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存候得共、世俗御上作とてもてはやし申候、文體は御上作に眞似敷物に御座候、若御上作にも御座候はゞ、恐ながら御氣質の顯れ申書を御弘め被遊候事、心有武士は乍恐淺間敷奉存儀に御座候間、絕板に被仰付然奉存候、此書の非は日本の弓箭と、漢傳の弓箭と相交、一質に覺綴りたる書にて、日本正道の弓箭に對して大成無禮至極なる書にて御座候、總て百乘の漢士〈七千五百人〉に、一備の倭兵〈武士五十騎、雜兵七百人也〉を以我が對鬪とする事天然の素性、末代といふともかはるべからず、〈神功皇后三韓退治、近大閤唐土攻、何も百乘三備の格を以て對鬪すること明也〉然れば兵權の要法に於て、異國を便るは兵家夫れあやまちにちかからんと、日本舊典を引て上杉謙信公宣ひしなり、都て異國の弓箭は人性の陰氣厚生付候故、謀作を以軍の利を得ん事を計り、不義にして帝王を殺奉り、下賤より十善の位に立、只荒强のみを武勇󠄁と覺申候氣質にて、言語いやしくママ石淋をなめ、或は匹夫の胯を潜ても、後に功を建るは、其穢の消失る樣に覺て其質に落入、陽氣の延やか成を嬈し實相を穢す、其汚名末代といふとも除べけんや、日本は陽氣の武機應て政道の龜鑑とし、おのづから才智聰明にして淸直剛强成事、天竺震旦に勝れて速なり、日本武士にたとへ大國を可下とて、小便を呑もの可御座哉、日本の質にて下々の者にても、左樣成いやしきふるまひは一命は終るとも不仕候、茲を以陽氣に屬したる證據にて御座候、是神道冥加之大道成が故に、往古より惡人惡逆の者數多御座候といへども、帝王をばいろひ不奉、是全義を專に守る國の印にて、唐土天竺に勝たる證據にて御座候、然る處日本に於て不義の漢傳を學び、何の爲にか柔弱修行すべく、井澤が書によつて質を見るに、異國の風俗に移り度下心明に見へ申候、是日本正道の弓箭の大道を不知が故なれば、敢て惡にもあらず候、しかし井澤ごときがいかほど工み候ても、たやすく日本の風俗替るものにても無御座、誠に子供たらしの草本、質美にて無御座候へども、井澤が作にさへ相極候は、其分に御捨置被遊候は惡敷ものにても無御座候、只口に計能事を言たる分にて、我に行事のならぬが今世學者の身持にて御座候へば、井澤が口賢書たる共、何の用に立ものにては無御座候、誰も少し學問を仕たるものは朝夕申事にて、賢人の口眞似と申ものにて御座候、ケ樣の儀を勿體なくも上の御作などともて遊候事、乍恐氣の毒千萬に奉存候得共、天下の政道をしろしめす御大將は、御好きらひのしれざるを以て用とし、細か成事に御心をよせられぬを以體とし、爰を以名將の御機と奉稱ものにて御座候、凡權威の身さへ度量挾窟しては難叶と御座候へば、況や一天の武將に於て、乍恐愚案敬白御家人の御切米金子にて御渡し被遊、何も難儀仕段は逐一に御存知被遊候事も御座候を、押て全子にて御渡、剩暮給百俵の內、八兩づつ御借り被遊候段、是程の困窮を御存知被遊ながら、御構なく被仰出候は、源より御思案御座候事と乍恐奉察候、總て近年は武家武器おとろへ、內證の榮耀にのみほこり、花麗に世を送り、銘々身上の程も不顧、我不知に高ぶり候故に、自然と困窮仕候事を御賢察被遊、御家人身上をしまり申爲に、御切米を金子にて御渡、餘ほどの難儀身にこりて、法外のよそひ等難仕時節又は御切米之內御借り被遊とて、猶又賢こくこみちに世