》きし所《ところ》なり。即《すなは》ち我《われ》は神《かみ》の教會《けうくわい》を甚《はなは》だしく迫害《はくがい》して之《これ》を荒《あら》し、 14我《わが》族《ぞく》中《ちゆう》なる同年輩《どうねんぱい》の人々《ひとびと》に優《まさ》りてユデア教《けう》に進《すす》み、我《わが》先祖《せんぞ》の傳《つたへ》の為《ため》に一層《いつそう》熱中《ねつちゆう》して奮發《ふんぱつ》し居《ゐ》たりしなり。 15然《しか》るに母《はは》の胎内《たいない》より選《えら》みて、其《その》恩寵《おんちよう》を以《もつ》て我《われ》を召《め》し給《たま》へる者《もの》は、 16我《われ》をして其《その》福音《ふくいん》を異邦《いはう》人《じん》の中《うち》に宣《の》べしめんとて、御子《おんこ》を我《わが》心《こころ》に顕《あらは》はし給《たま》ふことの御意《みこころ》に適《かな》ひしかば、其《その》時《とき》我《われ》直《ただち》に血肉《けつにく》に謀《はか》らず、 17又《また》エルザレム即《すなは》ち我《わが》先輩《せんぱい》なる使徒《しと》等《たち》の許《もと》にも往《ゆ》かず、アラビアに至《いた》り、復《また》ダマスコに歸《かへ》れり。 18然《さ》て三年《ねん》を経《へ》てペトロを訪問《はうもん》せんとてエルザレムに至《いた》り、十五日《にち》の間《あひだ》彼《かれ》が家《いへ》に留《とどま》りしも、 19他《た》の使徒《しと》等《たち》には、主《しゆ》の兄弟《きやうだい》ヤコボの外《ほか》誰《たれ》にも遇《あ》はざりき。 20我《わ》が汝《なんじ》等《ら》に書遣《かきおく》る事《こと》は神《かみ》の御前《みまへ》にて僞《いつはり》なし。 21其《その》後《のち》我《われ》シリア及《およ》びシリシア地方《ちはう》に至《いた》りしが、 22キリストに在《あ》るユデアの諸《しよ》教會《けうくわい》は我《わが》面《かほ》を知《し》らず、 23唯《ただ》曾《かつ》て我《われ》等《ら》を迫害《はくがい》しつつありし人《ひと》、今《いま》や己《おの》が曩《さき》に亡《ほろ》ぼさんとしたりし信仰《しんかう》を宣傳《のべつた》ふと聞《き》き、 24我《われ》に就《つ》きて光榮《くわうえい》を神《かみ》に歸《き》し奉《たてまつ》りつつありき。
[編集] 第2章
1其《その》後《のち》十四年《ねん》を経《へ》て、バルナバと共《とも》にチトをも携《たづさ》へて、再《ふたた》びエルザレムに上《のぼ》りしが、 2是《これ》神託《しんたく》によりて上《のぼ》りしなり。斯《かく》て我《わ》が異邦《いはう》人《じん》の中《うち》に宣《の》ぶる福音《ふくいん》を彼等《かれら》、殊《こと》に著《いちじる》しき人々《ひとびと》に告《つげ》知《し》らせたり、是《これ》萬一《まんいち》にも走《はし》る事《こと》、又《また》曾《かつ》て走《はし》りし事《こと》の空《むな》しくならざらん為《ため》なりき。 3然《しか》るに、我《われ》と共《とも》に在《あ》りしチトすら、原《もと》異邦《いはう》人《じん》なるも割禮《かつれい》を受《う》くる事《こと》を強《し》ひられず、 4唯《ただ》潜《くぐり》入《い》りたる僞《ぎ》兄弟《きやうだい》ありて、我《われ》等《ら》がキリスト、イエズスに於《おい》て有《も》てる自由《じいう》を探《さぐ》り、我《われ》等《ら》を奴隷《どれい》たらしめんとして入來《いりきた》りたれど、 5我《われ》等《ら》は片時《かたとき》も譲《ゆず》らず、彼等《かれら》に服《ふく》せざりき、是《これ》福音《ふくいん》の眞理《しんり》を汝《なんじ》等《ら》の中《うち》に存《そん》せしめん為《ため》なり。 6殊更《ことさら》著《いちじる》しき人々《ひとびと》に至《いた》りては、――其《その》曾《かつ》て何《なに》物《もの》たりしかは我《われ》関《くわん》せず、神《かみ》は人《ひと》につきて偏《かたよ》り給《たま》ふ事《こと》なし、――其《その》著《いちじる》しき人々《ひとびと》は何事《なにごと》をも我《われ》に加《くは》へざりき。 7却《かえつ》て割禮《かつれい》ある人々《ひとびと》に福音《ふくいん》を宣《の》ぶる事《こと》のペトロに委《ゆだ》ねられたる如《ごと》く、割禮《かつれい》なき人々《ひとびと》に宣《の》ぶる事《こと》の我《われ》に委《ゆだ》ねられたるを見《み》しかば、 8――其《そ》はペトロに割禮《かつれい》ある人々《ひとびと》の使徒《しと》となる力《ちから》を賜《たま》ひし者《もの》は、我《われ》にも異邦《いはう》人《じん》の中《うち》に於《おい》て力《ちから》を賜《たま》ひたればなり、―― 9柱《はしら》とも見《み》えたるヤコボとケファとヨハネとは、我《われ》に賜《たま》はりたる恩寵《おんちよう》を辨《わきま》へて、一致《いつち》の印《しるし》として右《みぎ》の手《て》を我《われ》とバルナバとに與《あた》へたり。是《これ》我《われ》等《ら》は異邦《いはう》人《じん》に至《いた》り、彼等《かれら》は割禮《かつれい》ある人々《ひとびと》に至《いた》らん為《ため》なり。 10唯《ただ》彼等《かれら》の願《ねが》ふ所《ところ》は、我《われ》等《ら》が貧者《ひんしや》を顧《かへり》みん事《こと》なりしが、我《われ》も心懸《こころが》けて之《これ》を行《おこな》へり。 11然《しか》れどもケファアンチオキアに來《きた》りし時《とき》、咎《とが》むべき事《こと》ありしかば、我《われ》は面前《まのあたり》之《これ》に反對《はんたい》せり。 12其《そ》は、或《ある》人々《ひとびと》のヤコボの許《もと》より來《きた》る迄《まで》は、彼《かれ》異邦《いはう》人《じん》と共《とも》に食《しよく》し居《ゐ》たれど、彼等《かれら》來《きた》りしかばケファは割禮《かつれい》ある人々《ひとびと》に憚《はばか》り、扣《ひか》へて異邦《いはう》人《じん》を離《はな》れ居《ゐ》たればなり。 13他《た》のユデア人《じん》此《この》匿行《かくしだて》に同意《どうい》せしかば、バルナバも亦《また》彼等《かれら》より其《その》匿行《かくしだて》に誘《さそ》はるるに至《いた》れり。 14斯《かく》て彼等《かれら》が福音《ふくいん》の眞理《しんり》に從《したが》ひて正《ただ》しく歩《あゆ》まざるを見《み》て、我《われ》一同《いちどう》の前《まへ》にてケファに謂《い》へらく、汝《なんじ》ユデア人《じん》にてありながら、ユデア人《じん》の如《ごと》くにせず、異邦《いはう》人《じん》の如《ごと》く行《おこな》へるに、何《なん》ぞ異邦《いはう》人《じん》を強《し》ひてユデア人《じん》の習慣《しうかん》に從《したが》はせんとはする。 15我《われ》等《ら》は生來《せいらい》ユデア人《じん》にして、異邦《いはう》人《じん》より出《い》でし罪人《つみびと》には非《あら》ず、 16然《さ》りながら人《ひと》の義《ぎ》とせらるるは、律法《りつぱふ》の業《わざ》に由《よ》らずして、唯《ただ》イエズス、キリストに於《おけ》る信仰《しんかう》に由《よ》るを知《し》るが故《ゆゑ》に、我《われ》等《ら》も律法《りつぱふ》の業《わざ》に由《よ》らず、キリストに於《おけ》る信仰《しんかう》に由《よ》りて義《ぎ》とせられん為《ため》に、キリスト、イエズスを信《しん》ずるなり、其《そ》は何人《なにびと》も律法《りつぱふ》の業《わざ》に由《よ》りて義《ぎ》とせられざればなり。 17若《もし》キリストに於《おい》て義《ぎ》とせられん事《こと》を力《つと》めて、尚《なほ》罪人《つみびと》とせられなばキリストは罪《つみ》の役者《えきしや》なるか、否々《いないな》。 18若《もし》我《われ》既《すで》に毀《こぼ》ちたるものを再《ふたた》び建《た》つれば、自《みづか》ら僞譎《いつはり》者《もの》となるなり。 19然《さ》れば我《われ》は神《かみ》に活《い》きん為《ため》に律法《りつぱふ》を以《もつ》て律法《りつぱふ》に死《し》し、 20キリストと共《とも》に十字架《じふじか》に釘《つ》けられたるなり。夫《それ》我《われ》は活《い》くと雖《いへど》も、最早《もはや》我《われ》に非《あら》ず、キリストこそ我《われ》に於《おい》て活《い》き給《たま》ふなれ。我《われ》肉體《にくたい》に活《い》くと雖《いへど》も、我《われ》を愛《あい》して我《わが》為《ため》に己《おのれ》を付《わた》し給《たま》ひし神《かみ》の御子《おんこ》の信仰《しんかう》に於《おい》て活《い》くるなり。 21我《わが》神《かみ》の恩寵《おんちよう》を棄《す》つるに非《あら》ず、若《もし》義《ぎ》とせらるる事《こと》律法《りつぱふ》に由《よ》らば、キリストは徒《いたづら》に死《し》し給《たま》ひしなり。
[編集] 第3章
1愚《おろ》かなる哉《かな》ガラチア人《じん》よ、十字架《じふじか》に釘《つ》けられ給《たま》ひしイエズス、キリスト、汝《なんじ》等《ら》の目前《もくぜん》に書《えが》かれ給《たま》ひたるに、誰《たれ》か汝《なんじ》等《ら》を蕩《とらか》して眞理《しんり》に背《そむ》かしめしぞ、 2我《われ》は唯《ただ》此《この》事《こと》を聞《き》かんと欲《ほつ》す、汝《なんじ》等《ら》が聖霊《せいれい》を蒙《かうむ》りしは律法《りつぱふ》の業《わざ》によるか、信仰《しんかう》に從《したが》ひしによるか。 3汝《なんじ》等《ら》聖霊《せいれい》を以《もつ》て始《はじま》りしものを、今《いま》は肉《にく》を以《もつ》て終《をは》る迄《まで》に愚《おろか》なるか。 4夥《おびただ》しく苦《くる》しみしは無益《むえき》とならんか、否《いな》無益《むえき》に非《あら》ざれかし。 5然《さ》れば汝《なんじ》等《ら》に[聖《せい》]霊《れい》を賜《たま》ひて、汝《なんじ》等《ら》の中《うち》に奇蹟《きせき》を行《おこな》ひ給《たま》へる者《もの》の斯《か》く為《な》し給《たま》ふは律法《りつぱふ》の業《わざ》によるか、信仰《しんかう》に從《したが》ひしによるか、 6録《かきしる》して、「アブラハム神《かみ》を信《しん》ぜり、而《しか》して此《この》事《こと》義《ぎ》として之《これ》に歸《き》せられたり」とあるが如《ごと》し。 7故《ゆゑ》に信仰《しんかう》に由《よ》る人々《ひとびと》は、是《これ》アブラハムの子等《こども》なりと知《し》れ。 8斯《かく》て聖書《せいしよ》は、神《かみ》が信仰《しんかう》に由《よ》りて異邦《いはう》人《じん》を義《ぎ》とし給《たま》ふ事《こと》を豫《あらかじ》め知《し》りて、曾《かつ》てアブラハムに福音《ふくいん》を告《つ》げて曰《いは》く、「萬民《ばんみん》汝《なんじ》に於《おい》て祝《しゆく》せられん」と。 9然《さ》れば信仰《しんかう》に由《よ》る人々《ひとびと》は、忠實《ちゆうじつ》なるアブラハムと共《とも》に祝《しゆく》せらるべきなり。 10凡《おほよそ》律法《りつぱふ》の業《わざ》に由《よ》る人々《ひとびと》は詛《のろひ》の下《した》に在《あ》り、其《そ》は録《かきしる》して、「総《すべ》て律法《りつぱふ》の書《しよ》に録《かきしる》されたる事《こと》を悉《ことごと》く守《まも》らんとして、之《これ》に止《とどま》らざる人《ひと》は詛《のろ》はるべし」、とあればなり。 11抑《そもそも》人《ひと》が律法《りつぱふ》によりて神《かみ》の御前《みまへ》に義《ぎ》とせられざる事《こと》は、「義人《ぎじん》は信仰《しんかう》によりて活《い》く」、とあるを以《もつ》て明《あきらか》なり。 12律法《りつぱふ》は信仰《しんかう》によるに非《あら》ずして、「掟《おきて》を行《おこな》ふ人《ひと》は之《これ》によりて活《い》きん」、とあり。 13録《かきしる》して、「総《すべ》て木《き》に吊《つる》さるる人《ひと》は詛《のろ》はれたるなり」、とあれば、キリストは我《われ》等《ら》の為《ため》に詛《のろ》はれたる者《もの》となりて、律法《りつぱふ》の詛《のろひ》より我《われ》等《ら》を贖《あがな》ひ給《たま》ひしなり。 14是《これ》アブラハムの祝福《しゆくふく》がキリスト、イエズスによりて異邦《いはう》人《じん》に及《およ》ぼされ、約束《やくそく》せられ給《たま》ひし聖霊《せいれい》を信仰《しんかう》によりて我《われ》等《ら》が受《う》けん為《ため》なり。 15兄弟等《きやうだいたち》よ、我《われ》人《ひと》の言《い》ふが如《ごと》くに言《い》へば、人《ひと》の公正《くわうせい》なる遺書《ゐしよ》は廃《はい》する人《ひと》なく書《かき》加《くは》ふる人《ひと》なし。 16アブラハムと其《その》裔《すゑ》とに約束《やくそく》せられし時《とき》、多《おほ》くの人《ひと》を斥《さ》すが如《ごと》く裔《すゑ》[等《ら》]とは曰《のたま》はずして、一人《ひとり》を斥《さ》して汝《なんじ》の裔《すゑ》と曰《のたま》へり、これ即《すなは》ちキリストなり。 17然《さ》て我《われ》は言《い》はん、神《かみ》の既《すで》に固《かた》め給《たま》ひし契約《けいやく》をば、其《それ》より四百三十年《ねん》の後《のち》に與《あた》へられし律法《りつぱふ》が、約束《やくそく》を空《むな》しからしめんとて廃《はい》したるに非《あら》ず。 18蓋《けだし》世継《よつぎ》若《もし》律法《りつぱふ》に由《よ》らば、是《これ》既《すで》に約束《やくそく》に由《よ》らざるなり。然《さ》れど神《かみ》は約束《やくそく》を以《もつ》て、之《これ》をアブラハムに賜《たま》ひたるなり。 19然《しか》らば律法《りつぱふ》は何《なん》ぞや、是《これ》約束《やくそく》せられし裔《すゑ》の來《きた》る迄《まで》の間《あひだ》、犯則《はんそく》の為《ため》に置《お》かれしものにして、仲裁《ちゆうさい》者《しや》の手《て》を経《へ》て天使等《てんしたち》によりて布告《ふこく》せられたるものなり。 20然《さ》て仲裁《ちゆうさい》者《しや》は一方《いつぽう》のものに非《あら》ざるに、神《かみ》は唯《ゆゐ》一《いつ》にて在《ましま》す。 21然《さ》れば律法《りつぱふ》は神《かみ》の約束《やくそく》に反《はん》するか、否々《いないな》、蓋《けだし》若《もし》人《ひと》を能《よ》く活《い》かすべき律法《りつぱふ》を與《あた》へられたらんには、義《ぎ》は實《じつ》に律法《りつぱふ》により出《い》づべし 22と雖《いへど》も、聖書《せいしよ》は萬物《ばんぶつ》を罪《つみ》の下《もと》に閉籠《とぢこめ》たり。是《これ》約束《やくそく》はイエズス、キリストに於《おけ》る信仰《しんかう》に由《よ》りて、信《しん》ずる人《ひと》に與《あた》へられん為《ため》なり。 23信仰《しんかう》の來《きた》る前《まへ》には、我《われ》等《ら》は律法《りつぱふ》の下《もと》に閉籠《とぢこめ》められて、顕《あらは》れんとする信仰《しんかう》の來《きた》るまで衛《まも》られつつありき。 24然《さ》れば我《われ》等《ら》が信仰《しんかう》に由《よ》りて義《ぎ》とせられん為《ため》に、律法《りつぱふ》は我《われ》等《ら》をキリストに導《みちび》く指導《しどう》者《しや》となれり。 25然《さ》れど信仰《しんかう》既《すで》に來《きた》りては、我《われ》等《ら》は最早《もはや》指導《しどう》者《しや》の下《もと》に在《あ》らず、 26其《そ》は汝《なんじ》等《ら》、キリスト、イエズスに於《おけ》る信仰《しんかう》に由《よ》りて、皆《みな》神《かみ》の子等《こども》なればなり。 27即《すなは》ちキリストに由《よ》りて洗《せん》せられたる汝《なんじ》等《ら》は、悉《ことごと》くキリストを着《ちやく》せるなり。 28斯《かく》てユデア人《じん》もなくギリシア人《じん》もなく、奴隷《どれい》も自由《じいう》の身《み》もなく、男《をとこ》も女《をんな》もなし、其《そ》は汝《なんじ》等《ら》キリスト、イエズスに於《おい》て皆《みな》一人《ひとり》なればなり。 29汝《なんじ》等《ら》若《もし》キリストのものならば、是《これ》アブラハムの裔《すゑ》なり、約束《やくそく》の儘《まま》なる世嗣《よつぎ》なり。
[編集] 第4章
1然《さ》て我《われ》は言《い》はん、世嗣《よつぎ》は家督《かとく》の主《しゆ》なりと雖《いへど》も、小兒《せうに》の間《あひだ》は奴隷《どれい》と異《こと》なる事《こと》なく、 2父《ちち》の定《さだ》めたる時《とき》までは、後見人《こうけんにん》及《およ》び治産《ちさん》者《しや》の下《もと》に在《あ》り。 3斯《かく》の如《ごと》く、我《われ》等《ら》も小兒《せうに》の中《うち》は世《よ》の小學《せうがく》の下《もと》に事《つか》へつつありき。 4然《さ》れど満期《まんき》の時《とき》至《いた》りて、神《かみ》は御子《おんこ》を女《をんな》より生《な》りたるもの、律法《りつぱふ》の下《もと》に生《な》りたるものとして遣《つか》はし給《たま》へり。 5是《これ》律法《りつぱふ》の下《もと》に在《あ》りし人々《ひとびと》を贖《あがな》ひ、我《われ》等《ら》をして子《こ》とせらるることを得《え》しめ給《たま》はん為《ため》なり。 6斯《かく》て汝《なんじ》等《ら》が子《こ》たるによりて、神《かみ》は、アバ、父《ちち》よ、と叫《さけ》び給《たま》へる御子《おんこ》の霊《れい》を、汝《なんじ》等《ら》の心《こころ》に遣《つか》はし給《たま》へり。 7然《さ》れば最早《もはや》奴隷《どれい》に非《あら》ずして子《こ》たるなり、子《こ》たる上《うへ》は又《また》神《かみ》によりて世嗣《よつぎ》たるなり。 8彼《かの》時《とき》には汝《なんじ》等《ら》神《かみ》を知《し》らず、生來《せいらい》神《かみ》たらざるものに事《つか》へて奴隷《どれい》たりき。 9然《さ》れど今《いま》は既《すで》に神《かみ》を識《し》り、而《しか》も亦《また》神《かみ》に識《し》られたるに、如何《いかん》ぞ再《ふたた》び弱《よわ》く乏《とぼ》しき小學《せうがく》に返《かへ》りて、更《さら》に之《これ》に事《つか》へんとはする。 10汝《なんじ》等《ら》は日《ひ》と月《つき》と季節《きせつ》と年《とし》とを守《まも》る。 11我《われ》汝《なんじ》等《ら》の為《ため》に氣《き》遣《づか》ひ、或《あるひ》は汝《なんじ》等《ら》の中《うち》に働《はたら》きし事《こと》の無益《むえき》とならんことを恐《おそ》る。 12兄弟等《きやうだいたち》よ、我《われ》も汝《なんじ》等《ら》の如《ごと》くに成《な》れば、希《こひねが》はくは汝《なんじ》等《ら》我《わ》が如《ごと》くに成《な》れ。汝《なんじ》等《ら》は曾《かつ》て我《われ》を害《がい》せし事《こと》なし、 13却《かえつ》て知《し》れる如《ごと》く、我《わ》が初《はじ》め福音《ふくいん》を汝《なんじ》等《ら》に述《の》べし時《とき》、身體《しんたい》の虚弱《きよじやく》を以《もつ》てし、其《その》身體《しんたい》汝《なんじ》等《ら》の試《こころみ》となれるを、 14卑《いや》しむ事《こと》なく嫌《きら》ふ事《こと》もなくして、我《われ》を神《かみ》の使《つかひ》の如《ごと》く、キリスト、イエズスの如《ごと》くにさへ承《う》けたりき。 15汝《なんじ》等《ら》の主張《しゆちよう》せし福《さいはひ》何處《いづこ》にかある、我《われ》汝《なんじ》等《ら》の為《ため》に證明《しようめい》す、為《な》し得《う》べくんば汝《なんじ》等《ら》己《おの》が目《め》をも抉《えぐ》りて我《われ》に與《あた》へしならん。 16然《さ》れば我《われ》汝《なんじ》等《ら》に眞《まこと》を語《かた》りて汝《なんじ》等《ら》の敵《てき》となりたるか、 17彼《かの》人々《ひとびと》は汝《なんじ》等《ら》の為《ため》に盡力《じんりよく》すれども、是《これ》好意《かうい》に非《あら》ず、己《おの》が為《ため》に盡力《じんりよく》せしめんとて、汝《なんじ》等《ら》をして離《はな》れしめんと欲《ほつ》せるなり。 18絶《た》えず善事《ぜんじ》に就《つ》きて盡力《じんりよく》せらるるは宜《よ》きことながら、我《わ》が汝《なんじ》等《ら》の中《うち》に在《あ》る時《とき》のみにては足《た》らざるなり。 19我《わ》が小子《せうし》よ、汝《なんじ》等《ら》の中《うち》にキリストの形《かたち》造《づく》られ給《たま》ふ迄《まで》は、我《われ》汝《なんじ》等《ら》の為《ため》に陣痛《ぢんつう》に遇《あ》へり。 20望《のぞ》むらくは汝《なんじ》等《ら》の中《うち》に在《あ》りて聲音《こわね》を變《か》へん事《こと》を、其《そ》は汝《なんじ》等《ら》に就《つ》きて當惑《たうわく》すればなり。 21律法《りつぱふ》の下《もと》に在《あ》らんと欲《ほつ》する者《もの》よ、我《われ》に語《かた》れ、汝《なんじ》等《ら》律法《りつぱふ》を聞《き》きし事《こと》なきか、 22蓋《けだし》録《かきしる》して、アブラハムに二人《ふたり》の子《こ》ありしに、一人《ひとり》は奴隷《どれい》の婦《をんな》よりし、一人《ひとり》は自由《じいう》の身《み》なる婦《をんな》よりせり、とあり。 23奴隷《どれい》の婦《をんな》の子《こ》は肉《にく》に從《したが》ひて生《うま》れしに、自由《じいう》の身《み》なる婦《をんな》の子《こ》は約束《やくそく》によりて生《うま》れたり。 24是《これ》等《ら》の事《こと》の言《い》はれしは前表《ぜんぺう》にして、彼《かの》婦《をんな》は兩約《りやうやく》を斥《さ》す、一《いつ》はシナイ山《ざん》よりして子《こ》を奴隷《どれい》に生《う》む、之《これ》即《すなは》ちアガルなり。 25蓋《けだし》シナイ山《ざん》はアラビアに在《あ》りて、今《いま》のエルザレムに當《あた》り、其《その》子等《こども》と共《とも》に奴隷《どれい》なり。 26然《さ》れど上《うへ》なるエルザレムは自由《じいう》の身《み》にして、之《これ》ぞ我《われ》等《ら》の母《はは》なる。 27蓋《けだし》録《かきしる》して、「石女《うまずめ》にして生《う》まざる者《もの》よ、喜《よろこ》べ、産《さん》せざる者《もの》よ、聲《こゑ》を揚《あ》げて呼《よば》はれ、其《そ》は獨《ひと》り殘《のこ》されたる婦《をんな》は、夫《をつと》ある者《もの》よりも子《こ》多《おほ》ければなり」、とあり。 28兄弟等《きやうだいたち》よ、我《われ》等《ら》はイザアクの如《ごと》く約束《やくそく》の子《こ》なり、 29然《さ》て彼《かの》時《とき》肉《にく》によりて生《うま》れたりし者《もの》が、霊《れい》によれる者《もの》を迫害《はくがい》したりし如《ごと》く、今《いま》も尚《なほ》然《しか》るなり。 30然《さ》れど聖書《せいしよ》は何《なん》とか言《い》へる、「奴隷《どれい》の婦《をんな》と其《その》子《こ》とを遂払《おひはら》へ、其《そ》は奴隷《どれい》の婦《をんな》の子《こ》は自由《じいう》の身《み》なる婦《をんな》の子《こ》と共《とも》に世嗣《よつぎ》たるべからざればなり」、とあり。 31然《さ》れば兄弟等《きやうだいたち》よ、我《われ》等《ら》は奴隷《どれい》の婦《をんな》の子《こ》に非《あら》ず、自由《じいう》の身《み》なる婦《をんな》の子《こ》なり、キリストの我《われ》等《ら》を贖《あがな》ひ給《たま》へるは自由《じいう》の為《ため》なり。
[編集] 第5章
1毅然《きぜん》として再《ふたた》び奴隷《どれい》の軛《くびき》に制《せい》せらるること勿《なか》れ。 2然《さ》て我《われ》パウロ汝《なんじ》等《ら》に断言《だんげん》す、若《もし》割禮《かつれい》を受《う》けなば、キリストは聊《いささか》も汝《なんじ》等《ら》に益《えき》あらざるべし。 3我《われ》は又《また》更《さら》に、総《すべ》て割禮《かつれい》を受《う》くる人《ひと》に證明《しようめい》す、彼《かれ》は悉《ことごと》く律法《りつぱふ》を守《まも》るべき負債《ふさい》あり。 4律法《りつぱふ》によりて義《ぎ》とせられんとする人々《ひとびと》よ、汝《なんじ》等《ら》はキリストを離《はな》れたるなり、恩寵《おんちよう》より堕落《だらく》せるなり。 5我《われ》等《ら》は即《すなは》ち[聖《せい》]霊《れい》を以《もつ》て信仰《しんかう》に由《よ》りてこそ義《ぎ》の希望《きぼう》[する所《ところ》]を待《ま》てるなれ。 6蓋《けだし》キリスト、イエズスに於《おい》て價値《かち》あるは割禮《かつれい》に非《あら》ず無《む》割禮《かつれい》に非《あら》ず、愛《あい》を以《もつ》て働《はたら》く所《ところ》の信仰《しんかう》是《これ》なり。 7汝《なんじ》等《ら》は能《よ》く走《はし》り居《ゐ》たりしものを、誰《たれ》か眞理《しんり》に從《したが》はせじとて妨《さまた》げしぞ、 8斯《かか》る勧《すすめ》は汝《なんじ》等《ら》を召《め》し給《たま》ふものより出《い》でず、 9少《すこ》しの酵《たね》は麪《ぱん》の全體《ぜんたい》を腐敗《ふはい》せしむ、 10我《わ》が汝《なんじ》等《ら》に就《つ》き主《しゆ》によりて希望《きぼう》する所《ところ》は、汝《なんじ》等《ら》が別《べつ》意《い》なからん事《こと》是《これ》なり。然《さ》れど誰《たれ》にもあれ汝《なんじ》等《ら》を擾《みだ》す人《ひと》は、其《その》罪《つみ》を負《お》ふべし。 11兄弟等《きやうだいたち》よ、我《われ》もし尚《なほ》割禮《かつれい》の事《こと》を宣傳《のべつた》ふるならば、何《なん》ぞ迫害《はくがい》を受《う》けつつあらんや。果《はた》して然《しか》らば、十字架《じふじか》に躓《つまづ》く事《こと》は歇《や》みたるならん。 12願《ねが》はくは汝《なんじ》等《ら》を惑《まど》はす人々《ひとびと》の裁除《とりのぞ》かれん事《こと》を。 13蓋《けだし》兄弟等《きやうだいたち》よ、汝《なんじ》等《ら》既《すで》に召《め》されて自由《じいう》を得《え》たれば、其《その》自由《じいう》を肉《にく》の機會《きくわい》として與《あた》ふる事《こと》なく、(霊《れい》の)愛《あい》を以《もつ》て互《たがひ》に事《つか》へよ。 14其《そ》は、「汝《なんじ》近《ちか》き者《もの》を己《おのれ》の如《ごと》く愛《あい》すべし」、との一言《いちごん》に於《おい》て、律法《りつぱふ》は悉《ことごと》く全《まつた》うせらるればなり。 15然《さ》れど汝《なんじ》等《ら》もし互《たがひ》に相《あひ》咬《か》み相《あひ》食《は》まば、互《たがひ》に亡《ほろ》ぼされざる様《やう》用心《ようじん》せよ。 16我《われ》は言《い》はん、霊《れい》に從《したが》ひて歩《あゆ》め、然《しか》らば肉《にく》の慾《よく》を行《おこな》ふまじ。 17蓋《けだし》肉《にく》の望《のぞ》む所《ところ》は霊《れい》に反《はん》し、霊《れい》の望《のぞ》む所《ところ》は肉《にく》に反《はん》す、其《その》相《あひ》戻《もど》るは汝《なんじ》等《ら》が欲《ほつ》する所《ところ》を悉《ことごと》く為《な》さざらん為《ため》なり。 18汝《なんじ》等《ら》若《もし》霊《れい》に導《みちび》かるれば、律法《りつぱふ》の下《もと》に在《あ》らず。 19然《さ》て肉《にく》の業《わざ》は顕《あらは》なり、即《すなは》ち私通《しつう》、不潔《ふけつ》、猥褻《わいせつ》、邪淫《じやいん》、 20偶像《ぐうざう》崇拝《すうはい》、魔術《まじゆつ》、怨恨《うらみ》、争闘《あらそひ》、嫉妬《ねたみ》、憤怒《はらだち》、喧嘩《けんくわ》、擾亂《そうらん》、異説《いせつ》、 21猜忌《そねみ》、殺人《ひとごろし》、酩酊《めいてい》、饕食《たうしょく》等《など》是《これ》なり。既《すで》に豫《あらかじ》め汝《なんじ》等《ら》に告《つ》げし如《ごと》く今《いま》も言《い》ひ置《お》く、斯《かか》る事《こと》を為《な》す人《ひと》は神《かみ》の國《くに》を得《え》ざるべし。 22然《しか》るに霊《れい》の好果《かうくわ》は、(愛《あい》)、喜《よろこび》、平安《へいあん》、堪忍《かんにん》、慈恵《じけい》、善良《ぜんりやう》、(忍耐《にんたい》)、 23温良《をんりやう》、眞實《しんじつ》、謹慎《きんしん》、節制《せつせい》、貞操《ていさう》なり、斯《かか》るものに向《むか》ひては律法《りつぱふ》ある事《こと》なし。 24夫《それ》キリストのものたる人々《ひとびと》は、己《おの》が肉身《にくしん》を其《その》惡徳《あくとく》及《およ》び諸《しよ》慾《よく》と共《とも》に十字架《じふじか》に釘《つ》けたるなり。 25我《われ》等《ら》若《もし》霊《れい》によりて活《い》きなば、又《また》霊《れい》によりて歩《あゆ》むべし。 26虚榮《きよえい》を好《この》みて相《あひ》挑《いど》み相《あひ》猜《そね》む者《もの》と成《な》ること勿《なか》れ。
[編集] 第6章
1兄弟等《きやうだいたち》よ、人《ひと》若《もし》誘《いざな》はれて過《あやま》つ事《こと》ありとも、汝《なんじ》等《ら》は霊《れい》に導《みちび》かるる者《もの》なれば、己《おのれ》も亦《また》誘《いざな》はるる事《こと》あるべきを省《かへり》みて、柔和《にうわ》なる精神《せいしん》を以《もつ》て之《これ》を改善《かいぜん》せしめよ。 2汝《なんじ》等《ら》は互《たがひ》の荷《に》を負《お》へ、然《しか》らばキリストの律法《りつぱふ》を全《まつた》うすべし。 3蓋《けだし》人《ひと》何者《なにもの》にも非《あら》ざるに、何者《なにもの》かなりと思《おも》ふは自《みづか》ら欺《あざむ》くなり。 4各《おのおの》己《おの》が行状《ぎやうじよう》を試《ため》し見《み》よ、然《しか》らば他人《たにん》に對《たい》して誇《ほこ》らず、己《おのれ》のみによりて誇《ほこ》るならん、 5其《そ》は人《ひと》各《おのおの》己《おの》が荷《に》を負《お》ふべければなり。 6教《をしへ》を學《まな》ぶ人《ひと》は、學《まな》ばしむる人《ひと》に一切《いつさい》の所有物《もちもの》の内《うち》を分《わけ》與《あた》へよ。 7自《みづか》ら欺《あざむ》く勿《なか》れ、神《かみ》は侮《あなど》られ給《たま》ふものに非《あら》ず、 8人《ひと》は其《その》撒《ま》きし所《ところ》を刈取《かりと》らん、即《すなは》ち己《おの》が肉《にく》の為《ため》に蒔《ま》く人《ひと》は、又《また》肉《にく》より腐敗《ふはい》を刈取《かりと》り、霊《れい》の為《ため》に撒《ま》く人《ひと》は、又《また》霊《れい》より永遠《えいえん》の生命《せいめい》を刈取《かりと》らん。 9我《われ》等《ら》は善《ぜん》を為《な》すに倦《う》むべからず、其《そ》は時機《じき》至《いた》らば、倦《う》まずして刈取《かりと》るべければなり。 10然《さ》れば暇《いとま》ある間《あひだ》は、我《われ》等《ら》は衆人《しゆうじん》特《こと》に信仰《しんかう》の家人《かじん》に善《ぜん》を為《な》すべし。 11看《み》よ、我《われ》手《て》づから如何《いか》なる大字《たいじ》にて汝《なんじ》等《ら》に書贈《かきおく》れるかを。 12凡《およそ》肉《にく》に於《おい》て人心《じんしん》を獲《え》んと欲《ほつ》する人《ひと》は、強《し》ひて汝《なんじ》等《ら》に割禮《かつれい》を受《う》けしむ、是《これ》唯《ただ》キリストの十字架《じふじか》によりて迫害《はくがい》を受《う》けざらん為《ため》のみ。 13斯《か》く割禮《かつれい》を受《う》くる人々《ひとびと》が、自《みづか》ら律法《りつぱふ》を守《まも》らずして汝《なんじ》等《ら》に割禮《かつれい》を受《う》けしめんとするは、汝《なんじ》等《ら》の肉身《にくしん》に就《つ》きて誇《ほこ》らん為《ため》なり。 14我《われ》は我主《わがしゆ》イエズス、キリストの十字架《じふじか》に於《おい》ての外《ほか》は決《けつ》して誇《ほこ》る事《こと》なかるべし。彼《かれ》を以《もつ》て世《よ》は我《われ》に取《と》りて十字架《じふじか》に釘《つ》けられたるものにして、我《わ》が世《よ》に於《おけ》るも亦《また》然《しか》り。 15蓋《けだし》キリスト、イエズスに於《おい》て價値《かち》あるは、割禮《かつれい》に非《あら》ず無《む》割禮《かつれい》に非《あら》ず、新《あらた》なる被《ひ》造物《ざうぶつ》なり。 16誰《たれ》にもあれ、此《この》法《はふ》に從《したが》へる人々《ひとびと》の上《うへ》に、冀《こひねが》はくは平安《へいあん》と慈悲《じひ》とあれかし、神《かみ》のイスラエルの上《うへ》にも亦《また》然《しか》あれかし。 17今《いま》より後《のち》誰《たれ》も我《われ》を煩《わづら》はすべからず、其《そ》は我《われ》主《しゆ》イエズスの傷痕《きづあと》を身《み》に負《お》へばなり。 18兄弟等《きやうだいたち》よ、願《ねが》はくは我主《わがしゆ》イエズス、キリストの恩寵《おんちよう》、汝《なんじ》等《ら》の霊《れい》と共《とも》に在《あ》らん事《こと》を、アメン。