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となへるものも現れました。これらの人々は、洋學をまなんで、ひととほり海外の形勢を知つてゐましたので、しばらく攘夷をひかへて通商を許し、まづ國力を養ふことが大切であると考へたのです。幕府は、人々の心をまどはすものとして、これを罰しました。

やがて天保十一年、ちやうど紀元二千五百年に、淸と英國との間に阿片戰爭が起り、淸のやぶれたことが、わが國へ傳はりました。幕府は驚いて、天保十三年、前に出した外國船打ち拂ひの命令をゆるめました。英國は、淸と條約を結んで香港を取り、東亞を侵略する根城を、更に加へたのであります。この形勢を見て、佐久間象山や高島四郞太夫は、國防充實の必要をとなへ、佐藤信淵も、國力を養ひ、進んで南方に根城を構へ、淸と結んで西洋諸國の侵略を防がなければならないと說きました。それに、弘化元年には、オランダが