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韮山の反射爐

韮山の反射爐

の長崎奉行松平康英が、責任を感じて切腹するさわぎが起りました。その後英艦は、しきりにわが近海に出沒し、仁孝天皇の文政元年に、シンガポールを占領してから、その亂暴は、いよいよ激しくなりました。國民は、大いにこれを憤り、攘夷の氣勢が、年とともに高まつて行きました。幕府も、つひに決心して、文政八年「わが近海に近よる船は、見つけしだい、これを打ち拂へ。」との命令をくだし、高島四郞太夫・江川太郞左衞門らを用ひて、新しい兵器や戰術を硏究させ、軍備