エフェソ書 (ラゲ訳)
『公敎宣敎師ラゲ譯 我主イエズスキリストの新約聖書』公敎會、
1910年発行
〔ローマ・カトリック訳〕
『ラゲ訳新約聖書』エミール・ラゲ(Emile Raguet,MEP)
エフェソ書
目次 |
[編集] 第1章
1神《かみ》の思召《おぼしめし》によりてイエズス、キリストの使徒《しと》たるパウロ、エフェゾに在《あ》る(凡《すべ》ての)聖徒《せいと》、並《ならび》にキリスト、イエズスに於《おけ》る信徒《しんと》に[書簡《しよかん》を贈《おく》る]。 2願《ねが》はくは我《わが》父《ちち》にて在《ましま》す神《かみ》及《およ》び主《しゆ》イエズス、キリストより、恩寵《おんちよう》と平安《へいあん》とを汝《なんぢ》等《ら》に賜《たま》はらん事《こと》を。 3祝《しゆく》すべき哉《かな》、我主《わがしゆ》イエズス、キリストの神《かみ》及《およ》び父《ちち》、是《こ》はキリストに於《おい》て諸《もろもろ》の霊的《れいてき》祝福《しゆくふく》を以《もつ》て我《われ》等《ら》を天《てん》より祝《しゆく》し給《たま》ひ、 4御前《みまへ》に於《おい》て聖《せい》にして汚《けがれ》なき者《もの》たらしめんとて、寵愛《いつくしみ》を以《もつ》て、世界《せかい》開闢《かいびやく》以前《いぜん》よりキリストによりて選《えら》み給《たま》ひ、 5思召《おぼしめし》のまにまに、イエズス、キリストを以《もつ》て己《おの》が子《こ》とならしめん事《こと》を預定《よてい》し給《たま》ひたればなり。 6是《これ》最愛《さいあい》なる御子《おんこ》に於《おい》て我《われ》等《ら》に賜《たま》ひし榮光《えいくわう》ある恩寵《おんちよう》の誉《ほまれ》の為《ため》なり。 7我《われ》等《ら》が贖《あがなひ》を得《え》、罪《つみ》の赦《ゆるし》を得《う》るは、キリストに在《あ》りて其《その》御血《おんち》によれり、即《すなは》ち神《かみ》の豊《ゆたか》なる恩寵《おんちよう》に由《よ》れるなり。 8其《その》恩寵《おんちよう》我《われ》等《ら》に溢《あふ》れて、諸《もろもろ》の智恵《ちゑ》及《およ》び悟《さとり》を開《ひら》けり、 9是《これ》御旨《みむね》に從《したが》ひて、キリストを以《もつ》て預定《よてい》し給《たま》ひし思召《おぼしめし》の奥義《おくぎ》を、我《われ》等《ら》に諭《さと》し給《たま》はん為《ため》なり。 10此《この》思召《おぼしめし》は、時期《じき》の満《み》つるに及《およ》びて一切《いつさい》のもの、即《すなは》ち天《てん》に在《あ》るものをも地《ち》に在《あ》るものをも悉《ことごと》くキリストに於《おい》て一《いつ》の首《かしら》の下《もと》に輯《まと》め給《たま》ふに在《あ》り。 11我《われ》等《ら》もキリストに於《おい》て選《えら》まれ、思召《おぼしめ》す儘《まま》に萬事《ばんじ》を行《おこな》ひ給《たま》ふものの量《はかり》に從《したが》ひて預定《よてい》せられたり、 12是《これ》先《さき》んじてキリストを希望《きぼう》せし我《われ》等《ら》が、其《その》光榮《くわうえい》の誉《ほまれ》とならん為《ため》なり。 13汝《なんぢ》等《ら》も亦《また》キリストに於《おい》て、眞理《しんり》の言《ことば》なる汝《なんぢ》等《ら》の救霊《たすかり》の福音《ふくいん》を聞《き》き、且《かつ》之《これ》を信《しん》じて約束《やくそく》せられ給《たま》ひたりし聖霊《せいれい》を以《もつ》て證《しよう》印《いん》せられしが、 14之《これ》汝《なんぢ》等《ら》の世嗣《よつぎ》の保證《ほしよう》として、獲《え》られたる人々《ひとびと》の贖《あがなひ》となり、其《その》光榮《くわうえい》の誉《ほまれ》と成《な》らん為《ため》に賜《たま》はりたるなり。 15故《ゆゑ》に我《われ》も、主《しゆ》イエズスに於《おけ》る汝《なんぢ》等《ら》の信仰《しんかう》と、凡《すべ》ての聖徒《せいと》に對《たい》する愛情《あいじやう》とを聞《き》きて、 16不絶《たえず》汝《なんぢ》等《ら》の為《ため》に感謝《かんしや》し、我《わが》祈祷《きたう》の中《うち》に汝《なんぢ》等《ら》を記念《きねん》す。 17祈《いの》る所《ところ》は我主《わがしゆ》イエズス、キリストの神《かみ》、光榮《くわうえい》の父《ちち》が、汝《なんぢ》等《ら》に知識《ちしき》と黙示《もくし》との霊《れい》を賜《たま》ひて神《かみ》を識《し》らしめ、 18汝《なんぢ》等《ら》の心《こころ》の眼《め》を明《あきらか》にして、其《その》召《めし》によれる希望《きぼう》の如何《いかん》を識《し》らしめ、聖徒《せいと》等《ら》に賜《たま》ふべき世嗣《よつぎ》の光榮《くわうえい》富《とみ》の如何《いかん》を識《し》らしめ 19其《その》全能《ぜんのう》の勢力《せいりよく》の作為《はたらき》によりて、信《しんじ》奉《たてまつ》る我《われ》等《ら》に於《おい》て、其《その》勢力《せいりよく》の如何《いか》に優《すぐ》れて偉大《ゐだい》なるかを識《し》らしめ給《たま》はん事《こと》是《これ》なり。 20其《その》勢力《せいりよく》をキリストに於《おい》て顕《あらは》し、之《これ》を死者《ししや》の中《うち》より復活《ふくくわつ》せしめ、天《てん》に於《おい》て之《これ》を己《おのれ》の右《みぎ》に置《お》き、 21一切《いつさい》の権勢《けんせい》と能力《のうりよく》と、勢力《せいりよく》と主権《しゆけん》との上《うへ》、又《また》凡《すべ》て今世《こんせい》のみならず來世《らいせい》にも名《なづ》けられて名《な》[あるもの]の上《うへ》に置《お》き給《たま》ひ、 22萬物《ばんぶつ》を其《その》御《おん》足《あし》の下《した》に服《ふく》せしめ、教會《けうくわい》の萬事《ばんじ》の上《うへ》に頭《かしら》となし給《たま》へり。 23即《すなは》ち教會《けうくわい》はキリストの御《おん》體《からだ》にして、萬物《ばんぶつ》に萬事《ばんじ》を満《み》たし給《たま》へるものの充満《みちみ》ち給《たま》ふ所《ところ》なり。
[編集] 第2章
1汝《なんぢ》等《ら》は原《もと》己《おの》が過《あやまち》と罪《つみ》とによりて死《し》したる者《もの》なりしが、 2曾《かつ》て此《この》世間《せけん》に從《したが》ひ、又《また》空中《くうちゆう》の権《けん》を有《いう》して今《いま》も尚《なほ》不信《ふしん》の子《こ》等《ら》の中《うち》に働《はたら》ける、霊《れい》の君《きみ》に從《したが》ひて歩《あゆ》めり。 3我《われ》等《ら》も皆《みな》曾《かつ》て其《その》罪《つみ》の中《うち》に在《あ》りて、我《わが》肉身《にくしん》の慾《よく》の儘《まま》に生活《せいくわつ》し、肉《にく》と心《こころ》との欲《ほつ》する所《ところ》を行《おこな》ひて、他《た》の人々《ひとびと》の如《ごと》く、生來《せいらい》怒《いかり》の子《こ》なりき。 4然《しか》れども慈悲《じひ》に富《と》み給《たま》へる神《かみ》は、我《われ》等《ら》を愛《あい》し給《たま》ひて御《おん》寵愛《いつくしみ》の餘《あま》り、 5罪《つみ》の為《ため》に死《し》せし我《われ》等《ら》をキリストと共《とも》に活《い》かし給《たま》ひ――汝《なんぢ》等《ら》の救《すく》はれしも即《すなは》ち恩寵《おんちよう》によれり、―― 6又《また》共《とも》に復活《ふくくわつ》せしめ、キリスト、イエズスに於《おい》て共《とも》に天《てん》に坐《ざ》せしめ給《たま》へり。 7是《これ》キリスト、イエズスに於《おけ》る其《その》善良《ぜんりやう》を以《もつ》て、我《われ》等《ら》の上《うへ》に於《おけ》る恩寵《おんちよう》の非常《ひじやう》なる富《とみ》を、将來《しやうらい》の世々《よよ》に顕《あらは》し給《たま》はん為《ため》なり。 8蓋《けだし》汝《なんぢ》等《ら》が信仰《しんかう》を以《もつ》て救《すく》はれたるは、恩寵《おんちよう》に由《よ》るものにして自《みづか》らに由《よ》るに非《あら》ず、即《すなは》ち神《かみ》の賜《たまもの》なり。 9又《また》業《わざ》に由《よ》るにも非《あら》ず、是《これ》誇《ほこ》る人《ひと》のなからん為《ため》なり。 10其《そ》は我《われ》等《ら》は神《かみ》の作品《さくひん》にして、神《かみ》の豫《あらかじ》め備《そな》へ給《たま》ひし善業《ぜんげふ》の為《ため》に之《これ》に歩《あゆ》む様《やう》、キリスト、イエズスに於《おい》て[新《あらた》に]造《つく》られたる者《もの》なればなり。 11然《さ》れば原《もと》肉體《にくたい》に於《おい》て異邦《いはう》人《じん》にして、所謂《いはゆる》割禮《かつれい》を人《ひと》の手《て》によりて身《み》に受《う》けたる人々《ひとびと》より、今《いま》も尚《なほ》無《む》割禮《かつれい》と稱《とな》へらるる汝《なんぢ》等《ら》、次《つぎ》の事《こと》を記憶《きおく》せよ。 12即《すなは》ち彼《かの》時《とき》には、汝《なんぢ》等《ら》キリストなくして、イスラエルの國籍《こくせき》外《ぐわい》に置《お》かれ、彼《かの》約束《やくそく》を結《むす》びたる諸《しよ》契約《けいやく》に與《あづか》らず、希望《きぼう》なく、此《この》世《よ》に神《かみ》なき者《もの》たりしに、 13今《いま》はキリスト、イエズスに在《あ》りて、前《さき》に遠《とほ》かりし汝《なんぢ》等《ら》、キリストの御血《おんち》を以《もつ》て近《ちか》き者《もの》となれり。 14蓋《けだし》イエズスは我《われ》等《ら》の平和《へいわ》にて在《ましま》す、即《すなは》ち兩方《りやうほう》を一《ひとつ》にし、隔《へだて》の中垣《なかがき》及《およ》び恨《うらみ》を、己《おの》が肉體《にくたい》に於《おい》て解《と》き、 15種々《しゆじゆ》の掟《おきて》ある律法《りつぱふ》を、其《その》命《めい》ずる所《ところ》と共《とも》に廃《はい》し給《たま》へり。是《これ》平和《へいわ》を成《な》して兩方《りやうほう》の人々《ひとびと》を己《おのれ》に於《おけ》る一人《ひとり》の新《あたら》しき人《ひと》に造《つく》らん為《ため》、 16又《また》[神《かみ》]に對《たい》する恨《うらみ》を十字架《じふじか》の上《うへ》に殺《ころ》し、其《その》十字架《じふじか》を以《もつ》て兩方《りやうほう》の人々《ひとびと》を一體《いつたい》と成《な》し、神《かみ》と和《やはら》がしめ給《たま》はん為《ため》なり。 17又《また》來《きた》りて、遠《とほ》かりし汝《なんぢ》等《ら》にも幸《さいはひ》に平和《へいわ》を告《つ》げ、近《ちか》かりし人々《ひとびと》にも平和《へいわ》を告《つ》げ給《たま》へり。 18蓋《けだし》キリストによりてこそ、我《われ》等《ら》兩方《りやうほう》の人々《ひとびと》は、同《どう》一《いつ》の霊《れい》を以《もつ》て父《ちち》に近《ちか》づき奉《たてまつ》ることを得《う》るなれ。 19然《さ》れば、汝《なんぢ》等《ら》は最早《もはや》他所人《よそびと》寄留《きりう》人《じん》に非《あら》ず、聖徒《せいと》等《たち》と同《どう》國民《こくみん》となりて神《かみ》の家人《かじん》なり。 20使徒《しと》と預言《よげん》者《しや》との基礎《どだい》の上《うへ》に建《た》てられ、其《その》隅《すみ》石《いし》は即《すなは》ちキリスト、イエズスに在《ましま》して、 21全體《ぜんたい》の建物《たてもの》は之《これ》に建築《けんちく》せられ、漸次《しだい》に築《きづき》上《あ》げられて、主《しゆ》に於《おい》て一《いつ》の聖《せい》なる神殿《しんでん》となり、 22汝《なんぢ》等《ら》も之《これ》に於《おい》て、聖霊《せいれい》により、神《かみ》の住處《すみか》として共《とも》に建《た》てらるるなり。
[編集] 第3章
1是《この》故《ゆゑ》に我《われ》パウロ、汝《なんぢ》等《ら》異邦《いはう》人《じん》の為《ため》にキリスト、イエズスの囚人《しうじん》たり。 2但《ただし》汝《なんぢ》等《ら》の為《ため》に我《われ》に賜《たま》はりたる神《かみ》の恩寵《おんちよう》の分配《ぶんぱい》の役《やく》をば、汝《なんぢ》等《ら》は聞《き》きしならん、 3即《すなは》ち曩《さき》に簡単《かんたん》に書《かき》示《しめ》したる如《ごと》く、此《この》奥義《おくぎ》は黙示《もくし》を以《もつ》て我《われ》に示《しめ》されたるなり。 4汝《なんぢ》等《ら》は之《これ》を読《よ》みて、キリストの奥義《おくぎ》に関《くわん》する我《わ》が知識《ちしき》を覚《さと》るを得《う》べし。 5此《この》奥義《おくぎ》は、今《いま》聖霊《せいれい》によりて、聖《せい》なる使徒《しと》等《たち》、及《およ》び預言《よげん》者《しや》等《たち》に示《しめ》されしが如《ごと》くには、前代《ぜんだい》に於《おい》て人《ひと》の子《こ》等《ら》に知《し》られざりき。 6即《すなは》ち異邦《いはう》人《じん》が福音《ふくいん》を以《もつ》て、キリスト、イエズスに於《おい》て、共《とも》に世嗣《よつぎ》となり、共《とも》に一體《いつたい》となり、共《とも》に神《かみ》の約束《やくそく》に與《あづか》る者《もの》となる事《こと》是《これ》なり。 7我《われ》は其《その》福音《ふくいん》の役者《えきしや》とせられたり、是《これ》全能《ぜんのう》の勢力《せいりよく》によりて我《われ》に賜《たま》はりたる神《かみ》の恩寵《おんちよう》の賜《たまもの》なり。 8凡《すべ》ての聖徒《せいと》の中《うち》に於《おい》て、最《もつと》も小《ちひさ》き者《もの》よりも小《ちひさ》き我《われ》に、キリストの究《きわ》め難《がた》き富《とみ》の福音《ふくいん》を、異邦《いはう》人《じん》に告《つ》ぐる恩寵《おんちよう》を賜《たま》はれり。 9是《これ》萬物《ばんぶつ》を創造《さうざう》し給《たま》ひたる神《かみ》に於《おい》て、世《よ》の初《はじめ》より隠《かく》れたりし奥義《おくぎ》の度《はかり》の如何《いかん》を、衆人《しゆうじん》に説明《ときあか》す恩寵《おんちよう》にして、 10神《かみ》の多方面《たはうめん》なる智恵《ちゑ》が、教會《けうくわい》を以《もつ》て、天《てん》に於《おけ》る権勢《けんせい》及《およ》び能力《のうりよく》[者《しや》]等《とう》に知《し》られん為《ため》、 11我主《わがしゆ》イエズス、キリストに於《おい》て全《まつた》うし給《たま》へる、世々《よよ》の預定《よてい》に應《おう》ぜん為《ため》なり。 12我《われ》等《ら》は彼《かれ》に於《おけ》る信仰《しんかう》によりて憚《はばか》らざる事《こと》を得《え》、希望《きぼう》を以《もつ》て神《かみ》に近《ちか》づき奉《たてまつ》る事《こと》を得《う》。 13然《さ》れば希《こひねが》はくは、我《わ》が汝《なんぢ》等《ら》の為《ため》に受《う》くる患難《くわんなん》に就《つ》きて、汝《なんぢ》等《ら》の落胆《らくたん》せざらん事《こと》を。此《この》患難《くわんなん》こそ汝《なんぢ》等《ら》の光榮《くわうえい》なれ。 14我《われ》之《これ》が為《ため》に我主《わがしゆ》イエズス、キリストの父《ちち》、 15即《すなは》ち天《てん》にも地《ち》にも諸《しよ》属《しよく》の因《よつ》て以《もつ》て名《なづ》けらるる所《ところ》の父《ちち》の御前《みまへ》に跪《ひざまず》き、 16汝《なんぢ》等《ら》が其《その》光榮《くわうえい》の富《とみ》に從《したが》ひ、其《その》霊《れい》により、能力《のうりよく》を以《もつ》て内面《ないめん》の人《ひと》として堅固《けんご》にせられん事《こと》、 17又《また》信仰《しんかう》によりてキリストの汝《なんぢ》等《ら》に宿《やど》り給《たま》はん事《こと》を希《こひねが》ひ奉《たてまつ》る。是《これ》汝《なんぢ》等《ら》は、愛《あい》に根《ね》ざし且《かつ》基《もとづ》きて、 18凡《すべ》ての聖徒《せいと》と共《とも》に、広《ひろ》さ長《ちやう》さ高《たか》さ深《ふか》さの如何《いかん》を識《し》り、 19又《また》一切《いつさい》の知識《ちしき》を超絶《てうぜつ》せるキリストの寵愛《いつくしみ》を識《し》ることを得《え》て、総《すべ》て神《かみ》に充満《みちみ》てるものに汝《なんぢ》等《ら》の満《み》たされん為《ため》なり。 20願《ねが》はくは我《われ》等《ら》の中《うち》に働《はたら》ける能力《のうりよく》によりて、我《われ》等《ら》の願《ねが》ふ所《ところ》又《また》知《し》る所《ところ》を超《こ》えて、尚《なほ》豊《ゆたか》に萬事《ばんじ》を為《な》し得《え》給《たま》へるものに、 21教會《けうくわい》及《およ》びキリスト、イエズスに於《おい》て、永遠《えいゑん》の世《よ》に至《いた》るまで光榮《くわうえい》あらん事《こと》を、アメン。
[編集] 第4章
1然《さ》れば主《しゆ》に在《あ》りて囚人《しうじん》たる我《われ》、汝《なんぢ》等《ら》に希《こひねが》ふ、汝《なんぢ》等《ら》召《め》されたる所《ところ》の召《めし》に相應《ふさは》しく、 2凡《すべ》ての謙遜《けんそん》と温良《をんりやう》とを以《もつ》て歩《あゆ》み、忍耐《にんたい》して愛《あい》を以《もつ》て相《あひ》忍《しの》び、 3平和《へいわ》の繋《つなぎ》にて精神《せいしん》の一致《いつち》を保《たも》つ様《やう》注意《ちゆうい》せよ。 4體《からだ》は一《いつ》、精神《せいしん》は一《いつ》、猶《なほ》汝《なんぢ》等《ら》が召《め》されたる其《その》召《めし》の希望《きぼう》の一《いつ》なるが如《ごと》し。 5主《しゆ》は一《いつ》、信仰《しんかう》は一《いつ》、洗禮《せんれい》は一《いつ》、 6一同《いちどう》の上《うへ》に在《いま》し一同《いちどう》を貫《つらぬ》き、一同《いちどう》の中《うち》に住《す》み給《たま》へる一同《いちどう》の神《かみ》及《およ》び父《ちち》は一《いつ》のみ。 7然《しか》るに我《われ》等《ら》面々《めんめん》に賜《たま》はりたる恩寵《おんちよう》は、キリストの賜《たま》ひたる量《りやう》に應《おう》ず、 8此《この》故《ゆゑ》に[聖霊《せいれい》に]曰《いは》く、「上《かみ》に昇《のぼ》りて俘《とりこ》を伴《ともな》ひ行《ゆ》き、人々《ひとびと》に賜《たまもの》を與《あた》へ給《たま》へり」と。 9抑《そもそも》昇《のぼ》り給《たま》ひしは、前《さき》に地《ち》の低《ひく》き處《ところ》まで降《くだ》り給《たま》ひし故《ゆゑ》に非《あら》ずして何《なん》ぞや。 10降《くだ》り給《たま》ひしものは、亦《また》萬物《ばんぶつ》に充満《みちみ》たんとて、諸《もろもろ》の天《てん》の上《うへ》に昇《のぼ》り給《たま》ひしものなり。 11又《また》或《ある》人々《ひとびと》を使徒《しと》とし、或《ある》人々《ひとびと》を預言《よげん》者《しや》とし、或《ある》人々《ひとびと》を福音《ふくいん》者《しや》とし、或《ある》人々《ひとびと》を牧師《ぼくし》及《およ》び教師《けうし》として與《あた》へ給《たま》へり。 12是《これ》聖徒《せいと》等《たち》の全《まつた》うせられ、聖《せい》役《えき》の営《いとな》まれ、キリストの御《おん》體《からだ》の成立《なりた》たん為《た》めなり。 13即《すなは》ち我《われ》等《ら》が悉《ことごと》く、信仰《しんかう》と神《かみ》の御子《おんこ》を識《し》る知識《ちしき》との一致《いつち》に至《いた》りて完全《くわんぜん》なる人《ひと》となり、キリストの全《まつた》き成長《せいちやう》の量《りやう》に至《いた》らん為《ため》にして、 14我《われ》等《ら》は最早《もはや》小兒《せうに》たらず、漂《ただよ》はさるる事《こと》なく、人《ひと》の僞《いつはり》と誤謬《ごびう》の巧《たくみ》なる誘惑《いうわく》との為《ため》に、敦《いづれ》の教《をしへ》の風《かぜ》にも吹《ふき》廻《まは》されず、 15眞理《しんり》に在《あ》りて、愛《あい》により萬事《ばんじ》に就《つき》て頭《かしら》に在《ましま》す者《もの》即《すなは》ちキリストに於《おい》て成長《せいちやう》せん為《ため》なり。 16彼《かれ》によりてこそ體《からだ》全體《ぜんたい》に固《かたま》り且《かつ》整《ととの》ひ、各《おのおの》四肢《しし》の分《ぶん》量《りやう》に應《おう》ずる働《はたらき》に從《したが》ひて、凡《すべ》ての関節《かんせつ》の助《たすけ》を以《もつ》て相《あひ》聨《つらな》り、自《みづか》ら成長《せいちやう》し、愛《あい》によりて成立《なりた》つに至《いた》るなれ。 17故《ゆゑ》に我《われ》之《これ》を言《い》ひ、且《かつ》主《しゆ》に於《おい》て希《こひねが》ふ、汝《なんぢ》等《ら》最早《もはや》異邦《いはう》人《じん》の如《ごと》く歩《あゆ》むこと勿《なか》れ、彼等《かれら》は己《おの》が精神《せいしん》の空《むな》しきに任《まか》せて歩《あゆ》み、 18智恵《ちゑ》を暗《くら》まされ、身《み》に有《も》てる不知《ふち》の為《ため》に、其《その》心《こころ》の頑固《かたくな》によりて神《かみ》の生命《せいめい》より遠《とほ》ざかり、 19感《かん》ずる事《こと》なく、放蕩《はうたう》に、所有《あらゆ》る淫亂《いんらん》の業《わざ》に、貪欲《どんよく》に、己《おのれ》を委《ゆだ》ねたるなり。 20然《さ》れど汝《なんぢ》等《ら》がキリストを學《まな》びしは斯《かく》の如《ごと》き事《こと》に非《あら》ず、 21若《もし》之《これ》に聴《き》きて、眞理《しんり》のイエズスに在《あ》るが儘《まま》に、彼《かれ》に就《つ》きて學《まな》びしならば、 22即《すなは》ち以前《いぜん》の行状《ぎやうじよう》に就《つ》きては、迷《まよひ》の望《のぞみ》に從《したが》ひて腐敗《ふはい》する舊《ふる》き人《ひと》を脱《ぬぎ》棄《す》て、 23精神《せいしん》の主義《しゆぎ》を一新《いつしん》し、 24神《かみ》に象《かたど》りて眞理《しんり》より出《い》づる義《ぎ》と聖徳《せいとく》とに於《おい》て造《つく》られたる新《あたら》しき人《ひと》を着《き》る事《こと》を學《まな》びしなり。 25然《さ》れば汝《なんぢ》等《ら》僞《いつはり》を棄《す》てて、各《おのおの》近《ちか》き人《ひと》と共《とも》に眞《まこと》を語《かた》れ、我《われ》等《ら》は互《たがひ》の肢《えだ》なればなり。 26汝《なんぢ》等《ら》怒《いか》るとも罪《つみ》を犯《をか》す事《こと》勿《なか》れ、汝《なんぢ》等《ら》の怒《いかり》の間《あひだ》に日《ひ》没《い》るべからず。 27惡魔《あくま》に機會《きくわい》を與《あた》ふる事《こと》勿《なか》れ、 28盗《ぬす》める人《ひと》は最早《もはや》盗《ぬす》むべからず、寧《むしろ》困窮《こんきう》せる人々《ひとびと》に物《もの》を施《ほどこ》す事《こと》を得《え》ん為《ため》に、働《はたら》きて善《よ》き手業《てわざ》を為《な》せ。 29不潔《ふけつ》なる談話《ものがたり》は一切《いつさい》汝《なんぢ》等《ら》の口《くち》より出《いだ》すべからず、善《よ》きものならば聞《き》く人々《ひとびと》に恩寵《おんちよう》を與《あた》へん為《ため》、要《えう》する人《ひと》の徳《とく》を立《た》つる様《やう》に之《これ》を為《な》せ。 30救《すくひ》の日《ひ》を期《き》して證《しよう》印《いん》せられ奉《たてまつ》りたる神《かみ》の聖霊《せいれい》をして憂《うれ》へしむる勿《なか》れ、 31総《すべ》て苦《にが》き事《こと》、怒《いかり》、憤《いきどほり》、叫《さけび》、罵《ののしり》をば一切《いつさい》の惡心《あくしん》と共《とも》に汝《なんぢ》等《ら》の中《うち》より取《とり》除《のぞ》け。 32然《さ》て互《たがひ》に慈悲《じひ》親切《しんせつ》にして相《あひ》恕《ゆる》す事《こと》、神《かみ》もキリストに於《おい》て汝《なんぢ》等《ら》を赦《ゆる》し給《たま》ひしが如《ごと》くにせよ。
[編集] 第5章
1然《さ》れば汝《なんぢ》等《ら》至愛《しあい》なる小兒《せうに》の如《ごと》く神《かみ》に倣《なら》う者《もの》となり、 2又《また》愛《あい》の中《うち》に歩《あゆ》みて、キリストも我《われ》等《ら》を愛《あい》し、我《われ》等《ら》の為《ため》に己《おのれ》を馨《かんば》しき香《かをり》の献物《ささげもの》とし、犠牲《いけにへ》として神《かみ》に捧《ささ》げ給《たま》ひしが如《ごと》くにせよ。 3私通《しつう》及《およ》び凡《すべ》ての淫亂《いんらん》貪欲《どんよく》は、其《その》名《な》すらも汝《なんぢ》等《ら》の中《うち》に稱《とな》へらるべからざること、聖徒《せいと》たる者《もの》に相應《ふさは》しかるべし。 4或《あるひ》は汚行《をかう》、愚《おろか》なる談話《ものがたり》、惡《あし》き戯言《たはむれごと》、是《これ》皆《みな》相應《ふさは》しからず、寧《むしろ》感謝《かんしや》すべきなり。 5汝《なんぢ》等《ら》覚《さと》りて知《し》らざるべからず、凡《すべ》ての私通《しつう》者《しや》、淫亂《いんらん》者《しや》、貪欲《どんよく》者《しや》は、偶像《ぐうざう》を崇拝《すうはい》するに等《ひと》しき者《もの》にして、キリスト及《およ》び神《かみ》の國《くに》に於《おい》て世嗣《よつぎ》たらざるなり。 6誰《たれ》も空言《くうげん》を以《もつ》て汝《なんぢ》等《ら》を欺《あざむ》くべからず、其《そ》は是《これ》等《ら》の事《こと》の為《ため》に、神《かみの》御《おん》怒《いかり》は不信《ふしん》の子《こ》等《ら》の上《うへ》に降《くだ》ればなり。 7故《ゆゑ》に汝《なんぢ》等《ら》彼等《かれら》に與《くみ》する事《こと》勿《なか》れ。 8蓋《けだし》汝《なんぢ》等《ら》曾《かつ》ては暗黒《くらやみ》なりしかど、今《いま》は主《しゆ》に在《あ》りて光《ひかり》なり、光《ひかり》の子《こ》の如《ごと》くに歩《あゆ》め。 9光《ひかり》の結《むす》ぶ果《み》は、凡《すべ》ての慈愛《じあい》と正義《せいぎ》と眞實《しんじつ》とに在《あ》り。 10如何《いか》なる事《こと》の神《かみ》の御意《みこころ》に適《かな》ふかを試《ため》し看《み》よ。 11且《かつ》果《み》を結《むす》ばざる暗黒《くらやみ》の業《わざ》に與《くみ》する事《こと》なく、寧《むしろ》却《かえつ》て之《これ》を咎《とが》めよ。 12蓋《けだし》彼等《かれら》の窃《ひそか》に行《おこな》ふ所《ところ》は、之《これ》を口《くち》にするすら耻《はぢ》なり。 13凡《すべ》ての咎《とが》むべき事《こと》は光《ひかり》によりて顕《あらは》る、凡《すべ》て顕《あらは》るるは光《ひかり》なればなり。 14是《この》故《ゆゑ》に言《い》へる事《こと》あり、「眠《ねむ》れる人《ひと》よ起《た》て、死者《ししや》の中《うち》より立上《たちあが》れ、キリスト汝《なんぢ》を照《て》らし給《たま》はん」と。 15然《さ》れば兄弟等《きやうだいたち》よ、如何《いか》に慎《つつし》みて歩《あゆ》むべきかに心《こころ》せよ。愚者《ぐしや》の如《ごと》くにせず、 16智者《ちしや》の如《ごと》くに歩《あゆ》みて、日《ひ》惡《あ》しければ良《よ》き機會《きくわい》を求《もと》めよ、 17是《この》故《ゆゑ》に神《かみ》の御旨《みむね》の如何《いかん》を覚《さと》りて、思慮《しりよ》なき者《もの》と成《な》る事《こと》勿《なか》れ。 18又《また》酒《さけ》に酔《ゑ》ふ事《こと》勿《なか》れ、其《その》中《うち》に淫亂《いんらん》あるなり。寧《むし》ろ(聖《せい》)霊《れい》に満《み》たされて、 19霊的《れいてき》の詩《し》と讃美歌《さんびか》と歌《うた》とを以《もつ》て語《かたり》合《あ》ひ、又《また》心《こころ》の中《うち》に謳《うた》ひて主《しゆ》を讃美《さんび》し奉《たてまつ》り、 20常《つね》に我主《わがしゆ》イエズス、キリストの御名《みな》を以《もつ》て、萬事《ばんじ》に就《つ》きて父《ちち》にて在《ましま》す神《かみ》に感謝《かんしや》し、 21キリストを畏《おそ》れ奉《たてまつ》りつつ互《たがひ》に歸服《きふく》せよ。 22妻《つま》たる者《もの》は己《おの》が夫《をつと》に從《したが》ふ事《こと》、主《しゆ》に於《おけ》るが如《ごと》くにすべし、 23其《そ》は夫《をつと》が妻《つま》の頭《かしら》たる事《こと》、キリストが教會《けうくわい》の頭《かしら》にして、自《みづか》ら其《その》體《からだ》の救主《すくひぬし》に在《ましま》せるが如《ごと》くなればなり、 24然《さ》れば教會《けうくわい》のキリストに從《したが》ふが如《ごと》く、妻《つま》も亦《また》萬事《ばんじ》夫《をつと》に從《したが》ふべし。 25夫《をつと》たる者《もの》よ、汝《なんぢ》等《ら》の妻《つま》を愛《あい》する事《こと》、キリストも教會《けうくわい》を愛《あい》して、之《これ》が為《ため》に己《おのれ》を付《わた》し給《たま》ひしが如《ごと》くにせよ、 26己《おのれ》を付《わた》し給《たま》ひしは、(生命《せいめい》の)言《ことば》により、水洗《みづあらひ》にて之《これ》を潔《きよ》めて聖《せい》とならしめん為《ため》、 27光榮《くわうえい》ある教會《けうくわい》、即《すなは》ち染《しみ》なく、皺《しわ》なく、然《しか》る類《たぐひ》の事《こと》もなき教會《けうくわい》を、自《みづか》ら己《おの》が為《ため》に備《そな》へて、之《これ》をして聖《せい》なるもの、汚《けがれ》なきものたらしめん為《ため》なり。 28斯《かく》の如《ごと》く、夫《をつと》たるものも亦《また》己《おの》が妻《つま》を我《わが》身《み》として愛《あい》すべきなり、妻《つま》を愛《あい》する人《ひと》は是《これ》己《おのれ》を愛《あい》する者《もの》なり。 29蓋《けだし》曾《かつ》て如何《いか》なる人《ひと》も、己《おの》が肉身《にくしん》を嫌《きら》ひし事《こと》なく、却《かえつ》て之《これ》を養《やしな》ひ守《まも》る事《こと》、猶《なほ》キリストが教會《けうくわい》に為《な》し給《たま》ひしが如《ごと》し、 30其《そ》は我《われ》等《ら》は其《その》御《おん》體《からだ》の肢《えだ》にして、其《その》肉《にく》より其《その》骨《ほね》より成《な》りたればなり。 31故《ゆゑ》に人《ひと》は父母《ふぼ》を措《さしお》きて己《おの》が妻《つま》に添《そ》ひ、而《しか》して二人《ふたり》一體《いつたい》と成《な》るべし、 32是《これ》大《おほ》いなる奥義《おくぎ》なり、我《われ》はキリスト及《およ》び教會《けうくわい》に就《つ》きて之《これ》を言《い》ふ。 33然《さ》れば汝《なんぢ》等《ら》も各《おのおの》己《おの》が妻《つま》を己《おのれ》として愛《あい》し、又《また》妻《つま》は夫《をつと》を畏敬《ゐけい》すべし。
[編集] 第6章
1子《こ》たる者《もの》よ、主《しゆ》に於《おい》て汝《なんぢ》等《ら》の父母《ちちはは》に從《したが》へ、蓋《けだし》是《これ》正當《せいたう》の事《こと》なり。 2「汝《なんぢ》の父母《ちちはは》を敬《うやま》へ」とは、約束《やくそく》を附《ふ》したる第《だい》一の掟《おきて》にして、 3即《すなは》ち「汝《なんぢ》が福《さいはひ》を得《え》て地上《ちじやう》に長命《ちやうめい》ならん為《ため》」となり。 4父《ちち》たる者《もの》よ、汝《なんぢ》等《ら》も其《その》子等《こども》の怒《いかり》を買《か》ふ事《こと》なくして、主《しゆ》の規律《きりつ》と訓戒《くんかい》との中《うち》に之《これ》を育《そだ》てよ。 5奴隷《どれい》たる者《もの》よ、キリストに從《したが》ふが如《ごと》くに畏《おそ》れ慄《おのの》き、単純《たんじゆん》なる心《こころ》を以《もつ》て肉身上《にくしんじやう》の主人《しゆじん》に順《したが》へ。 6人々《ひとびと》の意《こころ》に適《かな》はんとするが如《ごと》くに目前《めのまへ》のみにて事《つか》へず、キリストの奴隷《どれい》として心《こころ》より神《かみ》の思召《おぼしめし》を為《な》し、 7事《つか》ふる事《こと》、人《ひと》に於《おい》てせず主《しゆ》に於《おい》てするが如《ごと》くに、快《こころよ》くせよ。 8其《そ》は奴隷《どれい》たると自由《じいう》の身《み》たるとを問《と》はず、各自《かくじ》の為《な》したる善《ぜん》は、何《いず》れも主《しゆ》より報《むく》いらるべしと知《し》ればなり。 9主人《しゆじん》たる者《もの》よ、汝《なんぢ》等《ら》も亦《また》奴隷《どれい》に對《むか》ひて為《な》す事《こと》斯《かく》の如《ごと》くにして、彼等《かれら》に威嚇《おどし》を加《くは》ふること勿《なか》れ、其《そ》は彼等《かれら》と汝《なんぢ》等《ら》との主《しゆ》天《てん》に在《ましま》して、人《ひと》に就《つ》きて偏《かたよ》り給《たま》ふ事《こと》なしと知《し》ればなり。 10終《をはり》に臨《のぞ》みて、兄弟等《きやうだいたち》よ、汝《なんぢ》等《ら》主《しゆ》に於《おい》て又《また》其《その》大能《たいのう》の勢力《ちから》に於《おい》て氣力《きりよく》を得《え》、 11惡魔《あくま》の計畧《けいりやく》に勝《か》つことを得《え》ん為《ため》に、神《かみ》の武具《ぶぐ》を身《み》に着《つ》けよ。 12其《そ》は我《われ》等《ら》の戰《たたか》ふべきは血肉《けつにく》に對《むか》ひてには非《あら》ず、権勢《けんせい》及《およ》び能力《のうりよく》、此《この》暗黒《くらやみ》の世《よ》の司《つかさ》等《ら》、天空《てんくう》の惡霊《あくれい》等《ら》に對《むか》ひてなればなり。 13然《さ》れば惡《あし》き日《ひ》に抵抗《ていかう》し、萬事《ばんじ》に成功《せいこう》して立《た》つ事《こと》を得《え》ん為《ため》に、神《かみ》の武具《ぶぐ》を執《と》れ。 14然《さ》れば起《た》て汝《なんぢ》等《ら》、腰《こし》に眞實《しんじつ》を帯《おび》し、身《み》に正義《せいぎ》の鎧《よろひ》を着《つ》け、 15足《あし》に平和《へいわ》の福音《ふくいん》に對《たい》する奮發《ふんぱつ》を履《は》き、 16凡《すべ》ての場合《ばあい》に於《おい》て惡魔《あくま》の火箭《ひや》を消《け》すべき信仰《しんかう》の楯《たて》を執《と》り、 17救霊《たすかり》の兜《かぶと》と神《かみ》の御言《おんことば》なる[聖《せい》]霊《れい》の剣《つるぎ》を執《と》り、 18尚《なほ》且《かつ》凡《すべ》て祈祷《きたう》及《およ》び懇願《こんぐわん》を以《もつ》て、何《いづ》れの機會《きくわい》に於《おい》ても聖霊《せいれい》に由《よ》りて祈《いの》り、忍耐《にんたい》を以《もつ》て聖徒《せいと》一同《いちどう》の為《ため》に懇願《こんぐわん》する事《こと》に注意《ちゆうい》せよ。 19又《また》我《わが》為《ため》にも然《しか》なして、我《われ》は福音《ふくいん》の奥義《おくぎ》の為《ため》に鎖《くさり》に繋《つな》がれたる使節《しせつ》なれば、憚《はばか》らず口《くち》を開《ひら》きて之《これ》を知《し》らする様《やう》、言《ことば》を賜《たま》はり、 20之《これ》に就《つ》きて我《わ》が語《かた》るべき儘《まま》に敢《あへ》て語《かた》る様《やう》に祈《いの》れ。 21我《われ》に関《くわん》する事《こと》、我《わが》為《な》す事《こと》を汝《なんぢ》等《ら》も知《し》らん為《ため》に、我《わが》至愛《しあい》なる兄弟《きやうだい》にして主《しゆ》の忠實《ちゆうじつ》なる役者《えきしや》たるチキコは、萬事《ばんじ》を汝《なんぢ》等《ら》に告《つ》ぐるならん。 22我《わ》が彼《かれ》を遣《つか》はししは之《これ》が為《ため》、即《すなは》ち彼《かれ》が我《われ》等《ら》に関《くわん》する事《こと》を汝《なんぢ》等《ら》に知《し》らせて、汝《なんぢ》等《ら》の心《こころ》を慰《なぐさ》めん為《ため》なり。 23願《ねが》はくは父《ちち》にて在《ましま》す神《かみ》、及《およ》び主《しゆ》イエズス、キリストより、平安《へいあん》と愛《あい》と信仰《しんかう》とを兄弟等《きやうだいたち》に賜《たま》はらん事《こと》を。 24願《ねが》はくは我主《わがしゆ》イエズス、キリストを變《かは》らず愛《あい》し奉《たてまつ》る凡《すべ》ての人《ひと》に恩寵《おんちよう》あらん事《こと》を、アメン。