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の美風をそこなふものさへありました。秀吉は、天主敎の害を知ると、ただちにこれを禁止し、家康もまた、その方針を受けつぎました。ところが二人とも、貿易を奬勵しましたので、そのすきに宣敎師がまぎれこみ、ひそかに布敎を續けました。その後、秀忠・家光と代を重ねるにつれて、天主敎の取りしまりは、ますますきびしくなりました。幕府は、懸賞・踏繪・宗門改めなどの方法を用ひて、これを根だやししようとし、寬永七年には、洋書の輸入を禁止しました。

ところが、幕府は、諸大名の叛亂を恐れて、武備を制限しましたので、いざといふ場合、國を守る自信がありませんでした。これに加へて、九州には、外樣大名や天主敎の信徒が多いため、いつ叛亂が起るかわからない有樣でした。幕府は、大名が貿易の目的で大船を造ることさへ、警戒するやうになり、また國民の海外發展にも、しだ