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の仰せども一〻にかたりつたへ。扨下しつかわされたる御小 袖をきせんとすれば。菊がいわく。あらもつたいなし何 とてか。弘經寺様ぐきやうじさまの御小袖を。我等がにもふれら れんといへば。けにもつともなりとて。後日に是を打敷うちしきにぬい。ほう 蔵寺ぞうじ佛殿ぶつてんにぞかけたりける。扨祐天和尚ゆうてんおしやうの御ふるぎ 其外人〻よりあたへられたる着物きるものをも、いろ辞退じたいせし がとも。かれこれとぬいなをし。さま方便はうべんしてこそきせ たりけれ。さてまた。弘經寺より。下されたる食物じきもつは申に およばず其外の食事しよくじをも一ゑんにくらわず。たま少も しよくせんとすればすなはちむねにみちふさがり。あるひは ひふをそんさす。惣じてこの灵病れいびやううけし正月始のころより 三月中旬にいたるまて大かた水のたぐひのみにてく らせしかども。さのみつよくやせおとろへもせざりけれ ば。人〻是をふしんして問けるに。何とはしらず口中 にあぢはひ有て。外の食物しよくもつのそみなしといへば。扨は極楽ごくらく飲食おんじきを。時〻しよくするにもやあらんとて。さながら浄土じやうど より化來けらいせる者かと。あやしみうやまひめぐむ事。かぎ りなし。

石佛開眼かいげん之事

同三月十二日石佛せきぶつすでに出來して飯沼いゝぬま弘經寺ぐきやうじきやく 殿てんにかきすゆればすなはちたう方丈はうぢやう明誉檀通上人みやうよたんつうしやうにん 御出有。そのほか寺中のしよけ衆など。おもひにふ