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は、林小平や伊能忠敬らが出て、地理の學問を興しました。子平は、海國兵談といふ本をあらはして、海防の必要を説き、忠敬は、きはめて正確な日本地圖を、みごとに作りあげました。佐藤信淵や二宮尊德が、農業の學問を進めたのも、だいたいこのころのことです。これらの學者は、いづれも勞苦を積んで、國のため世のため、學問にはげんだのであります。

光格天皇の御代に、幕府では、家齊が將軍に任じられ、松平定信が老中になつて、政治をたすけました。吉宗が將軍職を退いてから、約四十年のちのことで、當時、幕府の政治も、人々の氣風も、だいぶゆるんでゐました。定信は、吉宗の孫に當る人で、松平氏をついで奧州白河の城主となり、よく領內を治めて、人々にしたはれました。やがて老中を命じられると、儉約をすすめたり、文武をはげました