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の法律として、国家賠償法が制定されたのである。
上告人那須隆は、捜査段階から裁判の全過程、そして下獄、出獄にいたる間、一貫して無実の訴を叫び続けてきた。
昭和四九年一二月、真犯人の出現を証拠として提出した再審請求も棄却された時、彼は、裁判制度の中に再審手続がなければいいと病床から悲痛な叫びを発した。
真犯人が現れ、多くの人々から長年の無実の主張の正しさを認められ、祝福されていたにも拘らず、これが裁判により否定されたからである。
昭和五一年、再審が開始され翌五二年、無罪判決にいたり、那須氏ははじめて裁判に対する一応の信頼の気持を持ちはじめた。しかし、再び今、国家賠償制度は那須氏に冤罪者にとって、いかなる意味をもつ制度かという厳しい問いを投げかけ、司法への信頼が崩れさる事態に蓬着しているのである。
国家賠償制度の中に、人間の心が通わない限り、この制度は不要であり、裁判への信頼は、地におちるのみである。
何故、誤った裁判が生みだされたのか、同じ過ちを繰り返させないために、司法関係者は一体どのような反省をしたというのか、そして、冤罪者に対し、どのような償いをしようとしているのか、このような人間として人の痛みを理解できる心の存在が、本件裁判には必要不可欠なものであった。
しかし、残念なことに、原裁判所の判示からは全くそれをうかがうことができない。
原判決は、この点において、破棄を免れない瑕疵を帯有しているものである。