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しのけ、元和五年には、ジャワのバタビヤ(今のジャカルタ)に總督を置くほどの勢でした。イギリス人は、オランダ人に敵しかね、元和九年、わが國を去つて、もつぱらインドの侵略に力を注ぎました。
わが朱印船は、かうした古手・新手のはびこる南洋へ、勇ましく乘りこんで行きました。秀吉や家康が貿易をすすめるまでもなく、國民の海外發展心は、もえさかつてゐました。京都・大阪・堺・長崎などの商人や、九州の大名らは、先を爭つて南方の各地へ進出しました。船も、末次船や角倉船のやうに、八幡船とは比較にならないほど、りつぱになりました。長さ二十五間、幅四間半、三百人乘りの船さへできました。航海の技術も進步しました。しかし、まだまだこの程度の船や技術で、波風の荒い東支那海や暗礁の多い南支那海を乘り切ることは、なかなか容易ではありませんでした。それ