アメリカ合衆国第44代大統領就任演説

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ジョージ・W・ブッシュの第2回大統領就任演説

バラク・オバマの第2回大統領就任演説

バラク・フセイン・オバマ2世の大統領就任演説
作者:バラク・オバマ

以下は、2009年1月20日アメリカ合衆国議会議事堂のウェスト・フロントにて、200万人ともいわれる記録的な数の聴衆の前で行われた、18分31秒の演説である。

連邦最高裁長官ジョン・G・ロバーツと共に大統領就任宣誓を行うバラク・オバマ

国民諸君。

私は、任務を前にして謙虚な思いを抱き、諸君から受けた信頼に感謝し、先人が払った犠牲を心に留めつつ、今日この場に立っている。ブッシュ大統領の我が国に対する貢献、並びに政権移行期間中に示した寛容と協力とに感謝する。

只今までに、44名[1]の米国人が大統領就任宣誓を行った。その言葉は、繁栄という高波や平和という凪の中で語られたこともあった。だが、垂れ込める暗雲や吹き荒れる嵐の中で行われた宣誓もあった。こうした時に米国は、政府高官の技量と展望の故のみならず、 我々人民[2]が先達の理想に誠実であり続け、かつ建国の文書に忠実であり続けたが故に、乗り越えることができたのである。

米国はずっとそうしてきた。我々の世代も、同様にしなければならない。

我々が危機の只中にいることは、今や周知の事実である。我が国は、暴力と憎悪の広範なネットワークに対して戦争をしている。我が国の経済は、極めて脆弱になっているが、これは一部の者の強欲と無責任の結果であるのみならず、我々全員が困難な選択を避け、次世代に備えてこなかった結果である。家は失われ、職はなくなり、企業は倒産した。医療費は高過ぎる。余りにも多くの学校が荒廃している。加えて、我々のエネルギー消費のあり方が敵を強化し、我々の惑星を脅かしているという証拠が、日を追うごとに増え続けている。

これらは、データと統計に基づく危機の指標である。また、測定不能ながらも同様に深刻であること、それは米国全土での自信の喪失―そして、米国の凋落は避け難く、次の世代は下を向いて過ごさねばならないという、拭い難い恐怖である。

今日、私は諸君に言いたい。我々が直面している試練は本物だ。試練は深刻かつ多数である。これらは容易には、また短期間では克服できまい。しかし米国よ、判ってほしい―試練はいずれ克服されるのである。

この日、我々が集ったのは、恐怖ではなく希望を、闘争と不和ではなく目標の共有を選んだが故である。

この日、我々は、余りにも長きに亙って政治を抑圧してきたこと、即ちつまらない不満や偽りの約束、言い争いや使い古された教条の終結を宣言するに至った。

米国はいまだ若い国家である。だが聖書の言葉を借りれば、子供じみたことをやめる時が来た[3]。不屈の精神を再確認し、より良い歴史を選択し、世代から世代へと受け継がれてきた貴重な賜物と崇高な理想とを引き継ぐ時が来たのである。それはあらゆる者が平等であり、自由であり、かつ最大限の幸福を追求する機会を与えられるという、神からの約束である。

我が国の偉大さを再確認する時、その偉大さは決して与えられたものではないということが判る。我々の旅は、決して近道でも安易なものでもなかった。それは、臆病者―仕事より娯楽を好み、富と名声の喜びのみを欲するような―のための道ではなかった。むしろ、危険を冒す者、実行する者、創造する者のためのものであった―中には名を成した人々もいたが、多くはどんな仕事をしているのかも知られていない者達であり、彼らが長く険しい道を歩んだ末に、我々を繁栄と自由へと導いてくれたのである。

我々のために、彼らはわずかな荷物をまとめ、新たな生活を求めて海を渡った。

我々のために、彼らは、劣悪な作業場で額に汗して働き、西部に移り住み、鞭打ちに耐えつつ硬い大地を耕した。

我々のために、彼らはコンコード[4]ゲティズバーグ[5]ノルマンディー[6]ケ・サン[7]といった地で戦い、死んでいった。

幾度もこれらの男女は、手が擦りむけるまで、もがき、犠牲となり、働いた。我々がより良い生活を送れるようにと。彼らの目には、米国は個人の野望の集積よりも巨大であり、出自や富や党派の違いを超えた偉大な存在と映っていた。

これが今日、我々が続けている旅なのである。米国は依然として地球上で最も繁栄し、最も強力な国家である。米国の労働者は今回の危機が発生した時と同様、生産性が高い。米国は相変わらず創造力に富み、米国の商品やサービスは先週や先月、昨年と同様、必要とされている。能力も未だ衰えてはいない。だが、やり方を変えず、限られた利益に固執し、気の進まない決断は先延ばしにする、そんな時代は確実に過ぎ去った。今日からは、我々は立ち上がり、体の埃を払い、米国再建という仕事に再び取り掛からねばならない[8]

我々が為すべき仕事は至る所にある。経済状況は大胆かつ迅速な行動を必要としており、我々は行動する―新規雇用を創出するためのみならず、新たな成長基盤を築くために。我々は道路や橋梁、送電網やデジタル回線を整備し、もって我々の商業を支え、我々を結び付ける。科学をあるべき地位へと引き戻し、技術の驚異的な力を活用して医療の質を向上させつつ、そのコストは削減する。太陽土壌を利用して自動車を走らせ、工場を稼動させる。そして新時代の要請に合うよう学校や単科大学、大学を変えていく。これら全てを我々は実行できるし、実行するであろう。

今、我々の志の大きさについて疑念を抱く者がいる―我々のシステムは多くの巨大な計画に耐えられないと彼らは指摘する。だが彼らの記憶は短い。彼らはこの国が何を成し遂げてきたのかを忘れている。想像力が共通の目的と結び付いた時、必要性が勇気と結び付いた時、自由な男女が何を達成できるのかを忘れてしまっているのである。

米国議会が一般向けに配布した、就任式のシルバーチケット

皮肉屋たちは、彼らの足元で大地が動いたということを理解できていない。長きに亙って我々を消耗させてきた、陳腐な政治論議はもはや通用しない。今日我々が問うべきは、政府が大きすぎる小さすぎるかではなく、政府が機能しているのか否かである―家庭が人並みの賃金を得られる仕事や、費用負担が可能な医療や、尊厳ある引退生活を見出すことを、政府が支援しているか否かである。答えがイエスの場合は、我々は前進する。ノーの場合は、その施策は終了する。公金を預かる者は、適切に支出し、悪弊を改め、白日の下で業務を行う責任を負う―何となれば、そうすることによって初めて、国民と政府との間に不可欠な信頼を回復できるからである。

市場の善し悪しも、我々にとっての問題ではない。富を生み出し、自由を拡大する市場の力は比類なきものであるが、今回の危機は、監視の目がなければ市場は制御不能に陥るということを我々に気付かせた―そして、富裕層ばかりを優遇する国家は長く繁栄することができないということを気付かせたのである。我々の経済の成功はいつでも、単に国内総生産の規模だけでなく、繁栄が及ぶ範囲や、意欲のある者全てに機会を拡大する能力にかかってきた―慈善ではなく、それが公共の利益に通じる最も確実な道だからである。

防衛に関しては、我々は安全か理想かという二者択一は誤った考えであるとして拒絶する。想像を絶する危難に直面した建国の父らは、法の支配と人権を保障する憲章を起草し、それは何世代もの血によって拡大されてきた。これらの理想は今なお世界を照らしており、我々は己の都合で手放しはしない。巨大都市から我が父の生まれた小さな村[9]に至るまで、今日という日を見ている他の人民や政府には知ってほしい。米国は平和で尊厳ある未来を求める全ての国々、全ての男女と児童の友であり、我々はいま1度指導力を発揮する用意があるのだと。

前の世代がミサイルや戦車のみによってではなく、信念と確固たる同盟によってファシズム共産主義と対峙したことを思い出してほしい。彼らは、己の力のみでは我々を守れない[10]ことや、また意のままに行動する資格も与えられていないことを知っていた。代わりに彼らは、力というものは慎重に行使することで増大し、安全は大義の正当性、他の模範となる力、謙虚さや自制心から出ずるのだと知っていた。

我々はこの遺産の守護者である。こうした原理をいま1度拠り所とすれば、我々は更なる努力―国家間の更なる協力と理解―を要する、新たな脅威に対抗できる。我々は責任を持ってイラクを同国の人民に委ね、アフガニスタンでは苦難の末に平和を築き始めるであろう。古くからの友やかつての敵と共に、核の脅威を減ずるために、また地球温暖化という亡霊を撃退するために、我々は絶えず努力する。我々は、己の生き方について弁解しないし、それを守ることについて躊躇しない。テロを起こし、無辜の民を殺戮することによって目的を達しようと図る者に対してはこう言いたい。今や我々の魂はより強く[11]、屈することはない。お前達は我々より長く生きることはできない。我々はお前達を打倒する。

我々の寄せ集めの遺産は、弱みではなく強みである。我々はキリスト教徒イスラム教徒ユダヤ教徒ヒンドゥー教徒、そして無宗教者の国家だ。我々は、地球上のあらゆる場所から来たあらゆる言語や文化によって形作られている。我々には、南北戦争人種隔離の苦い経験があり、その暗い時代を超えてより強く、より団結するようになった。我々は、古い憎悪はいつかはなくなると信じてやまない。民族の境界線はいずれ消える。世界が小さくなるにつれ、我々に共通の人類愛が現れる。米国は、新たな平和の時代を先導する役割を果たさねばならない。そう信じてやまないのである。

イスラム世界に対しては、我々は、互いの理解と互いの尊敬に基づき、進むべき新たな道を模索する。争いの種を蒔き、自国の社会問題の責任を西洋に負わせようとする世界各地の指導者らよ―国民は、何を破壊するかではなく、何を築くことができるのかで評価を下すということを知るべきだ。汚職や謀略、異論の封殺を通じて権力に執着する者は、歴史の誤った側にいることを知るべきだ。だが握り拳を開くのならば、我々は手を差し伸べよう。

貧しき諸国の人々に対しては、約束しよう。農場に作物を溢れさせ、清浄な水が流れるようにするために、また飢えた体に滋養を与え、渇いた心を満たすために、共に汗を流すと。そして我々と同様に比較的豊かな国々に対しては、国外での苦難に関心を持たず、影響を考慮しないままに世界の資源を浪費するなどということは、もはや許されないと言おう。世界は変わった。だから、我々も共に変わらねばならないのである。

我々は面前に延びる道について考える時、今この瞬間にも遥か彼方の砂漠や遠くの山々を警邏している勇敢な米国人たちのことを、謙虚な感謝の念をもって思い起こす。彼らは、アーリントンに眠る亡き英雄たちが時代を超えて囁くが如く、今日我々に語り掛ける。我々は彼らを誇りに思う。それは、彼らが我々の自由の守護者であるが故のみならず、奉仕の精神を、即ち己よりも偉大なものの中に意味を見出だそうとする意志を体現しているが故である。これこそ、今この瞬間に―新たな時代が作られようとしている瞬間に―我々全員が持たねばならない精神なのである。

政府が為し得ることや為すべきことは、究極的には我が国が依拠する米国民の信念と決意である。それは、堤防が決壊した時に見知らぬ人をも受け入れる親切心であり、暗黒の時に友人が職を失うのを座視せず、己の労働時間を削る無私の心である。煙に満ちた階段を突き進む消防士の勇気や、子を育てる親の意志、これらが我々の運命を最終的に決するのである。

我々の挑戦は新しいのかもしれない。それに立ち向かう手段も新しいのかもしれない。だが我々の成功は、勤勉、誠実、勇気、公正、寛容[12]、好奇心、忠誠心、愛国心といった価値観にかかっている―これらは古くから変わらない。これらは真実である。これらは、歴史を通じて進歩を遂げる、静かな力となってきた。今必要とされているのは、こうした真理への回帰である。今我々に求められているのは、新たな責任の時代である―米国人一人ひとりが、自身や国家、更には世界に対して義務を負っていることを認識し、かつこうした義務を嫌々ではなく、喜んで受け入れることである。困難な任務に己の全てを捧げることほど、精神を満足させ、我々の気質を示すものはないのである。

これが市民としての代償であり、約束なのである。

これが我々の自信の源泉である―不確実な運命を己の手で形作るよう、神は我々に命じたのである。

何故あらゆる人種や信条の男女や児童が、この立派な遊歩道の至る所で式典に参加できるのか。そして、60年足らず前に地元の食堂で食事することを許されなかったかもしれない父を持つ男が今、何故諸君の眼前に立って最も神聖な宣誓を行うことができるのか―これこそ、我々の自由、我々の信条の意味するところなのである。

だから、我々が何者なのか、我々がどれほど遠くまで旅してきたのか。今日という日をその記憶に焼き付けようではないか。米国建国の年、何ヶ月もの酷寒の中、わずかな愛国者の一団は凍て付く川の岸辺で、消え入りそうな焚き火の傍らに身を寄せ合った。首都は打ち捨てられた。敵は進軍してきた。雪は血に染まった。独立革命の成り行きが疑わしくなった時、建国の父は、人々に次の言葉を読むよう命じた。

「……未来の世界で語られるようにしよう。希望と美徳しか生き残れないような厳冬の中……共通の危機に晒された都市と地方が共に立ち向かったのだと」[13]

アメリカよ。共通の脅威に直面したこの苦難の冬にあって、これら不朽の言葉を忘れずにいよう。希望と美徳とをもって、この凍て付く流れに敢然と立ち向かい、いかなる嵐が来ようとも耐え抜こう。そして将来、子々孫々に至るまで語り継がれるようにしようではないか。試練に晒された時、我々は旅を終わらせることを拒み、後戻りすることもたじろぐこともなかったと。我々は地平線と神の恩寵とを見詰め、自由という偉大な賜物を運び、それを未来の世代に無事に届けたのだと。

ありがとう。神の祝福が諸君にあらんことを。そして、神の祝福がアメリカ合衆国にあらんことを。

訳註[編集]

  1. バラク・オバマ自身を含む。なお、2期以上連続で務めた大統領は1名として数えているが、連続ではなく通算で2期務めたグローヴァー・クリーヴランドについては2人として数えている。
  2. 原文は「We the People」。文中にもかかわらず語頭が大文字になっている事実は、憲法の前文から引用した表現であることを示している。
  3. 新約聖書』の「コリントの信徒への手紙1」第13章第11節を引用。
  4. 米国北東部のマサチューセッツ州に位置。独立戦争中の1775年に激戦が行われた。
  5. 米国東北部のペンシルヴェニア州に位置。南北戦争中の1863年7月に激戦が行われた。
  6. フランス北西部に位置。第二次世界大戦中の1944年6月に、連合国軍が上陸作戦を行った。
  7. ヴェトナム南部(旧南ヴェトナム)に位置。ヴェトナム戦争中の1968年に激戦が行われた。
  8. ミュージカル映画『有頂天時代』(Swing Time:米、1936年。ジョージ・スティーヴンズ監督)の劇中歌、「立ち上がろう」 (Pick Yourself Up) の歌詞を引用。
  9. カニャディアング村。ケニア西部のニャンザ州ラチュオニョ県に位置。
  10. 原文では「our power alone cannot protect us」。共同通信社は「われわれの力だけでは自分たちを守ることはできない」と、読売新聞社は「我々の力だけでは我々を守れず」と訳した。一方、毎日新聞社は「軍事力だけが我々を守るのではない」と訳している。前者は「our(我々の)」を強調し、単独行動主義批判と国際協調推進を論じているように読める。後者は「power(毎日新聞社の訳によれば「軍事力」)」を強調し、国際問題の平和的解決を訴えているように読める。
  11. 原文では「stronger(より強い)」とだけあり、何と比べて「より強い」のかが書かれていない。比較対象として考えられるのは、「以前の我々の魂」か、もしくは「テロによって目的を達しようと図る者」である。朝日新聞社は前者の考えを採り、「いま私たちの精神はさらに強まり」と訳した。一方、毎日新聞社は後者の考えを採り、「我々の意思の方が強く」と訳している。
  12. 原文では「tolerance」。「忍耐」とも訳し得る。毎日新聞社が発表した邦訳は、「忍耐」の訳を当てている。
  13. トマス・ペイン「米国の危機 (American Crisis)」(『ペンシルヴェニア・ジャーナル』1776年12月19日号)中の一節を引用。
    ジョージ・ワシントンは、トレントンの戦い(1776年12月26日)の帰趨を決したデラウェア川渡河作戦の際に、トマス・ペインの文章を読むよう自軍の兵に命じた。

外部リンク[編集]