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ヨーロッパの制海權をうばひました。ちやうど、後陽成天皇が聚樂第に行幸あらせられた年のことであります。これから、イギリスとオランダの勢が、目だつて盛んになりました。
しぜん英・蘭の兩國人は、東亞にも押し寄せて來ました。イギリス人はインドに、オランダ人は東インド諸島に目をつけ、關原の戰から二三年の間に、それぞれ東インド會社を立てて、東亞の侵略を始めたのです。しかも、そのやり方は、表に貿易をよそほひながらなかなかずるいところがありました。やがてこの兩國人は、わが國にも來て、貿易を求めました。家康は、慶長十四年、まづオランダ人に、同十八年にはイギリス人に、それぞれ貿易を許しました。兩國人は、まもなく平戸を足場にして、激しい競爭を始めました。ところで、オランダ人は、一方東インド諸島で、ポルトガルの勢力を押