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第十 御惠みのもと
一 大御心
太平の世が續いて、國民が日々の仕事にいそしむことのできたのは、ひとへに御惠みのおかげでありました。にぎやかな江戶とはなやかな長崎、その間には、おごそかな京都があつて、昔の姿を傳へてゐました。京都とその附近一たいを上方といつたのも、京都が都であつたからであります。
幕府では、家康が御所を御增築申しあげたり、御料を奉つたりしてから、家光や綱吉らも、これにならつて、朝廷をうやまひました。
太平の世が續いて、國民が日々の仕事にいそしむことのできたのは、ひとへに御惠みのおかげでありました。にぎやかな江戶とはなやかな長崎、その間には、おごそかな京都があつて、昔の姿を傳へてゐました。京都とその附近一たいを上方といつたのも、京都が都であつたからであります。
幕府では、家康が御所を御增築申しあげたり、御料を奉つたりしてから、家光や綱吉らも、これにならつて、朝廷をうやまひました。