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朝廷では、これまで、皇太子におなりになる御方の外、皇族はたいてい出家なさる御習はしでありました。白石は、まことにおそれ多いことに思ひ、宮家をお立てくださるやう、家宣を通して、朝廷に申しあげました。第百十四代中御門天皇は、これをお取りあげになつて、新たに閑院宮家をお立てになりました。また朝鮮は、家康が交りを結んで以來、將軍が任じられるごとに、祝賀の使節を送つて來ました。ところが幕府は、いつもこれを勅使以上に、てあつくもてなしてゐましたので、白石は、國の體面にかかはることと思ひ、家宣に申し出て、そのもてなし方を改めるやうにしました。

白石はまた、鎖國の世でも、海外に目を注ぎ、これに關する本をあらはしてゐます。かうした白石の努力によつて、政治はふたたびひきしまり、太平の世が續きました。