Page:Wagasyu Iisusu Harisutosu Sin yaku01.pdf/161

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れイオシフのあらずや。二三イイススかれへり、なんぢかならずわれことわざきてはん、よ、おのれいやせ、われきしところ、カペルナウムにおこなはれしことを、ここなんぢ故土ふるさとにもおこなへと。二四またへり、われまことなんぢぐ、げんしゃその故土ふるさとりてれらるるものあらず。二五われしんじつなんぢぐ、イリヤのに、さんねん六月ろくかげつてんぢて、おほいなるきんぜんいたりしとき、イズライリのうちおほくのやもめありたれども、二六イリヤはその一人ひとりにもつかはされざりき、ただシドンのサレプタにのみ、やもめなるをんなつかはされたり。二七またげんしゃエリセイのとき、イズライリのうちおほくのらいびゃうしゃありたれども、その一人ひとりきよめられざりき、ただシリヤのエマンのみきよめられたり。二八くわいだうものこれきて、みなおほいいかり、二九ちてかれまちそとひ、きてそのまちてられたるやまがけいたり、かれおとさんとせしに、三〇かれしゅううちぎてれり。三一ガリレヤのまちカペルナウムにきたり、安息日スボタおいかれをしへしに、三二人々ひとびとそのをしへとせり、そのことばけんありしゆゑなり。三三くわいだうらるるひとあり、おほごゑびてへり、三四ああナザレトのイイススよ、われなんぢなんあづからん、なんぢわれほろぼさんためきたりしか、われなんぢたれなるをる、すなはちかみせいなるもの