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の充實をはかりました。

諸大名の中でも、水戶の德川齊昭を始め、薩摩の島津齊彬、佐賀の鍋島直正、福井・宇和島・津の諸藩主など、盛んに攘夷をとなへ、かつ海防のことにつとめました。わけても齊昭は、光圀の志をついで、尊王の心に厚く、弘道館といふ學校を建てて、大いに文武の道をはげまし、盛んに大砲を造つて、攘夷の準備を整へました。

ところが、このころ、幕府も大名も、いつぱんに費用がとぼしく、十分な軍備を整へることができません。また、長い間の太平になれて、人々の心は、なかなか引きしまらず、一時あがつた攘夷の氣勢も、とかくにぶりがちです。その上、天保年間には、全國に飢饉があり、大鹽平八郞が亂を起し、老中水野忠邦の政治改革も評判がよくないといふ有樣です。しぜん、渡邊崋山や高野長英のやうに、開港を