「論語 (Wikisource)/雍也第六」の版間の差分

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<div id="六之十四" style="background: #d9e3f1">'''六之十四'''</div>
<div id="六之十四" style="background: #d9e3f1">'''六之十四'''</div>
子曰:「不有祝鮀之佞、而有宋朝之美、難乎免於今之世矣。」
子曰<sup>ク</sup>:「不<sup>シテ</sup>{{レ}}<sup>ラ</sup>{{二}}祝鮀之佞{{一}}{{置き字|}}<sup>ルハ</sup>{{二}}宋朝之美{{一}}、難<sup>イ</sup>乎免<sup>レンコト</sup>{{二}}{{置き字|}}今之世<sup>ニ</sup>{{一}}{{置き字|}}。」
: 子曰く:「{{Ruby|祝鮀|しゆくだ}}の{{Ruby|佞|ねい}}有らずして、宋朝の美有るは、難いかな今の世に免れんこと。」


<div id="六之十五" style="background: #d9e3f1">'''六之十五'''</div>
<div id="六之十五" style="background: #d9e3f1">'''六之十五'''</div>
子曰:「誰能出不由戸?何莫由斯道也!」
子曰<sup>ク</sup>:「誰<sup>カ</sup><sup>ク</sup><sup>ヅルニ</sup><sup>ラン</sup>{{レ}}<sup>ラ</sup>{{レ}}<sup>ニ</sup>?何<sup>ゾ</sup><sup>キ</sup>{{レ}}<sup>ルコト</sup>{{二}}<sup>ノ</sup><sup>ニ</sup>{{一}}也!」
: 子曰く:「誰か能く出づるに戸に由らざらん?何ぞ斯の道に由ること{{Ruby|莫|な}}きや!」


<div id="六之十六" style="background: #d9e3f1">'''六之十六'''</div>
<div id="六之十六" style="background: #d9e3f1">'''六之十六'''</div>
子曰:「質勝文則野、文勝質則史。文質彬彬、然後君子。」
子曰<sup>ク</sup>:「質勝<sup>テバ</sup>{{レ}}<sup>ニ</sup><sup>チ</sup>野、文勝<sup>テバ</sup>{{レ}}<sup>ニ</sup><sup>チ</sup>史。文質彬彬<sup>トシテ</sup>、然<sup>ル</sup><sup>ニ</sup>君子<sup>ナリ</sup>。」
: 子曰く:「質 文に勝てば則ち野、文 質に勝てば則ち史。文質{{Ruby|彬彬|ひんぴん}}として、然る後に君子なり。」


<div id="六之十七" style="background: #d9e3f1">'''六之十七'''</div>
<div id="六之十七" style="background: #d9e3f1">'''六之十七'''</div>
子曰:「人之生也直、罔之生也幸而免。」
子曰<sup>ク</sup>:「人之生<sup>クル</sup>也直<sup>シ</sup>、罔<sup>クシテ</sup>{{レ}}<sup>ヲ</sup><sup>クルハ</sup>{{置き字|}}<sup>ニシテ</sup>{{置き字|}}免。」
: 子曰く:「人の生くるや直し。之を{{Ruby|罔|な}}くして生くるは{{Ruby|幸|さいは}}ひにして免るるなり。」


<div id="六之十八" style="background: #d9e3f1">'''六之十八'''</div>
<div id="六之十八" style="background: #d9e3f1">'''六之十八'''</div>
子曰<sup>ク</sup>:「知<sup>ル</sup>{{レ}}之<sup>ヲ</sup>者<sup>ハ</sup>不{{レ}}如<sup>カ</sup>{{二}}好<sup>ム</sup>{{レ}}之<sup>ヲ</sup>者<sup>ニ</sup>{{一}}、好<sup>ム</sup>{{レ}}之<sup>ヲ</sup>者<sup>ハ</sup>不{{レ}}如<sup>カ</sup>{{二}}樂<sup>シム</sup>{{レ}}之<sup>ヲ</sup>者<sup>ニ</sup>{{一}}。」
子曰:「知之者、不如好之者、好之者、不如樂之者。」
: 子曰く:「之を知る者は之を好む者に如かず、之を好む者は之を楽しむ者に如かず。」


<div id="六之十九" style="background: #d9e3f1">'''六之十九'''</div>
<div id="六之十九" style="background: #d9e3f1">'''六之十九'''</div>
子曰:「中人以上、可以語上也;中人以下、不可以語上也。」
子曰<sup>ク</sup>:「中人以上<sup>ニハ</sup>、可<sup>キ</sup>{{二}}<sup>テ</sup><sup>グ</sup>{{一}}{{レ}}<sup>ヲ</sup>也;中人以下<sup>ニハ</sup>、不<sup>ル</sup>{{レ}}<sup>カラ</sup>{{二}}<sup>テ</sup>{{一}}{{レ}}<sup>ヲ</sup>也。」
: 子曰く:「中人以上には、以て上を{{Ruby|語|つ}}ぐべきなり;中人以下には、以て上を語ぐべからざるなり。」


<div id="六之二十" style="background: #d9e3f1">'''六之二十'''</div>
<div id="六之二十" style="background: #d9e3f1">'''六之二十'''</div>
樊遲問知、子曰:「務民之義、敬鬼而遠之、可謂知矣。問仁曰:「仁者先難而後獲、可謂仁矣。」
樊遲問<sup>フ</sup>{{レ}}<sup>ヲ</sup>、子曰<sup>ク</sup>:「務<sup>メ</sup>{{二}}民之義<sup>ヲ</sup>{{一}}、敬<sup>シテ</sup>{{二}}&#xFA19;<sup>ヲ</sup>{{一}}{{置き字|}}<sup>ザク</sup>{{レ}}<sup>ヲ</sup>、可<sup>シ</sup>{{レ}}<sup>フ</sup>{{レ}}<sup>ト</sup>{{置き字|}}<sup>フ</sup>{{レ}}<sup>ヲ</sup>。<sup>ク</sup>:「仁者<sup>ハ</sup><sup>ニシテ</sup>{{レ}}<sup>キヲ</sup>{{置き字|}}<sup>ニス</sup>{{レ}}<sup>ルヲ</sup>、可<sup>シ</sup>{{レ}}<sup>フ</sup>{{レ}}<sup>ト</sup>{{置き字|}}。」
: {{Ruby|樊遅|はんち}} 知を問ふ。子曰く:「民の義を務め、鬼神を敬して之を遠ざく、知と謂ふべし。」仁を問ふ。曰く:「仁者は難きを先にして{{Ruby|獲|う}}るを後にす、仁と謂ふべし。」


<div id="六之二一" style="background: #d9e3f1">'''六之二一'''</div>
<div id="六之二一" style="background: #d9e3f1">'''六之二一'''</div>

2015年7月29日 (水) 08:26時点における版

六之一

子曰:「雍也可使南面セシ。」仲弓問子桑伯子。子曰:「可也。簡ナリ。」仲弓曰:「居、以マバ、不ナラ乎?居、無カラン大簡ナルコト乎?」子曰:「雍之言然。」

子曰く:「雍や南面せしむべし。」仲弓 子桑伯子を問ふ。子曰く:「可なり。簡なり。」仲弓曰く:「敬に居て簡を行ひ、以て其の民に臨まば、亦た可ならずや?簡に居て簡を行ふ、乃ち大簡なること無からんや?」子曰く:「雍の言然り。」
六之二

哀公問:「弟子孰ムト?」孔子對ヘテ:「有顏回ナル、好メリ;不リヲ、不タビセチヲ;不幸短命ニシテセリ。今也則。未也。」

哀公問ふ:「弟子たれか学を好むと為す?」孔子対へて曰く:「顔回なる者有り、学を好めり;怒りを遷さず、過ちを弐たびせず;不幸短命にして死せり。今や則ち亡し。未だ学を好む者を聞かざるなり。」
六之三

子華使ヒス、冉子爲。子曰:「與ヘヨ。」請サンコトヲ。曰:「與ヘヨ。」冉子與粟五秉。子曰:「赤之適也、乘肥馬、衣輕裘;吾聞:君子ヒテメルニ。」原思爲、與粟九百。辭。子曰:「毋カレ!以ヘン鄰里鄕黨乎!」

子華 斉に使ひす。冉子ぜんし 其の母の為にぞくを請ふ。子曰く:「之に釜を与へよ。」さんことを請ふ。曰く:「之にを与へよ。」冉子 之に粟五秉を与ふ。子曰く:「赤の斉にくや、肥馬に乗り、軽裘けいきうる。吾之を聞く:君子は急をすくひて富めるに継がず。」原思 之が宰たり、之に粟九百を与ふ。辞す。子曰く:「毋かれ!以て爾が隣里郷党に与へんか!」
六之四

子謂ヒテ仲弓:「犂牛之子、騂クシテアラバ;雖ストカラントフルコト、山川其テンヤレヲ?」

子 仲弓を謂ひて曰く:「犂牛りぎうの子、あかくして且つ角あらば;用ふること勿からんと欲すと雖も、山川其れれをてんや?」
六之五

子曰:「回也、其心三月不。其日月焉而已矣。」

子曰く:「回や、其の心三月仁に違はず。其の余は則ち日月に至るのみ。」
六之六

季康子問:「仲由使與?」子曰:「由也果ナリ、於イテフニ乎何ラン!」曰:「賜也可使與?」曰:「賜也達ナリ、於イテフニ乎何ラン!」曰:「求也可使與?」曰:「求也藝アリ、於イテフニ乎何ラン!」

季康子問ふ:「仲由は政に従はしむべきか?」子曰く:「由や果なり、政に従ふに於いてか何か有らん!」曰く:「賜や政に従はしむべきか?」曰く:「賜や達なり、政に従ふに於いてか何か有らん!」曰く:「求や政に従はしむべきか?」子曰く:「求や芸あり、政に従ふに於いてか何か有らん!」
六之七

季氏使閔子騫ヲシテ。閔子騫曰:「善セヨ。如ラバタスル、則吾必ラン。」

季氏 閔子騫びんしけんをして費の宰たらしむ。閔子騫曰く:「善く我が為に辞せよ。し我をたする者有らば、則ち吾は必ずぶんほとりに在らん。」
六之八

伯牛有疾。子問、自牖執、曰:「亡ボセリ、命ナル矣夫!斯ニシテルコト!斯ニシテルコト!」

伯牛やまひ有り。子 之を問ひ、まどより其の手を執り、曰く:「之を亡ぼせり、命なるかな!斯の人にして斯の疾有ること!斯の人にして斯の疾有ること!」
六之九

子曰:「賢ナル哉回也!一簞食、一瓢飮、在陋巷。人ヒニ、回也不シミヲ。賢ナル哉回也!」

子曰く:「賢なるかな回や!一箪の食、一瓢の飲、陋巷に在り。人は其のひに堪へず、回や其の楽しみを改めず。賢なるかな回や!」
六之十

冉求曰:「非子之道、力不レバ也。」子曰:「力不、中道ニシテ廢;今女レリ。」

冉求曰く:「子の道を説ばざるには非ず。力足らざればなり。」子曰く:「力足らざる者は、中道にして廃す。今なんぢかぎれり。」
六之十一

子謂ヒテ子夏:「女爲君子、無カレルコト小人。」

子 子夏に謂ひて曰く:「なんぢ 君子の儒と為れ、小人の儒と為ること無かれ。」
六之十二

子游爲武城。子曰:「女得タリ焉耳乎?」曰:「有澹臺滅明ナル、行クニ;非ザレバ公事、未偃之室也。」

子游 武城の宰と為る。子曰く:「なんぢ 人を得たりや?」曰く:「澹台滅明たむだいめつめいなる者有り、行くに径に由らず;公事に非ざれば、未だかつえんの室に至らざるなり。」
六之十三

子曰:「孟之反不、奔リテ殿タリ、將ラント、策チテ、曰:『非ザルヘテレタルニ也、馬不也。』」

子曰く:「孟之反 ほこらず、はしりて殿たり、将に門に入らんとす、其の馬にむちうちて、曰く:『敢へて後れたるに非ざるなり、馬進まざるなり。』」
六之十四

子曰:「不シテ祝鮀之佞ルハ宋朝之美、難乎免レンコト今之世。」

子曰く:「祝鮀しゆくだねい有らずして、宋朝の美有るは、難いかな今の世に免れんこと。」
六之十五

子曰:「誰ヅルニラン?何ルコト也!」

子曰く:「誰か能く出づるに戸に由らざらん?何ぞ斯の道に由ることきや!」
六之十六

子曰:「質勝テバ野、文勝テバ史。文質彬彬トシテ、然君子ナリ。」

子曰く:「質 文に勝てば則ち野、文 質に勝てば則ち史。文質彬彬ひんぴんとして、然る後に君子なり。」
六之十七

子曰:「人之生クル也直、罔クシテクルハニシテ免。」

子曰く:「人の生くるや直し。之をくして生くるはさいはひにして免るるなり。」
六之十八

子曰:「知、好シム。」

子曰く:「之を知る者は之を好む者に如かず、之を好む者は之を楽しむ者に如かず。」
六之十九

子曰:「中人以上ニハ、可也;中人以下ニハ、不カラ也。」

子曰く:「中人以上には、以て上をぐべきなり;中人以下には、以て上を語ぐべからざるなり。」
六之二十

樊遲問、子曰:「務民之義、敬シテ鬼神ザク、可。」問。曰:「仁者ニシテキヲニスルヲ、可。」

樊遅はんち 知を問ふ。子曰く:「民の義を務め、鬼神を敬して之を遠ざく、知と謂ふべし。」仁を問ふ。曰く:「仁者は難きを先にしてるを後にす、仁と謂ふべし。」
六之二一

子曰:「知者樂水、仁者樂山。知者動、仁者靜。知者樂、仁者壽。」

六之二二

子曰:「齊一變、至於魯;魯一變、至於道。」

六之二三

子曰:「觚不觚、觚哉觚哉!」

六之二四

宰我問曰:「仁者雖告之曰:『井有仁焉。』其從之也?」子曰:「何爲其然也?君子可逝也、不可陷也。可欺也、不可罔也。」

六之二五

子曰:「君子博學於文、約之以禮、亦可以弗畔矣夫!」

六之二六

子見南子、子路不説。夫子矢之曰:「予所否者、天厭之!天厭之!」

六之二七

子曰:「中庸之爲德也、其至矣乎!民鮮久矣!」

六之二八

子貢曰:「如有博施於民、而能濟衆、何如?可謂仁乎?」子曰:「何事於仁、必也聖乎?堯舜其猶病諸!夫仁者、己欲立而立人、己欲達而達人。能近取譬、可謂仁之方也已。」