朝鮮独立党の処刑

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朝鮮獨立黨ノ處刑(前編)[編集]

强者ハ力ヲ恃テ粗暴ナリ、粗暴ナルガ故ニ能ク人ヲ殺ス、弱者ハ文ヲ重ンシテ沈深ナリ、沈深ナルガ故ニ人ヲ害スルヿ少ナシトハ一寸考ヘタル所ニテ成ルホド左ルヿモアラン歟ト思ハルレトモ實際ニ於テハ决シテ然ラズシテ却テ正シク其反對ヲ見ルヲ常トス抑モ社會ノ人類ヲ平均シテ其强弱如何ヲ比較スルトキハ强者ハ少數ニシテ弱者ハ多數ナルヿ他ノ智愚賢不肖貧富等ノ比例ニ異ナラズ愚者貧者ノ多數ナルガ如ク弱者ノ多數ナルハ掩フ可ラザルノ事實ナリ扨强者ノ本色ハ如何ナルモノゾト尋ルニ强キ者ニ敵シテ勝チ難キニ勝ツヲ勉メ苟モ己ガ眼下ニ在リテ制御ノ自在ナル者トアレバ敵ニテモ味方ニテモ之ヲ害スルノ念ハ甚タ薄キノミナラズ時トシテハ己ガ眼下ニ在リテ制御ノ自在ナル者トアレバ敵ニテモ味方ニテモ之ヲ害スルノ念ハ甚タ薄キノミナラズ時トシテハ己ガ快樂ヲ缺キテモ弱敵ヲ助ケントスルモノ多シ故ニ强者ノ敵スル所ノ相手ハ常ニ社會中ノ少數ニシテ仮令ヒ之ヲ殺セバトテ其害ノ及フ所决シテ廣カラズ蓋シ之ヲ殺スノ術ナキニ非ザレトモ之ヲ殺スヲ要セザルナリ、容易ニ殺スノ術アルガ故ニ殺スヿヲ急カザルモノナリ、之ニ反シテ文弱ナル者ハ其心事仮令ヒ沈深ナルモ力ニ於テハ己ガ制御ノ下ニ在ルモノ甚ダ少ナキガ故ニ苟モ人ヲ殺スノ機會サヘアリテ自身ヲ禍スルノ恐ナキトキハ之ヲ殺シテ憚ル所アルヿナシ蓋シ弱者必ズシモ人ヲ殺スヲ好ムニ非ザレトモ自家ニ恃ム所ノモノナキガ故ニ機ニ乘シテ怨恨ヲ晴ラシ且ツハ後難ヲ恐ルヽノ念深クシテ一時ニ禍根ヲ斷タントスルガ爲ニ慘状ヲ呈スルモノナリ古代ノ歴史ヲ閲シテ所謂英雄豪傑ナル者ノ所業ヲ見ルニ軍事ニモ政事ニモ動モスレバ人ヲ殺シテ殆ト飽クヿヲ知ラザルモノヽ如シ甚シキハ無辜ノ婦人小兒マデモ屠戮シテ憚ル所ナキ其有樣ハ古人ノ武斷甚タ剛毅ナルニ似タレトモ内實ニ就テ之ヲ視察スレバ决シテ其人ノ强キガ爲ニハ非ズシテ却テ弱キガ爲ニ然ルモノナリト斷定セザルヲ得ズ不開化ノ世ノ中ニ人ヲ制スルノ方便モ乏シケレバ一旦ノ機會ニ乘シテ他ニ勝ツトキハ其機ヲ空ウセズシテ殺戮ヲ逞ウシ一ハ以テ一時ノ愉快ヲ取リ一ハ以テ禍根ヲ斷絶シテ永年ノ安樂ヲ偸マントスルノ臆病心ヨリ出ルモノナリ往古歴山王ガ戰爭ニ幾萬人ノ敵ヲ殺シタリト云ヒ日本ノ源平ノ爭ニ勝ツ者ハ敵ノ小兒マデモ刑ニ處シタルガ如キ其事例トシテ見ル可キモノナリ歴山王ト源平ノ諸將ト甚ダ勇ナルガ如クナレトモ其實ハ敵ヲ縱シテ複タ之ヲ伏スルノ覺悟ナキガ爲ニ斯ル鄙怯ノ擧動シテ殘酷ニ陷リタルモノト知ル可シ
世ノ文明開化ハ人ヲ文ニ導クト云フト雖トモ文運ノ進ムニ兼テ武術モ亦進歩シ人ヲ制シ人ヲ殺スノ方便ニ富ムガ故ニ治乱ノ際仮令ヒ屠戮ヲ逞ウス可キノ機會アルモ時ノ事情ニ要用ナル外ハ毒害ノ區域ヲ廣クスルヿナシ例ヘバ戰爭ニ降リタル者ヲ殺サズ國事犯ニ常事犯ニ罪ハ唯一身ニ止マリテ父母妻子ニ及ハザルノミカ其家ノ財産サヘ沒入セラルヽコトハ甚タ稀ナリ例ヘバ近年我國西南ノ役ニ國事犯ノ統領西郷南洲翁ノ如キ其罪ハ唯翁一人ノ罪ニシテ妻子兄弟ノ累ヲ爲サズ今ノ參議西郷伯ハ現ニ骨肉ノ弟ナレトモ日本國中ニ之ヲ怪シム者ナシ蓋シ我政府ガ南洲翁ノ罪ヲ窮メテ殺戮ヲ逞ウセザルハ政府ノ力ノ足ラザルニ非ズ其實ハ文明ノ武力能ク天下ヲ制スルニ餘リアリテ西南ノ變乱再ヒ起ルモ復タ之ヲ征服ス可キノ覺悟アレバナリ一言コレヲ評スレバ能ク人ヲ殺スノ力アルモノニシテ始メテ能ク人ヲ殺スヿナシト云テ可ナラン之ヲ文明ノ强ト云フ古今ヲ比較シテ人心ノ强弱社會ノ幸不幸其差天淵モ啻ナラザルヲ知ル可シ左レバ彼ノ古ノ英雄豪傑ガ勇武果斷ニシテ能ク戰ヒ又ヨク人ヲ殺シタリト云フモ其勇武ヤ唯一時腕力ノ勇武ニシテ永久必勝ノ算アルニ非ズ其果斷ヤ己ガ臆病心ニ迫ラレタルノ果斷ニシテ其胷中餘地ナキヲ證スルニ足ル可キノミ文明ノ勝算ハ數理ニ根據シテ違フヿナク野蠻ノ勝利ハ僥倖ニ依頼シテ定數ナシ僥倖ニシテ勝ツモノハ其勝ニ乘シテ止マルヿヲ知ラズ數理ヲ以テ勝ツモノハ再三ノ勝ヲ制スルヿ容易ナルガ故ニ其際悠々トシテ餘地アルモ亦謂レナキニ非ザルナリ
源平ノ事ハ邈乎タリ吾々日本ノ人民ハ今日ノ文明ニ逢フテ治ニモ乱ニモ屠戮ノ毒害ヲ見ズ苟モ罪ヲ犯サヾル限リハ其財産生命榮譽ヲ全ウシテ竒禍ナキヲ喜ブノ傍ニ眼ヲ轉シテ隣國ノ朝鮮ヲ見レバ其野蠻ノ慘状ハ我源平ノ時代ヲ再演シテ或ハ之ニ過クルモノアルガ如シ吾々ハ源平ノ事ヲ歴史ニ讀ミ繪本ニ見テ辛ウシテ其時ノ想像ヲ作ル其際ニ朝鮮ノ人民ハ今日コレヲ事實ニ行フテ曾テ怪ムモノナシトハ驚ク可キニ非ズヤ日本ナリ朝鮮ナリ等シク是レ東洋ノ列國ナルニ昊天何ソ日本ニ厚クシテ朝鮮ニ薄キヤ蓋シ人盛ナレバ天ニ勝ツノ古言ニ違ハズ朝鮮國民ハ數百年來支那ノ儒教主義ニ心醉シテ既ニ精神ノ獨立ヲ失ヒ又之ニ加ルニ近年ハ其内治外交ノ政事上ニ於テモ支那ノ干渉ヲ蒙テ獨立ノ國体ヲ失ヒ有形無形百般ノ人事支那ノ風ヲ學テ又支那人ノ指揮ニ從ヒ自身ヲ知ラズ自國ヲ知ラズ日ニ月ニ退歩シテ益野蠻ニ赴クモノヽ如シ其事實ヲ計フレバ枚擧ニ遑アラズト雖トモ近日ノ一事件トシテ我輩ハ朝鮮獨立黨處刑ノ新聞ヲ得タリ依テ聊カ所感ヲ記スヿ次ノ如シ(以下次號)

明治18年(1885年)2月23日

朝鮮獨立黨ノ處刑  (去廿三日ノ續キ)[編集]

去年十二月六日京城ノ變乱以後朝鮮ノ政權ハ事大黨ノ手ニ歸シテ政府ハ恰モ支那人ノ後見ヲ以テ存立シ政刑一切陰ニ陽ニ支那人ノ意ニ出ルトノヿハ普ク世界中ノ人ノ知ル所ナラン彼ノ國ノ大臣ニシテ獨立黨ノ名アル朴泳考金玉均等ノ諸士ハ兼テ國王陛下ノ信任ヲ得テ竊ニ國事ノ改革ヲ謀リ一旦事ヲ擧ケテ失敗シ俗ニ所謂負ケテ國賊ナルモノヽ身ト爲リテ其死生行方サヘ分明ナラズ現政府ハ之ヲ搜索スルヿ甚シキ其最中先ツ其黨類ヲ處分スルトテ本年一月二十八日二十九日ノ両日ヲ以テ大ニ刑罰ヲ行ヒ金奉均、李喜貝、申重摸、李昌奎ノ四名ハ謀叛大逆不道ノ罪ヲ以テ死刑ニ其父母兄弟妻子ハ皆絞罪ニ處ス
李點乭、李允相ノ二名ハ謀叛不道ノ罪ヲ以テ西小門外ニ斬ニ處シ其家族ノ男ハ奴ト爲シ女ハ婢ト爲ス
徐載昌、南興喆、崔興宗、車弘植、崔英植ノ五名ハ情ヲ知テ告ゲザル罪ヲ以テ當人ノミ死刑ニ處シテ家族ハ無罪
英昌摸ハ既ニ死後ニ付キ其罪ヲ論セズ
洪英植ハ孥戮ノ典ヲ追施ス
又金玉均徐載弼徐光範ノ父母妻子ハ二月二日ヲ以テ南大門ニ絞罪ニ處セラル
右ハ本月十六日時事新報ノ朝鮮事件欄内ニ掲載シタルモノナレバ讀者モ知ラルヽ所ナラン抑モ此刑戮ハ國事犯ニ起リタルモノニシテ事ノ正邪ハ我輩ノ知ル所ニ非ズ、刑セラレタル者ト刑シタル者ト孰レガ忠心ニシテ孰レガ反賊ニテモ我輩ノ痛痒ニ關スルナシト雖トモ今ノ事大黨政府ノ當局者ガ能ク人ヲ殺シテ殘忍無情ナルノ一事ニ於テハ實ニ驚カザルヲ得ズ現ニ罪ヲ犯シタル本人ヲ刑スルハ國事ニ至當ノヿナランナレトモ右犯罪人ノ中車弘植ノ如キハ徐載弼ノ僕ニシテ變乱ノ夜提燈ヲ携ヘテ主人ノ供ヲシタルマデノ罪ニシテ死刑ヲ兔レズ、壯大ノ男子ヲ殺スハ尚忍ブ可シトスルモ心身柔弱ナル婦人女子ト白髮半死ノ老翁老婆ヲ刑塲ニ引出シ東西ノ分チモナキ小兒ノ首ニ繩ヲ掛ケテ之ヲ絞メ殺ストハ果シテ如何ナル心ゾヤ、尚一歩ヲ讓リ老人婦人ノ如キハ識別ノ精神アレバ身ニ犯罪ノ覺ナキモ我子我良人ガ斯ル身ト爲リシ故ニ我身モ斯ル災難ニ陷ルモノナリト冤ナガラモ其冤ヲ知リテ死シタルヿナランナレトモ三歳五歳ノ小兒等ハ父母ノ手ヲ離ルヽサヘ泣キ叫ブノ常ナルニ荒々シキ獄卒ノ手ニ掛リ雪霜吹キ晒ラシノ城門外ニ引摺ラレテ細キ首ニ繩ヲ掛ケラルヽ其時ノ情ハ如何ナル可キヤ唯恐ロシキ鬼ニツカマレタル心地スルノミニシテ其索ノマリテ呼吸ノ絶ユルマデハ殺サルヽモノトハ思ハズ唯父母ヲ慕ヒ、兄弟ヲ求メ、父ヨ母ヨト呼ビ叫ビ聲ヲ限リニ泣入リテ絞索漸クマリ、泣ク聲漸ク微ニシテ終ニ絶命シタルヿナラン人間娑婆世界ノ地獄ハ朝鮮ノ京城ニ出現シタリ我輩ハ此國ヲ目シテ野蠻ト評センヨリモ寧ロ妖魔惡鬼ノ地獄國ト云ハント欲スル者ナリ而シテ此地獄國ノ當局者ハ誰ゾト尋ルニ事大黨政府ノ官吏ニシテ其後見ノ實力ヲ有スル者ハ即チ支那人ナリ我輩ハ千里遠隔ノ隣國ニ居リ固ヨリ其國事ニ縁ナキ者ナレトモ此事情ヲ聞イテ唯悲哀ニ堪ヘズ今コノ文ヲ草スルニモ涙落チテ原稿紙ヲ潤ホスヲ覺エザルナリ事大黨ノ人々ハ能クモ忍ンデ此無情ノ事ヲ爲シ能クモ忍ンデ其刑塲ニ臨監シタルモノナリ文明國人ノ情ニ於テハ罹災ノ人ノ不幸ヲ哀ムノ傍ニ又他ノ殘忍ヲ見テ寒心戰慄スルノミ抑一國ノ法律ハ其國ノ主權ニ屬スルモノニシテ朝鮮ニ如何ナル法ヲ設ケテ如何ナル慘酷ヲ働クモ他國人ノ敢テ喙ヲ容ル可キ限リニ非ズ我輩コレヲ知ラザルニ非ズト雖トモ凡各國人民ノ相互ニ交際スルハ唯條約ノ公文ニノミ依頼ス可キモノニアラズ雙方ノ人情相通スルニ非ザレバ修信モ貿易モ殆ト無益ニ歸スルモノ多キハ古今ノ事實ニ證シテ明ニ見ル可シ然ルニ今朝鮮國ノ人情ヲ察スルニ支那人ト相投シテ其殺氣ノ陰險ナルヿ實ニ吾々日本人ノ意想外ニ出ルモノ多シ故ニ我輩ハ朝鮮國ニ對シ條約ノ公文上ニハ固ヨリ對等ノ交際ヲ爲シテ他ナシト雖トモ人情ノ一點ニ至テハ其國人ガ支那ノ覊軛ヲ脱シテ文明ノ正道ニ入リ有形無形一切ノ事ニ付キ吾々ト共ニ語リテ相驚クナキノ塲合ニ至ラザレバ氣ノ毒ナガラ之ヲ同族視スルヲ得ズ條約面ニハ對等シテ尊敬ヲ表スルモ人民ノ情交ニ於テ親愛ヲ盡スヲ得ザルモノナリ西洋國人ガ東洋諸國ニ對シ宗旨相異ナルガタメニ双方人民ノ交際微妙ノ間ニ往々言フ可カラザルノ故障ヲ見ルヿアリ今我輩日本人民モ朝鮮國ニ對シ又支那國ニ對シテ自カラ微妙ノ邊ニ交際ノ困難アルヲ覺ルハ遺憾ニ堪ヘザル次第ナリ
蓋シ彼ノ事大黨衆ガ支那人ノ後見ニ依頼シテ斯クモ無慙ニシテヨク人ヲ殺スハ必ズシモ其殺氣ノ活發ナルニ非ズ苟モ殺ス可キノ機會ニ逢フテ一時其政治上ノ怨恨ヲ慰ルト又一ニハ獨立黨ノ遺類ヲ存在セシメテハ後難如何ヲ慮カリ機ニ乘シテ禍根ヲ斷絶セントスルノ心算ナル可シト雖トモ如何セン爰ニ一國アレバ其國人ニ獨立ノ精神ヲ生スルハ自然ノ勢ニシテ之ヲ駐メントスルモ留ム可カラズ故ニ今度幸ニシテ獨立黨ノ人ヲ殲シテ孑遺ナキニ至ルモ人ヲ殲スノミ、精神ハ殲ス可ラズ、數年ナラズシテ第二ノ獨立黨ヲ生ス可キヤ明ナリ第二第三朝鮮國ノアラン限リハ此黨ノ斷ユルヿナクシテ今度折角ノ殘殺モ無益ノ勞タルニ過ギザル可シ語ヲ寄ス韓廷ノ事大黨國ニ獨立黨ノ禍アランヲ恐レナバ早ク固陋ナル儒教主義ヲ一洗シテ西洋ノ文明開化ヲ取リ文明ノ文ニ兼ヌルニ其武ヲ擴張シ國ノ獨立ヲ萬々歳ニ堅固ナラシム可シ既ニ文明ノ强アリ外患尚且恐ルヽニ足ラズ况ヤ内國政治ノ軋轢等ニ於テヲヤ如何ナル變乱アルモ之ヲ制スルヿ易シ尚况ヤ其變乱ノ際ニ無辜ヲ殺シテ禍根ヲ斷タントスルガ如キ卑怯策ヲ行フニ於テヲヤ啻ニ無益ナルノミナラズ自カラ發明シテ自カラ耻入ルノ日アル可キナリ

明治18年(1885年)2月26日

改訂版[編集]

  • 新字体、平仮名、現代仮名遣いに改め、適宜句読点、改行を施した。
  • 一部の漢字を現代風に直した。(吾々→我々、勉メ→努め)
  • 一部の固有名詞を現代風に直した。(歴山王→アレキサンダー王)

強者は力をたのんで粗暴なり、粗暴なるがゆえによく人を殺す、弱者は文を重んじて沈深なり、沈深なるがゆえに人を害すること少なしとは一寸考えたる所にてなるほどさることもあらんやと思はるれども、実際においては决してしからずして、かえって正しくその反対を見るを常とす。

そもそも社会の人類を平均してその強弱いかんを比較するときは、強者は少数にして弱者は多数なること、他の智愚、賢不肖、貧富等の比例に異ならず、愚者貧者の多数なるが如く、弱者の多数なるはおおうべからざるの事実なり。

さて強者の本色はいかなるものぞと尋ねるに、強き者に敵して勝ちがたきに勝つを努め、いやしくも己が眼下にありて制御の自在なる者とあれば、敵にても味方にてもこれを害するの念は甚だ薄きのみならず、時としては己が眼下にありて制御の自在なる者とあれば、敵にても味方にても之を害するの念は甚た薄きのみならず、時としては己が快楽を欠きても弱敵を助けんとするもの多し。故に強者の敵する所の相手は常に社会中の少数にして、たといこれを殺せばとてその害の及ぶ所决して広からず、けだしこれを殺すの術なきにあらざれどもこれを殺すを要せざるなり、容易に殺すの術あるが故に殺すことを急かざるものなり。

これに反して文弱なる者は、その心事たとい沈深なるも力においては己が制御の下にあるもの甚だ少なきがゆえに、いやしくも人を殺すの機会さえありて自身を禍するの恐なきときはこれを殺して憚る所あることなし。けだし弱者必ずしも人を殺すを好むにあらざれども、自家にたのむ所のものなきがゆえに機に乗して怨恨を晴らし、且つは後難を恐るるの念深くして、一時に禍根を断たんとするが為に惨状を呈するものなり。

古代の歴史を閲して、いわゆる英雄豪傑なる者の所業を見るに、軍事にも政事にも動もすれば人を殺してほとんど飽くことを知らざるものの如し。はなはだしきは無辜の婦人、小児までも屠戮して憚る所なきその有様は、古人の武断はなはだ剛毅なるに似たれども、内実についてこれを視察すれば决してその人の強きが為にはあらずして、かえって弱きが為にしかるものなりと断定せざるを得ず。不開化の世の中に人を制するの方便も乏しければ一旦の機会に乗じて、他に勝つときはその機を空しゅうせずして殺戮を逞しゅうし、一はもって一時の愉快を取り、一はもって禍根を断絶して永年の安楽をたのしまんとするの臆病心より出るものなり。

往古、アレキサンダー王が戦争に幾万人の敵を殺したりといい、日本の源平の争に勝つ者は敵の小児までも刑に処したるが如き、その事例として見るべきものなり。アレキサンダー王と源平の諸将と甚だ勇なるが如くなれども、その実は敵をほしいままにしてまたこれを伏するの覚悟なきが為にかかる卑怯の挙動して残酷に陥りたるものと知るべし。


世の文明開化は人を文に導くというといえども、文運の進むに兼て武術もまた進歩し、人を制し人を殺すの方便に富むがゆえに、治乱の際たとい屠戮を逞しゅうすべきの機会あるも、時の事情に要用なる外は毒害の区域を広くすることなし。例へば戦争に降りたる者を殺さず、国事犯に常事犯に罪は唯一身に止まりて、父母妻子に及はざるのみかその家の財産さへ没入せらるることは甚た稀なり。例へば近年我国西南の役に国事犯の統領西郷南洲翁の如きその罪は唯翁一人の罪にして、妻子兄弟の類をなさず。今の参議西郷伯は現に骨肉の弟なれども、日本国中に之を怪しむ者なし。

けだし我政府が南洲翁の罪を窮めて殺戮を逞しゅうせざるは政府の力の足らざるにあらず、その実は文明の武力よく天下を制するに余りありて西南の変乱再ひ起るもまたこれを征服すべきの覚悟あればなり。一言これを評すれば、よく人を殺すの力あるものにして始めてよく人を殺すことなしといいてかならん。これを文明の強という。古今を比較して人心の強弱、社会の幸不幸、その差天淵もただならざるを知るべし。

されば彼の古の英雄豪傑が勇武果断にしてよく戦い、またよく人を殺したりというも、その勇武や唯一時腕力の勇武にして永久必勝の算あるにあらず、その果断や己が臆病心に迫られたるの果断にして、その胸中余地なきを証するに足るべきのみ。文明の勝算は数理に根拠して違ふことなく、野蛮の勝利は僥倖に依頼して定数なし。僥倖にして勝つものはその勝に乗して止まることを知らず、数理を以て勝つものは再三の勝を制すること容易なるがゆえに、その際悠々として余地あるもまたいわれなきにあらざるなり。


源平の事は邈乎たり、我々日本の人民は今日の文明に逢うて治にも乱にも屠戮の毒害を見ず、いやしくも罪を犯さざる限りはその財産、生命、栄誉を全うして竒禍なきを喜ぶの傍に、眼を転して隣国の朝鮮を見れば、その野蛮の惨状は我源平の時代を再演して或いはこれに過ぐるものあるが如し。我々は源平の事を歴史に読み絵本に見て辛うじてその時の想像を作るその際に、朝鮮の人民は今日これを事実に行うてかつて怪むものなしとは驚くべきにあらずや。日本なり朝鮮なり等しく是れ東洋の列国なるに、昊天何ぞ日本に厚くして朝鮮に薄きや。

けだし人盛なれば天に勝つの古言に違わず、朝鮮国民は数百年来支那の儒教主義に心酔して既に精神の独立を失い、またこれに加うるに近年はその内治外交の政事上においても支那の干渉をこうむって独立の国体を失い、有形無形百般の人事支那の風を学びてまた支那人の指揮に従い、自身を知らず自国を知らず日に月に退歩してますます野蛮に赴くものの如し。

その事実を計うれば枚挙にいとまあらずといえども、近日の一事件として我輩は朝鮮独立党処刑の新聞を得たり。よりていささか所感を記すこと次の如し。


去年十二月六日京城の変乱以後、朝鮮の政権は事大党の手に帰して政府はあたかも支那人の後見をもって存立し、政刑一切陰に陽に支那人の意に出るとのことはあまねく世界中の人の知る所ならん。

彼の国の大臣にして独立党の名ある朴泳孝、金玉均等の諸士はかねて国王陛下の信任を得てぬすみに国事の改革を謀り、一旦事を挙けて失敗し、俗にいわゆる負けて国賊なるものの身となりてその死生行方さえ分明ならず、現政府はこれを捜索することはなはだしきその最中、まずその党類を処分するとて本年一月二十八日、二十九日の両日をもって大に刑罰を行い、金奉均、李喜貝、申重摸、李昌奎の四名は謀叛、大逆、不道の罪を以て死刑に、その父母、兄弟、妻子は皆絞罪に処す。

李点乭、李允相の二名は謀叛不道の罪をもって西小門外に斬に処し、その家族の男は奴となし女は婢となす
徐載昌、南興喆、崔興宗、車弘植、崔英植の五名は情を知って告げざる罪をもって当人のみ死刑に処して家族は無罪
英昌摸は既に死後に付きその罪を論せず
洪英植は孥戮の典を追施す
また金玉均、徐載弼、徐光範の父母妻子は二月二日をもって南大門に絞罪に処せらる

右は本月十六日時事新報の朝鮮事件欄内に掲載したるものなれば読者も知らるる所ならん。

そもそもこの刑戮は国事犯に起りたるものにして事の正邪は我輩の知る所にあらず、刑せられたる者と刑したる者といずれが忠心にしていずれが反賊にても我輩の痛痒に関するなしといえども、今の事大党政府の当局者がよく人を殺して残忍無情なるの一事においては実に驚かざるを得ず。

現に罪を犯したる本人を刑するは国事に至当のことならんなれども、右犯罪人の中車弘植の如きは徐載弼の僕にして、変乱の夜提灯を携へて主人の供をしたるまでの罪にして死刑を免れず。壮大の男子を殺すはなお忍ぶべしとするも、心身柔弱なる婦人女子と白髪半死の老翁老婆を刑塲に引出し、東西の分ちもなき小児の首に縄を掛けてこれを絞め殺すとは果していかなる心ぞや。なお一歩を譲り老人婦人の如きは識別の精神あれば身に犯罪の覚なきも我子、我良人がかかる身となりしゆえに我身もかかる災難に陥るものなりと、冤ながらもその冤を知りて死したることならんなれども、三歳五歳の小児等は父母の手を離るるさえ泣き叫ぶの常なるに、荒々しき獄卒の手に掛り雪霜吹き晒らしの城門外に引摺られて細き首に縄を掛けらるるその時の情はいかなるべきや、唯恐ろしき鬼に掴まれたる心地するのみにして、その索の窄りて呼吸の絶ゆるまでは殺さるるものとは思わず、唯父母を慕ひ、兄弟を求め、父よ母よと呼び叫び声を限りに泣入りて絞索ようやく窄まり、泣く声漸く微にしてついに絶命したることならん。

人間娑婆世界の地獄は朝鮮の京城に出現したり。我輩はこの国を目して野蛮と評せんよりも、むしろ妖魔悪鬼の地獄国といわんと欲する者なり。しかしてこの地獄国の当局者は誰ぞと尋ねるに、事大党政府の官吏にしてその後見の実力を有する者はすなわち支那人なり。我輩は千里遠隔の隣国におり、もとよりその国事に縁なき者なれども、この事情を聞いて唯悲哀に堪えず、今この文を草するにも涙落ちて原稿紙を潤おすを覚えざるなり。事大党の人々はよくも忍んでこの無情の事をなし、よくも忍んでその刑塲に臨監したるものなり。文明国人の情においては罹災の人の不幸を哀むの傍に、また他の残忍を見て寒心戦慄するのみ。

そもそも一国の法律はその国の主権に属するものにして、朝鮮にいかなる法を設けていかなる惨酷を働くも他国人のあえて喙をいるべき限りにあらず、我輩これを知らざるにあらずといえども、およそ各国人民の相互に交際するは唯条約の公文にのみ依頼すべものにあらず、双方の人情相通ずるにあらざれば修信も貿易もほとんど無益に帰するもの多きは古今の事実に証して明に見るべし。

しかるに今朝鮮国の人情を察するに、支那人と相投じてその殺気の陰険なること実に我々日本人の意想外に出るもの多し。ゆえに我輩は朝鮮国に対し条約の公文上にはもとより対等の交際をなして他なしといえども、人情の一点に至ってはその国人が支那の覊軛を脱して文明の正道に入り、有形無形一切の事につき我々と共に語りて相驚くなきの場合に至らざれば、気の毒ながらこれを同族視するを得ず。条約面には対等して尊敬を表するも、人民の情交において親愛を尽すを得ざるものなり。西洋国人が東洋諸国に対し宗旨相異なるがために、双方人民の交際微妙の間に往々言うべからざるの故障を見ることあり、今我輩日本人民も朝鮮国に対しまた支那国に対して自から微妙の辺に交際の困難あるを覚うるは遺憾に堪へざる次第なり。


けだし彼の事大党衆が支那人の後見に依頼して、かくも無残にしてよく人を殺すは必ずしもその殺気の活発なるにあらず、いやしくも殺すべきの機会に逢うて一時その政治上の怨恨を慰むると、また一には独立党の遺類を存在せしめては後難いかんを慮かり機に乗して禍根を断絶せんとするの心算なるべしといえどもいかにせん。ここに一国あればその国人に独立の精神を生するは自然の勢にして、これをとどめんとするも留むべからず。ゆえに今度幸にして独立党の人を殲して子遺なきに至るも人を殲すのみ、精神は殲すべからず、数年ならずして第二の独立党を生すべきや明なり。第二、第三、朝鮮国のあらん限りはこの党の断ゆることなくして今度折角の残殺も無益の労たるに過ぎざるべし。

語を寄す、韓廷の事大党、国に独立党の禍あらんを恐れなば、早く固陋なる儒教主義を一洗して西洋の文明開化を取り、文明の文に兼ぬるにその武を拡張し国の独立を万々歳に堅固ならしむべし。既に文明の強あり、外患尚且恐るるに足らず、いわんや内国政治の軋轢等においてをや。いかなる変乱あるもこれを制すること易し、なおいわんやその変乱の際に無辜を殺して禍根を断たんとするが如き卑怯策を行うにおいてをや。ただに無益なるのみならず、自から発明して自から恥入るの日あるべきなり。

関連資料[編集]

この作品は1929年1月1日より前に発行され、かつ著作者の没後(団体著作物にあっては公表後又は創作後)100年以上経過しているため、全ての国や地域でパブリックドメインの状態にあります。