このページはまだ校正されていません
第十 御惠みのもと
〈第百十五代〉櫻町天皇も、つねに民草の上をお思ひになつて、
思ふにはまかせぬ世にもいかでかは
なべての民のこころやすめむ
とおよみになり、〈第百十六代〉桃園天皇は、
神代より世々にかはらで君と臣の
みちすなほなる國はわが國
とおよみになつて、君臣の分、わが國がらの尊さを、はつきりとお示しになりました。やがて〈第百十九代〉光格天皇の天明年間には、數年にわたる大飢饉があり、食にうゑてさまよひ步く民草が、年とともにふえました。天皇は、深く御心配になつて、
たみ草に露のなさけをかけよかし
世をもまもりの國のつかさは
五十五