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國民の生活がはでになると、國の力が弱ります。長崎の港では、オランダ人が、支那の絹織物、南洋の砂糖、西洋のめづらしい品々を賣りさばいて、ばくだいな利益を占めてゐました。國を鎖してから、かれこれ七十年もたちました。その間、天主敎がはいらなくなつた代りに、大切な金銀が、どんどん海外に流れ出てゐたのです。その害をさとつたのが、新井白石でありました。

綱吉ののち、家宣と家繼が相ついで將軍に任じられましたが、白石は、この二代に仕へて、いろいろと政治を改めました。その一つが、長崎貿易の制限であります。白石は、まづ貿易の有樣をくはしく調べて、金銀の流出があまりにも激しいことに驚き、家繼の時に商船の數をへらし貿易額を制限して、金銀の流出を防ぎました。白石は、このほかにも、りつぱな事蹟をのこしてゐます。